煙草

田辺 ふみ

文字の大きさ
上 下
3 / 7

しおりを挟む
 奥州から江戸へ出てきてすぐのことだった。
 幼い頃から習ってきた秋山師範の伝手で山田浅右衛門の弟子になるため、来たのだが、すぐに自信をなくしてしまった。
 屋敷内にいる弟子たちは皆、自分と同じか、それ以上の腕を持っていた。新参者は田舎くさいと笑われても、肩肘を張るしかなかった。浅右衛門の名を継ぐのは誰かということを意識しすぎているようで、気が休まらなかった。
 田舎から出てきた人間には、遊びに行こうにも江戸は人も多く、圧倒されていた。
 このままではいけないと思って、願い出たのは外の道場に通うことだった。
 父に紹介された上山道場は町民も通うような気軽な道場だった。道場主の上山清心は大らかで人斬り浅右衛門の弟子と聞いても落ち着いたものだった。
「小松原清五郎と申します。盛岡から来たばかりの田舎者ですが、よろしくお願いいたします」
「小松原殿は諸賞流の印可を持っておられる。他流派の動きを学ぶのも大事なことだ。皆も稽古をつけてもらえ」
 上山師匠の言葉に少し張り切りすぎたのかもしれない。久しぶりに自分の強さを感じることができて、気持ちがはずんだ。最初、自分と手合わせを望んだ門人たちも、打たれ、転がされる内に近寄らなくなったが、気にもしなかった。
 その日の終わりに阿部と武藤の二人が誘いをかけてきた。
「清五郎殿の歓迎会だ。いい店を知っているから任せておけ」
 他の門人たちと一緒に料理茶屋に案内された。二階の座敷は贅を尽くした部屋だった。門人たちに親しく話しかけられると、山田屋敷で気詰まりだったものがほどけていくようだった。そして、珍しい肴に舌鼓を打ち、美しい女たちに酒を注がれる内にわけが分からなくなってしまった。
 寒いと思って目を覚ました。
 寒いのもどうりで下帯一つの姿だった。
 着物もなかった。刀もなかった。畳のない床に寝ていたせいか、身体がギシギシと痛んだ。
「お侍さん、やっと、お目覚めかい」
 いかにも用心棒といった風体の男が顔を覗き込んできた。
「な、なんだ、お前は」
「あっしは付け馬でさあ。昨晩のお代を頂きたいんですが、お持ちでないなら、お屋敷までお供させてもらいましょうか」
「あ、阿部はどうした? 他の者は?」
「皆さん、代金は小松原清五郎からもらえと言って、御帰りになりましたよ」
 すっと、心が冷える。
 だまされたのだ。歓迎なんてされていなかった。
「さ、出してくださいよ。それとも、お帰りですか。さ、早く」
 着物を剥ぎ取っているのだから、財布の中身も見たはずだ。まあ、あんな金では足りるはずがない。
「まずは着物と刀を返してもらえないか」
 こんな姿ではどうしようもない。
「お代を頂いたら、返しましょう」
 男に短刀をちらつかされても、そのこと自体は怖くなかった。構え方も堂に入ったものだったが、柔術も学んだことのある身には取り押さえるのは簡単だった。
 それにお金に困るわけじゃない。山田家は裕福だ。屋敷に戻れば、代金ぐらい、すぐに払えるだろう。
 問題はそうじゃない。
 揉めてこのことが公になるのは耐えられなかった。
 同じ道場の者にだまされ、酒でつぶされ、金もなく、付け馬を連れて屋敷に戻る? 下帯一つで? まさか。そうなったら、弟子たちに笑われるだろう。腹を切るしかないのか? 父に頼む? こんな恥ずかしいことを頼めるのか? やはり、腹を切って……。
 ぐるぐる考えているところに明るい声が響いた。
「あー、すまんすまん。代金は俺が払おう」
「新之介のだんな」
 男が嬉しそうに新之介の名を呼んだ。
「昨日はご都合が悪かったんですか?」
「いやあ、あいつらの意地悪だよ。ふだん、俺を金づるにしてるくせに、わざと呼ばず、こいつに払わそうとしたのさ」
 新之介はどこから取り戻してきたのか、私の着物と刀をよこした。
「強いってのも妬まれて大変だな」
 あわてて、着物を身につけながら、たずねた。
「妬み?」
「そうさ。俺は剣がダメだから、気にしていないが、あいつらは自信があったから、お前に負けたのが我慢できなかったんだろう。そのくせ、やりすぎたから見てきてくれと言われたんだ。会わせる顔がないって言うなら、最初から、やらなければいいのに。まあ、許してやってくれ」
 新之介はにこりと笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...