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three.
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「晴貴くーん! 見て!」
翌日。引き続きの快晴で、空にはほとんど雲がない。遮るものなく届く日光は、夕刻が近付いて少しだけ柔らかくなったようだった。
明るい呼び声に、瓢箪形の池の中で悠々と泳ぐ錦鯉から顔を上げる。大きくて綺麗でしばらく無心に見つめてしまっていた。
振り返るのと同時くらいに傍に辿り着いたあやめちゃんが足を止めて、両腕を広げた。浴衣姿だ。濃い桃色とも赤みの紫ともとれる色合いの布に白い花が浮かんでいる。
「みてみて、似合う?」
彼女はそのままくるんと一回転して、誇らしげな顔をする。背中で淡い水色の柔らかな帯が揺れた。期待感たっぷりのあやめちゃんに俺も笑みを返す。
「似合う。菖蒲色だな」
手を伸ばしたが、髪も可愛らしく結い上げられていたので、乱してしまいそうだと頭を撫でるのはやめておいた。
「あやめ色?」
「この浴衣みたいな色のこと。あやめちゃんの名前の色だな」
中途半端に下ろした手をあやめちゃんが取る。繋いだ手をゆらゆらと揺らしながら俺の隣に並ぶ彼女は、本当に人懐っこい子なのだろう。俺に対して、悪い意味でなく遠慮がない。
確かに、接し方について俺がごちゃごちゃ考える必要はないのかもしれない。
「晴貴くん、物知りねぇ」
「そうか? あやめちゃんのお兄ちゃんの方が、物知りだと思うよ」
「えー、そうかな?」
「うん。この髪、お兄ちゃんにやってもらったのか?」
「んーん、これはお姉ちゃん。お兄ちゃんはこういうの出来ないよ」
「そうなんだ」
眩しそうに見上げられて、逆光になっていることに気が付く。立ち位置を変えようとした俺の手を、あやめちゃんがそのまま引っ張った。
「晴貴くんに早く見てもらいたかったから、お兄ちゃんのこと置いてきちゃったの。一緒に迎えにいこ」
「いいよ」
並んで歩き出す。飛び石の上しか通らない遊びをしているのか、あやめちゃんの足取りは跳ねるようだ。転ばないように、しっかりと小さい手を握り直した。
かろん、と下駄が軽快な音を鳴らす。
「ねーえ、晴貴くんとお兄ちゃんは友だちなの?」
「ん? ああ、まあ……そう、かな」
年齢差があり、尊敬もしているが学校の先輩後輩というだけの関係よりは近しい。それは一般に友達と呼んでいいものなのだと思う。恐らく。なんともしっくり来ないがあやめちゃん相手にその微妙な感覚を伝えてもどうしようもない。
考えて、やや曖昧さを残しつつも頷いた俺を振り仰いで、彼女は「お兄ちゃんのこと好き?」と問うた。
一瞬、空白が出来たような錯覚をする。
「好きだよ」
それを埋めるように、今度ははっきりと首肯した。幼い頬が綻ぶ。
「あやめも、お兄ちゃん好きよー」
「うん」
好き、嫌いというはっきりしているようで複雑な表現を使うなら、俺は違えようもなくキヨ先輩を好きだと思う。
それは、嫌いな人でもどうでもいい人でもないから好き、などという消極的なものではなかった。言葉にして肯定してみせて、初めてそれに気が付いた。
笑顔が好きだとか、何色が好きだとか言うのとその人自身を好きだと思うことはなんとなく別の感じがある。別だけれど、俺は確かに鷹野清仁という人を好きなのだ。確認するみたいにそう頭の中でも繰り返してみる。
「あ、お兄ちゃん!」
渡り廊下にキヨ先輩を見つけてあやめちゃんがぱっと駆け出した。
「あやめ、転ぶぞ。走らない」
「はぁい」
あやめちゃんを窘めた先輩が、次いで俺を見る。目が合うと途端に恥ずかしいような気持ちになった。
好きだ、と言葉にすることがほとんどないからだろうか。言ったあとでわざわざ再確認までしてしまったせいだろうか。直後に本人と顔を合わせるのは気まずい。
そんな風になるとは、自分でも思ってもみなかったのだけれど。
「ハル、どうした?」
どこか不審な態度になっていたのだろう、先輩が僅かに怪訝そうな顔をする。
「お兄ちゃん、あのねー晴貴くんねぇ」
「待て。待って、あやめちゃん、さっきの伝えようとしてる?」
ぎょっとして思わず静止すると、あやめちゃんは邪気のない眼差しを俺に向けてこてんと首を傾けた。
「え、うん! だめ?」
「だめ、っていうか―恥ずかしい、からやめてほしい」
取り繕えもせず、真正直にそう言う。最悪手だ。
「晴貴くん可愛いね!」
目を輝かせたあやめちゃんには微笑まれるし、話の流れとして当然、先輩には何のことかと問われる。
黙秘する俺に先輩は不思議そうにしていたが、「しつこい男は嫌われるのよ」というあやめちゃんのませた一言ですぐさま追求をやめてくれたのには助かった。
翌日。引き続きの快晴で、空にはほとんど雲がない。遮るものなく届く日光は、夕刻が近付いて少しだけ柔らかくなったようだった。
明るい呼び声に、瓢箪形の池の中で悠々と泳ぐ錦鯉から顔を上げる。大きくて綺麗でしばらく無心に見つめてしまっていた。
振り返るのと同時くらいに傍に辿り着いたあやめちゃんが足を止めて、両腕を広げた。浴衣姿だ。濃い桃色とも赤みの紫ともとれる色合いの布に白い花が浮かんでいる。
「みてみて、似合う?」
彼女はそのままくるんと一回転して、誇らしげな顔をする。背中で淡い水色の柔らかな帯が揺れた。期待感たっぷりのあやめちゃんに俺も笑みを返す。
「似合う。菖蒲色だな」
手を伸ばしたが、髪も可愛らしく結い上げられていたので、乱してしまいそうだと頭を撫でるのはやめておいた。
「あやめ色?」
「この浴衣みたいな色のこと。あやめちゃんの名前の色だな」
中途半端に下ろした手をあやめちゃんが取る。繋いだ手をゆらゆらと揺らしながら俺の隣に並ぶ彼女は、本当に人懐っこい子なのだろう。俺に対して、悪い意味でなく遠慮がない。
確かに、接し方について俺がごちゃごちゃ考える必要はないのかもしれない。
「晴貴くん、物知りねぇ」
「そうか? あやめちゃんのお兄ちゃんの方が、物知りだと思うよ」
「えー、そうかな?」
「うん。この髪、お兄ちゃんにやってもらったのか?」
「んーん、これはお姉ちゃん。お兄ちゃんはこういうの出来ないよ」
「そうなんだ」
眩しそうに見上げられて、逆光になっていることに気が付く。立ち位置を変えようとした俺の手を、あやめちゃんがそのまま引っ張った。
「晴貴くんに早く見てもらいたかったから、お兄ちゃんのこと置いてきちゃったの。一緒に迎えにいこ」
「いいよ」
並んで歩き出す。飛び石の上しか通らない遊びをしているのか、あやめちゃんの足取りは跳ねるようだ。転ばないように、しっかりと小さい手を握り直した。
かろん、と下駄が軽快な音を鳴らす。
「ねーえ、晴貴くんとお兄ちゃんは友だちなの?」
「ん? ああ、まあ……そう、かな」
年齢差があり、尊敬もしているが学校の先輩後輩というだけの関係よりは近しい。それは一般に友達と呼んでいいものなのだと思う。恐らく。なんともしっくり来ないがあやめちゃん相手にその微妙な感覚を伝えてもどうしようもない。
考えて、やや曖昧さを残しつつも頷いた俺を振り仰いで、彼女は「お兄ちゃんのこと好き?」と問うた。
一瞬、空白が出来たような錯覚をする。
「好きだよ」
それを埋めるように、今度ははっきりと首肯した。幼い頬が綻ぶ。
「あやめも、お兄ちゃん好きよー」
「うん」
好き、嫌いというはっきりしているようで複雑な表現を使うなら、俺は違えようもなくキヨ先輩を好きだと思う。
それは、嫌いな人でもどうでもいい人でもないから好き、などという消極的なものではなかった。言葉にして肯定してみせて、初めてそれに気が付いた。
笑顔が好きだとか、何色が好きだとか言うのとその人自身を好きだと思うことはなんとなく別の感じがある。別だけれど、俺は確かに鷹野清仁という人を好きなのだ。確認するみたいにそう頭の中でも繰り返してみる。
「あ、お兄ちゃん!」
渡り廊下にキヨ先輩を見つけてあやめちゃんがぱっと駆け出した。
「あやめ、転ぶぞ。走らない」
「はぁい」
あやめちゃんを窘めた先輩が、次いで俺を見る。目が合うと途端に恥ずかしいような気持ちになった。
好きだ、と言葉にすることがほとんどないからだろうか。言ったあとでわざわざ再確認までしてしまったせいだろうか。直後に本人と顔を合わせるのは気まずい。
そんな風になるとは、自分でも思ってもみなかったのだけれど。
「ハル、どうした?」
どこか不審な態度になっていたのだろう、先輩が僅かに怪訝そうな顔をする。
「お兄ちゃん、あのねー晴貴くんねぇ」
「待て。待って、あやめちゃん、さっきの伝えようとしてる?」
ぎょっとして思わず静止すると、あやめちゃんは邪気のない眼差しを俺に向けてこてんと首を傾けた。
「え、うん! だめ?」
「だめ、っていうか―恥ずかしい、からやめてほしい」
取り繕えもせず、真正直にそう言う。最悪手だ。
「晴貴くん可愛いね!」
目を輝かせたあやめちゃんには微笑まれるし、話の流れとして当然、先輩には何のことかと問われる。
黙秘する俺に先輩は不思議そうにしていたが、「しつこい男は嫌われるのよ」というあやめちゃんのませた一言ですぐさま追求をやめてくれたのには助かった。
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