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第三十話 進むべき道
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「ねえ由衣ちゃん、本当にどこに行ってるの?」
「いいからいいから。あ、こっちだよ」
寛太からの話を聞いた後、やはりれんは元気がなかった。
しかし諒と琴音には彼女にかける言葉がない。竜人なんて聞いたことがないし、それとどう向き合えばいいかなんて判断のしようがない。
心配しながらも見守るしかない二人だったが、そんな時動いたのが由衣だった。
諒達が話をしていた時彼女は参加せず表で少し仕事をして待っていたが、その時莉彩からとある話を聞いていた。
元気のないれんを見ていられず、何とかしようと外に出てみることを持ちかけた。
普段は由衣の方からこんなことを言うのは珍しい。二人で外出する時は買い物目的くらいだ。しかも普段の商店通りをあっさり通り過ぎると、買い物とは関係ないはずの住宅街の方まで歩いて行こうとするのでれんの困惑はさらに高まっていた。
「由衣ちゃん。このあたりにお店なんてないと思うんだけど。一体何を探してるの?」
「うーん。このあたりだと思うんだけど・・・あ、あれだよ」
さすがにれんは由衣を引き留めるが、彼女はこの辺りだと言って周囲を見回していた。
れんも一緒にそれらしいものを探すが、やはりお店らしいものは見えない。
首をかしげていると由衣が目的のものを発見したらしい。れんの腕を引っ張ってそこに向かった。
「ここって、ケーキ屋さん?」
「うん。早く入ろ」
なぜいきなりこんな所に来たのだろうか。しかし考えるよりも前に由衣がドアを開いて中に入ってしまったため、慌てて後を追って彼女も中に入った。
ここは以前に諒がケーキを買いに来たところだ。れんは相当気に入っていたが店の場所や名前はまだ聞かされていなかったのでまだピンと来ていなかった。
「見てお姉ちゃん。いっぱいケーキが並んでるよ」
「そうだね・・・あれ、これって・・・」
こういった店に入るのは初めてで、由衣は見たことも無いようなケーキが所狭しに並んでいる光景を目にして随分とはしゃいでいた。
れんも後ろから一緒にそれを見ていたが、ふと並んでいるチョコのケーキを見て記憶がよみがえる。
「ねえ由衣ちゃん。ここって誰から教えてもらったの?」
「莉彩さんだよ。おいしいからぜひ行ってみてって」
「・・・そうなんだ」
少し二人で話しているとれんはふと違和感に気づいた。店員がどこにもいないのだ。
ショーケースの辺りはおろか、右手奥にある飲食用と思われるスペースにも人の姿はない。
「店員さんどうしたんだろう」
「どうなんだろう。もしかしたらケーキを焼いてるのかも」
正面奥にはスタッフ専用の扉があった。見たところ表にはケーキを作れるような物はないし、そこでやっているのだろう。
店員が出てくるのを待ちながらどのケーキを食べようか選んでいると、ようやく奥の扉が開いた。
「いらっしゃい」
「あ、店員さんだ」
「・・・」
「・・・ん?」
現れた男は少しやる気にかけた声で定型的な挨拶を発するが、二人に気づくと持っていたお盆が手から零れ落ちる。
お盆は地面に落ちてカランカランと転がるが、男はそんなことに構わず二人に駆け寄った。
「これはこれは美しい姫よ。お待たせして大変申し訳ありません」
「・・・ふえ?」
「本日はいか用で当店を?」
店員は距離的に近かったれんの手を取ると一転して丁寧なふるまいを見せる。
ただれんは元から初対面に対して非常に弱かったし、さらに初めて見る男のふるまいに困惑を隠せなかった。
視線を彷徨わせ、意味を持たない言葉しか発せないれんを見て由衣が後ろからフォローに入る。
「ケーキを買いに来たんです。でもどれを食べようか迷ってて」
「そうでしたか。では一度あちらに」
その言葉に店員は奥のテーブルを指さすとれんの手を取って案内して座らせる。
