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夢を見た。
まだ幼い洸太がお父さんとお母さんと三人で、公園でお弁当を食べている夢だった。
お父さんと洸太の手にはお母さんが作ってくれた大きなおにぎりがあって、おいしいねと笑いながら食べていた。お母さんはそれを見てにこにこと笑っていた。
おにぎりを夢中で食べていたのが悪かったのか、気がつけばお父さんもお母さんもいなくて、公園には洸太ひとりきりだった。
それがわかった瞬間なぜだかおにぎりもお弁当もなくなっていて、洸太は泣きながらお父さんとお母さんを探す。
探し歩いているうちに辺りがどんどん暗くなって、早く家に帰らなきゃと思っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。
『洸太くん、淋しいんだろう? 先生が一緒にいてあげるよ』
『……ほんと?』
その声を信じたのが間違いだった。
『こうしてくっつくと淋しくないだろう』
わからない。その声の主に向かいあって触れられた記憶はなく、いつも背中越しの行為だったから。
抱きしめてもらった覚えもないのに、条件反射のような快感だけは植えつけられた。
『男の子だって女の子の代わりができるって、教えたよね。ほら、これを挿れると気持ちがいいだろう? 洸太のナカはとっても温かいね。先生もとっても気持ちがいいよ』
逃げなければという本能と、少し我慢すれば一緒にいてもらえるかもという思いがせめぎ合って、いつも我慢のほうをとっていた。
『これ以上大きくならなくていいよ。今のままの洸太がちょうど可愛いサイズだ。ああ、感じるとお母さんより洸太のほうがよく締めつけてくるね。洸太のナカは本当に最高だよ……。さあ、俺のこと好きって言ってごらん』
『すき……あっ、先生……』
『先生じゃない、名前で呼ぶんだ』
『あぁっ……あんっ……すきっ……ゆうじ、さん……』
そしてあの冬の日。
あの日を境にすべてが壊れた。
『人の夫を寝取るだなんて最低な子ね! そんないやらしい顔して、アンタから誘ったに決まってるでしょ! この淫乱!』
もしあのとき少しでも高瀬に抱きしめてもらっていたら、いびつな関係だとしても洸太は彼を選んだのだろうか。
『洸太はまだ中学生なのに、もう独り寝できない淫乱ちゃんだもんなぁ。俺はひとまずここから出て行くけど、とりあえず離婚はしないでいてやるよ。お前のその男好きのカラダもそうだけど、これから進学するのに金の面でも大変だろ? あの女が男の所へ行ったらすぐに連絡してこいよ。その時はたっぷりと洸太を可愛がってやるから』
真っ暗な闇の中、成長した姿の洸太は耳を塞いで懸命に走る。途中で転んでもまた起き上がって、あてもなく走り続けた。
『嫌がるんじゃねえよこの淫乱が! ケツにぶち込んでくれたら誰だっていいんだろう! そんなヤツにはお仕置きが必要なんだよ! なあに、見える場所じゃないし平気だよなあ』
ずっと淋しくて悲しくて、誰かに助けて欲しかった。すがりついた相手が悪かっただけなのだ。
しばらくすると、遠くにぼうっと明かりが見えた。やさしく灯るその明かりは温かそうだったけれど、洸太にはそこへ入っていく勇気がなかった。
いつの間にか血が滲んで痛む背中に汗をかき、その汗がまた傷へと染みていく。そんな状態にとうとう身体が悲鳴を上げ、明かりの手前で倒れ込んだ。
もう少し頑張れば、彼に出逢えたのに。
光の中を見つめると彼の横には澪さんがいて、二人で楽しそうに笑っていた。
『来るのが遅かったんだよ』
二人にそう言われた気がして、洸太の目から涙がこぼれた。
「洸太くん大丈夫? どっか痛い?」
目が覚めたら初めて来たときと同じように、彼の部屋で布団に寝かされていた。違っていたのはのぞき込んでくる顔が澪さんのものだということだった。
「目が覚めてよかったぁ……。車の中で気を失うんだもの、ビックリしちゃったよ」
澪さんは洸太の頬を両手で挟んで安堵の息をついた。
「すぐにしょうさん呼ぶからね」
「待って……いま、何時?」
「お昼の一時過ぎ」
買い物に行きたいという今日の澪さんの予定を、洸太が台なしにしてしまった。
「……ごめ……なさい。それと、あの……」
「ん?」
「澪さん、おれの……背中のこととか……知ってた?」
「うん、実はね……あの台風の日はすごい大雨だったから、父を車に乗せて僕もここまで来たんだ。最初は店の前に車をとめて中で待ってたんだけど、君の背中を見た父に呼ばれちゃって。父と一緒に君の全身を診察させてもらいました」
