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筋肉地区台頭編

パワーアップ!

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「さぁ戦うですの、創造主モリカ。奴らの目を覚まし、その愚かさを悔い改めさせ、そして己の不用意で奔放やりたい放題な妄想の責を取るですなの!!」
「本当にごめんなさい」

 全て自分の責任である。モリカは反省していた。
 厳めしい音を立てて、奥の檻が上がる。ひしめき合っていたむちむち達が解き放たれるのだ。
 どう考えても多勢に無勢。孤立奮闘。あの集団に対し、ただの雑魚であるモリカに勝機があるとすれば、それは空想を具現化する力以外に何があろうか。
 モリカは一生懸命考えた。勝利を引き寄せる一手を。筋肉軍団が恐れるもの。その対局に位置する者。――そして彼女の前に現れたわたあめ。

「出でよ、選ばれし怠惰の申し子。脂肪に愛されし者。飽くなき食への探究心、癒しのぷにぷに。その才を奴らに見せつけてやるが良い!!」

 顕現せしは、そう、ぽっちゃりさん。蕩ける餅のようになめらかな貫禄の肉体美。
 ふわふわぷるんぷるんの腕がその口に菓子パンを運ぶ。添加物上等、カロリー制限度外視の甘ぁい罪の味である。

「うぅううんま~い! 生クリーム最高! 上白糖最高! 菓子パンは高カロリーに限りますな」
「グウゥ……!?」

 ぽちゃぽちゃの発言にむちむち集団がどよめいた。もはや檻は上がりきった。しかし未だ奴等が舞台へ上がることはない。騒めくむちむちを余所に、ぽちゃぽちゃは抱え込んだ新たな菓子パンへかぶり付いた。

「しみしみバター最高。油が肌も心も潤してくれる」
「……!?」

 もはや言葉もなくむちむちは動揺している。
 過去の制作歴から、きちんと思い描いたものを創り出せるか不安なモリカだったが、今回は大成功だとほくそ笑む。最高のぽちゃを前に顎がのけぞる思いだった。
 しかしぽちゃの攻めの手はこんなものではなかった。

「あ~どっこい、しょ。寝そべって食べる菓子パンの美味さはひとしおですな。美味美味。格別の罪」

 これ程の観客を前にしてこの度胸、この余裕。素晴らしい逸材である。
 その実力に恐れをなしたか、むちむち達は出て来ようとしないばかりか、なんだかごたついていた。我先にと後続の者を最前に押しやり、先陣を押し付け合う。観客席も奇妙な沈黙が支配し、並々ならぬ緊張感が漂っている。
 雑魚などもはや菓子パンへむしゃぶり付くぽちゃの敵ではない。しかしモリカのその確信は、次の瞬間には驕りへと変わった。

「やってくれるじゃねーか、嬢ちゃん……」

 有象無象のむちむち。その向こうから明らかに別格なむちむちが舞台へ上がった。飛び抜けて背の高い奴はその手に鶏胸肉と卵、ブロッコリーを詰めた小さなタッパを持ち不敵に笑っている。
 そのあまりのカロリーの低さ、そして量の少なさにぽちゃは、衝撃が走った表情でぽよんと半身を起こした。

「カロ、カロ、カロリー……!?」
「しっかりしてぽちゃ! カロリーはあなたの腕の中にあるよ!」
「カロリー!?」

 不味いと、咄嗟にぽちゃへ激励を飛ばすモリカ。その声は届いたか、自らの腕の中に視線を下げ刮目するぽちゃ。震える手がチョコレートたっぷりの菓子パンを掴み、むちりと貪った。

「くッ……!」

 それを見てボスむちむちがわずかに体勢を崩す。しかし彼も負けじとブロッコリーを丁寧に咀嚼した。

「ぐふぅ!」
「ま、負けないでぽちゃ! あなたのカロリーは最高だよ! 誰もそのカロリー量に勝てやしないんだから!」
「そいつはどうかな?」
「な、何ですって…!?」

 意味ありげなボスむちむちの言葉に、モリカもぽちゃも奴に注目する。悪い奴の笑みでこちらを睨むボスむちむち。次の瞬間、信じられない事が起きる。なんとその背後から、数多の筋トレグッズを携えたむちむちが雪崩れ込んだ。
 ぽちゃの顔色が一瞬にして変わる。
 どう見ても致死量の低カロリーだった。

「あ、あ、あ……アァァアア!!」
「ぽちゃあああ!!」

 でぶぽよん。柔らかな音を立ててぽちゃぽちゃは地に伏した。響くモリカの悲痛な悲鳴をかき消すように、観客が野太い歓声を上げた。無惨に散らばる数々の菓子パンがその惨劇を語る。

