17 / 96
大エレヅ帝国編
拝啓、愛しい貴方へ
しおりを挟む
私の知らぬ間に皇子様が出掛けて、幾日経ったか。
「まだ、お帰りにならないのですか」
清廉なお城。
水流の音に涼みながら、テラスでお茶を頂く。この国特産の茶葉は私の好みに合わなかったから、趣向に合う物を他国から取り寄せた。カップを口元に寄せると香る甘さに顔が綻ぶ。
「皇子はお忙しい方でいらっしゃいますから……。ですが、じきにお戻りになられますよ。何と言っても星詠みさまがいらっしゃるのですもの」
「私に、呆れていらっしゃるのかしら。私が詠えないばかりに……」
「何をおっしゃいますやら。星詠みさまは慣れぬ世界で緊張していらっしゃるのです。ご心配せずとも、いずれ詠えるようになられますよ」
「……そうよね。ありがとう、ミーヌ」
一番に私の世話を焼いてくれるミーヌは、皇子の乳母らしい。私を優しい言葉で甘やかしてくれる彼女。そのおおらかさが心地良かった。
紅茶を一口、それから切り分けてもらった焼き菓子も一口。うん、美味しい。次は元の世界の物でも焼いてもらおうかしら。皇子と二人で分けて、将来の話をするの。
(早く逢いたい。早く、帰って来て)
愛しい人。私の人生を完璧にしてくれる人。
早くここに来て、私の不安を取り払って欲しい。心配しなくとも、じきに星詠みの役目を果たせるようになると言って欲しい。
それをこなして、ゆくゆくはこの国の皇妃となる。
(本物になれる)
私は選ばれたのだから。
薔薇色の未来に、そっと微笑んだ。
✳︎✴︎✳︎
ーー焚き火の弾ける音がする。薄っすらと目蓋を開くと、隣で眠るウラヌスが目に入った。
(火の番、代わったんだ……)
いつも精悍な顔が、今はあどけなく緩んでいる。無性に可愛く感じて、ひっそり口角を吊り上げた。
(いつもありがとう。あなたのおかげでわたし、この世界で生きてる)
初めて出逢ったのは帝都のお城の外。逃げ出したばかりで怯えるわたしに優しくしてくれた。それからエステレアまで一緒に行ってくれることになって、村やバディオン、ズェリーザ廃坑に渓谷と旅を続けている。
彼らがいなければわたしはあの日、すぐに連れ戻されていたかもしれない。
(おやすみ、ウラヌス…)
わたしが眠る前にも交わした言葉をもう一度、心の中で告げて目蓋を閉じようとした。その時、彼の胸元に小さな紙が落ちているのに気付く。
わたしはそれを、深く考えずに手に取った。
何だろうって。まだ半分微睡みの中にいたわたしは渓谷に入る前の事を忘れて。何気なく見たそれの折り畳まれた内側、そこに見知った文字を見つける。
(えーー)
つい、開いてしまった。記されていたのは懐かしい文字。
<拝啓、愛しい貴方へ>。
元の世界の言語が、並んでいた。
(なに? え……?)