「ああ……だからマサさん、下着もかえたって……そういうことだったの」
「ねえ洸太くん、言いにくいかもしれないけど聞いてもいい?」
「ん……」
「アイツになにを使って背中を傷つけられたの」
「……澪さんは、なんだと思う?」
目の前のやさしい澪さんを試すわけではないけれど、監察医としての実力を見てみたかった。
「そうだね」
スッと澪さんの表情が変わる。普段とは打って変わった、冷たい氷のような表情だった。
「僕の推測では、傷から見てウィッピングの可能性が大きいと思うんだけど」
「ウィッピング……?」
「鞭で身体を打つ行為だよ。当時の新しい傷の具合から見てプレイ用の鞭なんかじゃなく、本物を使って性行為の最中に背後から打たれ続けた可能性がある。それが正しいとするとバラ鞭や一本鞭では長すぎるから、グリップから先端までの距離が短い乗馬用の……先端に広い革のついた短鞭を使用。すでに治っている傷から考察すると、ウィッピングの期間はここ一年ほど。君が大学に入ってからの行為だ」
「あたり……さすがだね」
洸太の説明なんていらないくらいに、状況まで当たっていた。
「高熱が出たのは、傷に何らかの菌が入り込んだせいだろうね。乗馬鞭をウィッピングに使うのはものすごく危険なんだよ。あれは馬の分厚い皮膚を打つために作られているものであって、人間を打つためにあるんじゃないんだから」
いつもの表情にもどった澪さんは少し泣きそうになりながら、洸太の髪をやさしくなでてくれた。
「あのね……裕二さんとの最後の夜……マサさんに逢った日のことなんだけど、おれ、はじめて裕二さんから逃げたんだ……」
「洸太くん……」
「裕二さん、小学五年生のときの塾の先生だって言ったよね」
「うん」
「おれ、そのときから裕二さんにそういうことされてた。最初は全然わからなくて怖かったけど、でもそれさえ我慢すれば一緒にいてくれるって信じて……そう思ってずっとそういうことしてたんだ」
洸太を見守る澪さんの目に、きれいな涙が浮かび上がる。
「そうしたら中学にあがるころ、裕二さんがおれのお父さんになってくれるって言って、それで母と結婚して……もう終わりだと思ってたんだ。そんなことしなくても家族になれるんだって。……でも違ったんだ。裕二さんは母じゃなく、おれに執着してたんだよ」
澪さんの涙が、寝ている洸太の頬にこぼれ落ちた。
「中学三年の冬休みに……母に裕二さんとの行為を見られちゃって……それで別居ってことになったんだ。そのとき母は裕二さんじゃなくて、おれを罵った。おれ、最低で淫乱なんだって」
「洸太く……もういい……」
「ホント淫乱かも。だって父親がわりの人に、十年近くも抱かれてきたんだよ。でも裕二さんを好きかって聞かれたら……好きなんかじゃない。ちょっと前までは好きっていう感情すらよくわからなかったけど」
でも、ここに来て彼に出逢った。それだけでも洸太の人生の収穫になるだろう。
「高校生のときがいちばんひどかったかな。大抵は裕二さんのマンションだったけど、でもいろんなところでやったよ。授業中なのに裕二さんが迎えに来てそのままホテルに連れ込まれたり、青姦できる場所に行ったり。裕二さんの仕事が休みのときには、マンションでろくに食べもせずにやりまくったこともあったし、夏休みなんてずっと服を着ないで過ごした。少しでも逆らうとヘンな拘束具つけられてそのまま放置されたこともあったから、なんでも言うこと聞いた。媚薬っていうの? あれを使われて欲しくてたまらないのに、ずっと立たされたまま胸や下半身を舐め回されるだけで終わったりして……。裕二さんって変態だよね。……でもね、この話がひどいのは……母がこれを承知してたことだよ。おれを裕二さんのいいようにさせて、母は裕二さんからお金を引きだしてたんだ」
洸太のこんな話に、いたたまれないのか澪さんは顔を両手で覆ってしまった。
「はじめて鞭を使われたのは澪さんの考察どおり、おれが大学に入ってからだよ。よくわかんないけど当時、仕事でうまくいかないことがあるって言ってた気がする。最初は遊びのつもりだったんだろうけどだんだんエスカレートしてきて、そのうちおれに鞭を打つことでストレスを発散するようになったっていう感じで……。背中だと自分で手当できないし、これはもうダメだって……そう思って裕二さんのマンションから逃げたんだ。痛いしなんかフラフラするしで、とにかく電車に乗って逃げて、自分とは関係のない場所で降りて……気がついたらマサさんに抱えられてたんだ」