由衣も後ろかられんの手を握って二人に続いた。
二人がテーブルに座ると店員は最初に出てきた時とは考えられない俊敏さで紅茶を入れ、一緒にメニューを持ってきて二人に見せる。
「これが当店のケーキ一覧です。お目に止まったものはお持ちするのでまずはこちらからお選びください」
「ありがとう、お兄さん」
「・・・ぐふっ!」
「へ!?」
店員の接客に由衣が笑顔を返すと男は何かに打ち抜かれたかのように倒れ込んだ。
いきなりの状況に二人は慌てて店員を起こすが、特に異常はないようだ。
「申し訳ありません。あなたのあまりに綺麗な笑顔に打ち抜かれてしまいました」
「・・・?」
「・・大丈夫そうなら安心しました。よかったです」
由衣に向けられた言葉を彼女はよく理解していないようだった。
不思議そうに首をかしげていたが、れんが代わりに言葉をかけてケーキ選びを再開した。
「みんなおいしそうで迷っちゃう。お姉ちゃんは決めた?」
「・・・私はチョコが好きだから。それがいいな」
「チョコですか。少々お待ちを」
れんの希望を聞くと店員はショーケースに戻ると彼女の希望に沿うものを選び始めた。
「お姉ちゃん。チョコレート好きなの?」
「うん。三年くらい前からかな」
チョコは少量で高いエネルギーが得られる食べ物だ。それはかなりの小食であるれんとは相性がいいようで、母に紹介されてから大好物になっていた。
あまり味にこだわりは無かったが、やはりおいしいチョコを食べると心躍る。
店員がケーキを取り出すとクリームとチョコの甘い匂いが店内に漂い二人の嗅覚を満たした。
「お待たせしました。当店のチョコケーキはこちらの三種ですね」
「・・・すごい」
「おいしそうだね。全部食べたいくらい」
「でも、こんなに食べられないよ」
「でしたら小さく分けましょう。ぜひ多くのケーキをご賞味ください」
そう言うと店員は皿とケーキナイフを取り出して食べやすい大きさに切り分け始めた。
「あの、何もそこまでしていただかなくても」
「いいんですよ。これがわたしの仕事でありおもてなしですから」
そんなことをして大丈夫なのだろうか。明らかに通常のサービスから逸脱している店員の行動にれんは口を挟むが、彼は構わないというように笑顔を浮かべる。
そこまで言われるとれんも口は出せず彼の行動を静観するほかなかったが、店員はれんの顔を見ながらさらに言葉を続ける。
「それに、あなたは少し元気がないようです」
「・・・え?」
「わたしは女性に笑顔であってほしい。しかしあなたが何に悩み、どういった言葉をかければよいかはわかりません。わたしに出来ることは、最高のおもてなしと味で少しでもあなたが元気を取り戻す手助けをすることだけです」
「・・・ありがとうございます」
由衣も店員の言葉に頷く。
そこでれんも彼女がなぜいきなり外に出ようと言い出したかの真意に気づいた。
気持ちは由衣も同じだったのだろう。ずっと悩んで元気のない様子だったれんに対して、彼女も自分に出来ることは何か悩んでいた。
だがずっと甘えてばかりいた由衣には彼女の元気を取り戻させる方法を考えるのは難しかった。
それにしても由衣はともかくよくこの店員も気づいたものだ。
洞察力やそういったものに優れているのか、それとも女性に対する感性のようなものが異様に高いのか。
「さあ、これでどうですか?かなり食べやすくなったと思います」
「わあ・・すごいね、お姉ちゃん」
「うん、そうだね」
切り分けられたケーキは形も整えられており、まるで形はそのままに大きさだけ変わったかのような出来栄えだった。
魔法でも見たかのようにはしゃぐ由衣に店員も満足そうに笑っていた。
「わたしは他におすすめのケーキを選んできますので、どうぞ食べながらお待ちください」
「いただきまーす」
「・・・いただきます」
待ちきれないというように首を振っていた由衣はすぐにフォークを手に取ると一番手前にあったものから口に入れていく。
れんも意外に早い再開を果たしたケーキをゆっくり味わう。
前に諒が買ってきた時は全て通常の大きさでうんざりするほどの量だったが、味は何度食べても絶品だ。
美味しさに対して身体は正直だ。その甘い至福の味が体にいきわたると思わず笑顔がこぼれた。
「おいしい!こんなの初めて食べたよ」
由衣も大満足のようで、一つ目を食べ終わると休む間もなく次々と口に放り込んでいった。彼女はれんとは対照的にかなり食べる方だ。
最初に二人で食卓についた時はあまりに食べると由衣とあまりに食べないれんでお互い首を傾げたものだ。
あっという間にケーキを平らげた由衣は満足そうに大きな息を吐きながら紅茶をすすっていた。
まだ店員の方は時間がかかるようで、少し手持無沙汰にしている様子だ。
「ねえお姉ちゃん。最近やっぱり悩んでるよね?」
「・・・それは、でも由衣ちゃんに関係は」
「あるよ!お姉ちゃんが元気ないと嫌だもん。悩みのせいでお姉ちゃんが元気ないなら、私にも関係ある!」
予想以上に由衣はれんの言葉に強く返した。
由衣は特に諒に対しては言葉が強くなる時はあるが、れんにかける言葉は基本的に激甘だ。
そんな彼女がここまで強い言葉をかけてくることは相当稀で、思わずれんも言葉に詰まる。由衣の真剣さはそれだけでよく伝わって来た。
店員の言葉で決心したのだろう。出来ることはなくても、せめて悩みを聞くだけでも、相手になるくらいならできる。
だが、れんはそれでも迷っていた。れんの悩みは誰かに理解できるものでも共感できるようなものでもない。むしろそんな事実を由衣が知ってしまったら、れんに向ける目も変わってしまうかもしれない。
迷った末、れんはそのことを話すことはやめたが、他の言葉として話すことにした。
「由衣ちゃんは、今私や諒さん、琴音さんと一緒にいて楽しい?」
「・・・?うん、もちろんだよ。なんで急にそんなこと聞くの?」
「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、由衣ちゃんは記憶を失ってるんだよ。不安になったりしない?家族とか、思い出とか、ずっと思い出せないままで心配にならない?」
由衣は表情を曇らせる。彼女は自身の記憶のこととなるといつもこうなっていた。
急にそんなことを聞かれて困惑もしているだろう。難しい顔でしばらくうなっていたが、意外にもその返答の際には笑顔を浮かべる。
「わかんない。考えたことなかったから」
「え・・・考えたことないって・・・だって自分のことだよ?なんで?」
「だって、つまんないんだもん。考えたって思い出せないし、変な気持ちになるし」
「・・・それはそうかもしれないけど」
「それに、今私は幸せだよ?お姉ちゃんもいるし、ギルドの人も琴音さんも良い人ばっかりだし、その人達のこと考えてた方が楽しいよ」
「由衣ちゃん・・・」
「記憶は無くても、新しい素敵な記憶を皆がくれる。それで私は満足してるの。ありがとう、れんお姉ちゃん」
由衣の記憶への執着はほとんどなかった。むしろ、記憶が戻ることで今の生活を手放さなくてはならない可能性があることの方が彼女にとっては怖い。
それほどまでに、今の彼女を包む環境は光に満ちていた。そして、それをくれたのは間違いなくれんだった。
「本当に美しい華を咲かせになりますね」
そこで店員がケーキを持って戻って来た。先ほどの話を聞いていたのか、その表情は少し複雑そうだったが、屈託のない笑顔を浮かべる由衣を見て彼も満足そうだった。
「彼女にこんなに美しい華を咲かせられるのはあなたしかいません。それはとてもすばらしいものです」
「・・・え?」
「わたしから踏み込んだ話をすることは出来ませんが、これだけは言わせてください。あなたは自分1人で考えすぎている。もっと周りをみてください。あなたの傍に居てくれる人、あなたを心配している人、そしてあなたを支えてくれる人。そのすべては光となってあなたという存在を照らしてくれる、あなたの進むべき道を照らしてくれる」
「・・・」
「もしあなたの悩みが未来にあるのなら、それを解決するのはあなた自身ではないかもしれない。そういうことです・・・さあ、追加でケーキをお持ちしたのでぜひ食べてください」
店員はそういってケーキをテーブルに置くが、しばらくれんはそれには手を付けず彼の言ったことについて考えていた。
竜の血を持ち、そして龍巫子という不思議な才能までもが彼女の体に宿っている。
一体自分はどうすればいいのだろう。この体とどう向き合えばいいのだろう。
れんはずっと考えていた。
だが、驚くほどにその答えは簡単だった。この力を諒や琴音が聞いたとき、二人はれんの事を不可思議な目で見ることはなく、彼女がこの事実とちゃんと向き合えるかを心配してくれていた。それどころではない。これまでの彼女の悩みにも二人は手を差し伸べようとしてくれていた。
ギルドもそうだ。歴史の奥にはあったとはいうが、現代のこの力は「異端」そのものだ。だがギルドは何も言わず調査に協力をしてくれると言ってくれた。れんに今の環境を取り上げようとはしなかった。
何も難しいことはなかった。抱えることもない。皆がれんのことを心配し、支えてくれようとしている。
それに応えるだけでいい。何も変わることはない。一体彼女が何者でも、諒達は変わらない目を向けてくれる。
「・・・ありがとうございます。店員さん。ありがとう、由衣ちゃん」
「ええ、お安い御用です」
「ごようです♪」
そう決心すると心も随分と軽くなった。二人に向ける笑顔も自然と明るいものになり、由衣も店員も上機嫌に笑顔を返した。
「さ、それじゃあ早く食べよう。お姉ちゃん」
「うん、あ・・でももうあんまり食べられないかも」
れんの笑顔が戻り由衣の食欲もますます上がったようで、店員ともう食べられないれんが見守る中由衣はひたすらにケーキをほおばった。
素晴らしい笑顔を見せてくれたお礼と言ってお代はほとんど払わずにすんだ。申し訳ない気持ちもあったが、最終的に由衣が食べた量を考えれば正直ありがたいかぎりでもあった。
「いいからいいから。あ、こっちだよ」
寛太からの話を聞いた後、やはりれんは元気がなかった。
しかし諒と琴音には彼女にかける言葉がない。竜人なんて聞いたことがないし、それとどう向き合えばいいかなんて判断のしようがない。
心配しながらも見守るしかない二人だったが、そんな時動いたのが由衣だった。
諒達が話をしていた時彼女は参加せず表で少し仕事をして待っていたが、その時莉彩からとある話を聞いていた。
元気のないれんを見ていられず、何とかしようと外に出てみることを持ちかけた。
普段は由衣の方からこんなことを言うのは珍しい。二人で外出する時は買い物目的くらいだ。しかも普段の商店通りをあっさり通り過ぎると、買い物とは関係ないはずの住宅街の方まで歩いて行こうとするのでれんの困惑はさらに高まっていた。
「由衣ちゃん。このあたりにお店なんてないと思うんだけど。一体何を探してるの?」
「うーん。このあたりだと思うんだけど・・・あ、あれだよ」
さすがにれんは由衣を引き留めるが、彼女はこの辺りだと言って周囲を見回していた。
れんも一緒にそれらしいものを探すが、やはりお店らしいものは見えない。
首をかしげていると由衣が目的のものを発見したらしい。れんの腕を引っ張ってそこに向かった。
「ここって、ケーキ屋さん?」
「うん。早く入ろ」
なぜいきなりこんな所に来たのだろうか。しかし考えるよりも前に由衣がドアを開いて中に入ってしまったため、慌てて後を追って彼女も中に入った。
ここは以前に諒がケーキを買いに来たところだ。れんは相当気に入っていたが店の場所や名前はまだ聞かされていなかったのでまだピンと来ていなかった。
「見てお姉ちゃん。いっぱいケーキが並んでるよ」
「そうだね・・・あれ、これって・・・」
こういった店に入るのは初めてで、由衣は見たことも無いようなケーキが所狭しに並んでいる光景を目にして随分とはしゃいでいた。
