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第一部

17.魔女が目覚める日①

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「…流石にこの人数を一人で相手にするのは骨が折れるな…」

 致命傷を負った筈のアルベルトが、何食わぬ顔で玄関ホールに戻ると、騎士を召集したアレクスが怒りの形相で待ち構えていた。

「…弟と魔女はどこへ行った?」

「あぁ、それならとっくに屋敷の外だよ」

 本来彼等が向かうべき方向とは逆の方向を見やると、即座に人員を半分に割き外へと向かわせる。
 開け放たれたままの大扉を見つめ、騎士達の行く先をただ祈る。

(何事もなく人形師の元へ着けば良い…)

「それにしても、貴様は大人しく捕まろうなど、殊勝じゃないか」

 赤い瞳を細めながら、アレクスは捕縛用の縄ではなく、腰に下げていた細剣を引き抜いた。

「……誰が捕まると言った?前から思っていたが、君は思い込みが激しいな。…あぁ、思い込みの最たるものとして、君の妹は天使じゃなくて悪魔だよ」

「……化け物如きが私のクルエラを侮辱するな」

「そんなに愛しているのに、兄妹だと結婚すら出来ないのだから憐れだな」

 真っ赤な瞳が怒りのままに歪むのを、大して気にも止めずに、自身の革手袋をはめ直していく。

 一先ず地下までの道中で、ある程度のコツは掴んだ。
 さぁ、ここからが本番だ。

「…そこの騎士達、と戦えるなんて、なかなか貴重だぞ?思いっきり楽しんでいくといい」

 かかって来いと指先で合図すると、騎士達は困惑した表情で顔を見合わせる。
 まさか自分達の上官と戦うことになろうとは思っていなかったのだろう。
 魔術師と名乗っても、相手は丸腰。
 けれど、騎士道精神など持ち合わせていない男がいる。

「ユークレースの生死については言及されていない!!さっさと殺せっ!!!!」

 壮麗な屋敷内に似つかわしくない怒声が響くと、多数の金属が擦れる不快な音がその場に鳴り、一人二人とアルベルトに斬りかかるように駆け出した。

「…まだ出力に関しては少々不安だが、殺さないように頑張るよ」

 一番に襲いかかって来た騎士が剣を振り下ろそうとした時、アルベルトは身体を低くし、一歩踏み込むと目にも止まらぬ速さで、相手の懐に潜り込み、鎧の上から鳩尾を殴った。

 周囲も彼の拳が入ったと認識した直後、その騎士の背に魔法陣が現れ、骨が折れる鈍い音と共に、アレクスの真横へと吹っ飛んだのである。

「なっ!?」

 アレクスは隣に倒れ込んだ騎士を見たが、鎧は殴られた場所はへこみ、騎士は泡を吹いて気絶していた。

 その場にいた全員が直前の体勢のまま、床に転がる騎士へと釘付けになる。

「あぁ…すまない。肋骨を何本か折ってしまった。やはり瞬発的だと魔力の調整が難しいな。眠らせるのとは訳が違うな。だが、これだけ居たらそれなりに練習になるな」

 殴った右手を握っては開いてを繰り返し、手の骨に異常が無いのを確認すると、次の獲物を品定めするかのようにほくそ笑んだ。

「くっそ…!こうなれば、あれを出せ!」

 アレクスは後方で待機していた副隊長を呼び寄せた。

「……アシュリー卿。今使うのですか?貴重な品ですし、長老達から彼がきた時の隠し球にと…」

「構わん!今使え!!」

「…承知しました」

 副隊長が懐から取り出したのは、淡い光を放つガラス玉のようであった。
 騎士のコートを靡かせ数歩前へ出ると、それを天井に向かって投げた。
 空中に眩しい光を放ってその玉が停止した途端、アルベルトの身体に凄まじい重力が襲いかかる。

「……ぐっ!!??」

「ははっ!!魔術師に効くとっておきの魔術具だ!!」

 ビリビリと身体の隅々まで潰されてしまいそうな感覚に、呻きながら片膝をつく。

「ぅっ…」

(…何だ?体内の魔力に反応している?身体が…いう事をきかない!!)

 指先に魔力を集中させようとしても、肝心の魔力が思うように操作できない。
 流れが今にも停まってしまいそうな程に鈍く、それに比例するように、身体は重く感じ今にも突っ伏してしまいそうである。

(…そうか、魔力の流れを停める類の魔術具か…!)

 今の身体の維持を、全て魔力に頼っているアルベルトには相性が最悪の代物だ。

(まずい……只の魔術師だけでも効くだろうが、僕では身体の維持すらこのままだと出来なくなる……!)

「無様だな!!長老共には大分渋られたが、貴様にこれだけ効くなら持ってきた甲斐があった!!」

(…そもそも、何故こんなものを用意している!?)

 当初、自分の正体はバレてはいなかった。

 そして、この魔術具が魔力の総量によって作用するなら、魔力の少ないエステルには効果が薄いだろう。

(…そういえば、副隊長は彼と言ったな…?その相手が僕では無いのだとしたら…)

 ーー彼等の目的は…

(まさか…!!)