もう泣かないでと澪さんにひと言かけると、澪さんは子供みたいにワイシャツの袖で涙を拭った。
「これからは……なにも心配しなくていいよ。君は頑張ったんだから。僕たちが絶対洸太くんを守るからね」
「……ありがと」
「入るぞ」
そのとき、下の調理場にいたはずの彼が現れた。もしかして、今までの会話を聞かれていたのだろうか。
「大丈夫か」
「うん。マサさん、ただいま……」
「ああ」
ちいさく笑った洸太に、彼は真剣な面持ちで頷いた。
「クソッ、俺も一緒に行けばよかった」
「逆にいなくてよかったよ。あの場所にしょうさんがいたら、絶対警察沙汰になってたと思う。僕でさえこんななのに」
澪さんは思い出しても腹が立つと言って、自分の手のひらに拳を数回打ちつけた。
「……って、ちょっと待った。……ねえ、しょうさん。ひょっとしてこの家には布団ってコレひとつしかないの?」
「ああ、冬布団は一組だけだ。よくわかったな」
「だってこの柄、しょうさんがよく外に干してるやつじゃない! まさか君たち一緒の布団で……」
「あ、ゴメンなさい。せっかく車だったからおれの布団も持ってくればよかったね」
「いやそこじゃなくて!」
澪さんは彼のことが好きなのだから、怒って当然だと思った。それに高瀬にも大口をたたいて出てきたのだから、自分のことはきちんと自分でしなければ。
起き上がって正座をすると、まだ少しめまいがする。でもこの二人に迷惑をかけるわけにはいかないから。
「あの……澪さんもマサさんも、ご迷惑をおかけしました。とくに澪さん、今日の予定潰しちゃってごめんなさい」
「洸太くん……」
「おれ、ちゃんとここを出て行くから、心配しないで。冬布団……も、すぐに買ってくるし、ねっ。だから、もうちょっとのあいだだけ……ここにいさせてください」
洸太がそう言って頭を下げると、澪さんは少し怒った顔をして彼に下で待ってると言い残し、部屋を出ていってしまった。
「どうしよう……おれ、澪さんを怒らせちゃったかな」
「いや……怒らせたのは俺だ。アイツの言うこと聞かなかったからな」
「そうなの?」
彼はわけがわからないという表情の洸太に歩み寄ると、頭にポンと手を乗せてもう少し寝ていろと言った。
「腹が減ったら言え。夕方からはちゃんと働いてもらうからな」
「う、うん」
洸太の返事を聞いてふっとやさしく笑った彼を見て、心臓がドキリと跳ね上がる。やっぱり自分はこのひとのことが大好きなのだ。
「ちょっとアイツに怒られてくる」
彼はそう言い残して、澪さんの待つ階下へと消えてしまった。
なんとか店を無事に終え、店じまいをする彼より一足先にお風呂へ入ってから布団の上でゴロゴロしている。
いつもは自分の部屋で本を読んだり自分なりにノートをまとめたりしているのだけれど、今日はずいぶんと疲れてしまってやる気が起こらなかった。週末の大学祭に参加するのも億劫になるくらいに。
昼間、彼と澪さんの痴話喧嘩を少し聞いてしまった。と言っても意図的にではなく、彼に寝ていろと言われてから小一時間たったので、なにか口にしようと居間へ向かったときだった。
二階の部屋から階段を下りると右側はお風呂や洗濯機が置いてあるスペースで、正面は店との間のドア、左側のその先が居間になる。
なので階段を下りて左に曲がって歩きだしたとき、居間から澪さんの声が聞こえてきたのでとっさに階段の陰に隠れた。
「……だって、どうしようもないよ……好きなんだから」
「俺に言われてもな」
「わかってるよっ! 本気にされてないことくらい僕にだってわかってるっ! でも好きなんだもん、ずっとずっと好きなんだから……っ!」
「澪……」
「この歳になるとさ、都合いいときだけの相手は正直キツイよ。女じゃないし、受けるほうはホントに大変なんだから。僕だっていつまでも若くないし……将来不安にだってなるし、だからもっと確信が欲しいし……一緒にいたい……」
「……お互い承知の上だろう」
「そうだけど……しょうさんだって僕の気持ち知ってるくせに。高校の時からずっと……っ」
「澪川……」
「……ごめんなさい……こんなこと、しょうさんに言うつもりじゃなかったのに……。今日は帰る……また来るから」
「ああ」
澪さんが泣きながら玄関から出て行った音を聞いて我に返り、そのまままた二階へと戻った。ご飯なんて食べる気にもならなかった。
澪さんの辛い気持ちはよくわかる。だって洸太も彼に恋をしているから。
