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第一部
6.少女の夢
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王都の中心にある広場では週に二度市場が開かれる。
主に近隣の領地で店を構える者や、行商人たちが各地のものを売り買いする場である。
今日の市場にも人が溢れ、お目当ての掘り出し物がないかと大盛況であった。
「アルト、ここで布を買うの?」
この日、ミントカラーのドレスとボンネット姿で出掛けていたエステルは、色とりどりの布を丸巻きにし、積み重ねている露店で白い布ばかりを物色していたアルベルトを覗き込んだ。
しかし彼は普段引き篭もっているとはいえ、貴族の端くれである。
仕立屋など家に呼べば幾らでもやって来る身分だ。
「今回は時間がないからな。生地を取寄せて貰う時間がないんだ。予めここで見繕っていく。」
そう言いながらまた新しい布を広げては、指先で実際に触りながら織りを確かめていく。
広げられた布は全て『白』ではあるが、幾つも並べるとその白さも様々だ。
実際は少し青みがかっていたり、クリーム色に近かったりする。
アルベルトはその中でも青みがある白に絞り、特に織りが美しいもの、光沢が滑らかなもの、ドレープのしなり方が良いものなどを、それぞれドレス一着分は作れる分を購入した。
そして指定した店に運ぶように商人に告げ、チップを渡すと次の買い物へと向かう。
エステルはその半歩後ろをアルベルトに手を引かれながら歩いた。
「…もしかして、さっきのお店で買ったのって…私の分なの?」
「僕は君以外にドレスをプレゼントする趣味はないよ?」
クスクスと笑いながら返されたが、ドレス一着分の生地はなかなかの金額である。
それもとりわけ高そうなのを三着分…。
ただでさえ居候の身分なのに、果たして自分の労働力で恩返しが出来るのだろうかと考えていたら『後でキスをさせてくれたら全部チャラにしよう』と揶揄われた。
(また玩具にされている…)
真っ赤になり俯いた顔を少しだけ上げ見つめれば、こちらの視線に気付いたアルベルトが柔らかい笑みを浮かべて『ここでキスしてもいいよ?』とまた揶揄ってくる。
今度こそエステルは顔を隠すためにアルベルトの腕にしがみつく。
(あぁ)
(幸せだなぁ…)
繋いでいる手に力が篭ると、彼もそれに応えるように握り返してくれる。
ただそれだけが幸福でたまらなかった。
露店を巡り終え、必要な日用品も全て揃い終わったところで、アルベルトから『もう一軒だけ』と連れて行かれたのは、社交界で人気のドレスメーカーである。
「ここ、マダム・フェリーゼのお店!」
アルベルトの母は社交界で若い頃からファッションリーダー的存在だった。
その彼女のドレスを作り続けていたのが、ここの店主であるマダム・フェリーゼである。
勿論今でも彼女の人気は衰えず、今では紹介がなければオーダーすら出来ないという人気ぶりだ。
実はエステルもこの店を何度か利用している。
アルベルトの婚約者だということで紹介してもらって以来、子供の頃に何か欲しいものを聞かれると、きまってフェリーゼのデザインしたドレスをねだった。
ショーウィンドウに並ぶドレスは今期の彼女の新作。
トルソーに着せられたドレスが二着並んでいるが、そのデザインはまるで朝と夜をイメージしているかのように対になったデザインだ。
クリーム色から夕暮れを彷彿とさせるサーモンピンクのグラデーションのドレスと、空色から夜空を彷彿とさせる群青のグラデーションのドレス。
揃いの銀の刺繍を施されているのに、纏う雰囲気は全く違う。
