星聖エステレア皇国

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大エレヅ帝国編

二人の剣士

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 この世界に呼び出されからいい事が一つもなかった。辛い事ばかりだった。
 このままわたしは飼い殺しにされて、良いように利用されて、死んでいくのかもしれないと思っていた。
 でも、そんな絶望の中にいたわたしを助けてくれた女の子がいた。その事実がわたしにまだ生きたいっていう活力を与えてくれる。だから勇気を振り絞ってお城の塀を飛び降りたわたし。
 だけど特に運動神経が良い訳じゃないから強かに身体を打ち付けてしまって。痛みに丸まっていたら誰かの足音が近寄って来た。

(しまった! お城の人だったらどうしよう…!!)

 自分のとろくささに嫌気がしながら飛び起きる。そうしたら、二人の男の人がわたしを目掛けて駆け寄って来た。

「ひっ……!」

 知らない姿が怖くて両腕を胸に抱いて縮こまる。無意識に後退ったようで、背中が壁に激突して呻き声が漏れた。

「君、大丈夫か!? 落ちた音がしたが…!」

 よく通る、でも優しい声が紡いだ言葉が耳に残る。

(あれ…? わたしを捕まえに来たんじゃ、ないの)

 混乱してばかりの頭だったけれど、わたしを心配してくれる言葉はちゃんと拾えた。
 少し待ってみても飛んでこない怒声や嘲り。だからおそるおそる瞑っていた目蓋を開いてみる。
 まず、白が一面に見えた。それから差し色の青。昼間の空みたいな青と、夜みたいな深い藍。そして星の光みたいな銀色。清爽な印象を受ける服だと思った。

「怯えているのか? 大丈夫……何もしないさ」

 わたしを労る声だけが降ってくる、から。そっと顔を上げてみた。そうすると、星の煌めきで染めたような白銀髪の人がわたしを覗き込んでいて。長い睫毛の下、天穹を閉じ込めた瞳が柔らかく緩んだ。

(綺麗な青……)

 優しくて、温かい。大丈夫だよって言われていると感じられた。

「背を痛めたんだろう。見せてごらん。治してあげるから」

 晴れ渡る空に見惚れていたわたしは、彼が続けた言葉にようやく我に返る。
 大きな手が伸びてきて反射的に肩を震わせてしまった。それを見て彼は手を止めて……そっと手のひらを見せた。

「大丈夫だ。痛いのを治すだけ……悪いようにはしないから」
「……」
「怖がらなくて良い。信じてくれ」

 穏やかな口調。それからわたしの許しを得るように緩く傾けられた頭。

(大丈夫、この人は違う。あの人達とは全然違う。だから大丈夫、大丈夫……)

 懸命に自分に言い聞かせて何度も浅い呼吸を繰り返す。まともな反応を返さないわたしに、焦れることなく待ってくれる彼に、おずおずと背を差し出した。

「いい子だな…」
 
 まるで動物か幼い子に向けるみたいな声色だ。でも今のわたしはそれだけ情けない姿を晒してしまっているんだ。
 彼が少しだけ動いた気配を感じると、治療士とやらが放ったのと同じ光がわたしを包んで。打ち付けた痛みがあっという間に消えてしまった。

「よく頑張ってくれた。もうどこも痛くないだろう?」
「……は、はい。あの、あ、ありがとう…ございました」
「当然のことをしたまでさ。何があったか知らないが、次からは気を付けるといい。世の中は善人ばかりじゃない」
「はい。すみませ……」
「ちょいちょいちょーっとごめん! さっきからオレの存在消さないで~」

 突然割り入ってきた第三の声にハッと視線を滑らせる。怪我を癒してくれた人の向こう、少し離れた所にもう一人、浅葱色の頭の人がいた。
 思い返してみれば駆けて来ていたのは二人だった。でもちゃんと見た時には一人しかいなくて。緊張しながら様子をうかがうわたしにもう一人の男の人は懐っこい笑みを浮かべる。