好きな人が他人と住んでるのって、嫌だよね。それもひとつの布団で寝てるって、変だよね。
でも洸太には澪さんが羨ましく思える。
だって、彼に抱かれているのでしょう? あの大きな腕に抱きしめられて、束の間でも幸福を与えられて。
洸太は快感を知っていても、幸福感というものは知らなかった。あんなのはただの生理現象だと考えてきたけれど、もし彼に抱いてもらえたなら自分はどうなってしまうのだろう。
そう考えたところで、身体の奥底の欲望にちいさな火が灯りかけた。
「……っ」
この劣情は誰に向かってのものだろう。彼に抱いてもらいたいのか、それとも久しぶりに高瀬の顔を見たから条件反射なのか。
少しのことくらいでこんなになってしまう自分がみじめで、また少し泣きそうになった。
「どこか痛むのか」
まだ濡れた髪をタオルで拭きながら、彼が部屋へ入ってきた。
「う……ううん。ちょっと疲れたかなって、えへへ」
もそもそと布団の中で体勢を立て直し、彼の入れるスペースを作る。
「早くお布団買わなくちゃね。やっぱり澪さんに変に思われちゃったじゃない」
「洸太」
「なに? って、わっ……!」
そのまま布団に入ると思っていた彼が唐突に洸太を抱き起こし、畳で胡座になった彼の膝の上に洸太を横向きに乗せた。
「洸太はこうするの、嫌か」
「と……突然なに言って……わかんないよ」
「じゃあこれはどうだ」
次に彼は両腕で洸太をぎゅっと抱きしめ、やさしく背中をなでてくれた。温かくて大きな、男の人の手だった。
「……嫌か?」
低い声でもう一度聞かれて、洸太は頭を横に振る。嫌なはずなどあるわけなかった。
抱きしめてくる強い腕、みっしりと筋肉の乗った厚い胸板、タバコの残り香。彼に包み込まれていることに悦びをおぼえ、彼の匂いにクラクラとしてしまう。
「じゃあ布団は買わなくていい」
「なに、それ……」
ときどき彼は不思議だ。言ってる意味がちっとも伝わってこない。
「今まで通りでいいってことだ」
「でも……狭いでしょう。マサさんおっきいし」
「洸太がちいさいからちょうどいい」
「もー、けっこう気にしてるのに……」
ぷうっとふくらませた頬を彼に指でつつかれる。ふと見上げるとなぜだか機嫌のよさげな彼と視線がぶつかって、慌てて目をそらせた。
お風呂上がりの彼が今まで以上に艶っぽく見えて、心臓が壊れてしまいそうだ。
「も、もう寝るからっ」
彼の腕と膝から抜け出し、なんともないふりで彼に背中を向けて布団に入った。本当は顔から火が出るくらい恥ずかしかったけれど。
しばらくすると彼が電気を消して布団に入ってきたので、洸太はそこで寝返りを打つふりをして、再び彼に背を向ける。
「さすがに毛布くらいは出したほうがいいんじゃないか」
「そ……だね。明日おれが干しとく」
「ああ」
「学祭が終わる週末まで暇だし、できることがあったら言ってね」
そこで彼の腕がまた背後から腰に伸びてきて、やっぱりいつものように引き寄せられてしまった。
「……洸太は宇宙少年なんだってな」
後ろから抱きしめられているので、彼の声が耳にくすぐったい。
「澪さんから聞いた?」
「少しな」
「……澪さん、おれと同じ大学だった」
「そうだな。今でも時々顔を出すみたいだが」
「きっと研究棟のほうじゃないかな。法医学教室だったら院だし。でも澪さんすごいよね」
俺にはよくわからんがと彼は答え、洸太の髪をなでてくれる。
「ねえ、マサさん」
「なんだ」
「澪さんと同じ学校だったんだよね」
前から疑問に思っていたことをぶつけてみようと思った。どうせ勝算なんてないのだし、純粋に二人のことを聞いてみたかったのだ。
「ああ、高校が同じだった」
「大学は?」
「別だ。俺はお前達みたいに頭が回らん」
「もう長いことつきあってる……んでしょう」
「もうすぐ二十年、ってとこか。考えればそうだな」
今がいちばん聞きたいことを聞くチャンスだ。洸太は少し緊張しながら、できるだけ軽い感じで言葉にした。
「澪さんにさ……初めて告白されたの、いつ?」
「何だ、澪がお前にそんなこと言ったのか」
「……うん」
彼は昔の記憶をたどっているのか、そうだなあと考え込む。
「アレは澪が入学してきて少ししてからだから、俺が高校二年の五月……いや、六月あたりじゃなかったか。あの頃はアイツも可愛かったが」
「へ……へぇ」
やっぱり本人の口から聞くとショックが大きい。結局次に聞こうと思っていたことは、言えなかった。
どうしてちゃんとつきあわないの?