エステルはその美しさに暫く見惚れていたが、肩を指先でトントンと叩かれ店内へと促される。
チリンと鳴る音は昔のままである。
並べられた商品は当然四年前とは全く違うけれど、商品棚の配置は変わってはいなかった。
用件を聞きにきた若い店員にアルベルトが話しかけると、すぐさまその店員は奥の扉へと消えていく。
するとまた扉が開き一人の女性が現れた。
「ようこそ、アルベルト!急に店に来るなんてどうしたの!?」
出てきたのは美しい赤毛を結い上げた、泣き黒子が印象的な女性―マダム・フェリーゼその人である。
「お久しぶりですマダム。少しお願いがあってやって来ました。お忙しかったですか?」
幼少期より顔を合わせているだけあって、二人の雰囲気は店主と客というよりは、久しぶりに再会した叔母と甥のようである。
「いいえ、貴方が来たなら話は別よ?…屋敷の人間まで追い出したって聞いて心配していたのよ?大丈夫?ちゃんと食事はとっているの?またご飯食べられずに、寝込んでいるんじゃなないかって心配してたのよ。貴方、手紙を出したても『大丈夫』の一点張りだし…私心配で心配で…でも屋敷に行くと貴方怒るでしょう??」
「…あぁ…うん…申し訳ない…えぇと…その辺にしておいて貰ってもいいかい?…流石に…耳が痛い…。」
訂正、都会へ行った息子とそれを心配する田舎の母だ。
流石のアルベルトもたじたじである。
やがてフェリーゼはアルベルトの後ろに隠れるようにしていたエステルに気付いた。
「…あら?え!?女性連れなんて珍しい!貴方もなかなか隅に置けないわね!」
アルベルトと挨拶を交わし終えたフェリーゼは、不躾ながらもアルベルトを押し退けエステルの顔を覗き込む。
エステルは慌ててボンネットの端を摘んだが、これだけ距離が近ければ些細な抵抗など無意味で、ボンネットで狭くなった視界の中で、エステルはフェリーゼと目が合った。
少し皺は深くなったようだけれど、エステルが以前世話になっていた頃と彼女の見た目は殆ど変わっていない。
懐かしさに思わず心が沸きたったが、思い出話など出来ないし、今は『エステル・ローズベリル』だとバレると少々…いや、かなり面倒な事態に陥る。
(一三歳の頃よりも背も伸びたし、大分変わった筈だけど…覚えられていたらどうしよう…!!)
緊張と共に、自然と脈打つ速度が上がる。
エステルはその緊張が滲み出てしまわないよう、ただにっこりと微笑むしかなかった。
「まぁまぁ!なんって可愛らしいお嬢さんなのかしら!!アルベルトったらこんな好い人がいたのね。まるでお人形みたいだわぁ…髪は美しいミルクティー色だし、瞳も何て珍しい色を…し…て………てっ…」
始めこそ笑顔だったが、やがてこの珍しい瞳の色に思い当たる人物に思い至ったのだろう。
すぐ傍にその元婚約者が居るのだから、結論に至るまで早くて当然だ。
フェリーゼの言葉は止まり、今度はまるで幽霊を見たかのようにその表情は青褪めていく。
確かに書類上は死んでいるから、幽霊と言われても否定は出来ない。
「似ているでしょう?エステルに。」
アルベルトが満面の笑みで言った。
さも『別人なんです』という呈だが、そんなにあっさり信じる者がいるだろうか。
「……ぇ、ええ。とても。ごめんなさいね。気分を悪くさせてしまったかしら…?」
フェリーゼも笑顔で返しながら、横目でもう一度エステルを見る。唇の震えは隠し通せていない。
「僕も最初彼女に出会った時、驚いたのですよ。余りにも似ていたので。彼女が生き返ったんじゃないかと…つい声をかけてしまったのです。ねぇ?エリー??」
――エリー?
呼ばれたこともない名前で呼ばれた。
エステル…エル…エリーと変遷を遂げたのであろうか?
