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第一部
4.私の人形
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「ご無沙汰しております。アルベルト坊ちゃん。」
「坊ちゃんはやめて頂けませんかね?人形師殿?」
エステル達が人形師の屋敷を出発してから三日後、予定通りユークレース邸の客間にて人形師とアルベルトは面会を果たしていた。
壮麗な屋敷の客間には最低限の家具と美術品だけが置かれていたが、どれもが洗練された印象を与えるものばかりである
そんな屋敷を引き継いだの男こそエステルの元婚約者であり、ユークレース家当主であるアルベルトである。
アルベルトは、二十歳の割には少し幼く見える容姿をしている。
淡い金髪、空と海を混ぜたような不思議な色合いの瞳は、彼の繊細で中性的な印象を更に強くした。
けれど彼を見た目の印象のまま接する者は、この国には恐らくこの銀髪の男だけである。
「ふふ、これは失礼いたしました。もう伯爵になられたそうで。一応『おめでとうございます』と祝うべきでしょうか?」
ソファに座りながら軽く礼をする素振りを見せる人形師に、アルベルトは腕を組み胡乱げな目を向けた。
「そこは上客が減って、がっかりするところではないのか?」
「いいえ『現伯爵も』私にとっては上客ですよ?」
その言葉にアルベルトの視線がぐっと鋭くなる。
確かに『上客』と言えば彼ほど金払いの良い客はなかなかいない。
歴代の当主が堅実な運用を重ねた資産は、当代のアルベルトが更に雪だるま式に増やしている。
彼を客にしたい商人は星の数ほどいるであろう。
「生憎、貴殿の世話になることは僕にはないが?商売相手は選ぶ性質でなかったか?」
アルベルトは腰かけていたソファの手摺に肘をつき、手を頭に添えた。
「十分選んだ結果、此処におりますよ??」
「……もう少しマシな嘘は付けないのですか?何の用でこんな所まで来たのですか?」
妙な沈黙が二人の間に流れる。
人形師は言葉を発さない。
(よりにもよって今日とは…。)
この日はアルベルトにとって最愛の人の命日である。
一日穏やかに過ごすつもりが、朝からやって来た客人は、彼にとって会いたくない人物であった。
この時ばかりは客人である人形師に聞こえるように大きく溜め息をつくが、肝心の相手はというと特に気にも留めずに微笑むばかりだ。
やがて沈黙が、彼の座る隣に置かれた豪奢なケースの存在を主張する。
先程この人形師が部屋に入ってきた時、赤毛の行商人が大事そうに抱えてきたものだ。
その男は静かにこの箱を置くと、蓋の部分をひと撫でして帰って行った。
箱自体の大きさとあの抱え方から見るに、大の男がようやく抱えられる重さなのであろう。
正直、アルベルトにはこの中身に予想がついている。
この銀髪の男がわざわざ持ってくるものなど、そもそも一つしかないのである。
問題はこの中身が『誰なのか』だ―
(けれど、僕はそんなもの知りたくもない)
胃のあたりがジリジリと焼けるようだった。
怒りなのか嫌悪なのか、とにかくアルベルトはこの男には関わりたくないのである。
(この男を見るだけで、嫌なことばかり思い出す)
舌打ちでもしたら気が紛れるような気がしたが、そんな事よりも少しでも早く目の前の男を屋敷から追い出すために口を開くことにした。
「人形師殿。僕はそんな悪趣味な玩具はいらない。今すぐ持って帰れ。」
冷静だがその声色はさもなくば今すぐここで叩き斬ってやると言わんばかりだ。
「おや、残念ですね。美しい女性なのに…。」
人形師はわざとらしく背筋を伸ばし『女の噂も聞かない伯爵には、さぞお喜び頂けると思っていたんですがねぇ』などど笑っていた。
(よりにもよって女型か!!!!)
悪趣味も悪趣味。
「僕にそんな趣味はない!!」
アルベルトの表情がまるで苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。
けれど人形師は気にも留めずティーカップを手にとり口にした。
「いいえ、きっと伯爵もご満足頂けると思いますよ?」
(―最悪だ…。)
これは受け取るまで帰らなさそうだ。
(こんなにこの男は諦めが悪かっただろうか?…いや、僕が覚えているこの男は執着など露にも出さない男だった…。)
(なのに、何としても僕に押し付けたいなど…。)
アルベルトは先程からの人形師の言葉を思い出していた。
こうなってくると、どうしても気になって来るのは箱の中身である。
『おや、残念ですね。美しい女性なのに…。』
この言葉がやけに気にかかった。
彼が美しいと思っている女性はこの世でたった一人である。
それ以外の女には一切の興味が湧かない。だから、美醜などどうでも良い。
アルベルトの中でその一人がふとよぎる。
ほんの少しの動揺をその瞳に移した時、紅茶を啜っていた人形師が僅かに口角を上げた。
「…そういえば、ここに来る前広場で行われている市場に寄りましてね、いい鉱石を見つけたのですよ。折角ですので伯爵に差し上げます。」
そっとカップをソーサーへ置くと、ポケットから一つの石を取り出した。
「美しいでしょう?この緑柱石。」
その指先に握られていた石は淡いピンク色の緑柱石。
その色は彼女の色だー
その瞬間、アルベルトは唇を噛んだ。
(何てことをしてくれたんだ!!!!)
怒りでどうにかなってしまいそうなのを必死に堪える。
「どういたしますか?伯爵?」
よくよく見ると、人形師の手にあるものはローズベリルだけではない。
あのケースを開くための金の鍵が一緒に握られている。
聞こえない筈の心臓の音が耳の奥で響いているようだった。
アルベルトはあの日のことを今でも鮮明に覚えている。
エステルが乗った馬車が襲撃され、その現場の確認に駆り出されたアルベルトは、顔が分からぬほどに黒焦げになった遺体を収容した。
当然そんな状態の遺体がエステルであると確証を得ることなどできない。
けれど遺体が見つかった馬車は彼女の家のものであること、その日は父親と屋敷を出たこと、体格もほぼ同じであること、そして何より黒焦げの遺体を抱きしめるように父親の遺体が発見されたことが彼女であると結論付けた。
そして何よりも
その日・その時刻・その場所で彼女が殺されることをアルベルト自身が知っていた。
ただ静かにアルベルトの返答を待つソファの男を睨みつける。
先程まで動揺を映していた青い瞳は怒りで染まっていた。
(どうやって彼女の遺体を手に入れた?それに彼女の遺体の状態は酷かった筈だ。本当に彼女か?仮にそうだったとしても…今更…)
そう…今更だ。
自分がしたことを許せるなどと思っていない。
許せなかった結果が今の僕だー
「…今更、彼女に許しを乞えと?」
「おや、伯爵はもう諦めているのかい?意外とあの子は何でも許しちゃう子だよ?」
(――そんなこと、知っている。)
アルベルトがエステルを好きになった理由など、彼女は知らないであろう。
期待に応える日々は息苦しく、求められれば求められるほど、自身の心が削られていくような気がした。
だから欲しかった―
削られていくだけの自分を、唯一満たしてくれる存在が。
エステルが死んでから思い出す彼女の姿はいつも笑顔だ。
のんびりとしているようで、人の機微に鋭い。
アルベルトの感情を真っ先に見抜き、彼が辛い時必ず隣にいてくれた。
好きにならないわけが無かった。
もう一度エステルが入ったままのケースを見つめる。
美しい沈丁花の装飾が、美しく照らされていた。
(そういえば…沈丁花の花言葉は何だったろうか?)