彼は澪さんのどこに不満があるのだろう。洸太は経験したことがないけれど、好きな人に心が通じないまま抱かれるのも辛いことかもしれない。
それはもしかしたら、高瀬を拒みながらも受け入れてきた自分にも言えることなのかもしれなかった。誰かにそばにいて欲しいという自分勝手な願いを、身体と引きかえに叶えてきた自分にも。
昼間の澪さんとの会話を聞かれていなくたって、きっと彼は今までも監察医である澪さんから洸太に対する推測を聞いているに違いない。洸太がどんな風にこれまでを過ごしてきたのか、そしてそれを受け入れてきたのかを。
でもそれを聞いても変わらずにいてくれることがうれしかった。
「マサさんありがと……」
後ろから伸びている彼の手に、自分の指をそっと絡める。そうすると彼がその指をぎゅっとにぎり返してくれた。
この夜はそれで会話がなくなったけれど、彼の寝息を聞きながら洸太は身体いっぱいに安心を感じていた。
まだ幼い洸太がお父さんとお母さんと三人で、公園でお弁当を食べている夢だった。
お父さんと洸太の手にはお母さんが作ってくれた大きなおにぎりがあって、おいしいねと笑いながら食べていた。お母さんはそれを見てにこにこと笑っていた。
おにぎりを夢中で食べていたのが悪かったのか、気がつけばお父さんもお母さんもいなくて、公園には洸太ひとりきりだった。
それがわかった瞬間なぜだかおにぎりもお弁当もなくなっていて、洸太は泣きながらお父さんとお母さんを探す。
探し歩いているうちに辺りがどんどん暗くなって、早く家に帰らなきゃと思っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。
『洸太くん、淋しいんだろう? 先生が一緒にいてあげるよ』
『……ほんと?』
その声を信じたのが間違いだった。
『こうしてくっつくと淋しくないだろう』
わからない。その声の主に向かいあって触れられた記憶はなく、いつも背中越しの行為だったから。
抱きしめてもらった覚えもないのに、条件反射のような快感だけは植えつけられた。
『男の子だって女の子の代わりができるって、教えたよね。ほら、これを挿れると気持ちがいいだろう? 洸太のナカはとっても温かいね。先生もとっても気持ちがいいよ』
逃げなければという本能と、少し我慢すれば一緒にいてもらえるかもという思いがせめぎ合って、いつも我慢のほうをとっていた。
『これ以上大きくならなくていいよ。今のままの洸太がちょうど可愛いサイズだ。ああ、感じるとお母さんより洸太のほうがよく締めつけてくるね。洸太のナカは本当に最高だよ……。さあ、俺のこと好きって言ってごらん』
『すき……あっ、先生……』
『先生じゃない、名前で呼ぶんだ』
『あぁっ……あんっ……すきっ……ゆうじ、さん……』
そしてあの冬の日。
あの日を境にすべてが壊れた。
『人の夫を寝取るだなんて最低な子ね! そんないやらしい顔して、アンタから誘ったに決まってるでしょ! この淫乱!』
もしあのとき少しでも高瀬に抱きしめてもらっていたら、いびつな関係だとしても洸太は彼を選んだのだろうか。
『洸太はまだ中学生なのに、もう独り寝できない淫乱ちゃんだもんなぁ。俺はひとまずここから出て行くけど、とりあえず離婚はしないでいてやるよ。お前のその男好きのカラダもそうだけど、これから進学するのに金の面でも大変だろ? あの女が男の所へ行ったらすぐに連絡してこいよ。その時はたっぷりと洸太を可愛がってやるから』
真っ暗な闇の中、成長した姿の洸太は耳を塞いで懸命に走る。途中で転んでもまた起き上がって、あてもなく走り続けた。
『嫌がるんじゃねえよこの淫乱が! ケツにぶち込んでくれたら誰だっていいんだろう! そんなヤツにはお仕置きが必要なんだよ! なあに、見える場所じゃないし平気だよなあ』
ずっと淋しくて悲しくて、誰かに助けて欲しかった。すがりついた相手が悪かっただけなのだ。
しばらくすると、遠くにぼうっと明かりが見えた。やさしく灯るその明かりは温かそうだったけれど、洸太にはそこへ入っていく勇気がなかった。
いつの間にか血が滲んで痛む背中に汗をかき、その汗がまた傷へと染みていく。そんな状態にとうとう身体が悲鳴を上げ、明かりの手前で倒れ込んだ。
もう少し頑張れば、彼に出逢えたのに。
光の中を見つめると彼の横には澪さんがいて、二人で楽しそうに笑っていた。
『来るのが遅かったんだよ』
二人にそう言われた気がして、洸太の目から涙がこぼれた。
「洸太くん大丈夫? どっか痛い?」
目が覚めたら初めて来たときと同じように、彼の部屋で布団に寝かされていた。違っていたのはのぞき込んでくる顔が澪さんのものだということだった。
「目が覚めてよかったぁ……。車の中で気を失うんだもの、ビックリしちゃったよ」
澪さんは洸太の頬を両手で挟んで安堵の息をついた。
「すぐにしょうさん呼ぶからね」
「待って……いま、何時?」
「お昼の一時過ぎ」
