煙草

田辺 ふみ

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試し斬り

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 日は高く、蔵の前に立っていても、影は一つもなく、じりじりと暑かった。
 蔵の前の空いた場所に土壇が設けられ、その上に二つ重ねの死体が載せられていた。
 二人の非人が死体を括った縄の両端を引っ張って、ずれないようにしていた。
 そんな中、父は熨斗目麻裃を身につけ、涼しい顔で立っている。
 刀を大きく振り上げ、振り下ろす。
 ザシュッ。
 いつでも、思ったより音が軽いなと思う。
 そして、斬った瞬間に一気に腐敗臭が押し寄せてきた。これには慣れそうもない。
 それでも、鼻を押さえたりはしない。
 ただ、父の見事な剣技に目を見張るだけだ。
 二人の非人が引っ張っていた縄から手を離した。非人が横に控えるのを待って、検分役はゆっくりと近づき、切り口を確かめた。
 広縁に集まった屋敷の人々はお茶を飲んだり、煙草を吸いながら、気楽に見ていたが、急に静かになって、検分役の言葉を待った。
「二ツ胴にございます」
 検分役が高らかに宣言すると、
「おおっ」
 人々の間から喜びの声が上がる。
 父は検分役に何か話しかけた。切れ味などを伝えているのだろう。
 自分なら、と考える。
 父と同じように構えず、平常心で斬れるだろうか。
 いや、斬らなくてはならないのだが。
 試し斬りや罪人の処刑を行う山田浅右衛門の弟子の一人として、早くに死体を斬る経験は済ませていた。
 ただ、養子に入ってからは圧力を感じるようになった。浅右衛門という名の重みだ。
 名刀を手に入れた大名たちは父に頼みたがる。
 下手な者が斬ったせいで斬れる胴の数が減り、刀の評価が下がることを恐れているのだ。
 父がこちらを見た。
 もう帰るつもりらしい。
 刀の試しを頼んだ屋敷の者が引きとめようとしているが、父は試し斬りの後に賂を受けようとはしない。
 いつでもまっすぐ寺に寄って回向を頼んで帰るだけだ。
 だが、その日はいつもと違っていた。
 
「どうも煙草が吸いたくなってしまった」
 屋敷を出て、最初に見つかった茶店に父は腰を落ち着けた。
「先ほどのお屋敷でお吸いになればよろしかったのに」
 荷物持ちについてきた小者の嘉助が言った。
 町民が利用するような小さな茶店というのが、納得できないらしい。
 父はゆっくりと首を振った。
「お前たちは団子でも食べなさい」
 言われて、嘉助が店の女に注文する。
 父はため息をついた。
「一振り目の刀ですか?」
 たずねると、父は目を見張り、笑った。
「清五郎にはわかったか」
「はい、私にもわかるようなあんなひどい刀を父上に試させるとは」
「いや、お前の見る目があったということだ。見た目は立派だが、あんなものは刀とは言えん。図々しくも古徹の銘がつけられていた。騙されて、つかまされたのか、それとも、偽物とわかっていながら、浅右衛門の名が欲しかったのか。あんな刀の格付けのために亡骸を斬るなど。おまけに芝居でも見物するかのように煙草を吸いながら見ていた。いいか、我らは人の命を奪うものだ。亡骸を傷つけるものだ。だからこそ、罪人であろうが、亡くなっていようが、真摯に向き合わねばならぬ」
「わかりました」
 寡黙な人だと思っていたが、養子になってみると、父は思ったよりも普通の人だった。
 仕事の苦労を語ることもあれば、説教をすることもある。
「お待ちどお」
 団子とお茶が出てきた。
 大ぶりなみたらし団子だった。
 私が団子に手をつけたのを見届けてから、嘉助が団子にかぶりつく。先ほどまで不満そうな顔をしていたのが嘘のようにうれしそうだ。
 父は煙草入れを取り出すと、煙管に煙草を詰めた。
 いつも使っている七寸ほどの簡素な煙管だ。羅宇は煤竹、雁首と吸い口は銀だが彫りもない。
 話題を変えようと思い、たずねた。
「その煙管、ずいぶんお気に入りですね」
「ああ、凝った意匠はないが、手にぴたりとくる。それに吸い口がいいのだ。同じ煙草でもこれの方が美味く感じる」
 一口吸うと、それだけで、父の顔が緩んだ。
「そういうものですか」
「お前も吸ってみるか?」
「いえ、結構です」
 煙草を吸ったことはあるが、特に美味しいと思ったことはなかった。
 その時の香りに比べると、この香りは濃厚なような気がする。
 父は満足そうに煙草を吸っていた。
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