その下の文字は読めない。この世界の言語だ。
手が、震える。どうしてこの文字が記されているの。どうしてウラヌスがその手紙を持っているの。
混乱の中わたしは、掻き集めた理性でなんとか手紙を彼の懐に差し込む。起こさないよう慎重に、慎重に。それから寝返って、シーツを深く被った。
(拝啓、愛しい貴方へ)
愛しい、貴方へーー。
一粒、勝手に眦から滴がこぼれて、頬を伝った。
自分で何の涙なのか分からなくて、いっそう混乱する。ただ、誰かがウラヌスにこの言葉を贈った、そう思うと胸が締め付けられるようだった。
『おれは恋なんてしたことはないよ』
あんな事を言っていた癖に。そりゃそうだ、ウラヌスを周りの女の子達が放っておくはずない。
わたしの知らない所で、ウラヌスがわたしにしてくれるみたいに女の子に優しくする。女の子と過ごす。今まで考えもしなかった彼の<人生>。
わたしの知らない顔の姿が、そこにはある。
わたしはそこに入れない。だってこの旅はエステレアからの迎えと合流すれば終わるもの。ウラヌスとオージェと過ごす時間は有限だ。
(……早く、皇子様に会いたい)
これ以上ウラヌスに執着しないために。
ちゃんとお別れが出来る内に。身の程知らずな主張を彼に、ぶつけてしまわない内にーー。
(ウラヌス)
何度も彼との思い出を反芻しながら、いつの間にか眠っていたわたしは、また夢を見た。
燃え盛る炎、吹き荒ぶ風、押し寄せる水、鳴り響く雷……厄災の中をたくさんの人々が逃げ惑っている。人種も性別も年齢も様々な人達が街を、野を、森を川を。安全な所なんて何処にもない。そんな様子で。
人々の足元には事切れた者達が横たわる。でも走っている人々も次々と彼らに続いていった。
まるで終末。
そうして駆ける者の全てが過ぎ去った後、次に現れたのはーー争う人々だった。
「じゃあな! ここまで来ればあと少しだ。気を付けて越えろよ」
バウシュカが手を振る。渓谷の終わりも見えてきた頃、わたし達は勇壮なる剣と別れた。彼らにはまだアザー討伐の任務が残っている。大剣を手に去って行く背中を少し眺めて、わたし達もまた目的地を目指して歩き出した。
「ここさえ越えたらゾビアは目の前。もーちょっとだから頑張ろうね、エイコ」
「うん。わたしは大丈夫」
「ほんと? 疲れたらさぁ、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」
「ありがとう、オージェ」
何となくウラヌスの隣を歩くのが気まずくて、オージェの少し後ろを行く。でもそうしていると、突然ウラヌスが傍に来てわたしの手を取った。
「な、なに…?」
「愛想で言っているんじゃない。本当に何でも、言っておくれ」
「え……、ど、どうしたの? 突然。…大丈夫、何かあったらちゃんと言うよ」
「……約束だ」
彼があまりに真剣で、思わず頷く。
今、そんなに深刻な話だったかな。ひとまず手を引こうとしたら、予想外に強く握り込まれて離れなかった。
戸惑うままにウラヌスを見上げる。
わたしを探るような、そんな眼差しに居心地の悪さを覚えて。
助けを求めてオージェを見る。そうしたら彼も、ウラヌスと同じ目でわたしを見ていた。
「まだ、お帰りにならないのですか」
清廉なお城。
水流の音に涼みながら、テラスでお茶を頂く。この国特産の茶葉は私の好みに合わなかったから、趣向に合う物を他国から取り寄せた。カップを口元に寄せると香る甘さに顔が綻ぶ。
「皇子はお忙しい方でいらっしゃいますから……。ですが、じきにお戻りになられますよ。何と言っても星詠みさまがいらっしゃるのですもの」
「私に、呆れていらっしゃるのかしら。私が詠えないばかりに……」
「何をおっしゃいますやら。星詠みさまは慣れぬ世界で緊張していらっしゃるのです。ご心配せずとも、いずれ詠えるようになられますよ」
「……そうよね。ありがとう、ミーヌ」
一番に私の世話を焼いてくれるミーヌは、皇子の乳母らしい。私を優しい言葉で甘やかしてくれる彼女。そのおおらかさが心地良かった。
紅茶を一口、それから切り分けてもらった焼き菓子も一口。うん、美味しい。次は元の世界の物でも焼いてもらおうかしら。皇子と二人で分けて、将来の話をするの。
(早く逢いたい。早く、帰って来て)
愛しい人。私の人生を完璧にしてくれる人。
早くここに来て、私の不安を取り払って欲しい。心配しなくとも、じきに星詠みの役目を果たせるようになると言って欲しい。
それをこなして、ゆくゆくはこの国の皇妃となる。
(本物になれる)
私は選ばれたのだから。
薔薇色の未来に、そっと微笑んだ。
✳︎✴︎✳︎
ーー焚き火の弾ける音がする。薄っすらと目蓋を開くと、隣で眠るウラヌスが目に入った。
(火の番、代わったんだ……)
いつも精悍な顔が、今はあどけなく緩んでいる。無性に可愛く感じて、ひっそり口角を吊り上げた。
(いつもありがとう。あなたのおかげでわたし、この世界で生きてる)
初めて出逢ったのは帝都のお城の外。逃げ出したばかりで怯えるわたしに優しくしてくれた。それからエステレアまで一緒に行ってくれることになって、村やバディオン、ズェリーザ廃坑に渓谷と旅を続けている。
彼らがいなければわたしはあの日、すぐに連れ戻されていたかもしれない。
(おやすみ、ウラヌス…)
わたしが眠る前にも交わした言葉をもう一度、心の中で告げて目蓋を閉じようとした。その時、彼の胸元に小さな紙が落ちているのに気付く。
わたしはそれを、深く考えずに手に取った。
何だろうって。まだ半分微睡みの中にいたわたしは渓谷に入る前の事を忘れて。何気なく見たそれの折り畳まれた内側、そこに見知った文字を見つける。
(えーー)
つい、開いてしまった。記されていたのは懐かしい文字。
<拝啓、愛しい貴方へ>。
元の世界の言語が、並んでいた。
(なに? え……?)