買い物に行きたいという今日の澪さんの予定を、洸太が台なしにしてしまった。
「……ごめ……なさい。それと、あの……」
「ん?」
「澪さん、おれの……背中のこととか……知ってた?」
「うん、実はね……あの台風の日はすごい大雨だったから、父を車に乗せて僕もここまで来たんだ。最初は店の前に車をとめて中で待ってたんだけど、君の背中を見た父に呼ばれちゃって。父と一緒に君の全身を診察させてもらいました」
「ああ……だからマサさん、下着もかえたって……そういうことだったの」
「ねえ洸太くん、言いにくいかもしれないけど聞いてもいい?」
「ん……」
「アイツになにを使って背中を傷つけられたの」
「……澪さんは、なんだと思う?」
目の前のやさしい澪さんを試すわけではないけれど、監察医としての実力を見てみたかった。
「そうだね」
スッと澪さんの表情が変わる。普段とは打って変わった、冷たい氷のような表情だった。
「僕の推測では、傷から見てウィッピングの可能性が大きいと思うんだけど」
「ウィッピング……?」
「鞭で身体を打つ行為だよ。当時の新しい傷の具合から見てプレイ用の鞭なんかじゃなく、本物を使って性行為の最中に背後から打たれ続けた可能性がある。それが正しいとするとバラ鞭や一本鞭では長すぎるから、グリップから先端までの距離が短い乗馬用の……先端に広い革のついた短鞭を使用。すでに治っている傷から考察すると、ウィッピングの期間はここ一年ほど。君が大学に入ってからの行為だ」
「あたり……さすがだね」
洸太の説明なんていらないくらいに、状況まで当たっていた。
「高熱が出たのは、傷に何らかの菌が入り込んだせいだろうね。乗馬鞭をウィッピングに使うのはものすごく危険なんだよ。あれは馬の分厚い皮膚を打つために作られているものであって、人間を打つためにあるんじゃないんだから」
いつもの表情にもどった澪さんは少し泣きそうになりながら、洸太の髪をやさしくなでてくれた。
「あのね……裕二さんとの最後の夜……マサさんに逢った日のことなんだけど、おれ、はじめて裕二さんから逃げたんだ……」
「洸太くん……」
「裕二さん、小学五年生のときの塾の先生だって言ったよね」
「うん」
「おれ、そのときから裕二さんにそういうことされてた。最初は全然わからなくて怖かったけど、でもそれさえ我慢すれば一緒にいてくれるって信じて……そう思ってずっとそういうことしてたんだ」
洸太を見守る澪さんの目に、きれいな涙が浮かび上がる。
「そうしたら中学にあがるころ、裕二さんがおれのお父さんになってくれるって言って、それで母と結婚して……もう終わりだと思ってたんだ。そんなことしなくても家族になれるんだって。……でも違ったんだ。裕二さんは母じゃなく、おれに執着してたんだよ」
澪さんの涙が、寝ている洸太の頬にこぼれ落ちた。
「中学三年の冬休みに……母に裕二さんとの行為を見られちゃって……それで別居ってことになったんだ。そのとき母は裕二さんじゃなくて、おれを罵った。おれ、最低で淫乱なんだって」
「洸太く……もういい……」
「ホント淫乱かも。だって父親がわりの人に、十年近くも抱かれてきたんだよ。でも裕二さんを好きかって聞かれたら……好きなんかじゃない。ちょっと前までは好きっていう感情すらよくわからなかったけど」
でも、ここに来て彼に出逢った。それだけでも洸太の人生の収穫になるだろう。
「高校生のときがいちばんひどかったかな。大抵は裕二さんのマンションだったけど、でもいろんなところでやったよ。授業中なのに裕二さんが迎えに来てそのままホテルに連れ込まれたり、青姦できる場所に行ったり。裕二さんの仕事が休みのときには、マンションでろくに食べもせずにやりまくったこともあったし、夏休みなんてずっと服を着ないで過ごした。少しでも逆らうとヘンな拘束具つけられてそのまま放置されたこともあったから、なんでも言うこと聞いた。媚薬っていうの? あれを使われて欲しくてたまらないのに、ずっと立たされたまま胸や下半身を舐め回されるだけで終わったりして……。裕二さんって変態だよね。……でもね、この話がひどいのは……母がこれを承知してたことだよ。おれを裕二さんのいいようにさせて、母は裕二さんからお金を引きだしてたんだ」
洸太のこんな話に、いたたまれないのか澪さんは顔を両手で覆ってしまった。
「はじめて鞭を使われたのは澪さんの考察どおり、おれが大学に入ってからだよ。よくわかんないけど当時、仕事でうまくいかないことがあるって言ってた気がする。最初は遊びのつもりだったんだろうけどだんだんエスカレートしてきて、そのうちおれに鞭を打つことでストレスを発散するようになったっていう感じで……。背中だと自分で手当できないし、これはもうダメだって……そう思って裕二さんのマンションから逃げたんだ。痛いしなんかフラフラするしで、とにかく電車に乗って逃げて、自分とは関係のない場所で降りて……気がついたらマサさんに抱えられてたんだ」