れんも後ろから一緒にそれを見ていたが、ふと並んでいるチョコのケーキを見て記憶がよみがえる。
「ねえ由衣ちゃん。ここって誰から教えてもらったの?」
「莉彩さんだよ。おいしいからぜひ行ってみてって」
「・・・そうなんだ」
少し二人で話しているとれんはふと違和感に気づいた。店員がどこにもいないのだ。
ショーケースの辺りはおろか、右手奥にある飲食用と思われるスペースにも人の姿はない。
「店員さんどうしたんだろう」
「どうなんだろう。もしかしたらケーキを焼いてるのかも」
正面奥にはスタッフ専用の扉があった。見たところ表にはケーキを作れるような物はないし、そこでやっているのだろう。
店員が出てくるのを待ちながらどのケーキを食べようか選んでいると、ようやく奥の扉が開いた。
「いらっしゃい」
「あ、店員さんだ」
「・・・」
「・・・ん?」
現れた男は少しやる気にかけた声で定型的な挨拶を発するが、二人に気づくと持っていたお盆が手から零れ落ちる。
お盆は地面に落ちてカランカランと転がるが、男はそんなことに構わず二人に駆け寄った。
「これはこれは美しい姫よ。お待たせして大変申し訳ありません」
「・・・ふえ?」
「本日はいか用で当店を?」
店員は距離的に近かったれんの手を取ると一転して丁寧なふるまいを見せる。
ただれんは元から初対面に対して非常に弱かったし、さらに初めて見る男のふるまいに困惑を隠せなかった。
視線を彷徨わせ、意味を持たない言葉しか発せないれんを見て由衣が後ろからフォローに入る。
「ケーキを買いに来たんです。でもどれを食べようか迷ってて」
「そうでしたか。では一度あちらに」
その言葉に店員は奥のテーブルを指さすとれんの手を取って案内して座らせる。
由衣も後ろかられんの手を握って二人に続いた。
二人がテーブルに座ると店員は最初に出てきた時とは考えられない俊敏さで紅茶を入れ、一緒にメニューを持ってきて二人に見せる。
「これが当店のケーキ一覧です。お目に止まったものはお持ちするのでまずはこちらからお選びください」
「ありがとう、お兄さん」
「・・・ぐふっ!」
「へ!?」
店員の接客に由衣が笑顔を返すと男は何かに打ち抜かれたかのように倒れ込んだ。
いきなりの状況に二人は慌てて店員を起こすが、特に異常はないようだ。
「申し訳ありません。あなたのあまりに綺麗な笑顔に打ち抜かれてしまいました」
「・・・?」
「・・大丈夫そうなら安心しました。よかったです」
由衣に向けられた言葉を彼女はよく理解していないようだった。
不思議そうに首をかしげていたが、れんが代わりに言葉をかけてケーキ選びを再開した。
「みんなおいしそうで迷っちゃう。お姉ちゃんは決めた?」
「・・・私はチョコが好きだから。それがいいな」
「チョコですか。少々お待ちを」
れんの希望を聞くと店員はショーケースに戻ると彼女の希望に沿うものを選び始めた。
「お姉ちゃん。チョコレート好きなの?」
「うん。三年くらい前からかな」
チョコは少量で高いエネルギーが得られる食べ物だ。それはかなりの小食であるれんとは相性がいいようで、母に紹介されてから大好物になっていた。
あまり味にこだわりは無かったが、やはりおいしいチョコを食べると心躍る。
店員がケーキを取り出すとクリームとチョコの甘い匂いが店内に漂い二人の嗅覚を満たした。
「お待たせしました。当店のチョコケーキはこちらの三種ですね」
「・・・すごい」
「おいしそうだね。全部食べたいくらい」
「でも、こんなに食べられないよ」
「でしたら小さく分けましょう。ぜひ多くのケーキをご賞味ください」
そう言うと店員は皿とケーキナイフを取り出して食べやすい大きさに切り分け始めた。
「あの、何もそこまでしていただかなくても」
「いいんですよ。これがわたしの仕事でありおもてなしですから」
そんなことをして大丈夫なのだろうか。明らかに通常のサービスから逸脱している店員の行動にれんは口を挟むが、彼は構わないというように笑顔を浮かべる。
