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二公演目――弟たちのセレナーデ
二曲目:アルコ・グローリア
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その日の最終公演が終われば、あとは家に帰るだけ。たまにリハーサルやレコーディングが入ったりもするけど、大体は。だから当然、コルダは僕に帰ろうと声をかけてくるはず。柔い羽みたくふわふわの金髪に、スポットライトで天使の輪を作って。甘美で、不釣り合いで、だけどそれは当然片割れたる僕に与えられるべき光なのだと、自分に言い聞かせながら手を伸ばしてきた。
今夜、僕は月影に逃げる。
シアターからそこまで遠くはないけど、家とは反対方向のデリカテッセン。存在は知っていた。行くタイミングがなかっただけ。入口に立てかけてある黒板を読めば、数種類のサンドイッチやフレンチフライの下にスープの文字。中に入ってみると、客入りはキャパシティの四割といったところだった。昼間繁盛しているのを見ていたから然程気にならない。レジでスープを頼んで、受け取って。窓際のカウンター席にしようかと思ったけど、なんとなく気が引けて少し離れた二人用テーブルを選んだ。
余った野菜を適当に切って入れたんだろうなと分かる、琥珀色のスープ。申し訳程度に添えられた薄切りのバゲットが案外お腹に溜まる。しまった、夕飯が少しきつくなるかもしれない。……そうなったら、コルダにあげればいいか。そこまで考えたところで、ギュ、と胸を握り締められるような心地に襲われる。誤魔化しに喉を通したスープが熱い。
そもそも、なんで逃げ出したくなったのか。きっかけ自体は、午前の公演後にアーノルドさんから聞いたあの話だったと思う。それは分かっていた。分かってはいたけど、何がそこまで僕を苦しめるのか、その原因が思い当たらない。ギャングに狙われているかもしれないから? それは勿論、嫌だけど。〝似てない双子〟? それだって十四年間散々言われてきた。なんなら売りのひとつだ。構わない。風と遊ぶ金の髪がなかろうが、晴天の空をそのまま鏡に映した碧の瞳がなかろうが。父も母も、……同じ日に生まれた双子の兄ですら。当たり前に自分のものとして持っているそれを、僕が手放して生まれてきても。対等に愛してくれた。コルダと同じことで褒めて、叱ってくれた。優しくて温かい家族。それのどこが、気に入らないというんだろう。烏滸がましい。醜い。何が逃げるだ、両親とコルダを悪者扱いするな。僕め、僕め僕め僕め。
木製のテーブルに映る自分が目に入ってふと、帽子をとり忘れていたことに気付く。頭に手を持っていこうとしたけど、今更いいかとすぐにおろした。今日は誰にも話しかけられたくない。伊達眼鏡もかけているし、僕ひとりでいたって分かりゃしないだろうけど。二人でいるときは、否が応でも目立って見つかることがある。ポスターで見たとおりだ、本当に似てないんですね、だとか言って、人は皆コルダの方に目を合わせる。
〝そうでしょ!〟
そういうとき、コルダは決まって言う。
〝アルコの目と髪、夜空に浮かぶ月みたいでさ! 綺麗だよね!〟
『まもなく閉店でぇす。身支度お願いしまぁす』
気怠げな声に意識を戻せば、周りにぽつぽつ居たはずの客は誰もいなくなっていた。腕時計がまもなく九時だと静かに告げる。冷たくなったスープを急いで飲み干して、溢れかえりそうなゴミ箱に紙コップを捨てた。店を出ても、街はまだ眠っていない。眠っているところなど見たことがない。ここはそういう街だ。すぐ隣のエンターテイメントホールでも、サックスやクラリネットがスローテンポなセレナーデを奏でていた。看板にはサファイアブルーのドレスを身にまとった女性が描かれているけど、今のところ歌声はきこえない。まあそんなこともあるだろうと、背を向けて一歩踏み出したところだった。
『おいガキ、てめぇ……!!』
背後から男の怒声。足が止まる。この時間、路地にいるこどもなど僕ぐらいだ。でもどうして。スープの料金は払った。誰かにぶつかった記憶もない。コルダに言われてバンドメンバーが探しに? それでもあんなギャングみたいな口の悪い人はいなかったはず。……ギャング?