「クックック。これで嬢ちゃんを守る者はいなくなった。さぁ、どうしてやろうかな」
「!!」
「モ、モリカ……」

 絶体絶命の窮地に流石のピュノすらも狼狽えた。
 広い舞台の中で二人きり。妄想力以外は非力なモリカが無数のむちむちにこれ以上どう立ち向かえば良いか。小さな脳みそで一生懸命考える彼女へと、パツパツの両腕が伸ばされる。

(あ、もう――)

 終わり、だ。そんな弱気が彼女の中を走った。その時。
 ――――パン!
 軽快な破裂音と共に、鍛え上げられた腕を受け止めた、もう一つの鍛え上げられし腕。
 見慣れた逞しい背中。愛らしいマスコット顔。そう、モリカがここに来て初めて創ったキャラクター。

「例の奴――!!」

 そしておやじーズがその周囲を固めていた。

「貴様、何者だ」

 ボスむちむちの問いに彼は答えない。握り合った手と手は決して離れることなく拮抗していた。踏ん張る足下の地面が円形に凹んでも、互いの熱気で蒸し風呂のような気温になろうとも、決して譲らない。
 何故、そこまで。
 モリカの心を読んだように例の奴が彼女を振り返る。尻が自由奔放なおやじーズをバックに、まるで何かを訴えるような眼差しが送られた。潤んだつぶらな瞳にモリカの心が焦れていく。
 何を、一体何を求められているのか。何も語らない彼に応えるすべを、モリカは見付けられずにいた。
 その心を読んだのは、しばし彼と交流のあった、他ならぬピュノであった。

「彼は名を、求めているですの」
「な、まえ…?」
「そう、名はそれが何者かを表すもの。名前なき存在は不安定ですの。名前は存在を確固たるものにし、力になるですなの!」
「つまり、パワーアップするってこと?」
「ですの!」

 ピュノの言葉に再度例の奴を見る。不安定というが、ボスむちむちに引けは取っていない。
 否、名がないからこそ、この程度なのだとしたら。
 曲がりなりにも彼はモリカ自ら創り上げた存在である。それはつまり、資質的にはさくら達と同じ力を秘めている可能性があるということ。
 潤んだ瞳に思うモリカ。あの時、自分が名を授けてあげなかったから彼は未だ自分を確立出来ていないのならば。それはモリカの責である。

「やるな、貴様。だがしかし! これで終わりだあぁ!!」

 熱い声援を浴びたボスむちむちが勢いを増し畳み掛ける。モリカは咄嗟に声を上げた。その存在を、肯定する為に。

「ぷりちー太!!」

 その叫びの直後、眩い光が例の奴を包んだ。

「モリカ! 直視しちゃ駄目ですの!」

 素早く反応したピュノによって顔を逸らされるモリカ。……やがてその光が収まった頃に視線を戻すと、そこには立派なパン職人服を纏ったぷりちー太の晴れ姿が在った。

「ぷ、ぷりちー太……すごい、立派だよ……」

 感極まり涙を流すモリカの前で、ぷりちー太は攻勢に転じた。拳と拳のぶつかり合いなどではない。これは想いの戦いだ。秩序と混沌。ディストピアとユートピア。世界の在るべき姿と、己の在るべき姿を賭けた、意思のぶつかり合い。
 観客は再び黙り込み、おやじーズさえ奇怪な動きを止めて誰もが固唾を飲んで事の成り行きを見守った。
 ぷりちー太の右足が一歩前へ進む。その足下よりボスむちむちへ向かって一筋のひびが走った。

「何だこれは!? さっきまでとまるで力が違うぞ!?」

 狼狽えるボスむちむち。そしてぷりちー太の足下が、地鳴りと共に大きく円形に凹んだ。

「ま、待て! こんな筈じゃ」

 必死の形相で防戦するボスむちむちだったが先程までの余裕は見る影もない。
 ついにその時は来る。
 もう一歩を踏み出したぷりちー太の左足が地を割った。はち切れんばかりの腕が唸る。パン生地を必死に捏ねていた腕が今は、モリカを守るためにボスむちむちの腕を引いた。そして。

「ダアァァアア!!」

 宙へ持ち上げられたボスむちむちは、数多の破片を撒き散らしながら地へ叩き付けられた。それは見事な背負い投げが決まった瞬間であった。

「ぷりちー太ァ!! すごい、すごいよー!!」

 思わず抱き付いたモリカを、ぷりちー太は危なげなく抱き留めてくれる。彼女をおし包んだ豊かな胸はバターと小麦粉の匂いがした。それは彼がパン職人として頑張っていた証で、モリカの眦からはまた滴が流れる。
 彼にイケメン要素が反映されなかっただなんて、誰が言ったのだ。彼の心はこんなにもイケメンだったというのに。
 どうして自分はこの存在を受け入れなかったのだろう。もっと早く、名を呼んであげなかったのだろう。
 後悔するモリカの心を宥めるように、大きくて温かな手は彼女の背を撫でてくれた。
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