その下の文字は読めない。この世界の言語だ。
手が、震える。どうしてこの文字が記されているの。どうしてウラヌスがその手紙を持っているの。
混乱の中わたしは、掻き集めた理性でなんとか手紙を彼の懐に差し込む。起こさないよう慎重に、慎重に。それから寝返って、シーツを深く被った。
(拝啓、愛しい貴方へ)
愛しい、貴方へーー。
一粒、勝手に眦から滴がこぼれて、頬を伝った。
自分で何の涙なのか分からなくて、いっそう混乱する。ただ、誰かがウラヌスにこの言葉を贈った、そう思うと胸が締め付けられるようだった。
『おれは恋なんてしたことはないよ』
あんな事を言っていた癖に。そりゃそうだ、ウラヌスを周りの女の子達が放っておくはずない。
わたしの知らない所で、ウラヌスがわたしにしてくれるみたいに女の子に優しくする。女の子と過ごす。今まで考えもしなかった彼の<人生>。
わたしの知らない顔の姿が、そこにはある。
わたしはそこに入れない。だってこの旅はエステレアからの迎えと合流すれば終わるもの。ウラヌスとオージェと過ごす時間は有限だ。
(……早く、皇子様に会いたい)
これ以上ウラヌスに執着しないために。
ちゃんとお別れが出来る内に。身の程知らずな主張を彼に、ぶつけてしまわない内にーー。
(ウラヌス)
何度も彼との思い出を反芻しながら、いつの間にか眠っていたわたしは、また夢を見た。
燃え盛る炎、吹き荒ぶ風、押し寄せる水、鳴り響く雷……厄災の中をたくさんの人々が逃げ惑っている。人種も性別も年齢も様々な人達が街を、野を、森を川を。安全な所なんて何処にもない。そんな様子で。
人々の足元には事切れた者達が横たわる。でも走っている人々も次々と彼らに続いていった。
まるで終末。
そうして駆ける者の全てが過ぎ去った後、次に現れたのはーー争う人々だった。
「じゃあな! ここまで来ればあと少しだ。気を付けて越えろよ」
バウシュカが手を振る。渓谷の終わりも見えてきた頃、わたし達は勇壮なる剣と別れた。彼らにはまだアザー討伐の任務が残っている。大剣を手に去って行く背中を少し眺めて、わたし達もまた目的地を目指して歩き出した。
「ここさえ越えたらゾビアは目の前。もーちょっとだから頑張ろうね、エイコ」
「うん。わたしは大丈夫」
「ほんと? 疲れたらさぁ、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」
「ありがとう、オージェ」
何となくウラヌスの隣を歩くのが気まずくて、オージェの少し後ろを行く。でもそうしていると、突然ウラヌスが傍に来てわたしの手を取った。
「な、なに…?」
「愛想で言っているんじゃない。本当に何でも、言っておくれ」
「え……、ど、どうしたの? 突然。…大丈夫、何かあったらちゃんと言うよ」
「……約束だ」
彼があまりに真剣で、思わず頷く。
今、そんなに深刻な話だったかな。ひとまず手を引こうとしたら、予想外に強く握り込まれて離れなかった。
戸惑うままにウラヌスを見上げる。
わたしを探るような、そんな眼差しに居心地の悪さを覚えて。
助けを求めてオージェを見る。そうしたら彼も、ウラヌスと同じ目でわたしを見ていた。
1
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
【完結】さようならと言うしかなかった。
ユユ
恋愛
卒業の1ヶ月後、デビュー後に親友が豹変した。
既成事実を経て婚約した。
ずっと愛していたと言った彼は
別の令嬢とも寝てしまった。
その令嬢は彼の子を孕ってしまった。
友人兼 婚約者兼 恋人を失った私は
隣国の伯母を訪ねることに…
*作り話です
敗戦して嫁ぎましたが、存在を忘れ去られてしまったので自給自足で頑張ります!
桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。
※※※※※※※※※※※※※
魔族 vs 人間。
冷戦を経ながらくすぶり続けた長い戦いは、人間側の敗戦に近い状況で、ついに終止符が打たれた。
名ばかりの王族リュシェラは、和平の証として、魔王イヴァシグスに第7王妃として嫁ぐ事になる。だけど、嫁いだ夫には魔人の妻との間に、すでに皇子も皇女も何人も居るのだ。
人間のリュシェラが、ここで王妃として求められる事は何もない。和平とは名ばかりの、敗戦国の隷妃として、リュシェラはただ静かに命が潰えていくのを待つばかり……なんて、殊勝な性格でもなく、与えられた宮でのんびり自給自足の生活を楽しんでいく。
そんなリュシェラには、実は誰にも言えない秘密があった。
※※※※※※※※※※※※※
短編は難しいな…と痛感したので、慣れた文字数、文体で書いてみました。
お付き合い頂けたら嬉しいです!
今世ではあなたと結婚なんてお断りです!
水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。
正確には、夫とその愛人である私の親友に。
夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。
もう二度とあんな目に遭いたくない。
今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。
あなたの人生なんて知ったことではないけれど、
破滅するまで見守ってさしあげますわ!
どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら
風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」
伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。
男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。
それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。
何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。
そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。
学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに!
これで死なずにすむのでは!?
ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ――
あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?
殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。
和泉鷹央
恋愛
雪国の祖国を冬の猛威から守るために、聖女カトリーナは病床にふせっていた。
女神様の結界を張り、国を温暖な気候にするためには何か犠牲がいる。
聖女の健康が、その犠牲となっていた。
そんな生活をして十年近く。
カトリーナの許嫁にして幼馴染の王太子ルディは婚約破棄をしたいと言い出した。
その理由はカトリーナを救うためだという。
だが本当はもう一人の幼馴染、フレンヌを王妃に迎えるために、彼らが仕組んだ計略だった――。
他の投稿サイトでも投稿しています。
悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!
ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」
特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18)
最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。
そしてカルミアの口が動く。
「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」
オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。
「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」
この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。
とある令嬢の勘違いに巻き込まれて、想いを寄せていた子息と婚約を解消することになったのですが、そこにも勘違いが潜んでいたようです
珠宮さくら
恋愛
ジュリア・レオミュールは、想いを寄せている子息と婚約したことを両親に聞いたはずが、その子息と婚約したと触れ回っている令嬢がいて混乱することになった。
令嬢の勘違いだと誰もが思っていたが、その勘違いの始まりが最近ではなかったことに気づいたのは、ジュリアだけだった。
王太子殿下の子を授かりましたが隠していました
しゃーりん
恋愛
夫を亡くしたディアンヌは王太子殿下の閨指導係に選ばれ、関係を持った結果、妊娠した。
しかし、それを隠したまますぐに次の結婚をしたため、再婚夫の子供だと認識されていた。
それから10年、王太子殿下は隣国王女と結婚して娘が一人いた。
その王女殿下の8歳の誕生日パーティーで誰もが驚いた。
ディアンヌの息子が王太子殿下にそっくりだったから。
王女しかいない状況で見つかった王太子殿下の隠し子が後継者に望まれるというお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる