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六公演目――メモリーズオブブラザー
四曲目:ウィリアム・セイラー
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「ここワインが美味いんだよなあ~。キミのそれは……ん? 酒じゃないな。コーヒーか?」
「うん、コーヒー。おにいさんがさっき頼もうとしてたマルベック? はワイン?」
「ああ! 故郷の味がするから気に入ってんだ。ま、故郷にいた頃はガキだったんだけどな!」
「うわ、おにいさんわっる~い」
「ん? ああ、違う違う! 故郷では飲んだことないって! 四つんときは流石にな!」
さっき入ってきたおにいさんは、店主と話しながらまっすぐオレの席に向かった。椅子に手をかけたところでオレが座ってることに気付いて、謝られて。そのまま流れで隣に座ってる。
「ここじゃいつも頼んでるからさ。今日車だってのもすっかり忘れてつい頼もうとしちまったよ」
「あ~、具体的な運転禁止基準決まっちゃったもんね、去年」
「そうなんだよなあ! 今までは事故さえ起こさなきゃセーフだったってのに……」
「……やっぱ悪いおにいさんだなあ」
「げっ。あー、ノーコメントだ」
おにいさんの手元に葡萄ジュースが置かれた……気がする。相変わらず暗くて、おにいさんの顔すら見えない。けど空気の揺れと、遠くのキャンドルから届く僅かな光のおかげで辛うじてシルエットぐらいなら把握することができた。眼鏡をかけていて……髪を、結んでいるような。おにいさんは豪快な声量からは連想できない繊細な仕草でグラスをまわすと、少しだけ口に含んで「……悪くないな」と呟いた。
「良かったね、美味しくて」
「やっぱちょっと物足りないけどなあ。キミはコーヒー飲みに来たのかい?」
「そういうわけじゃないんだけど……兄弟に似てる奴が入ってった気がしたんだけどさ、気のせいだったっぽい」
「ん? なんだ迷子か? お~い! キミたち兄弟とはぐれてないか!? こいつ……あー、名前なんだっけ?」
「……ビリー」
「ビリー! ビリーの兄弟~!! ……あ~、いないっぽいな?」
まあ、チャーリーがいたらオレの声聞いた時点ですっ飛んで来るだろうから。オレが探されることはあっても、チャーリーを探したことはあんまないから断言はできないけど。隠れてお酒飲みに来たなんてこともないだろうし。アダマスとかいうギャングに脅されて……も、ないはず。オレと一緒にいないと、≪似てない双子≫にはならない。それに、……自分たちから言わない限り、並んで歩いても兄弟とすら思われない、はずだから。
「はぐれたとかじゃないんだ。多分、寮にいると思う。ちょっと遅くなっちゃったし、こんな状況だからさ。探しに来てくれたんじゃないか、雨宿りで一時的にここに入ったんじゃ……って」
「なあんだ。ま、そんなら停電明けるの待って帰った方がいいな。にしてもキミにそう思われるって、よっぽど兄弟を大事にしてるんだなあ、そいつ」
「やっぱり、そうなのかな。兄弟、っていうか家族がオレたちふたりだけだから、よくわかんなくてさ」
「……家族が?」
おにいさんの声色が、いちオクターブぐらい暗くなる。じっとこっちを見てる、気がした。
「うん。オレたち孤児だからさ。親は両方死んでる。……あっ、もうかなり昔の話だぜ!?」
危なかった。自分からガキですって言っちゃったようなもん。でも本当に何年も前だし。
「そうかー……そりゃ大変だったな。孤児院に居たのか?」
「いや、新聞売り。周りも大体みんな孤児だし、よくある話だよ」
「……そうか。じゃ、キミの兄弟はキミまでなくさないように、って頑張ってんのかもな」
「そう、かも。でも、孤児になる前からオレに優しかったんだ」
例えば。四歳ぐらいのとき、映画を観に行くことになって。何が観たい、って聞かれたとき、チャーリーは何も言わずにオレが答えるのを待ってた。オレは映画を観られるだけで楽しいからなんでも良かったんだけど、強いて言えば骸骨が踊るカートゥーンが気になってて。ちょっと前に公開されたやつだし、どの映画に併映されるのかも知らなかったけど。今思えば、チャーリーはなにが観たい? って聞けば良かったんだよな。でもオレは、……ぶん殴られそうだから寮じゃ絶対言わないけど。その頃のオレは、家族がオレ中心にまわることに慣れてた。慣れてたというか、そういうもんなんだと思ってた。そりゃ、末っ子かもしれないけど。ちょっと変わった家だったのかもしれない。だってさ、オレたち、双子なのに。双子とか三つ子って普通はもっとこう、対等らしいってことを知ったのは孤児になってだいぶ経ったあとだった。
とにかく、その時のオレはなんのためらいもなく、『骸骨が踊るやつ!』なんて答えたもんだから。みんな頑張って上映館を探してくれた。チャーリーも! でも日帰りできる範囲の映画館じゃ、もうやってなかった。新しいシリーズで音楽を重視してるってきいたから少し気になってただけだし、全然違うのでも良いよって言ったんだけど、チャーリーはオレより悔しがってた。もうやってないって、ってオレに言ったとき、すごく慎重に言葉を選んでたし。オレが泣くと思ったのかも。どっちかというと泣き虫なの、チャーリーのほうなんだけどな。
そのあと。チャーリーは『他に音楽がメインのカートゥーンを見つけたんだ』って言った。ちょっと慌ててっていうか、オロオロしながら。繰り返すけどオレは泣いてないよ。むしろ何故かチャーリーが泣きそうだった。『骸骨じゃないけど、前に観たマウスのカートゥーン』『それなら公開されたばかりで、近くのシアターでも観れるから』ってチャーリーが教えてくれた映画に決めて、家族四人で観に行ったんだ。ちょうどこの店の近くだったかな。すっごく楽しかった! 浮かれた音楽団が、手足や歯、とにかく使えるもの全部楽器にする。終始演奏してるだけっちゃだけなんだけど、鞄を開いたらピアノになるシーンなんかは気に入りすぎて、オレもあれが欲しいなんて親を困らせた。
そして何より。チャーリーが、そんなオレを見て喜んでたのを覚えてる。『ウィリアムが気に入って良かった』って。
「それぐらい、昔からオレのことよく考えてくれてるんだ」
掻い摘んで話したつもりだけど、いつの間にか雨も風も弱まってた。おにいさんは葡萄ジュースを片手に、成程なあ、って興味深そうに頷く。
「気になる部分がないっていうと噓になるが……ま、他所んちの兄弟についてとやかく言うのも野望だしな。大切な相手のためになんでもしたいって気持ちは俺も分かる」
「へえ。……あ、もしかして、故郷に置いてきた家族とか?」
「いんや。あー……まあ、半分正解ってとこか」
グラスにそっと口付けて。味を確かめるように一口だけ含んでから、おにいさんはグラスを置いた。赤い。赤一色の光が、オレの影をおにいさんにうつした。
「故郷の家族は、みんな大西洋に沈んじまったからな」
え、としか返せないオレの背後を覗き込んで。お、信号が復旧したか! っておにいさんは明るく言った。
「雨も弱まったし、直に街全体の電気も復活するんじゃないか? キミのこと溺愛してる兄弟が待ってんだろ、帰ってやれ」
「……え? あ、そうだ、寮!! びっしょびしょのままだ! えっと、お金……」
「なんだそれ! 屋根に穴でも空いたのか? そんなんじゃ今月キツイだろ。いいよ、俺が払っとく」
「え! いいの? ……あ、でも、家族がいないってことは、」
おにいさんも孤児なんじゃ、って言おうとして。豪快な笑い声に阻まれる。
「だーいじょうぶ! こう見えて稼ぎは良いんだ。ほぼ毎日ワイン漬けになれるぐらいにはな!」
「それ身体は大丈夫じゃなくない?」
思いもよらない返事に気が抜けて、じゃあ甘えとくか、って席から降りる。ワインはそこまで飲みたくないけど、せめてコーヒーぐらい好きな時に飲めるようになったら。今日のお礼をしよう、と思ったところで気付く。
「あ、じゃあさ! また会ったらお礼するから、おにいさんの名前教えてよ」
ドアに手をかけつつ尋ねれば、おにいさんは本当か~? なんて茶化したあとで続ける。
「セルジオだ。兄弟と一緒に幸せになれよ!」