そこまで言われるとれんも口は出せず彼の行動を静観するほかなかったが、店員はれんの顔を見ながらさらに言葉を続ける。
「それに、あなたは少し元気がないようです」
「・・・え?」
「わたしは女性に笑顔であってほしい。しかしあなたが何に悩み、どういった言葉をかければよいかはわかりません。わたしに出来ることは、最高のおもてなしと味で少しでもあなたが元気を取り戻す手助けをすることだけです」
「・・・ありがとうございます」
由衣も店員の言葉に頷く。
そこでれんも彼女がなぜいきなり外に出ようと言い出したかの真意に気づいた。
気持ちは由衣も同じだったのだろう。ずっと悩んで元気のない様子だったれんに対して、彼女も自分に出来ることは何か悩んでいた。
だがずっと甘えてばかりいた由衣には彼女の元気を取り戻させる方法を考えるのは難しかった。
それにしても由衣はともかくよくこの店員も気づいたものだ。
洞察力やそういったものに優れているのか、それとも女性に対する感性のようなものが異様に高いのか。
「さあ、これでどうですか?かなり食べやすくなったと思います」
「わあ・・すごいね、お姉ちゃん」
「うん、そうだね」
切り分けられたケーキは形も整えられており、まるで形はそのままに大きさだけ変わったかのような出来栄えだった。
魔法でも見たかのようにはしゃぐ由衣に店員も満足そうに笑っていた。
「わたしは他におすすめのケーキを選んできますので、どうぞ食べながらお待ちください」
「いただきまーす」
「・・・いただきます」
待ちきれないというように首を振っていた由衣はすぐにフォークを手に取ると一番手前にあったものから口に入れていく。
れんも意外に早い再開を果たしたケーキをゆっくり味わう。
前に諒が買ってきた時は全て通常の大きさでうんざりするほどの量だったが、味は何度食べても絶品だ。
美味しさに対して身体は正直だ。その甘い至福の味が体にいきわたると思わず笑顔がこぼれた。
「おいしい!こんなの初めて食べたよ」
由衣も大満足のようで、一つ目を食べ終わると休む間もなく次々と口に放り込んでいった。彼女はれんとは対照的にかなり食べる方だ。
最初に二人で食卓についた時はあまりに食べると由衣とあまりに食べないれんでお互い首を傾げたものだ。
あっという間にケーキを平らげた由衣は満足そうに大きな息を吐きながら紅茶をすすっていた。
まだ店員の方は時間がかかるようで、少し手持無沙汰にしている様子だ。
「ねえお姉ちゃん。最近やっぱり悩んでるよね?」
「・・・それは、でも由衣ちゃんに関係は」
「あるよ!お姉ちゃんが元気ないと嫌だもん。悩みのせいでお姉ちゃんが元気ないなら、私にも関係ある!」
予想以上に由衣はれんの言葉に強く返した。
由衣は特に諒に対しては言葉が強くなる時はあるが、れんにかける言葉は基本的に激甘だ。
そんな彼女がここまで強い言葉をかけてくることは相当稀で、思わずれんも言葉に詰まる。由衣の真剣さはそれだけでよく伝わって来た。
店員の言葉で決心したのだろう。出来ることはなくても、せめて悩みを聞くだけでも、相手になるくらいならできる。
だが、れんはそれでも迷っていた。れんの悩みは誰かに理解できるものでも共感できるようなものでもない。むしろそんな事実を由衣が知ってしまったら、れんに向ける目も変わってしまうかもしれない。
迷った末、れんはそのことを話すことはやめたが、他の言葉として話すことにした。
「由衣ちゃんは、今私や諒さん、琴音さんと一緒にいて楽しい?」
「・・・?うん、もちろんだよ。なんで急にそんなこと聞くの?」
「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、由衣ちゃんは記憶を失ってるんだよ。不安になったりしない?家族とか、思い出とか、ずっと思い出せないままで心配にならない?」