いやいや、そんなことよりも微笑まなければと表情筋に必死に力を込める。
アルベルトはゆっくりとエステルの隣へ行き、腰を抱き引き寄せる。
慣れた手つきで手を掬い取ると、その指先にキスを落とした。
まるで何年もこうして触れているかのように。
「エステルが亡くなって沈みきっていたこの僕を、ここまで元気づけてくれたのは彼女なんです。最初は彼女に瓜二つだから惹かれるのだと、そう悩んでいた時もあったのですが…それもまた運命の悪戯だったのかもしれませんね…。」
王国の劇団員もびっくりな演技である。
あくまでエステルと今ここにいるエリーという人物は別人であると印象付けたいのであろう。
だが、それには無理があるのではなかろうか。
フェリーゼの表情を伺うことは出来なかったが、彼女は肩をふるふると震わせて、困惑の色を強くしているように見える。
とりあえずアルベルトの言葉を止めようと口を開いた瞬間だった。
あり得ない言葉が耳に届いたのは。
「だから、彼女と結婚しようと思うのです。」
アルベルトは微笑んでいるのに、その場は一瞬で凍り付いた。
遠巻きに見ていたスタッフでさえ《停止》の魔術が使われたかのように動かない。
(今…何て…?)
エステルはその前に発した彼の言葉を反芻した。
彼は今『結婚』と言わなかっただろうか。
何をどうしたらそんな結論に至るのだろう。
アルベルトを見上げても、自身の口からは何も言葉が出ない。
ただ魚が餌を求めるようにぱくぱくとするだけであった。
その様子にアルベルトは一瞬目を見開いたが、すぐに目尻を赤く染めて甘い笑顔を見せた。
その甘い笑顔に思わずぎゅうっと胸が締め付けられる。
(何で、どうして急にそんなこと言い出したの?)
戸惑っているのに、熱が顔へと集中する。
(どうしよう。嘘だよね?嘘だって分かっているのに……嬉しくてにやにやしてしまう。)
エステルは冷たい自身の手に顔の熱を移そうと試みるが、先程のアルベルトの声が頭の中をぐるぐる巡り、温度を増すばかりであった。
「そんな訳で、今日はマダム・フェリーゼにウエディングドレスを作って頂くために参りました。」
のぼせ上がったエステルも、唖然としている店のスタッフもお構いなしに、アルベルトは話を進めていく。
その勢いに唯一呑まれたらしいフェリーゼは、『任せて!!』と言わんばかりに首を縦に振る。
顔を上げた彼女は泣いていた。しかも微笑みながらだ。
(まさか、さっきの演技を信じたの!?)
…そういえば彼女は劇やオペラを見に行くたびに、よく泣いていたと聞いた。感受性豊かなのであろう。
「あぁ、そうだったのね…アルベルト。やっと、貴方にも救いがあったのね…!エリー嬢おめでとうございます。勿論、エリー嬢が世界で一番美しい花嫁になれるように全身全霊をもってお手伝いさせて頂きますわ!!」
威勢よく宣言したフェリーゼは早速スタッフ達に指示を出している。
(…背中に変な汗が伝っている気がする。動悸がまだ収まらない。)
果たしてその割合としてはときめきと困惑のどちらが多いのか。
エステルはまだこの状況を理解できずにいた。
そんなエステルにアルベルトは耳打ちする。
「大丈夫。…皆、僕の方が気が狂っていると思っているから。君は普通にしていたら疑われることはない。」
エステルが勢いよく見上げた先には、誰よりも優しい笑顔がある。
その声にホッとしつつも、嘘をつかせたことが申し訳なく心がちくりと痛んだ。
その後マダム・フェリーゼの店では、スタッフ総出で打ち合わせが開始された。
先ずはデザイン。
とにかくドレスの其々の型をエステルに着せる。怒涛の試着の始まりである。
好きなドレスの型と体型に合う型は、残念ながら一緒ではない。
エステルは聖母のような印象を強くするエンパイアラインのドレスに憧れていた。
