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第一部
閑話・ルイスの日録
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ルイスだけ本編のカラー挿絵が無かったので、兄弟カット用意しました。
後日談は師団長代理から自宅警備員になっちゃった、ルイス視点の日常です。
その日、人形師の屋敷でエステルの護衛騎士として雇われることになったルイス・ユークレースは、暇を持て余していた。
澄み切った空の下、鳥の声と風の音だけが一日の大半の刺激である。
今日も早朝からのトレーニングを終えた彼は、色鮮やかな花々が咲き誇る庭で、太陽がてっぺんまで昇っていくのを、ただぼんやりと眺めていた。
(暇だ。仕事がなくなるとこうも暇なのか。書類もなければ出仕もない。おまけにエステルは出掛ける時も兄上が付いていくから、自分の出番など無い)
そう、今の彼は護衛騎士どころか、正に自宅警備員である。
今までは学業に仕事にと分単位で動いていたのに、今の予定は朝から晩まで真っ白なのだ。
(仕事が欲しい……)
真面目かつ几帳面、仕事が生きがいと言っても過言ではないルイスにとって、暇はこの上ない苦痛だ。
趣味である稽古も、アルベルトが相手をしてくれなければ出来る事も限られる。
(そういえば、兄上やエステルはこの時間、何をして過ごしているんだろう?)
元々この屋敷で弟子として住んでいたエステルは、家事の一切を取り仕切る。
そのためアルベルトは、よくその手伝いをしていた。
(そうだ!あの二人を見つければ、もしかしたら仕事が貰えるかもしれない!)
パッと表情を明るくしたルイスはキョロキョロ周りを見渡し、早速二人を探すことにした。
が、これが後にアルベルトの怒りを買うとは知らずに――
***
(一番居そうなところは…調理場だろうか?)
屋敷のありとあらゆる場所は、アルベルトが『使えそうな魔術があるのに活用しないのは勿体ない』と言い出して《防汚》の魔術を施した。
屋敷の主は『そんな事に魔力を大量に消費するなんて』と嘆いていたが、どの程度の魔力が消費されているのかは人間のルイスには分からない。
けれどそのお陰で、エステルは簡単な掃除だけで済むようになったようで、余った時間をここぞとばかりに、お菓子作りなどに利用している。
恐らく今日のお茶の時間にも、彼女のお手製の菓子が出るのだろう。
そんな事を考えながら調理場に近づくと、予想通り甘い砂糖とバターの香りが漂ってきた。
――だが、
「いないな…」
今日、彼女が焼いていたのはフィナンシェのようだ。
既に午後のティーセットと共に、片隅に置かれたワゴンの上に用意され、道具も全て綺麗に片付けられた後だった。
(…ひょっとして、兄上の居そうなところか?)
もしかしたら二人で読書でもしているのかもしれない。
次にルイスは書庫へと向かう。
この屋敷に来てからのアルベルトは、専ら魔術の研究をしている。
元々潤沢な資産を有する伯爵家、更に彼の個人資産は放っておいても雪だるま式に増えていく一方だ。
よってアルベルトはこの屋敷での日々を、研究や魔術師としての特訓、自分の楽しみのためだけに時間を消費することにしていた。
人形師の屋敷内にある書庫には、王宮では禁書扱いだった魔術書が所狭しと並ぶ。
ルイスにはその意味も使い方も分からないものばかりだが、自分の兄が子供の頃と同じ輝く目でその本を読んでいるのだから、きっと宝の山なのだろう。
だが今の目的は本ではない。
アルベルトとエステルである。
しかし、扉を開くとこちらも無人だった。
(…書庫でもない…)
ルイスは顎に手を当て、一番行き先が分かりやすい、エステルのスケジュールを洗い直す。
(…そうだ、洗濯!)
