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第6章 焔乱舞
サーシャの決断
しおりを挟む「う、嘘でしょ!? こんなに早く…っ」
隣に立つカレンの絶叫に似た悲鳴を、サーシャは身も心も凍えたような気分で聞いていた。
街灯もなく、夜の闇に沈んでいるレイミヤの風景。
その中に、明らかに不釣合いなモノがあった。
巨大な影は、暗闇の中ではその細部までは確認できない。
しかし、大きな翼と尻尾を感じさせるそのシルエットと、暗闇の中でも光って見える深紅の瞳が、ソレが何であるかを否応なく理解させる。
地震と共に出現したドラゴンは長い眠りから覚めたばかりだからか、ぎこちなくその巨躯を動かしている。
その小さな身じろぎでさえ、鈍く軋んだ音を孤児院にまで届けていた。
そして。
――――――――ッ
地面を揺るがす咆哮が夜闇に轟く。
「ひっ…」
思わず、二人して息を飲んだ。
なんという迫力と存在感だろう。
シミュレーションの映像とは次元が違う。
先祖はこんなものと友好関係を築き、そして五十年もの間敵対し戦い続けてきたというのだろうか。
こんな、化け物と……
「何をしているの!」
「―――っ!!」
室内に響いた厳しい叱責。
その声の主はメイだ。
彼女はこの中で唯一動揺や恐怖の欠片を見せず、凛として立っていた。
「ナスカさん。早く子供たちと近所の方を、地下シェルターへ誘導しなさい!」
「は、はい!」
メイに言われ、ナスカは慌てて部屋を出ていく。
孤児院内はすでに騒然としていて、開かれた扉の隙間から子供たちの悲鳴が聞こえてきていた。
「あなたたちはどうするの? 避難するなら、孤児院の地下にシェルターがあるけれど。」
竜騎士として戦えと、メイは言わなかった。
あくまでも彼女は自分たちのことを、竜騎士としてではなく一人の人間として見てくれている。
たとえ自分が竜使いでも、少なからず味方になってくれる人がいる。
キリハが伝えたかったのは、こういうことなのだろうか。
「………」
サーシャはうつむき、両の拳を握る。
隣では、カレンがルカに電話をかけている。
彼女の携帯電話から、微かにだがルカの驚愕した声が漏れ聞こえてくる。
それらを訊きながら、目を閉じて深呼吸を一つ。
心を落ち着け、サーシャは無言のまま、メイの隣を通り過ぎて部屋を出た。
職員たちに誘導されて地下へ向かう子供たちを横目に見ながら、目指すのは玄関の外。
「サーシャ、待って!」
外に出ていくサーシャを、後から追ってきたカレンが呼び止める。
「どうするつもり?」
「せめてみんなが避難できるまで、なんとか足止めする。」
サーシャの発言に、カレンは目を瞠った。
「足止めって……二人じゃ無理だよ! ルカだって、余計なことはするなって言ってたよ!?」
その否定的な言葉は、言葉そのままの意味もある。
だがきっと、カレンが危惧するのはそれだけではないだろうことを、サーシャはきちんと自覚していた。
自分はこれまで、任務に相当な恐怖を持っていたし、その恐怖に耐えきれなくて一度は逃げてしまった。
カレンが何よりも心配しているのは、自分のそんな精神面のこと。
でも……
「そうかもしれない。」
カレンに答える自分の声は、自分でも驚くほど静かなものだった。
「でも、戦える人が戦わなきゃいけないから……」
サーシャはじっと遠くを見据える。
ここから広がっているはずの田畑の真ん中に、ドラゴンはいる。
今はまだ大きな動きを見せていないドラゴンも、いつその牙を剥き、人々を屠るか分からない。
〝戦える剣があるのに、この地の人々を見捨てるの?〟
腰に下がる剣が、そう語りかけてくるような気がした。
答えはノーだ。
彼が守りたいと願うこの場所を、こんな弱い自分を優しく包んでくれたこの場所を、戦える刃を持ちながら見捨てるなんてことできるはずがない。
(怖い。怖いけど……)
サーシャは、キッと暗闇に浮かぶ一対の目を睨む。
脳裏に浮かぶのは、思わず泣きついてしまいたくなる彼の笑顔。
(あの人は、笑ってくれたから――!!)
脳裏の笑顔に背中を押されて、腰の剣を思いきり抜き払う。
暗闇に沈むその剣は、ドラゴンの巨体に比べればなんと頼りなく見えることだろう。
それでも、今できる精一杯のことを。
サーシャは剣をぐっと握り、次の瞬間勢いよく地を蹴った。
「サーシャ。この短時間で変わりすぎ。」
同じように走り出したカレンが、サーシャの隣に並ぶなり言ってくる。
「これもキリハのおかげ? 恋する乙女パワーってすごいねぇ~。」
「カ、カレンちゃん! こんな時にからかわないでよ!」
途端に赤くなるサーシャに、カレンはいつものように明るい笑顔を浮かべる。
「こんな時だからよ。緊張が少しほぐれたでしょ? きっとすぐに応援が来るから、それまで一緒に頑張ろ! ま、後でルカに相当怒られるんだろうけども。」
言われてみれば、確かに少し肩の力が抜けたかもしれない。
「うん!」
サーシャも明るく答え、二人はドラゴンの下へ駆けた。
間近から見上げるドラゴンは、遠目から見るのとはまた違う迫力を醸し出していた。
ドラゴンは、近づいてきたサーシャたちを威嚇するように待ち構えている。
その赤い両目に射すくめられると、心臓を鷲掴みにされたように息がつまる。
サーシャたちは一定距離を保ちつつ、ドラゴンの視線を受けた。
相手はこちらを警戒して動かない。
不用意にこちらから手を出せば、途端にドラゴンは周囲を破壊し始めるだろう。
向こうが動き出すまで、じっと待つのだ。
サーシャたちとドラゴンの静かな睨み合い。
やがて。
―――――――――ッ
サーシャたちからの緊迫した雰囲気に反応したのか、ドラゴンがまた咆哮をあげた。
その左腕が、ゆっくりと動き出す。
ぐっと足に力を入れ、薙ぎ払われた左腕をかわす。
続いて、右腕を振り下ろす第二撃。
尻尾を横薙ぎに振ってくる第三撃。
それらを、サーシャとカレンはどんどん避けていく。
気を抜けば暴れ出してしまいそうな心臓を、必死に落ち着けた。
心を保ってよく見れば、ドラゴンの動きはシミュレーションのものと大きく違わないことに気づく。
これなら、きっと―――
「大丈夫ですか!?」
しばらくドラゴンの気を引き続けていると、ふとそんな声が聞こえてきた。
そのすぐ後に、後ろから何人かの人が駆けつけてくる気配がする。
「セレニア南部支部の観測部隊です。加勢します。」
そんな心強い言葉と同時に、サーシャたちと入れ替わるように数人の武装した男性たちがドラゴンに向かっていく。
「ただ今第一小隊がデータ分析、第二小隊が住民の皆さんの避難指示と誘導に当たっています。もう少しで、本部からの応援も駆けつけるはずです。私たち特別小隊は武術訓練も受けておりますので、安心してください。一緒に、もう少し耐えましょう。」
早口で状況説明をしてくる男性が、最後にそう言ってくれる。
おそらく、キリハたちもここに向かっていることだろう。
その期待と男性の言葉が、サーシャたちをさらに勇気づけてくれた。
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