だから最初に試着したのだが、これが絶望的に似合わなかった。
エステルは細い。
貴族令嬢では無くなってから、内臓が締め上げられるほどのコルセットとは無縁であったが、華奢なのは変わらなかった。
が、細くはあるのだけれど、胸はその体つきにしては些か存在感が強めだったのだ。
女性らしさの象徴であるし、羨ましがられる方が多いかもしれないが、既に貴族令嬢でもなく日々を家事ばかりしているエステルにとっては邪魔なだけである。
上から自身の胸を見る。
足元を少し隠して見辛くしてしまう自身の胸は、エンパイアラインのような清純なイメージとはかけ離れているように思え、ついため息が漏れた。
またそれを見ていたスタッフ達も遠慮なく首を横に振る。
もうこれは素材云々でどうにかなるものでは無さそうだ。
エステルは諦めて他の型のドレスを着ることにした。
だが、次に着たAラインもプリンセスラインもスレンダーラインも大差はなかった。エンパイアほど悪くはないのだが、要は普通だった。
折角作るのだからと今まで着た事のない型で作りたかったのだが、似合わないなら仕方がない。
Aラインあたりで妥協しようと思っていた矢先にスタッフが一枚のドレスを持ってきた。
『こちらをどうぞ』と手渡されたドレスに愕然とする。
それはマーメイドラインのドレスであった。
長身、スレンダー、更に色気がある女性にしか許されないであろうドレスだ。
(…無理…絶対…似合わない…)
エステルの身長は一六〇センチもない。小さい。スラリとした長身ではない。
おまけに顔の印象はお世辞にも色気が有るとは言えない。
それなのにマーメイド…身体のバランスもイメージもエステルには高嶺の花すぎる。
持ってきたスタッフを恨みたい気持ちでいっぱいであったが、そんなこと出来る筈もなく、エステルは渋々着替えることにした。
恐らく今まで着たドレスの中で一番似合っていないであろうドレスに身を包み、豪奢な姿見の前へと向かう。
けれど鏡の前に立つと周囲からは感嘆の声が漏れた。
それどころかスタッフからは一斉に『コレだ―――!』という叫び声すら出た。
意外だった。
勿論、エステル自身が一番驚いている。
鏡に映る自分にしっくりくるなんてことがあるのかと思った。
あんなに大きくて嫌だった胸が目立たないし、身長も無いのに足も長く見える。
細いくびれはより強調され、そのなだらかな曲線は女性らしさそのものの美しさを醸し出していた。
要は体型というより、頭からつま先までの体全体のバランスが重要だったらしい。
パッと表情を明るくしながら後ろを振り向くと、フェリーゼも他のスタッフも満足そうに首を縦に振る。
エステルはこの時、この店にきて初めて心から笑った。
一番美しく見える型が決まれば話は早い。
是非、新郎の意見も取り入れて欲しいと、暫し店から姿を消していたアルベルトも混ざり、ドレスのデザインの細部が決められていく。
気付けばデザインが散らばるテーブルの隣には、露店で買ったばかりの布が置いてあった。
デザイナーや針子たちは布を広げてはデザイン画を眺め、あーでもないこーでもないと論争を繰り返している。
正直、ウエディングドレスのことなど、今日この瞬間まで頭の片隅にもなかったエステルである。
頭には何を付けたいかなど聞かれてもさっぱり思いつかないのだが、そこはアルベルトから提案があり、それを採用して貰うことにした。
仕上がったデザイン画は美しいものだった。
マダムも自画自賛するほどの出来栄えだ。
そのデザイン画を見た時、エステルの胸にじんわりとしたものが溢れるのを感じた。
小さい頃エステルは花嫁になることが夢だった。
それは勿論アルベルトの花嫁であったが、あっという間に散ってしまった夢。
けれど今、二度と叶わないと思っていた夢が隣にいる。
「アルト…」
震える声で愛しい人の名を呼ぶ。