屋敷内には四人しか居ないのに、何故か毎日欠かさずベッドシーツを何枚も洗っては干している。
つまり、今日も洗濯している筈だ。
足早に中庭へと向かうと、其処にはシーツや皆の服が風にゆらいでいた。
ルイスは風に靡く洗濯物の中で、一番乾きやすいシーツに触れる。
(…大分濡れてる。干したばかりみたいだな。中に居るかもしれない)
洗い場にむけてルイスは声を掛ける。
「兄上?エステル?いらっしゃいますか?」
洗い場に人影はないが、声を掛けた瞬間、何処かで微かに物音がした。
「ん?」
ルイスは音を辿る。
どうやら洗い場の隣にあるリネン室のようだ。
「兄上?其処にいるのですか?」
再度声をかけ、ドアハンドルに手を掛けた瞬間、扉が勢いよく開き、中から顔を出したのはエステルだった。
「っ!ルイス!?ど、どどど、ど、どうかしたの!?」
出て来たエステルは珍しく髪を下ろしていた。
しかもエプロンも、スカートも皺だらけである。
「あ、いや、何か手伝えることはないかなと…」
「ぇ!?あ、あぁ!!そ、そう、ありがとう!じゃ、じゃあ、中を片付けるの手伝って?その、片付けてあったの落としちゃって……」
動揺する彼女の奥を覗き込むと、確かにいくつかのシーツが床に落ちている。
その上にはアルベルトが項垂れるように座っていた。
「兄上…?何があった?」
「な、何でもないよ!!??」
エステルの視線が明後日の方向へと動く。
隠し事が下手にも程がある。
それに、なんだか中から微かに香る匂いが、甘い。
(…エステルからも…同じ匂いがする…って、何を考えているんだ…!)
背徳感に苛まれたルイスは、エステルから離れるように一歩引いたが、その際、ある事が目についた。
「エステル…ブラウスのボタンを掛け違えていないか?」
ブローチ付きのタイのせいで分かりにくいが、確かにかけ違えている。
エステルはルイスと自分のタイを交互に見るように頭を動かした後、顔を真っ赤にし『もうやだーーー!』と叫びながら、物凄い速さで走り去っていった。
「えぇ…?…そんなに恥ずかしがることか??」
走り去る様子を呆然と眺めていたが、直前にリネン室の整頓を頼まれていたことを思い出したルイスは、片付けるために入口へと振り返る。
が、そこにはシーツが仕舞われた棚に背中を預け、まるで魔王のような形相で睨みつけてくるアルベルトがいた。
「ヒッ!兄上…!?」
背筋が凍るとは正にこの事。
アルベルトの背後が吹雪いているように見え、ルイスは思わず身震いをした。
やがて普段の彼からは想像も出来ない、低い声が告げる。
「…僕は、自分の弟が融通の利かない、頭の堅い奴だったとしても良いと思っていた。そんなところさえ可愛いとずっと思っていたんだよ。が、今日、ようやく自覚した。僕は君に甘かったようだ」
「あ、兄上?…な、何故そんなにも…怒っているのですか…?」
迫力に気圧され、思わず後退ったルイスだが、そこであることにようやく気付く。
普段からキッチリ着こなす、彼の着衣が乱れていることに。
ベストどころか、ネクタイすらせず、シャツは第三ボタンまで外れている状態だ。
けれど、今のルイスにそれを指摘する勇気はない。
ここまで来ると、男女のアレコレに疎いルイスでも流石に察しがつく。
(…いい所で…完全に邪魔をしたんだな…)
アルベルトは外していたグローブを静かに付け直し、ズレが無いかを確認し終えると、先程とは違う満面の笑みを見せた。
「……あ、兄上……」
カツンコツンと革靴を鳴らしアルベルトが近づいてくる。
まるで、最後の審判が刻々と迫ってくるような響きだ。
「大丈夫だ。回復魔術の精度も上々だ。なんだったら、綺麗に骨もくっ付くぞ?」
「も、申し訳ござ…って…いや、いや!!!!ちょっと待ってください!!??そもそもこんな場所で、如何わしいことをしようとしてる兄上が…」
尤もなことを言い返そうとしたルイスだったが、アルベルトの天使のような笑顔を見てそっと口を噤んだ。
そう。ルイスは失念していたのだ。
アルベルトはエステルのことになると、非常に面倒くさい上、話が通じなくなることを。
ルイスは大きく息を吐き出すと、静かに受け身のイメージを浮かべる。
「…兄上…出来れば痛くしないでください…」
「善処する」
(それ…聞く気のない長老達が言う台詞ですよね…)
ルイスは天を仰ぎ、理不尽な現実から目を背けるようにただ祈った。
鳥のさえずりと風の音だけだったつまらない空が、ルイスの心を癒してくれる存在へと変わった瞬間だった――
後日談は師団長代理から自宅警備員になっちゃった、ルイス視点の日常です。
その日、人形師の屋敷でエステルの護衛騎士として雇われることになったルイス・ユークレースは、暇を持て余していた。
澄み切った空の下、鳥の声と風の音だけが一日の大半の刺激である。
今日も早朝からのトレーニングを終えた彼は、色鮮やかな花々が咲き誇る庭で、太陽がてっぺんまで昇っていくのを、ただぼんやりと眺めていた。
(暇だ。仕事がなくなるとこうも暇なのか。書類もなければ出仕もない。おまけにエステルは出掛ける時も兄上が付いていくから、自分の出番など無い)
そう、今の彼は護衛騎士どころか、正に自宅警備員である。
今までは学業に仕事にと分単位で動いていたのに、今の予定は朝から晩まで真っ白なのだ。
(仕事が欲しい……)
真面目かつ几帳面、仕事が生きがいと言っても過言ではないルイスにとって、暇はこの上ない苦痛だ。
趣味である稽古も、アルベルトが相手をしてくれなければ出来る事も限られる。
(そういえば、兄上やエステルはこの時間、何をして過ごしているんだろう?)