涙でロザリオ作る前にな。扉が閉まる直前におにいさんが言った言葉に首を傾げた直後、ネオンライトの看板が点く。浮かび上がった文字を見て、オレはやっとその意味を理解した。
「うん、コーヒー。おにいさんがさっき頼もうとしてたマルベック? はワイン?」
「ああ! 故郷の味がするから気に入ってんだ。ま、故郷にいた頃はガキだったんだけどな!」
「うわ、おにいさんわっる~い」
「ん? ああ、違う違う! 故郷では飲んだことないって! 四つんときは流石にな!」
さっき入ってきたおにいさんは、店主と話しながらまっすぐオレの席に向かった。椅子に手をかけたところでオレが座ってることに気付いて、謝られて。そのまま流れで隣に座ってる。
「ここじゃいつも頼んでるからさ。今日車だってのもすっかり忘れてつい頼もうとしちまったよ」
「あ~、具体的な運転禁止基準決まっちゃったもんね、去年」
「そうなんだよなあ! 今までは事故さえ起こさなきゃセーフだったってのに……」
「……やっぱ悪いおにいさんだなあ」
「げっ。あー、ノーコメントだ」
おにいさんの手元に葡萄ジュースが置かれた……気がする。相変わらず暗くて、おにいさんの顔すら見えない。けど空気の揺れと、遠くのキャンドルから届く僅かな光のおかげで辛うじてシルエットぐらいなら把握することができた。眼鏡をかけていて……髪を、結んでいるような。おにいさんは豪快な声量からは連想できない繊細な仕草でグラスをまわすと、少しだけ口に含んで「……悪くないな」と呟いた。
「良かったね、美味しくて」
「やっぱちょっと物足りないけどなあ。キミはコーヒー飲みに来たのかい?」
「そういうわけじゃないんだけど……兄弟に似てる奴が入ってった気がしたんだけどさ、気のせいだったっぽい」
「ん? なんだ迷子か? お~い! キミたち兄弟とはぐれてないか!? こいつ……あー、名前なんだっけ?」
「……ビリー」
「ビリー! ビリーの兄弟~!! ……あ~、いないっぽいな?」
まあ、チャーリーがいたらオレの声聞いた時点ですっ飛んで来るだろうから。オレが探されることはあっても、チャーリーを探したことはあんまないから断言はできないけど。隠れてお酒飲みに来たなんてこともないだろうし。アダマスとかいうギャングに脅されて……も、ないはず。オレと一緒にいないと、≪似てない双子≫にはならない。それに、……自分たちから言わない限り、並んで歩いても兄弟とすら思われない、はずだから。
「はぐれたとかじゃないんだ。多分、寮にいると思う。ちょっと遅くなっちゃったし、こんな状況だからさ。探しに来てくれたんじゃないか、雨宿りで一時的にここに入ったんじゃ……って」
「なあんだ。ま、そんなら停電明けるの待って帰った方がいいな。にしてもキミにそう思われるって、よっぽど兄弟を大事にしてるんだなあ、そいつ」
「やっぱり、そうなのかな。兄弟、っていうか家族がオレたちふたりだけだから、よくわかんなくてさ」
「……家族が?」
おにいさんの声色が、いちオクターブぐらい暗くなる。じっとこっちを見てる、気がした。
「うん。オレたち孤児だからさ。親は両方死んでる。……あっ、もうかなり昔の話だぜ!?」
危なかった。自分からガキですって言っちゃったようなもん。でも本当に何年も前だし。
「そうかー……そりゃ大変だったな。孤児院に居たのか?」
「いや、新聞売り。周りも大体みんな孤児だし、よくある話だよ」
「……そうか。じゃ、キミの兄弟はキミまでなくさないように、って頑張ってんのかもな」
「そう、かも。でも、孤児になる前からオレに優しかったんだ」
例えば。四歳ぐらいのとき、映画を観に行くことになって。何が観たい、って聞かれたとき、チャーリーは何も言わずにオレが答えるのを待ってた。オレは映画を観られるだけで楽しいからなんでも良かったんだけど、強いて言えば骸骨が踊るカートゥーンが気になってて。ちょっと前に公開されたやつだし、どの映画に併映されるのかも知らなかったけど。今思えば、チャーリーはなにが観たい? って聞けば良かったんだよな。でもオレは、……ぶん殴られそうだから寮じゃ絶対言わないけど。その頃のオレは、家族がオレ中心にまわることに慣れてた。慣れてたというか、そういうもんなんだと思ってた。そりゃ、末っ子かもしれないけど。ちょっと変わった家だったのかもしれない。だってさ、オレたち、双子なのに。双子とか三つ子って普通はもっとこう、対等らしいってことを知ったのは孤児になってだいぶ経ったあとだった。
