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母の幸福

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「その……薬というのは、今も?」

「ううん。一度だけよ。14まで修道院で育って。初めてお父様とお母様に会って。王様の命令で、お薬を飲んだの。そして、次の年に、あの人のお嫁さんになったのよ。難しいことはなーんにも考えられなくなったし、災いをもたらすから何もするなとお父様達に言われたから、それからはずっと大人しく家の中で過ごしてきたの。……あら、だとしたら、息子ちゃんは大丈夫なのかしら。私しかできる人はいないと思ってはりきっちゃったけど、この子まで呪われちゃったら大変だわ。あらあら、どうしましょう」

 オロオロと眉をハの字にする母の姿に、乾いたはずの涙が再び溢れてきた。

 ……何故、今まで気づかなかったのだろう。気づいてあげられなかっただろう。
 エレナ姫の記録は抹消されても、当時生きた人の記憶には……特に近しかっただろう王族の記憶には、濃く残っている。
 そんな王族の中で、エレナ姫そっくりに生まれた母が、疎まれなかったはずがないのに。

 王族である祖父母とは、亡くなるまで一切交流がなかったが、てっきり母上が幼子のような精神だったから、王家から爪はじきにされたのだとばかりだと思っていた。その姿形のせいで王家に嫌われた結果、人為的に精神を退行させられたなんて、今の今まで想像すらしていなかった。

 だが今更真実を知った所で、遅過ぎた。
 母上に薬を飲ませるように命令した当時の王も、母上の両親も今は亡く。
 使われたのが一度きりの服薬で精神が子どものようになってしまうほどの強力な薬なら、どんな聖魔法を使った所で母上を元の状態に戻すことはできない可能性が高い。既に数十年の歳月が経過しているならば、なおさらだ。
 仮に、元の精神状態に戻せた所で、失われた歳月は戻って来ない。寧ろそんなことをすれば、逆に母上の精神を追い詰めることになるだろう。今のように、無邪気に笑って悲惨な過去を語ることは、できなくなるのだから。

 「白痴姫」と呼ばれた母上は、この先も一生幼い精神のまま、生きるしかないのだろう。
 ーーならば、せめて。

「……心配なさらなくても、呪いはもう解けましたよ。母上。貴方が何をしようと、国は滅んだりしないし、誰も不幸になりません」

「……本当?」

「ええ。だって私は、母上のおかげでとても幸せになれましたから。母上が可愛い息子を無事産ませてくれたおかげで、私もアストルディアも、とても幸せになれたんです。本当にありがとうございました」

「そうね。エドワードを幸せにできたのなら、きっと呪いは解けたのよね。嬉しいわあ。なら、これからは好きなことができるのね。私、ずっとずっと修道院時代のように、小さい子と触れ合いたいと思ってたの。エドワードやレオナルドのことは、呪われないように乳母に全部お願いしたから。この子のこと、たまに面倒みさせてもらってもいいかしら? ああ、でも孤児院にも遊びに行ってみたいわ。たくさんの子どもたちと遊びたいし、辺境伯夫人らしいことも、少しはしてみたいの」

「……ええ、是非お願いします。孤児院の件についても、後で父上に相談してみますね」

「わあ、うれしい。可愛い孫が生まれて、エドワードも無事に目を醒まして、おまけに呪いまで解けちゃうなんて、今日はなんて素敵な日なの。私、すごくすごく幸せだわっ!」

 少女のように純粋な笑みを浮かべて、腕に眠る子どもを抱いたままくるくる回る母上の姿が、切ない。
 母上の幼い精神を元に戻せないのならば、せめて、今まで我慢してきた分、好きなことを存分にさせてあげたいと思う。 幸せに、してあげたいと思う。

「あぁ、こうしてはいられない。今日がこんなにも素晴らしい日だってことを、今すぐ大好きなあの人に伝えてこなきゃ! お仕事中だから迷惑がかかるかもしれないけど、でもきっときっと一緒に喜んでくれるはずよ。だってあの人は、とっても優しい人だから」

「……あの人、とは」

「もちろん、私の旦那様よ。こんな私と結婚してくれて、ずっと大切にしてくれた優しい人。私、旦那様がだーいすきなの」

 ……どうも俺が見ている親父の姿と、母上が見てる親父の姿は、随分違うようだ。
 でも、こんな風に初恋にうかれる乙女のように頬を染められたら、よけいなことを言ってその幻想を壊す気にはなれない。親父が幼子のような母上を、不器用ながらも愛し慈しんできたことは間違いないしな。

「それじゃあ、アストルディアさん。私は行くから、息子ちゃん抱っこしてあげて。後は、家族三人でごゆっくり」

「……あ、はい」

「それじゃあ、まあ後で」

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