元々この屋敷で弟子として住んでいたエステルは、家事の一切を取り仕切る。
そのためアルベルトは、よくその手伝いをしていた。
(そうだ!あの二人を見つければ、もしかしたら仕事が貰えるかもしれない!)
パッと表情を明るくしたルイスはキョロキョロ周りを見渡し、早速二人を探すことにした。
が、これが後にアルベルトの怒りを買うとは知らずに――
***
(一番居そうなところは…調理場だろうか?)
屋敷のありとあらゆる場所は、アルベルトが『使えそうな魔術があるのに活用しないのは勿体ない』と言い出して《防汚》の魔術を施した。
屋敷の主は『そんな事に魔力を大量に消費するなんて』と嘆いていたが、どの程度の魔力が消費されているのかは人間のルイスには分からない。
けれどそのお陰で、エステルは簡単な掃除だけで済むようになったようで、余った時間をここぞとばかりに、お菓子作りなどに利用している。
恐らく今日のお茶の時間にも、彼女のお手製の菓子が出るのだろう。
そんな事を考えながら調理場に近づくと、予想通り甘い砂糖とバターの香りが漂ってきた。
――だが、
「いないな…」
今日、彼女が焼いていたのはフィナンシェのようだ。
既に午後のティーセットと共に、片隅に置かれたワゴンの上に用意され、道具も全て綺麗に片付けられた後だった。
(…ひょっとして、兄上の居そうなところか?)
もしかしたら二人で読書でもしているのかもしれない。
次にルイスは書庫へと向かう。
この屋敷に来てからのアルベルトは、専ら魔術の研究をしている。
元々潤沢な資産を有する伯爵家、更に彼の個人資産は放っておいても雪だるま式に増えていく一方だ。
よってアルベルトはこの屋敷での日々を、研究や魔術師としての特訓、自分の楽しみのためだけに時間を消費することにしていた。
人形師の屋敷内にある書庫には、王宮では禁書扱いだった魔術書が所狭しと並ぶ。
ルイスにはその意味も使い方も分からないものばかりだが、自分の兄が子供の頃と同じ輝く目でその本を読んでいるのだから、きっと宝の山なのだろう。
だが今の目的は本ではない。
アルベルトとエステルである。
しかし、扉を開くとこちらも無人だった。
(…書庫でもない…)
ルイスは顎に手を当て、一番行き先が分かりやすい、エステルのスケジュールを洗い直す。
(…そうだ、洗濯!)