とにかく、その時のオレはなんのためらいもなく、『骸骨が踊るやつ!』なんて答えたもんだから。みんな頑張って上映館を探してくれた。チャーリーも! でも日帰りできる範囲の映画館じゃ、もうやってなかった。新しいシリーズで音楽を重視してるってきいたから少し気になってただけだし、全然違うのでも良いよって言ったんだけど、チャーリーはオレより悔しがってた。もうやってないって、ってオレに言ったとき、すごく慎重に言葉を選んでたし。オレが泣くと思ったのかも。どっちかというと泣き虫なの、チャーリーのほうなんだけどな。
そのあと。チャーリーは『他に音楽がメインのカートゥーンを見つけたんだ』って言った。ちょっと慌ててっていうか、オロオロしながら。繰り返すけどオレは泣いてないよ。むしろ何故かチャーリーが泣きそうだった。『骸骨じゃないけど、前に観たマウスのカートゥーン』『それなら公開されたばかりで、近くのシアターでも観れるから』ってチャーリーが教えてくれた映画に決めて、家族四人で観に行ったんだ。ちょうどこの店の近くだったかな。すっごく楽しかった! 浮かれた音楽団が、手足や歯、とにかく使えるもの全部楽器にする。終始演奏してるだけっちゃだけなんだけど、鞄を開いたらピアノになるシーンなんかは気に入りすぎて、オレもあれが欲しいなんて親を困らせた。
そして何より。チャーリーが、そんなオレを見て喜んでたのを覚えてる。『ウィリアムが気に入って良かった』って。
「それぐらい、昔からオレのことよく考えてくれてるんだ」
掻い摘んで話したつもりだけど、いつの間にか雨も風も弱まってた。おにいさんは葡萄ジュースを片手に、成程なあ、って興味深そうに頷く。
「気になる部分がないっていうと噓になるが……ま、他所んちの兄弟についてとやかく言うのも野望だしな。大切な相手のためになんでもしたいって気持ちは俺も分かる」
「へえ。……あ、もしかして、故郷に置いてきた家族とか?」
「いんや。あー……まあ、半分正解ってとこか」
グラスにそっと口付けて。味を確かめるように一口だけ含んでから、おにいさんはグラスを置いた。赤い。赤一色の光が、オレの影をおにいさんにうつした。
「故郷の家族は、みんな大西洋に沈んじまったからな」
え、としか返せないオレの背後を覗き込んで。お、信号が復旧したか! っておにいさんは明るく言った。
「雨も弱まったし、直に街全体の電気も復活するんじゃないか? キミのこと溺愛してる兄弟が待ってんだろ、帰ってやれ」
「……え? あ、そうだ、寮!! びっしょびしょのままだ! えっと、お金……」
「なんだそれ! 屋根に穴でも空いたのか? そんなんじゃ今月キツイだろ。いいよ、俺が払っとく」
「え! いいの? ……あ、でも、家族がいないってことは、」
おにいさんも孤児なんじゃ、って言おうとして。豪快な笑い声に阻まれる。
「だーいじょうぶ! こう見えて稼ぎは良いんだ。ほぼ毎日ワイン漬けになれるぐらいにはな!」
「それ身体は大丈夫じゃなくない?」
思いもよらない返事に気が抜けて、じゃあ甘えとくか、って席から降りる。ワインはそこまで飲みたくないけど、せめてコーヒーぐらい好きな時に飲めるようになったら。今日のお礼をしよう、と思ったところで気付く。
「あ、じゃあさ! また会ったらお礼するから、おにいさんの名前教えてよ」
ドアに手をかけつつ尋ねれば、おにいさんは本当か~? なんて茶化したあとで続ける。
「セルジオだ。兄弟と一緒に幸せになれよ!」
涙でロザリオ作る前にな。扉が閉まる直前におにいさんが言った言葉に首を傾げた直後、ネオンライトの看板が点く。浮かび上がった文字を見て、オレはやっとその意味を理解した。
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