もう泣かないでと澪さんにひと言かけると、澪さんは子供みたいにワイシャツの袖で涙を拭った。
「これからは……なにも心配しなくていいよ。君は頑張ったんだから。僕たちが絶対洸太くんを守るからね」
「……ありがと」
「入るぞ」
そのとき、下の調理場にいたはずの彼が現れた。もしかして、今までの会話を聞かれていたのだろうか。
「大丈夫か」
「うん。マサさん、ただいま……」
「ああ」
ちいさく笑った洸太に、彼は真剣な面持ちで頷いた。
「クソッ、俺も一緒に行けばよかった」
「逆にいなくてよかったよ。あの場所にしょうさんがいたら、絶対警察沙汰になってたと思う。僕でさえこんななのに」
澪さんは思い出しても腹が立つと言って、自分の手のひらに拳を数回打ちつけた。
「……って、ちょっと待った。……ねえ、しょうさん。ひょっとしてこの家には布団ってコレひとつしかないの?」
「ああ、冬布団は一組だけだ。よくわかったな」
「だってこの柄、しょうさんがよく外に干してるやつじゃない! まさか君たち一緒の布団で……」
「あ、ゴメンなさい。せっかく車だったからおれの布団も持ってくればよかったね」
「いやそこじゃなくて!」
澪さんは彼のことが好きなのだから、怒って当然だと思った。それに高瀬にも大口をたたいて出てきたのだから、自分のことはきちんと自分でしなければ。
起き上がって正座をすると、まだ少しめまいがする。でもこの二人に迷惑をかけるわけにはいかないから。
「あの……澪さんもマサさんも、ご迷惑をおかけしました。とくに澪さん、今日の予定潰しちゃってごめんなさい」
「洸太くん……」
「おれ、ちゃんとここを出て行くから、心配しないで。冬布団……も、すぐに買ってくるし、ねっ。だから、もうちょっとのあいだだけ……ここにいさせてください」
洸太がそう言って頭を下げると、澪さんは少し怒った顔をして彼に下で待ってると言い残し、部屋を出ていってしまった。
「どうしよう……おれ、澪さんを怒らせちゃったかな」
「いや……怒らせたのは俺だ。アイツの言うこと聞かなかったからな」
「そうなの?」
彼はわけがわからないという表情の洸太に歩み寄ると、頭にポンと手を乗せてもう少し寝ていろと言った。
「腹が減ったら言え。夕方からはちゃんと働いてもらうからな」
「う、うん」
洸太の返事を聞いてふっとやさしく笑った彼を見て、心臓がドキリと跳ね上がる。やっぱり自分はこのひとのことが大好きなのだ。
「ちょっとアイツに怒られてくる」
彼はそう言い残して、澪さんの待つ階下へと消えてしまった。
なんとか店を無事に終え、店じまいをする彼より一足先にお風呂へ入ってから布団の上でゴロゴロしている。
いつもは自分の部屋で本を読んだり自分なりにノートをまとめたりしているのだけれど、今日はずいぶんと疲れてしまってやる気が起こらなかった。週末の大学祭に参加するのも億劫になるくらいに。
昼間、彼と澪さんの痴話喧嘩を少し聞いてしまった。と言っても意図的にではなく、彼に寝ていろと言われてから小一時間たったので、なにか口にしようと居間へ向かったときだった。
二階の部屋から階段を下りると右側はお風呂や洗濯機が置いてあるスペースで、正面は店との間のドア、左側のその先が居間になる。
なので階段を下りて左に曲がって歩きだしたとき、居間から澪さんの声が聞こえてきたのでとっさに階段の陰に隠れた。
「……だって、どうしようもないよ……好きなんだから」
「俺に言われてもな」
「わかってるよっ! 本気にされてないことくらい僕にだってわかってるっ! でも好きなんだもん、ずっとずっと好きなんだから……っ!」
「澪……」
「この歳になるとさ、都合いいときだけの相手は正直キツイよ。女じゃないし、受けるほうはホントに大変なんだから。僕だっていつまでも若くないし……将来不安にだってなるし、だからもっと確信が欲しいし……一緒にいたい……」
「……お互い承知の上だろう」
「そうだけど……しょうさんだって僕の気持ち知ってるくせに。高校の時からずっと……っ」
「澪川……」
「……ごめんなさい……こんなこと、しょうさんに言うつもりじゃなかったのに……。今日は帰る……また来るから」
「ああ」
澪さんが泣きながら玄関から出て行った音を聞いて我に返り、そのまままた二階へと戻った。ご飯なんて食べる気にもならなかった。
澪さんの辛い気持ちはよくわかる。だって洸太も彼に恋をしているから。
好きな人が他人と住んでるのって、嫌だよね。それもひとつの布団で寝てるって、変だよね。
でも洸太には澪さんが羨ましく思える。
だって、彼に抱かれているのでしょう? あの大きな腕に抱きしめられて、束の間でも幸福を与えられて。
洸太は快感を知っていても、幸福感というものは知らなかった。あんなのはただの生理現象だと考えてきたけれど、もし彼に抱いてもらえたなら自分はどうなってしまうのだろう。
そう考えたところで、身体の奥底の欲望にちいさな火が灯りかけた。
「……っ」