 その瞬間、下の階から振動と共に爆音が聞こえてきた。

「今度は何だ!?」

 大階段の下から土煙が上がり、視界が灰色へと染まっていく。
 土煙の中には火薬のような匂いは含まれていない。つまり、この爆発はーー


「…やぁ、伯爵。なかなかいい表情をしているじゃないか」

(……最悪だ)

 霞む目の前に悠然と現れたのは、ダイヤモンドを砕いたかのような美しい銀髪を持つ男、あの人形師だ。

「…人形…師…ど…の…、だめ、です…逃げ…」

 喉まで潰されてしまいそうな中、アルベルトは危険を知らせようと必死だった。
 だが、視界は狭まり、身体は地面へと近づく。

(……駄目だ…このままでは…停まる…)

「…おや?厄介なのを使われているのか。仕方ない…叩き割ってやってくれ!!」

 人形師が呼び寄せた人物が土煙の中から飛び出すと、空中に浮いていた魔術具を握っていた剣で砕き割った。

「がっ…!はっ!はっ!」

 アルベルトの体内を一気に血液が巡るような感覚が押し寄せ、窒息しそうだった喉へ空気が通った。

「兄上!大丈夫ですか!?」

 魔術具を叩き割ったルイスがアルベルトへに駆け寄り、その背を摩る。

「…ルイスまで。何故、ここにいる…」

「そんなの君を助けに来たに、決まってるじゃ無いか」

「…駄目です、すぐに貴方は逃げてください。彼等の目的はエステルでは無い。貴方です!」

「知ってるよ?けど、一つ訂正。私『も』目的なだけだ」

 人形師が騎士団へと向かい合うと、副隊長が騎士達へ整列を指示し、前へと出てると、人形師に対して騎士としての最敬礼をした。

「……お迎えに上がりました、アウィン・グラスタリア殿下」

 副隊長の言葉に、その場にいたアルベルト以外が硬直した。

「…で、殿下…?グラスタリア!?」

 グラスタリア…この国と同じ名が許される人物は限られる。

 その名に冷や汗を流すルイスにアルベルトが耳打ちする。

「…正しくは、何代も前だ。一三代程前に同名の王弟殿下がいらした。…彼は…既に人間ではない」

 アルベルトは元々、人形師が人間ではなく人形であることを知っていた。
 人形になったことにより、魔鉱石の独特の魔力を感じ取れるようになったからだ。

 更にエステルとの結婚式で彼が王冠の意匠が施されたローブを羽織っていたことにより、彼の正体は絞られた。
 ならば残りは簡単だ。

 彼の見た目に近い年齢で死亡、もしくは所在不明になった人物をピックアップすれば、残ったのはアウィン・グラスタリアただ一人だった。

「…そう。私は生前、王族であり魔術師だった。そして今は人形。この国にいたある魔術師による最高傑作だよ?」

 アウィンは大袈裟に両手を広げ、正解を言い当てたアルベルトを賞賛した。
 けれど、その場は未だに動揺を隠せない者達ばかりだ。

 それもその筈、この国は『魔術師や魔女は認めてはいない』のだから。

 それは処刑していた側に、魔術師が居たという最大の禁忌だ。

「…城へお戻りください。陛下が貴方の帰りを心待ちにしております。勿論、貴方の安全は保証致しますので」

「うーん、私は自分のことなど心配していないよ。どうせ、君達ごときには倒せないからね。それよりも、彼等の保証をしてくれるかい?出来ればこのまま何事なく、此処で暮らす保証が欲しいのだが?」

「…それは、保証し兼ねます…」

「…そうか、ならば家出は続行だ。…伯爵、もう動けるかい?」

 ルイスに支えられながら立ち上がったアルベルトは、手に何度も魔力を集中させ、体内の流れを整える。

「可能です」

「結構!…では、エステル!」

 その声にアルベルトの横を、軽やかに揺れるミルクティー色が通り過ぎる。

「…な!!まさか、君まで…」

「アルト、ちょっと待っててね。絶対、皆で助かってみせるから…!」

 エステルは今すぐにでもアルベルトの傍に駆け寄りたい気持ちを抑え、笑顔だけを彼の元へ送る。

 そう、今からエステルとアウィンにはすべきことがある。
 アウィンはエステルが傍に寄るのを確認すると、改めて声高らかに告げた。

「王に伝えておくれ。私達は此処から出て行くと」

「…そうはいかない!逃がすものか!!」
 アレクスが剣を構えると、他の者もそれに続いていく。

「ここは折角だから、魔術師らしく華麗に転移魔術で帰ろうか!伯爵…弟君!私と私の可愛い弟子が詠唱を終えるまで、雑魚が邪魔をしないようにしてくれ!」

「……易々と言いますが、兄上と二人であの人数を相手しろと?」

「ルイス、あの人は話をするだけ無駄だ。殺……じゃなかった、苦情は後にしよう」

「……お願いだから、どさくさに紛れて殺そうとしないでくれるかい??」

「では、何度も言いますがエステルをさも自分のもののように、言うのをやめてもらえますか?エステルは僕のです」

「怒るのそこなんだ…ふふっ、伯爵は本当に面白い…」

 くっくっと緊張感もなく笑い出したアウィンの服を、エステルがくいっと引っ張った。

「…お師様、笑ってないでやりますよ!」

「はいはい!では諸君、もう一踏ん張りといこうか」

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