「ん…?」
それに微笑みながら応える彼の声は、今彼女がどんな気持ちなのかを分かっているような、そんな優しさが含まれていた。
―それでも伝えなければ…
伝えていきたい―
「…私…今、凄く幸せよ。」
ぽろぽろと大粒の涙が零れるのもいとわず、エステルは花が綻ぶような笑顔を見せた。
「アルト、大好きっ!!」
「あぁ!知っている…!」
甘く優しく笑う声と共にエステルは彼の優しい匂いに包まれた。
その温かさに抱きしめられながら、エステルはこの幸せを決して手放さないと誓った。
主に近隣の領地で店を構える者や、行商人たちが各地のものを売り買いする場である。
今日の市場にも人が溢れ、お目当ての掘り出し物がないかと大盛況であった。
「アルト、ここで布を買うの?」
この日、ミントカラーのドレスとボンネット姿で出掛けていたエステルは、色とりどりの布を丸巻きにし、積み重ねている露店で白い布ばかりを物色していたアルベルトを覗き込んだ。
しかし彼は普段引き篭もっているとはいえ、貴族の端くれである。
仕立屋など家に呼べば幾らでもやって来る身分だ。
「今回は時間がないからな。生地を取寄せて貰う時間がないんだ。予めここで見繕っていく。」
そう言いながらまた新しい布を広げては、指先で実際に触りながら織りを確かめていく。
広げられた布は全て『白』ではあるが、幾つも並べるとその白さも様々だ。
実際は少し青みがかっていたり、クリーム色に近かったりする。
アルベルトはその中でも青みがある白に絞り、特に織りが美しいもの、光沢が滑らかなもの、ドレープのしなり方が良いものなどを、それぞれドレス一着分は作れる分を購入した。
そして指定した店に運ぶように商人に告げ、チップを渡すと次の買い物へと向かう。
エステルはその半歩後ろをアルベルトに手を引かれながら歩いた。
「…もしかして、さっきのお店で買ったのって…私の分なの?」
「僕は君以外にドレスをプレゼントする趣味はないよ?」
クスクスと笑いながら返されたが、ドレス一着分の生地はなかなかの金額である。
それもとりわけ高そうなのを三着分…。
ただでさえ居候の身分なのに、果たして自分の労働力で恩返しが出来るのだろうかと考えていたら『後でキスをさせてくれたら全部チャラにしよう』と揶揄われた。
(また玩具にされている…)
真っ赤になり俯いた顔を少しだけ上げ見つめれば、こちらの視線に気付いたアルベルトが柔らかい笑みを浮かべて『ここでキスしてもいいよ?』とまた揶揄ってくる。
今度こそエステルは顔を隠すためにアルベルトの腕にしがみつく。
(あぁ)
(幸せだなぁ…)
繋いでいる手に力が篭ると、彼もそれに応えるように握り返してくれる。
ただそれだけが幸福でたまらなかった。
露店を巡り終え、必要な日用品も全て揃い終わったところで、アルベルトから『もう一軒だけ』と連れて行かれたのは、社交界で人気のドレスメーカーである。
「ここ、マダム・フェリーゼのお店!」
アルベルトの母は社交界で若い頃からファッションリーダー的存在だった。
その彼女のドレスを作り続けていたのが、ここの店主であるマダム・フェリーゼである。
勿論今でも彼女の人気は衰えず、今では紹介がなければオーダーすら出来ないという人気ぶりだ。
実はエステルもこの店を何度か利用している。
アルベルトの婚約者だということで紹介してもらって以来、子供の頃に何か欲しいものを聞かれると、きまってフェリーゼのデザインしたドレスをねだった。
ショーウィンドウに並ぶドレスは今期の彼女の新作。
トルソーに着せられたドレスが二着並んでいるが、そのデザインはまるで朝と夜をイメージしているかのように対になったデザインだ。
クリーム色から夕暮れを彷彿とさせるサーモンピンクのグラデーションのドレスと、空色から夜空を彷彿とさせる群青のグラデーションのドレス。