「……っ!!」
竦む足を、なんとか動かして。せめて人通りの多いタイムズスクエア方面まで逃げ延びようと駆け出した。
今夜、僕は月影に逃げる。
シアターからそこまで遠くはないけど、家とは反対方向のデリカテッセン。存在は知っていた。行くタイミングがなかっただけ。入口に立てかけてある黒板を読めば、数種類のサンドイッチやフレンチフライの下にスープの文字。中に入ってみると、客入りはキャパシティの四割といったところだった。昼間繁盛しているのを見ていたから然程気にならない。レジでスープを頼んで、受け取って。窓際のカウンター席にしようかと思ったけど、なんとなく気が引けて少し離れた二人用テーブルを選んだ。
余った野菜を適当に切って入れたんだろうなと分かる、琥珀色のスープ。申し訳程度に添えられた薄切りのバゲットが案外お腹に溜まる。しまった、夕飯が少しきつくなるかもしれない。……そうなったら、コルダにあげればいいか。そこまで考えたところで、ギュ、と胸を握り締められるような心地に襲われる。誤魔化しに喉を通したスープが熱い。
そもそも、なんで逃げ出したくなったのか。きっかけ自体は、午前の公演後にアーノルドさんから聞いたあの話だったと思う。それは分かっていた。分かってはいたけど、何がそこまで僕を苦しめるのか、その原因が思い当たらない。ギャングに狙われているかもしれないから? それは勿論、嫌だけど。〝似てない双子〟? それだって十四年間散々言われてきた。なんなら売りのひとつだ。構わない。風と遊ぶ金の髪がなかろうが、晴天の空をそのまま鏡に映した碧の瞳がなかろうが。父も母も、……同じ日に生まれた双子の兄ですら。当たり前に自分のものとして持っているそれを、僕が手放して生まれてきても。対等に愛してくれた。コルダと同じことで褒めて、叱ってくれた。優しくて温かい家族。それのどこが、気に入らないというんだろう。烏滸がましい。醜い。何が逃げるだ、両親とコルダを悪者扱いするな。僕め、僕め僕め僕め。
木製のテーブルに映る自分が目に入ってふと、帽子をとり忘れていたことに気付く。頭に手を持っていこうとしたけど、今更いいかとすぐにおろした。今日は誰にも話しかけられたくない。伊達眼鏡もかけているし、僕ひとりでいたって分かりゃしないだろうけど。二人でいるときは、否が応でも目立って見つかることがある。ポスターで見たとおりだ、本当に似てないんですね、だとか言って、人は皆コルダの方に目を合わせる。
〝そうでしょ!〟
そういうとき、コルダは決まって言う。
〝アルコの目と髪、夜空に浮かぶ月みたいでさ! 綺麗だよね!〟
『まもなく閉店でぇす。身支度お願いしまぁす』
気怠げな声に意識を戻せば、周りにぽつぽつ居たはずの客は誰もいなくなっていた。腕時計がまもなく九時だと静かに告げる。冷たくなったスープを急いで飲み干して、溢れかえりそうなゴミ箱に紙コップを捨てた。店を出ても、街はまだ眠っていない。眠っているところなど見たことがない。ここはそういう街だ。すぐ隣のエンターテイメントホールでも、サックスやクラリネットがスローテンポなセレナーデを奏でていた。看板にはサファイアブルーのドレスを身にまとった女性が描かれているけど、今のところ歌声はきこえない。まあそんなこともあるだろうと、背を向けて一歩踏み出したところだった。
『おいガキ、てめぇ……!!』
背後から男の怒声。足が止まる。この時間、路地にいるこどもなど僕ぐらいだ。でもどうして。スープの料金は払った。誰かにぶつかった記憶もない。コルダに言われてバンドメンバーが探しに? それでもあんなギャングみたいな口の悪い人はいなかったはず。……ギャング?
「……っ!!」
竦む足を、なんとか動かして。せめて人通りの多いタイムズスクエア方面まで逃げ延びようと駆け出した。
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