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孤独な少女と皇子様編

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 身元確認に有効な場所といえば、そう、警察である。けれど尋ねた交番はもぬけの殻であった。帰りを待とうとした三人に降り注いだのは謎マスコットの辛辣な声。

「嗚呼、言いづらいですの……街が混み混み過ぎて役人の類はまともに機能していないなんて……」
「速やかに言って」
「役人の類は一度拠点を出て行ったら行く先々で新たな問題に遭遇してるなんて、夜までほぼ帰ってこないなんて、そんなこと……」
「警察本部! 本部はどこ!」
「そんな治安の権化みたいなもの、この闇鍋界にある訳ないですの。誰の頭の中が基になってるか思い出すですの」

 モリカはとても納得してしまった。己のプライドの為に否定したい気持ちはあるものの、これ以上ない理由に感心の声すら漏れてしまう。

「仕方ありません。店に聞いてみましょうか。さくらは身なりが良いですから、裕福な者が集まる店が良いかもしれませんね」

 虹の提案に頷くモリカ。
 交番を出て、人混みを掻き分け壁に背を付ける。空想の世界ならではの髪や目の色、そして衣装の人々が道行く様子がよく見えた。その姿に統一感はなく、確かにここが闇鍋界と称されるのも納得がいった。
 道へ飛び出した看板を上手に避けながら歩く彼等の向こう、垣間見える赤と白の可愛い店から香ばしくて優しい匂いが漂ってくる。目の前の看板には≪ベーカリー○(まる)井≫。パン屋だ。
 その左隣の深緑の看板には≪Grano≫と金色の文字。意味は理解出来ないが、何の店かは判る。看板同様落ち着いた深緑の壁に黒のテント。店内のオレンジライトが照らすのはそう、パンだ。その隣は雑貨屋。
 ベーカリー○井に視線を戻し、その右隣を見ると薬屋だった。更に隣は薄茶のレンガに水色の扉の店舗が見える。木の看板には≪パンdeパン≫。語るまでもないだろう。

「……どこの店が良いかなぁ」
「そうですね」

 モリカの呟きに虹が相槌を打ってくれたが、盗み見た彼の目も周囲へ動き続けていた。
 一つ上の階層へ視線を移すモリカ。ベーカリー○井の真上には、○井の店舗真ん中から両側によく分からない骨董品店と占いの館が広がり、その両隣にはパン屋が鎮座している。その斜め上には和の佇まいで≪宗家餡餡堂≫と達筆に書かれた風にはためく幟。文字の下にはあんぱんが描かれている。

「パン屋多くない?」
「モリカはパンが好きですの!」
「そうだけど、限度ってものがあるのではないでしょうか。わたし世界はパン屋で構成されるべきなんて異常思想者だと思われてる?」

 これ程に街がパン屋で溢れているなんて、これ以上増えることでもあれば一体どうなってしまうのか。現状は知らないが、街の住人はパン以外の食にありつくのが困難になってしまうのでは。
 そんな事を考えたモリカの目の前で、宗家餡餡堂の辺りにわたあめのような煙が発生した。

「な、何!?」

 ワインのコルクを抜いた時のようにコミカルな音が耳に届く。煙が霧散した後には……宗家餡餡堂が前方に張り出した設計となり、その両側に道が追加され、奥から≪こむぎちゃん≫と≪BlakeTime≫の看板が覗く。

「何これー!?」
「ほら、パン屋が増えたですの。やっぱりモリカはパンに目がないですの!」
「したり顔してないで説明して」

 謎マスコットの首根っこを鷲掴み、虹とさくらから少々距離を取って問い詰める。人混みの喧騒が今は都合が良かった。
 いかにもナビゲートでございと言いたげな見目の癖して、積極的に役割を果たそうとしない生き物は問われてようやく解説した。

「ココはモリカの頭の中が具現化した世界だから、モリカが考えたコトがリアルタイムで現実になる可能性があるですの」
「ええー!? つまり、きさまを従順且つ有能に改良することも可能ってこと? 理想のイケメンを助っ人にすることも可能ってこと……!?」
「もっと有意義なコト考えるですの! あと、ココの住民は街が作り変わっても気付かないから会話には気を付けるですの。不審者に思われても良いなら別に良いですけど!」
「気付かないってどういうこと。まさか、最初からそうだったって認識になるやつ?」
「その通りですの」
「なるほどね」

 モリカは妄想した。理想のイケメンの件である。
 身長は一八〇以上、筋肉質、爽やかでスポーツ好き。笑顔が眩しくて少し強引、でも子供みたいに可愛いところがある。顔は少しだけ童顔も良い。

「なんかこの辺もくもくしてるですの!」

 ピュノの隣に早速わたあめが現れた。肥大するわたあめはピュノを巻き込んだので素早く手を離すモリカ。理想のイケメンを実体化出来るとは全く素晴らしい世界であると口許をにやつかせる。
 やがてもくもくとした煙が散った後、モリカは逆光に浮かび上がる影を見上げた。
 低く見積もっても二メートルはかたい。触れるもの全てを捩じ伏せんばかりの筋肉。持ち主さえ使わなければただそこに在るのは静寂。けれどそのはち切れんばかりの皮膚の下に感じる、確かな暴力性。小麦色の大胸筋の谷間を流れた一筋の雫は爽やかなアクセサリー。
 つぶらな瞳。猫のような口。愛らしいマスコット顔が、モリカを見下ろしてにこりと笑った。毛髪は確認出来ないが何故かコック帽を被っている。服はエプロンのみ、否、風の戯れにはためいたエプロンの向こう、ハイレグパンツが見えた。
 ――なるほどね。

「では、そういうことで……」

 彼に背を向けてモリカは虹とさくらのもとへ戻る。男の小脇に何かマスコットのようなものが抱えられていた気もするが、気のせいであろうと結論付けて。

「モリカー!! 責任を取るですのー!!」

 声が遠ざかっていく。スポーツ好きで少々強引、でも可愛いところがある彼は、ぬいぐるみを手に街を駆け抜けているのかもしれない。良いことだ。

「モリカ、天楼という店に多く人が集まるようです。まずはそこを目指してみませんか」

 モリカが無益な時間を過ごしている間に虹は店の目星を付けたらしい。有能な己のキャラクターにモリカは感激し、そこへ行こうと頷いた。彼女からして、たった今曰く付きとなったこの場所にとっとと背を向けて道を行く。

「追館ー!!」

 どこか聞き覚えのある気がする声は、雑踏に潰えた。
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