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四公演目――琥珀とラウドスピーカー

一曲目:チャーリー・セイラー

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『それ全部買うから、お茶して頂戴』
 なんて言われたときには、意味不明すぎて自分の耳と脳を疑った。というかまず目、目の前の光景を疑うのが先だった。良いとこの令嬢ってほどではなくとも明らかに金には困ってないと見てわかる、襟つきでフリルもリボンも使われた濃い青のワンピース。その女が、札束を俺に差し出している。何故か少し頬を膨らませて。

「えーっと。おねーさん、悪いけどあの子を連れてかれるのはちょっと……」

「あの子? ……ああ、金髪の歌ってる子? 私、あなたがいいんだけど」

「へっ? お、俺?」

 ウィリアム目当てじゃないのか? 何が目的だ。俺に用があるわけ……俺に? は? やっぱり意味がわからない。できるだけ外面を崩さないようにはしているがそろそろ口角が引きつりそうだ。元より新聞自体の金に加えて、マンハッタンの天使ビリーへのチップで成り立たせている商売だが、俺が商品になるなんて想定はしていない。するはずがなかった。眼前にちらつく札束はどう見ても、今日このあと得るはずだった額の倍はある。正直欲しい。が、〝俺と一緒にお茶〟が対価として成立するのか理解できない以上受け取るわけにもいかなかった。

「そうよ。あなた」

「ど、どうして? いや自分で言うのもなんだけど面白い話とかできないし。俺より……あ、他の奴はどう? あそこで護衛してる三人とかさ」

「そうねえ……どんな人たちなの?」

「えっ。あー……茶髪のあいつは温厚、かな。ちょっと変わった奴だけど……真ん中の前髪長い奴は……英語の勉強だって言えばついてくるんじゃない? 端の眼鏡は悪い奴じゃないけど……まあ、受け答えはできる。悩み相談なら期待しない方がいい」

「そう。じゃあ、あなたは?」

 俺は? 俺と茶を飲むメリットだ? そんなの俺が知りたい。特段問題があるとは思っていないが、選ぶ理由もない。例えるなら……水。店に飲み物が並んでるとして、コーヒーなら好んで選ぶ奴もいれば、金を貰ってでも飲みたくないって奴もいるだろう。でも水は? 誰だって飲めるだろうが、かといって好んで選ぶわけでもない。過不足ない、普通。それが俺。ウィリアムを護るというそれ以外、俺の存在意義はない。わからない。ウィリアムの兄ではなく、俺単品を頼むこの女の思考が。

「……可もなく不可もなく、かな」

「なら決まりね。それとも、この額じゃ足りない?」

「そう言ったら増やしてくれるの?」

「無理」

「……じゃあ決まりじゃないか」

「だからそう言ってるじゃない」

 渋々受け取った、後で、もしこの女が俺たちを狙うアダマスだったら? と脳裏をよぎる。デカイ男だと聞いていたが、それがフェイクなら。本人じゃないとしても、手下か何かの可能性はある。だとしたら、やっぱりウィリアムは連れて行けない。俺は、……俺なら。情報だけある程度掴んだところで、帰ってこられるかも、しれない。

「さ、行きましょ。お気に入りの店はある?」

「ない。どこでもいいよ。ただその前にあいつらと金を分けないと」

「ならここで待ってるわ。行ってらっしゃい」

 手を振られて見送られる。……これで俺が逃げ出したらどうするつもりだ? 間の抜けた刺客なのか、それとも。どうにせよ、分配しないといけないのは事実だ。仕方なくいつもの噴水へ向かえば、既に客を散らせたあとのウィリアムと他三人が妙な表情で待っていた。

「……なんだ、揃ってニヤつきやがって」

「別にイ? 泣かせるんじゃねェぞオ、チャーリーくん?」

「は?」

「良かったじゃないか! デートだろう? 楽しんで!」

「いやちが、」

「チャーリー、えーっと……そう、モテ期? なんだね」

「違う」

 喧しい。そりゃあ、寮は野郎ばかりで女と話す機会なんざないだろうが。そこまで茶化すことでもないだろう。凡そいつもどおりの額に分けて、ベルとボニーに思い切り投げつける。痛がっているが知らん。アーティーは座っていたから膝に置いた。

「ウィリアム。お前、今日はアーティーたちと寮にいろよ。すぐに帰るから」

「オレならへーきだからたまにはゆっくりしてきなよ! あとで何食べたか教えて!」

「いや、陽が沈むまでには帰る。もし明日の朝になっても帰らなかったら、絶対にアーティーとベルから離れるなよ」

「そんな遠く行くの? でも折角なら思いっきり楽しんできなよ。タダ飯だろ? 別にオレのこと気にしなくても……」

「いいから!!」

 声を張り上げてすぐ、しまったと息をのんだ。ベルが何か言おうとしてる。ボニーがそれを止めた。アーティーが困ってる。ウィリアムが、ほんの一瞬、泣きそうな顔をした。

「…………悪い。けど、今日は寮で大人しくしててくれ。頼むから」

「……わかったよ、チャーリー」

 いってらっしゃい、と力なく微笑まれ。半ば逃げ出すように、その場を後にした。
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