揃いの銀の刺繍を施されているのに、纏う雰囲気は全く違う。
エステルはその美しさに暫く見惚れていたが、肩を指先でトントンと叩かれ店内へと促される。
チリンと鳴る音は昔のままである。
並べられた商品は当然四年前とは全く違うけれど、商品棚の配置は変わってはいなかった。
用件を聞きにきた若い店員にアルベルトが話しかけると、すぐさまその店員は奥の扉へと消えていく。
するとまた扉が開き一人の女性が現れた。
「ようこそ、アルベルト!急に店に来るなんてどうしたの!?」
出てきたのは美しい赤毛を結い上げた、泣き黒子が印象的な女性―マダム・フェリーゼその人である。
「お久しぶりですマダム。少しお願いがあってやって来ました。お忙しかったですか?」
幼少期より顔を合わせているだけあって、二人の雰囲気は店主と客というよりは、久しぶりに再会した叔母と甥のようである。
「いいえ、貴方が来たなら話は別よ?…屋敷の人間まで追い出したって聞いて心配していたのよ?大丈夫?ちゃんと食事はとっているの?またご飯食べられずに、寝込んでいるんじゃなないかって心配してたのよ。貴方、手紙を出したても『大丈夫』の一点張りだし…私心配で心配で…でも屋敷に行くと貴方怒るでしょう??」
「…あぁ…うん…申し訳ない…えぇと…その辺にしておいて貰ってもいいかい?…流石に…耳が痛い…。」
訂正、都会へ行った息子とそれを心配する田舎の母だ。
流石のアルベルトもたじたじである。
やがてフェリーゼはアルベルトの後ろに隠れるようにしていたエステルに気付いた。
「…あら?え!?女性連れなんて珍しい!貴方もなかなか隅に置けないわね!」
アルベルトと挨拶を交わし終えたフェリーゼは、不躾ながらもアルベルトを押し退けエステルの顔を覗き込む。
エステルは慌ててボンネットの端を摘んだが、これだけ距離が近ければ些細な抵抗など無意味で、ボンネットで狭くなった視界の中で、エステルはフェリーゼと目が合った。
少し皺は深くなったようだけれど、エステルが以前世話になっていた頃と彼女の見た目は殆ど変わっていない。
懐かしさに思わず心が沸きたったが、思い出話など出来ないし、今は『エステル・ローズベリル』だとバレると少々…いや、かなり面倒な事態に陥る。
(一三歳の頃よりも背も伸びたし、大分変わった筈だけど…覚えられていたらどうしよう…!!)
緊張と共に、自然と脈打つ速度が上がる。
エステルはその緊張が滲み出てしまわないよう、ただにっこりと微笑むしかなかった。
「まぁまぁ!なんって可愛らしいお嬢さんなのかしら!!アルベルトったらこんな好い人がいたのね。まるでお人形みたいだわぁ…髪は美しいミルクティー色だし、瞳も何て珍しい色を…し…て………てっ…」
始めこそ笑顔だったが、やがてこの珍しい瞳の色に思い当たる人物に思い至ったのだろう。
すぐ傍にその元婚約者が居るのだから、結論に至るまで早くて当然だ。
フェリーゼの言葉は止まり、今度はまるで幽霊を見たかのようにその表情は青褪めていく。
確かに書類上は死んでいるから、幽霊と言われても否定は出来ない。
「似ているでしょう?エステルに。」
アルベルトが満面の笑みで言った。
さも『別人なんです』という呈だが、そんなにあっさり信じる者がいるだろうか。
「……ぇ、ええ。とても。ごめんなさいね。気分を悪くさせてしまったかしら…?」
フェリーゼも笑顔で返しながら、横目でもう一度エステルを見る。唇の震えは隠し通せていない。
「僕も最初彼女に出会った時、驚いたのですよ。余りにも似ていたので。彼女が生き返ったんじゃないかと…つい声をかけてしまったのです。ねぇ?エリー??」
――エリー?
呼ばれたこともない名前で呼ばれた。
エステル…エル…エリーと変遷を遂げたのであろうか?