「さっきはびっくりさせてぇ、ごめんね。いきなり野郎が二人も迫って来たら怖かったよね~」

 ……もしかして、わざと離れた場所にいてくれたのかな。

「あいつの言う通りだ。怖がらせてすまなかったな。近くを歩いていたら音がしたものだから、何かあったのかと飛び出してしまった」
「でもさ、こんな子鹿ちゃんみたいな女の子が困ってたんだったら来て良かったよ、ね!」
「……本当にありがとうございました。わたしこそ、失礼でした。すみません」

 こんなに良い人達だったのに失礼な態度を取ってしまった。申し訳なくて頭を下げると二人は<気にしなくて良い>と言ってくれる。
 罵られないし、話が通じる。しかも助けてくれた。
 ここに来て傷付いてばかりだった心がまた少し癒されて、落ち着きを取り戻す。それを向こうも感じ取ったのか、腫れ物を扱うようだった空気が少し変わった。

「じゃあな」

 だけど、だからこそ白銀髪の人は軽く手を振って去ろうとする。
 それを見て、再びサッと不安がわたしを支配した。
 行ってしまう。彼等がいなくなればわたしは今度こそ、この世界で独りきり。独りで生きていかなきゃならないんだ。それはとても恐くて、けれど。

『エステレアの皇子殿下のもとを目指すのです。きっと貴女を探しておられる!』

 わたしを助けてくれた女の子に言われた事。
 誰かがわたしを探している。その人のもとへ行けば、この不安がなくなるのかもしれない。良い未来が待っているのかもしれない。
 孤独の中で、それは今のわたしを支えてくれた。
 咄嗟に彼の腕に縋る。驚いた顔がわたしを見下ろして。変に思われたかな、とか心配になったけれど。それよりもこのチャンスを逃してどうするんだって気持ちが上回った。

「あ、あの…! エステレアって、どこにあるんですか!?」

 なけなしの勇気を振り絞って問うた。
 唐突だったからか、二人は目を見合わせた後、白銀髪の人がわたしの手を振り払うことなく反応してくれた。

「エステレアに行きたいのか?」
「そう、そうです」
「エステレアは~、海を挟んだ先の隣国だよ。何かあるの?」

 浅葱色の髪の人も近付いて来る。もう怖くはなかったけれど、ただ、彼の問いに対する上手い言葉が咄嗟に見つからない。

「小鹿ちゃん、エステレア人……って感じでもないよね」
「……て、帝都に行きたいんです!」

 早く答えなきゃ不審に思われる。焦りながら絞り出した言葉だった。
 でも、これが墓穴を掘ってしまう。二人は少しの間の後、言葉を選んでいる様子で言った。

「エステレアにあるのは、皇都だ」
(しまった…!!)

 ここが大エレヅ帝国と呼ばれていたから、ついエステレアも帝国だと勘違いしていた。きっとこの世界の常識に照らせばあり得ない無知だ。
 さっきまで安心出来ていたはずの二人の眼差しが、急に怖くなる。絶対に怪しまれた。ひょっとしたら、不審者だって兵士に突き出されてしまうかもしれない。

「あ……わ、わたし、無知で……」

 そろりと手を離し、後退る。また背中が壁に密着した。わたしの様子が逆戻りしたからか、白銀髪の人は慌ててまた笑みを浮かべた。

「ああ、すまない。責めている訳じゃない。……だが、皇都を知らないのに何故行きたいんだ? せっかく会った縁だ。それくらい訊いても良いかい」
「それはっ……」

 エステレアの皇子殿下のもとをーー。

「会いたい人が、いるからです」

 これは本当のことだ。でも皇子様に会いたいなんて言ったら、確実にもっと怪しまれると思ったからそれ以上は言えなと感じた。

「エステレアの皇都に……そうか……。失礼だが、見たところ君はこの帝都の救済地区(サラーサ)民のようだがーーー」
「サラーサ……?」
「……違うのか。どこの出身だ?」
「……!」