幼い頃何気なく読んだ花言葉の本のページを頭の中で捲る。
(…あぁ、そうだ。たしか『不滅』だったかな…。)
そんなことをふと思い出し、アルベルトが自嘲する。
(…死に損ないにはぴったりな花だ。…じゃあ、もっと悪あがきをしようじゃないか。)
やがてどこかを見据えた瞳で立ち上がると、自身の手を差し出す。
「鍵をくれないか?」
人形師は頷くとその掌に鍵を乗せた。
その鍵を力強く握ると迷う事なくケースに足を進め、その鍵を鍵穴へ差込み回した。
ギッという金具が擦れる重々しい音がなり、箱の中身が露わになる。
そこには真っ白なベルベットの上にシュミーズ一枚を纏い、膝を抱えた状態で光の鎖に固定される少女―エステルの姿があった。
「お気に召しましたか?」
その様子を黙って見ていた人形師は背後から微笑みつつ尋ねた。
しかし、ケースの蓋を支えるアルベルトの手は小さく震えていた。
「…人形師殿、これは一体どういう事ですか?貴方の作る人形は成長などしない筈でしょう?なのに…これは…どう見ても…!!」
その声は動揺に満ちていた。
それもその筈、彼女が死んだとされる年齢は一三歳。
彼の記憶の中のエステルはまだ少女特有のあどけなさを残していた。
けれど、今人形として自分の前に横たわる彼女はまさに大人の女性そのものだ。
細くしなやかに伸びた手脚、ウエストは細く、胸は豊かな丸みを帯び特有のラインをなぞっていた。
「…えぇ。勿論。『人形』は成長などしませんよ?」
その言葉にアルベルトは目を見張った。
「…まさか、生きていたのか?」
漏れでた声が掠れる。
喜びなのか悲しさからなのか、はたまた全く別の感情からなのか人形師には分からない。けれども人形師は微笑みながら話しを続けた。
「えぇ。そうですね。あの日、魔女狩りに遭った彼女を救う為に死体を偽装したのです。本物の彼女は生きておりました。」
これはただの婚約者でしかない彼に秘匿された真実だ。
そして友の遺志でもあった。
けれどエステル自身が彼の元で生きることを望んだ以上、友の遺志は一旦保留にすることにした。
(すまないな、可愛い愛弟子の為だ。そして…ー)
人形師はじっと目の前のアルベルトを見つめた。
(彼の為でもある。)
アルベルトは眠ったように横たわるエステルに手を伸ばした。
淡く光るミルクティー色の髪を掬い上げ、口付ける。
唇から伝わる艶やかな質感、息を吸うと彼女の甘い香りで身体の中が満たされるような気がした。
たったそれだけなのに、空色の瞳に涙が滲んだ。
「…なんて、皮肉なんだ…。」
アルベルトは唇を震わせながら薄笑いを浮かべた。
あの日の絶望が形を変えて、もう一度自分のもとへやって来るなんてー
その様子を見ていた人形師は静かに目を閉じた。
(――でも、もう後戻りは出来ないよ。君もエステルも。)
人形師がスッと背筋を伸ばし、その薄い唇から彼女に掛けられた術を解く言葉を発する。
「…さぁ、私の可愛いお人形。君のご主人様の心をお慰めする楽しい時間の始まりだ。」
やがてエステルを縛り付けていた光の鎖が一瞬で解け、空中へと光の粒を飛ばしていく。
真っ白な肢体がぴくりと動く。
ピンク色の緑柱石の瞳が徐々に開くと、ゆっくりと身体を起こした。
眩しさに暫く瞬きをしていたが、ようやくその瞳がアルベルトを捉えた。
「……エス…テル?」
久しぶりに呟いた名前は懐かしさと愛しさを多分に含んでいた。
胸の奥がじんと熱くなるのを感じ、それと同時に震えが起きる。
エステルの耳にその声が届くと、彼が望んでやまなかった愛しい笑顔が向けられる。
(あぁ…あの笑顔だ…!)
何度も何度も夢に見た彼女がいる。
伸ばした掌が柔らかい白い肌を包む。
触れた肌からゆっくりと伝わってくるエステルの体温に、彼の瞳に薄く張っていた水の膜が変化し零れ落ちた。
「…エステルだ。紛れもなく、僕のエステルだ…!」
アルベルトは座り込んだままエステルの身体を抱き寄せ、骨が軋みそうになるほど抱きしめた。
華奢な体も、艶やかな髪も、花のように甘い香りも、記憶の中のそれと全て合致した。
あの日失ったはずの君がここにいる。
たったそれだけで過去の自分をほんの少しだけ許せるような気がした。
「アルト…アルトっ!ずっと、ずっと会いたかったの…!」
エステルはその細い腕をたどたどしく彼の背に回す。
彼の首へ擦り寄り、愛しい人の香りをめいっぱい吸い込んだ。
強く強く抱きしめられるほどに、エステルの瞳からは涙の粒が絞り落とされた。
人形師はその様子をただ見守っていた。
嗚咽を洩らしながら、ただ泣き続ける彼を見ていた。
(―あぁ、ようやく『君』らしくなってきたね。)
人形師の心が躍り、思わず口元が緩む。
(私の人形はどんな記憶で、その美しい器を一杯にしていくんだろう。)
それはやがて魂というべき形をとるに違いない。人形師はその瞬間が知りたかった。
「坊ちゃんはやめて頂けませんかね?人形師殿?」
エステル達が人形師の屋敷を出発してから三日後、予定通りユークレース邸の客間にて人形師とアルベルトは面会を果たしていた。
壮麗な屋敷の客間には最低限の家具と美術品だけが置かれていたが、どれもが洗練された印象を与えるものばかりである
そんな屋敷を引き継いだの男こそエステルの元婚約者であり、ユークレース家当主であるアルベルトである。
アルベルトは、二十歳の割には少し幼く見える容姿をしている。
淡い金髪、空と海を混ぜたような不思議な色合いの瞳は、彼の繊細で中性的な印象を更に強くした。
けれど彼を見た目の印象のまま接する者は、この国には恐らくこの銀髪の男だけである。
「ふふ、これは失礼いたしました。もう伯爵になられたそうで。一応『おめでとうございます』と祝うべきでしょうか?」
ソファに座りながら軽く礼をする素振りを見せる人形師に、アルベルトは腕を組み胡乱げな目を向けた。
「そこは上客が減って、がっかりするところではないのか?」
「いいえ『現伯爵も』私にとっては上客ですよ?」
その言葉にアルベルトの視線がぐっと鋭くなる。
確かに『上客』と言えば彼ほど金払いの良い客はなかなかいない。
歴代の当主が堅実な運用を重ねた資産は、当代のアルベルトが更に雪だるま式に増やしている。
彼を客にしたい商人は星の数ほどいるであろう。
「生憎、貴殿の世話になることは僕にはないが?商売相手は選ぶ性質でなかったか?」
アルベルトは腰かけていたソファの手摺に肘をつき、手を頭に添えた。
「十分選んだ結果、此処におりますよ??」
「……もう少しマシな嘘は付けないのですか?何の用でこんな所まで来たのですか?」
妙な沈黙が二人の間に流れる。
人形師は言葉を発さない。
(よりにもよって今日とは…。)
この日はアルベルトにとって最愛の人の命日である。
一日穏やかに過ごすつもりが、朝からやって来た客人は、彼にとって会いたくない人物であった。
この時ばかりは客人である人形師に聞こえるように大きく溜め息をつくが、肝心の相手はというと特に気にも留めずに微笑むばかりだ。
やがて沈黙が、彼の座る隣に置かれた豪奢なケースの存在を主張する。
先程この人形師が部屋に入ってきた時、赤毛の行商人が大事そうに抱えてきたものだ。
その男は静かにこの箱を置くと、蓋の部分をひと撫でして帰って行った。
箱自体の大きさとあの抱え方から見るに、大の男がようやく抱えられる重さなのであろう。
正直、アルベルトにはこの中身に予想がついている。
この銀髪の男がわざわざ持ってくるものなど、そもそも一つしかないのである。
問題はこの中身が『誰なのか』だ―
(けれど、僕はそんなもの知りたくもない)
胃のあたりがジリジリと焼けるようだった。
怒りなのか嫌悪なのか、とにかくアルベルトはこの男には関わりたくないのである。
(この男を見るだけで、嫌なことばかり思い出す)
舌打ちでもしたら気が紛れるような気がしたが、そんな事よりも少しでも早く目の前の男を屋敷から追い出すために口を開くことにした。
「人形師殿。僕はそんな悪趣味な玩具はいらない。今すぐ持って帰れ。」
冷静だがその声色はさもなくば今すぐここで叩き斬ってやると言わんばかりだ。
「おや、残念ですね。美しい女性なのに…。」
人形師はわざとらしく背筋を伸ばし『女の噂も聞かない伯爵には、さぞお喜び頂けると思っていたんですがねぇ』などど笑っていた。
(よりにもよって女型か!!!!)
悪趣味も悪趣味。
「僕にそんな趣味はない!!」
アルベルトの表情がまるで苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。
けれど人形師は気にも留めずティーカップを手にとり口にした。
「いいえ、きっと伯爵もご満足頂けると思いますよ?」
(―最悪だ…。)
これは受け取るまで帰らなさそうだ。
(こんなにこの男は諦めが悪かっただろうか?…いや、僕が覚えているこの男は執着など露にも出さない男だった…。)
(なのに、何としても僕に押し付けたいなど…。)
アルベルトは先程からの人形師の言葉を思い出していた。
こうなってくると、どうしても気になって来るのは箱の中身である。
『おや、残念ですね。美しい女性なのに…。』
この言葉がやけに気にかかった。
彼が美しいと思っている女性はこの世でたった一人である。
それ以外の女には一切の興味が湧かない。だから、美醜などどうでも良い。
アルベルトの中でその一人がふとよぎる。
ほんの少しの動揺をその瞳に移した時、紅茶を啜っていた人形師が僅かに口角を上げた。
「…そういえば、ここに来る前広場で行われている市場に寄りましてね、いい鉱石を見つけたのですよ。折角ですので伯爵に差し上げます。」
そっとカップをソーサーへ置くと、ポケットから一つの石を取り出した。
「美しいでしょう?この緑柱石。」
その指先に握られていた石は淡いピンク色の緑柱石。
その色は彼女の色だー
その瞬間、アルベルトは唇を噛んだ。
(何てことをしてくれたんだ!!!!)
怒りでどうにかなってしまいそうなのを必死に堪える。
「どういたしますか?伯爵?」
よくよく見ると、人形師の手にあるものはローズベリルだけではない。
あのケースを開くための金の鍵が一緒に握られている。
聞こえない筈の心臓の音が耳の奥で響いているようだった。
アルベルトはあの日のことを今でも鮮明に覚えている。
エステルが乗った馬車が襲撃され、その現場の確認に駆り出されたアルベルトは、顔が分からぬほどに黒焦げになった遺体を収容した。
当然そんな状態の遺体がエステルであると確証を得ることなどできない。
けれど遺体が見つかった馬車は彼女の家のものであること、その日は父親と屋敷を出たこと、体格もほぼ同じであること、そして何より黒焦げの遺体を抱きしめるように父親の遺体が発見されたことが彼女であると結論付けた。
そして何よりも
その日・その時刻・その場所で彼女が殺されることをアルベルト自身が知っていた。
ただ静かにアルベルトの返答を待つソファの男を睨みつける。
先程まで動揺を映していた青い瞳は怒りで染まっていた。
(どうやって彼女の遺体を手に入れた?それに彼女の遺体の状態は酷かった筈だ。本当に彼女か?仮にそうだったとしても…今更…)
そう…今更だ。
自分がしたことを許せるなどと思っていない。
許せなかった結果が今の僕だー
「…今更、彼女に許しを乞えと?」
「おや、伯爵はもう諦めているのかい?意外とあの子は何でも許しちゃう子だよ?」
(――そんなこと、知っている。)
アルベルトがエステルを好きになった理由など、彼女は知らないであろう。
期待に応える日々は息苦しく、求められれば求められるほど、自身の心が削られていくような気がした。
だから欲しかった―
削られていくだけの自分を、唯一満たしてくれる存在が。
エステルが死んでから思い出す彼女の姿はいつも笑顔だ。
のんびりとしているようで、人の機微に鋭い。
アルベルトの感情を真っ先に見抜き、彼が辛い時必ず隣にいてくれた。
好きにならないわけが無かった。
もう一度エステルが入ったままのケースを見つめる。
美しい沈丁花の装飾が、美しく照らされていた。
(そういえば…沈丁花の花言葉は何だったろうか?)
幼い頃何気なく読んだ花言葉の本のページを頭の中で捲る。
(…あぁ、そうだ。たしか『不滅』だったかな…。)
そんなことをふと思い出し、アルベルトが自嘲する。
(…死に損ないにはぴったりな花だ。…じゃあ、もっと悪あがきをしようじゃないか。)
やがてどこかを見据えた瞳で立ち上がると、自身の手を差し出す。
「鍵をくれないか?」
人形師は頷くとその掌に鍵を乗せた。
その鍵を力強く握ると迷う事なくケースに足を進め、その鍵を鍵穴へ差込み回した。
ギッという金具が擦れる重々しい音がなり、箱の中身が露わになる。
そこには真っ白なベルベットの上にシュミーズ一枚を纏い、膝を抱えた状態で光の鎖に固定される少女―エステルの姿があった。
「お気に召しましたか?」
その様子を黙って見ていた人形師は背後から微笑みつつ尋ねた。
しかし、ケースの蓋を支えるアルベルトの手は小さく震えていた。
「…人形師殿、これは一体どういう事ですか?貴方の作る人形は成長などしない筈でしょう?なのに…これは…どう見ても…!!」
その声は動揺に満ちていた。
それもその筈、彼女が死んだとされる年齢は一三歳。
彼の記憶の中のエステルはまだ少女特有のあどけなさを残していた。
けれど、今人形として自分の前に横たわる彼女はまさに大人の女性そのものだ。
細くしなやかに伸びた手脚、ウエストは細く、胸は豊かな丸みを帯び特有のラインをなぞっていた。
「…えぇ。勿論。『人形』は成長などしませんよ?」
その言葉にアルベルトは目を見張った。
「…まさか、生きていたのか?」
漏れでた声が掠れる。
喜びなのか悲しさからなのか、はたまた全く別の感情からなのか人形師には分からない。けれども人形師は微笑みながら話しを続けた。
「えぇ。そうですね。あの日、魔女狩りに遭った彼女を救う為に死体を偽装したのです。本物の彼女は生きておりました。」
これはただの婚約者でしかない彼に秘匿された真実だ。
そして友の遺志でもあった。
けれどエステル自身が彼の元で生きることを望んだ以上、友の遺志は一旦保留にすることにした。
(すまないな、可愛い愛弟子の為だ。そして…ー)
人形師はじっと目の前のアルベルトを見つめた。
(彼の為でもある。)
アルベルトは眠ったように横たわるエステルに手を伸ばした。
淡く光るミルクティー色の髪を掬い上げ、口付ける。
唇から伝わる艶やかな質感、息を吸うと彼女の甘い香りで身体の中が満たされるような気がした。
たったそれだけなのに、空色の瞳に涙が滲んだ。
「…なんて、皮肉なんだ…。」
アルベルトは唇を震わせながら薄笑いを浮かべた。
あの日の絶望が形を変えて、もう一度自分のもとへやって来るなんてー
その様子を見ていた人形師は静かに目を閉じた。
(――でも、もう後戻りは出来ないよ。君もエステルも。)
人形師がスッと背筋を伸ばし、その薄い唇から彼女に掛けられた術を解く言葉を発する。
「…さぁ、私の可愛いお人形。君のご主人様の心をお慰めする楽しい時間の始まりだ。」
やがてエステルを縛り付けていた光の鎖が一瞬で解け、空中へと光の粒を飛ばしていく。
真っ白な肢体がぴくりと動く。
ピンク色の緑柱石の瞳が徐々に開くと、ゆっくりと身体を起こした。
眩しさに暫く瞬きをしていたが、ようやくその瞳がアルベルトを捉えた。
「……エス…テル?」
久しぶりに呟いた名前は懐かしさと愛しさを多分に含んでいた。
胸の奥がじんと熱くなるのを感じ、それと同時に震えが起きる。
エステルの耳にその声が届くと、彼が望んでやまなかった愛しい笑顔が向けられる。
(あぁ…あの笑顔だ…!)
何度も何度も夢に見た彼女がいる。
伸ばした掌が柔らかい白い肌を包む。
触れた肌からゆっくりと伝わってくるエステルの体温に、彼の瞳に薄く張っていた水の膜が変化し零れ落ちた。
「…エステルだ。紛れもなく、僕のエステルだ…!」
アルベルトは座り込んだままエステルの身体を抱き寄せ、骨が軋みそうになるほど抱きしめた。
華奢な体も、艶やかな髪も、花のように甘い香りも、記憶の中のそれと全て合致した。
あの日失ったはずの君がここにいる。
たったそれだけで過去の自分をほんの少しだけ許せるような気がした。
「アルト…アルトっ!ずっと、ずっと会いたかったの…!」
エステルはその細い腕をたどたどしく彼の背に回す。
彼の首へ擦り寄り、愛しい人の香りをめいっぱい吸い込んだ。
強く強く抱きしめられるほどに、エステルの瞳からは涙の粒が絞り落とされた。
人形師はその様子をただ見守っていた。
嗚咽を洩らしながら、ただ泣き続ける彼を見ていた。
(―あぁ、ようやく『君』らしくなってきたね。)
人形師の心が躍り、思わず口元が緩む。
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