屋敷内には四人しか居ないのに、何故か毎日欠かさずベッドシーツを何枚も洗っては干している。
つまり、今日も洗濯している筈だ。
足早に中庭へと向かうと、其処にはシーツや皆の服が風にゆらいでいた。
ルイスは風に靡く洗濯物の中で、一番乾きやすいシーツに触れる。
(…大分濡れてる。干したばかりみたいだな。中に居るかもしれない)
洗い場にむけてルイスは声を掛ける。
「兄上?エステル?いらっしゃいますか?」
洗い場に人影はないが、声を掛けた瞬間、何処かで微かに物音がした。
「ん?」
ルイスは音を辿る。
どうやら洗い場の隣にあるリネン室のようだ。
「兄上?其処にいるのですか?」
再度声をかけ、ドアハンドルに手を掛けた瞬間、扉が勢いよく開き、中から顔を出したのはエステルだった。
「っ!ルイス!?ど、どどど、ど、どうかしたの!?」
出て来たエステルは珍しく髪を下ろしていた。
しかもエプロンも、スカートも皺だらけである。
「あ、いや、何か手伝えることはないかなと…」
「ぇ!?あ、あぁ!!そ、そう、ありがとう!じゃ、じゃあ、中を片付けるの手伝って?その、片付けてあったの落としちゃって……」
動揺する彼女の奥を覗き込むと、確かにいくつかのシーツが床に落ちている。
その上にはアルベルトが項垂れるように座っていた。
「兄上…?何があった?」
「な、何でもないよ!!??」
エステルの視線が明後日の方向へと動く。
隠し事が下手にも程がある。
それに、なんだか中から微かに香る匂いが、甘い。
(…エステルからも…同じ匂いがする…って、何を考えているんだ…!)
背徳感に苛まれたルイスは、エステルから離れるように一歩引いたが、その際、ある事が目についた。
「エステル…ブラウスのボタンを掛け違えていないか?」
ブローチ付きのタイのせいで分かりにくいが、確かにかけ違えている。
エステルはルイスと自分のタイを交互に見るように頭を動かした後、顔を真っ赤にし『もうやだーーー!』と叫びながら、物凄い速さで走り去っていった。
「えぇ…?…そんなに恥ずかしがることか??」
走り去る様子を呆然と眺めていたが、直前にリネン室の整頓を頼まれていたことを思い出したルイスは、片付けるために入口へと振り返る。
が、そこにはシーツが仕舞われた棚に背中を預け、まるで魔王のような形相で睨みつけてくるアルベルトがいた。
「ヒッ!兄上…!?」
背筋が凍るとは正にこの事。
アルベルトの背後が吹雪いているように見え、ルイスは思わず身震いをした。
やがて普段の彼からは想像も出来ない、低い声が告げる。
「…僕は、自分の弟が融通の利かない、頭の堅い奴だったとしても良いと思っていた。そんなところさえ可愛いとずっと思っていたんだよ。が、今日、ようやく自覚した。僕は君に甘かったようだ」
「あ、兄上?…な、何故そんなにも…怒っているのですか…?」
迫力に気圧され、思わず後退ったルイスだが、そこであることにようやく気付く。
普段からキッチリ着こなす、彼の着衣が乱れていることに。
ベストどころか、ネクタイすらせず、シャツは第三ボタンまで外れている状態だ。
けれど、今のルイスにそれを指摘する勇気はない。
ここまで来ると、男女のアレコレに疎いルイスでも流石に察しがつく。
(…いい所で…完全に邪魔をしたんだな…)
アルベルトは外していたグローブを静かに付け直し、ズレが無いかを確認し終えると、先程とは違う満面の笑みを見せた。
「……あ、兄上……」
カツンコツンと革靴を鳴らしアルベルトが近づいてくる。
まるで、最後の審判が刻々と迫ってくるような響きだ。
「大丈夫だ。回復魔術の精度も上々だ。なんだったら、綺麗に骨もくっ付くぞ?」
「も、申し訳ござ…って…いや、いや!!!!ちょっと待ってください!!??そもそもこんな場所で、如何わしいことをしようとしてる兄上が…」
尤もなことを言い返そうとしたルイスだったが、アルベルトの天使のような笑顔を見てそっと口を噤んだ。
そう。ルイスは失念していたのだ。
アルベルトはエステルのことになると、非常に面倒くさい上、話が通じなくなることを。
ルイスは大きく息を吐き出すと、静かに受け身のイメージを浮かべる。
「…兄上…出来れば痛くしないでください…」
「善処する」
(それ…聞く気のない長老達が言う台詞ですよね…)
ルイスは天を仰ぎ、理不尽な現実から目を背けるようにただ祈った。
鳥のさえずりと風の音だけだったつまらない空が、ルイスの心を癒してくれる存在へと変わった瞬間だった――
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