いやいや、そんなことよりも微笑まなければと表情筋に必死に力を込める。
アルベルトはゆっくりとエステルの隣へ行き、腰を抱き引き寄せる。
慣れた手つきで手を掬い取ると、その指先にキスを落とした。
まるで何年もこうして触れているかのように。
「エステルが亡くなって沈みきっていたこの僕を、ここまで元気づけてくれたのは彼女なんです。最初は彼女に瓜二つだから惹かれるのだと、そう悩んでいた時もあったのですが…それもまた運命の悪戯だったのかもしれませんね…。」
王国の劇団員もびっくりな演技である。
あくまでエステルと今ここにいるエリーという人物は別人であると印象付けたいのであろう。
だが、それには無理があるのではなかろうか。
フェリーゼの表情を伺うことは出来なかったが、彼女は肩をふるふると震わせて、困惑の色を強くしているように見える。
とりあえずアルベルトの言葉を止めようと口を開いた瞬間だった。
あり得ない言葉が耳に届いたのは。
「だから、彼女と結婚しようと思うのです。」
アルベルトは微笑んでいるのに、その場は一瞬で凍り付いた。
遠巻きに見ていたスタッフでさえ《停止》の魔術が使われたかのように動かない。
(今…何て…?)
エステルはその前に発した彼の言葉を反芻した。
彼は今『結婚』と言わなかっただろうか。
何をどうしたらそんな結論に至るのだろう。
アルベルトを見上げても、自身の口からは何も言葉が出ない。
ただ魚が餌を求めるようにぱくぱくとするだけであった。
その様子にアルベルトは一瞬目を見開いたが、すぐに目尻を赤く染めて甘い笑顔を見せた。
その甘い笑顔に思わずぎゅうっと胸が締め付けられる。
(何で、どうして急にそんなこと言い出したの?)
戸惑っているのに、熱が顔へと集中する。
(どうしよう。嘘だよね?嘘だって分かっているのに……嬉しくてにやにやしてしまう。)
エステルは冷たい自身の手に顔の熱を移そうと試みるが、先程のアルベルトの声が頭の中をぐるぐる巡り、温度を増すばかりであった。
「そんな訳で、今日はマダム・フェリーゼにウエディングドレスを作って頂くために参りました。」
のぼせ上がったエステルも、唖然としている店のスタッフもお構いなしに、アルベルトは話を進めていく。
その勢いに唯一呑まれたらしいフェリーゼは、『任せて!!』と言わんばかりに首を縦に振る。
顔を上げた彼女は泣いていた。しかも微笑みながらだ。
(まさか、さっきの演技を信じたの!?)
…そういえば彼女は劇やオペラを見に行くたびに、よく泣いていたと聞いた。感受性豊かなのであろう。
「あぁ、そうだったのね…アルベルト。やっと、貴方にも救いがあったのね…!エリー嬢おめでとうございます。勿論、エリー嬢が世界で一番美しい花嫁になれるように全身全霊をもってお手伝いさせて頂きますわ!!」
威勢よく宣言したフェリーゼは早速スタッフ達に指示を出している。
(…背中に変な汗が伝っている気がする。動悸がまだ収まらない。)
果たしてその割合としてはときめきと困惑のどちらが多いのか。
エステルはまだこの状況を理解できずにいた。
そんなエステルにアルベルトは耳打ちする。
「大丈夫。…皆、僕の方が気が狂っていると思っているから。君は普通にしていたら疑われることはない。」
エステルが勢いよく見上げた先には、誰よりも優しい笑顔がある。
その声にホッとしつつも、嘘をつかせたことが申し訳なく心がちくりと痛んだ。
その後マダム・フェリーゼの店では、スタッフ総出で打ち合わせが開始された。
先ずはデザイン。
とにかくドレスの其々の型をエステルに着せる。怒涛の試着の始まりである。
好きなドレスの型と体型に合う型は、残念ながら一緒ではない。
エステルは聖母のような印象を強くするエンパイアラインのドレスに憧れていた。
だから最初に試着したのだが、これが絶望的に似合わなかった。
エステルは細い。
貴族令嬢では無くなってから、内臓が締め上げられるほどのコルセットとは無縁であったが、華奢なのは変わらなかった。
が、細くはあるのだけれど、胸はその体つきにしては些か存在感が強めだったのだ。