 不味い。どうしてそんな事を訊くんだろう。エステレアとエレヅ以外の言葉なんて何も知らない。あと知っているとすれば、星詠みっていうものだけ。でもこれは絶対に地名じゃない。

「……き、記憶がないん、です」
「まじー!? 記憶喪失なの! それで、エステレアの会いたい人の事だけ覚えてる感じ?」
「ううん、会いたい人が、いたような…それだけ……」

 なんて行き当たりばったりな嘘なんだろう。自分でそう思うけれど、わたしの頭じゃ上手い理由が思いつかない。
 また顔を見合わせた二人に、お腹の前で思わず両手を組む。不安な時はこうすると何とか立っていられる。

「小鹿ちゃんさ、服は痛んでるのに身体は全然汚れてないよね。手ぇ見せもらっても、い?」
「は、はい」
「……綺麗だね」

 探るような眼差しがわたしを覗く。その瞳を見ているも、本当はわたしの嘘なんて全部バレてるんじゃないかって気持ちになった。
 そろそろと手を引っ込めるわたしに今度は白銀髪の人が問い掛けてきた。

「最後の記憶があるのはいつだ?」
「……な、ないです。気付いたらここに……」
「ここにねぇ……」

 浅葱色の髪の人の、含みのある声。その言葉に周囲を見渡すと、随分と景観が整っていることにようやく気付く。ごみ一つない舗装された道、丁寧に世話されているのがうかがえる街路樹や花、点々と建ち並ぶクラシックな洋館。
 まるで……まるで異国の貴族が住んでいそうな。
 でも人気はない。

「人がいない……」
「知らないのか。アザーの暴走が起きたらしい。アザーは分かるか?」
「分かりません……」
「人とは別種の、人を襲う生き物だ。警戒線を引いているから通常街には入って来ないが、今回は規模が大きいらしくてな……貴族はもちろん、皇族まで出陣したのさ。残った貴族は屋敷にでも籠っているんだろう。それで、提案なんだが」

 白銀髪の人が話を区切る。彼の形の良い唇から次に飛び出した言葉に、混乱してばかりだったわたしはさらに驚くことになる。

「しばらく一緒にいないか。おれ達はエステレア人だ。所用でしばらくエレヅに留まらなければならないが……エステレアの知り合いに君の迎えを頼もう」

 エステレア人、まさか二人が……。
 関係あるのかは分からないけど、確かにお城にいた人達とは全然色が違う。

「いいの……?」
「困ってる女の子一人、ほっとけないっしょ」
「それが良い。良し、決まりだな!」

 まだ答えていないけれど、待たずして二人は話を決めてしまった。でもその強引さは多分優しさからくるもので、嫌じゃなかった。
 初めて懐っこさを帯びた顔がわたしを見る。

「おれはウラヌス。君、名前は覚えているかい?」
「……エイコです」

 今さら気付いた。ウラヌスは、まるで物語の皇子様みたいに綺麗だ。腰に差している剣がいっそう雰囲気を増している。

「オレはオージェだよ。君のことバッチリ守るから、よろしくね~。エイコ!」
「よ、よろしくお願いします」
「硬いな~。オレ達の仲に敬語なんていらないでしょ」

 オージェは少し軟派なところがあるようだ。でも優しい語り口はわたしの警戒心を溶いてくれる。
 彼も剣士のようでウラヌスとは形の違う鞘を腰に差している。

「おいで、エイコ」

 ウラヌスの、深い色味の手袋を嵌めた手が差し伸べられる。緊張しながら取ると、ぎゅっと思いの外強い力で握り返された。
 彼を見上げると見つめ返してくれる。何となく気恥ずかしくて目線を逸らすと、そこで、わたしは彼の頭上に広がる遮る物が一つもない、広大な青空を目に映した。
 その青はわたしの知る空より少し深くて。
 やっぱりここは、わたしの生まれた世界じゃないんだと思い知った。
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