由衣は表情を曇らせる。彼女は自身の記憶のこととなるといつもこうなっていた。
急にそんなことを聞かれて困惑もしているだろう。難しい顔でしばらくうなっていたが、意外にもその返答の際には笑顔を浮かべる。
「わかんない。考えたことなかったから」
「え・・・考えたことないって・・・だって自分のことだよ?なんで?」
「だって、つまんないんだもん。考えたって思い出せないし、変な気持ちになるし」
「・・・それはそうかもしれないけど」
「それに、今私は幸せだよ?お姉ちゃんもいるし、ギルドの人も琴音さんも良い人ばっかりだし、その人達のこと考えてた方が楽しいよ」
「由衣ちゃん・・・」
「記憶は無くても、新しい素敵な記憶を皆がくれる。それで私は満足してるの。ありがとう、れんお姉ちゃん」
由衣の記憶への執着はほとんどなかった。むしろ、記憶が戻ることで今の生活を手放さなくてはならない可能性があることの方が彼女にとっては怖い。
それほどまでに、今の彼女を包む環境は光に満ちていた。そして、それをくれたのは間違いなくれんだった。
「本当に美しい華を咲かせになりますね」
そこで店員がケーキを持って戻って来た。先ほどの話を聞いていたのか、その表情は少し複雑そうだったが、屈託のない笑顔を浮かべる由衣を見て彼も満足そうだった。
「彼女にこんなに美しい華を咲かせられるのはあなたしかいません。それはとてもすばらしいものです」
「・・・え?」
「わたしから踏み込んだ話をすることは出来ませんが、これだけは言わせてください。あなたは自分1人で考えすぎている。もっと周りをみてください。あなたの傍に居てくれる人、あなたを心配している人、そしてあなたを支えてくれる人。そのすべては光となってあなたという存在を照らしてくれる、あなたの進むべき道を照らしてくれる」
「・・・」
「もしあなたの悩みが未来にあるのなら、それを解決するのはあなた自身ではないかもしれない。そういうことです・・・さあ、追加でケーキをお持ちしたのでぜひ食べてください」
店員はそういってケーキをテーブルに置くが、しばらくれんはそれには手を付けず彼の言ったことについて考えていた。
竜の血を持ち、そして龍巫子という不思議な才能までもが彼女の体に宿っている。
一体自分はどうすればいいのだろう。この体とどう向き合えばいいのだろう。
れんはずっと考えていた。
だが、驚くほどにその答えは簡単だった。この力を諒や琴音が聞いたとき、二人はれんの事を不可思議な目で見ることはなく、彼女がこの事実とちゃんと向き合えるかを心配してくれていた。それどころではない。これまでの彼女の悩みにも二人は手を差し伸べようとしてくれていた。
ギルドもそうだ。歴史の奥にはあったとはいうが、現代のこの力は「異端」そのものだ。だがギルドは何も言わず調査に協力をしてくれると言ってくれた。れんに今の環境を取り上げようとはしなかった。
何も難しいことはなかった。抱えることもない。皆がれんのことを心配し、支えてくれようとしている。
それに応えるだけでいい。何も変わることはない。一体彼女が何者でも、諒達は変わらない目を向けてくれる。
「・・・ありがとうございます。店員さん。ありがとう、由衣ちゃん」
「ええ、お安い御用です」
「ごようです♪」
そう決心すると心も随分と軽くなった。二人に向ける笑顔も自然と明るいものになり、由衣も店員も上機嫌に笑顔を返した。
「さ、それじゃあ早く食べよう。お姉ちゃん」
「うん、あ・・でももうあんまり食べられないかも」
れんの笑顔が戻り由衣の食欲もますます上がったようで、店員ともう食べられないれんが見守る中由衣はひたすらにケーキをほおばった。
素晴らしい笑顔を見せてくれたお礼と言ってお代はほとんど払わずにすんだ。申し訳ない気持ちもあったが、最終的に由衣が食べた量を考えれば正直ありがたいかぎりでもあった。
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