女性らしさの象徴であるし、羨ましがられる方が多いかもしれないが、既に貴族令嬢でもなく日々を家事ばかりしているエステルにとっては邪魔なだけである。
上から自身の胸を見る。
足元を少し隠して見辛くしてしまう自身の胸は、エンパイアラインのような清純なイメージとはかけ離れているように思え、ついため息が漏れた。
またそれを見ていたスタッフ達も遠慮なく首を横に振る。
もうこれは素材云々でどうにかなるものでは無さそうだ。
エステルは諦めて他の型のドレスを着ることにした。
だが、次に着たAラインもプリンセスラインもスレンダーラインも大差はなかった。エンパイアほど悪くはないのだが、要は普通だった。
折角作るのだからと今まで着た事のない型で作りたかったのだが、似合わないなら仕方がない。
Aラインあたりで妥協しようと思っていた矢先にスタッフが一枚のドレスを持ってきた。
『こちらをどうぞ』と手渡されたドレスに愕然とする。
それはマーメイドラインのドレスであった。
長身、スレンダー、更に色気がある女性にしか許されないであろうドレスだ。
(…無理…絶対…似合わない…)
エステルの身長は一六〇センチもない。小さい。スラリとした長身ではない。
おまけに顔の印象はお世辞にも色気が有るとは言えない。
それなのにマーメイド…身体のバランスもイメージもエステルには高嶺の花すぎる。
持ってきたスタッフを恨みたい気持ちでいっぱいであったが、そんなこと出来る筈もなく、エステルは渋々着替えることにした。
恐らく今まで着たドレスの中で一番似合っていないであろうドレスに身を包み、豪奢な姿見の前へと向かう。
けれど鏡の前に立つと周囲からは感嘆の声が漏れた。
それどころかスタッフからは一斉に『コレだ―――!』という叫び声すら出た。
意外だった。
勿論、エステル自身が一番驚いている。
鏡に映る自分にしっくりくるなんてことがあるのかと思った。
あんなに大きくて嫌だった胸が目立たないし、身長も無いのに足も長く見える。
細いくびれはより強調され、そのなだらかな曲線は女性らしさそのものの美しさを醸し出していた。
要は体型というより、頭からつま先までの体全体のバランスが重要だったらしい。
パッと表情を明るくしながら後ろを振り向くと、フェリーゼも他のスタッフも満足そうに首を縦に振る。
エステルはこの時、この店にきて初めて心から笑った。
一番美しく見える型が決まれば話は早い。
是非、新郎の意見も取り入れて欲しいと、暫し店から姿を消していたアルベルトも混ざり、ドレスのデザインの細部が決められていく。
気付けばデザインが散らばるテーブルの隣には、露店で買ったばかりの布が置いてあった。
デザイナーや針子たちは布を広げてはデザイン画を眺め、あーでもないこーでもないと論争を繰り返している。
正直、ウエディングドレスのことなど、今日この瞬間まで頭の片隅にもなかったエステルである。
頭には何を付けたいかなど聞かれてもさっぱり思いつかないのだが、そこはアルベルトから提案があり、それを採用して貰うことにした。
仕上がったデザイン画は美しいものだった。
マダムも自画自賛するほどの出来栄えだ。
そのデザイン画を見た時、エステルの胸にじんわりとしたものが溢れるのを感じた。
小さい頃エステルは花嫁になることが夢だった。
それは勿論アルベルトの花嫁であったが、あっという間に散ってしまった夢。
けれど今、二度と叶わないと思っていた夢が隣にいる。
「アルト…」
震える声で愛しい人の名を呼ぶ。
「ん…?」
それに微笑みながら応える彼の声は、今彼女がどんな気持ちなのかを分かっているような、そんな優しさが含まれていた。
―それでも伝えなければ…
伝えていきたい―
「…私…今、凄く幸せよ。」
ぽろぽろと大粒の涙が零れるのもいとわず、エステルは花が綻ぶような笑顔を見せた。
「アルト、大好きっ!!」
「あぁ!知っている…!」
甘く優しく笑う声と共にエステルは彼の優しい匂いに包まれた。
その温かさに抱きしめられながら、エステルはこの幸せを決して手放さないと誓った。
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