この劣情は誰に向かってのものだろう。彼に抱いてもらいたいのか、それとも久しぶりに高瀬の顔を見たから条件反射なのか。
少しのことくらいでこんなになってしまう自分がみじめで、また少し泣きそうになった。
「どこか痛むのか」
まだ濡れた髪をタオルで拭きながら、彼が部屋へ入ってきた。
「う……ううん。ちょっと疲れたかなって、えへへ」
もそもそと布団の中で体勢を立て直し、彼の入れるスペースを作る。
「早くお布団買わなくちゃね。やっぱり澪さんに変に思われちゃったじゃない」
「洸太」
「なに? って、わっ……!」
そのまま布団に入ると思っていた彼が唐突に洸太を抱き起こし、畳で胡座になった彼の膝の上に洸太を横向きに乗せた。
「洸太はこうするの、嫌か」
「と……突然なに言って……わかんないよ」
「じゃあこれはどうだ」
次に彼は両腕で洸太をぎゅっと抱きしめ、やさしく背中をなでてくれた。温かくて大きな、男の人の手だった。
「……嫌か?」
低い声でもう一度聞かれて、洸太は頭を横に振る。嫌なはずなどあるわけなかった。
抱きしめてくる強い腕、みっしりと筋肉の乗った厚い胸板、タバコの残り香。彼に包み込まれていることに悦びをおぼえ、彼の匂いにクラクラとしてしまう。
「じゃあ布団は買わなくていい」
「なに、それ……」
ときどき彼は不思議だ。言ってる意味がちっとも伝わってこない。
「今まで通りでいいってことだ」
「でも……狭いでしょう。マサさんおっきいし」
「洸太がちいさいからちょうどいい」
「もー、けっこう気にしてるのに……」
ぷうっとふくらませた頬を彼に指でつつかれる。ふと見上げるとなぜだか機嫌のよさげな彼と視線がぶつかって、慌てて目をそらせた。
お風呂上がりの彼が今まで以上に艶っぽく見えて、心臓が壊れてしまいそうだ。
「も、もう寝るからっ」
彼の腕と膝から抜け出し、なんともないふりで彼に背中を向けて布団に入った。本当は顔から火が出るくらい恥ずかしかったけれど。
しばらくすると彼が電気を消して布団に入ってきたので、洸太はそこで寝返りを打つふりをして、再び彼に背を向ける。
「さすがに毛布くらいは出したほうがいいんじゃないか」
「そ……だね。明日おれが干しとく」
「ああ」
「学祭が終わる週末まで暇だし、できることがあったら言ってね」
そこで彼の腕がまた背後から腰に伸びてきて、やっぱりいつものように引き寄せられてしまった。
「……洸太は宇宙少年なんだってな」
後ろから抱きしめられているので、彼の声が耳にくすぐったい。
「澪さんから聞いた?」
「少しな」
「……澪さん、おれと同じ大学だった」
「そうだな。今でも時々顔を出すみたいだが」
「きっと研究棟のほうじゃないかな。法医学教室だったら院だし。でも澪さんすごいよね」
俺にはよくわからんがと彼は答え、洸太の髪をなでてくれる。
「ねえ、マサさん」
「なんだ」
「澪さんと同じ学校だったんだよね」
前から疑問に思っていたことをぶつけてみようと思った。どうせ勝算なんてないのだし、純粋に二人のことを聞いてみたかったのだ。
「ああ、高校が同じだった」
「大学は?」
「別だ。俺はお前達みたいに頭が回らん」
「もう長いことつきあってる……んでしょう」
「もうすぐ二十年、ってとこか。考えればそうだな」
今がいちばん聞きたいことを聞くチャンスだ。洸太は少し緊張しながら、できるだけ軽い感じで言葉にした。
「澪さんにさ……初めて告白されたの、いつ?」
「何だ、澪がお前にそんなこと言ったのか」
「……うん」
彼は昔の記憶をたどっているのか、そうだなあと考え込む。
「アレは澪が入学してきて少ししてからだから、俺が高校二年の五月……いや、六月あたりじゃなかったか。あの頃はアイツも可愛かったが」
「へ……へぇ」
やっぱり本人の口から聞くとショックが大きい。結局次に聞こうと思っていたことは、言えなかった。
どうしてちゃんとつきあわないの?
彼は澪さんのどこに不満があるのだろう。洸太は経験したことがないけれど、好きな人に心が通じないまま抱かれるのも辛いことかもしれない。
それはもしかしたら、高瀬を拒みながらも受け入れてきた自分にも言えることなのかもしれなかった。誰かにそばにいて欲しいという自分勝手な願いを、身体と引きかえに叶えてきた自分にも。
昼間の澪さんとの会話を聞かれていなくたって、きっと彼は今までも監察医である澪さんから洸太に対する推測を聞いているに違いない。洸太がどんな風にこれまでを過ごしてきたのか、そしてそれを受け入れてきたのかを。
でもそれを聞いても変わらずにいてくれることがうれしかった。
「マサさんありがと……」
後ろから伸びている彼の手に、自分の指をそっと絡める。そうすると彼がその指をぎゅっとにぎり返してくれた。
この夜はそれで会話がなくなったけれど、彼の寝息を聞きながら洸太は身体いっぱいに安心を感じていた。
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