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初演――似てない双子と少年たちによるアインザッツ

一曲目:チャーリー・セイラー

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「おにーさん、あの子の歌が気になってるんでしょ」

 公園の中央、噴水の前に置いた木箱の上。数十人の観客と三人の護衛もどきに囲まれて歌う金髪の少年……に、釘付けになっていた通りすがりの青年。声を掛ければ彼は分かりやすく肩を跳ねさせ、弁明に必死な現行犯よろしくハクハクと口を動かした。帽子が滑るぐらい髪をガチガチに固めて、気持ち大きめのスーツを着た……二十代前半ってところか。怯えられちゃあ意味が無い。俺は口角がつらない程度に綺麗な、それでいて子供ならではの愛嬌を感じさせるような笑みを作った。

「別に責めてるんじゃないよ。おにーさん見かけない顔だね。今日から九月だし、大学出たばっかで働き始めって感じ? なんならニューヨークにも来たばかりだったりして」

 図星だったのか、青年は照れくさそうに頭を搔いてパリパリのスーツを更にピンとのばした。

「やっぱり? ロウアーマンハッタンっておっきいタワーが多いからさ。この時期は毎年おにーさんみたいな人達が引っ越してくるんだよね。すぐそこに市庁舎があるから新聞社も多いし。でもおにーさんはその中でも特にラッキー。なんたってもう俺たちを見つけたんだもん」

 ね、今日の新聞もう買った? 上目遣いで今日の新聞を一部差し出せば、青年は少しきょとんとした後で合点がいったように苦笑する。

「あ、理解早いねおにーさん。きっと仕事できるタイプだよ。そう……俺から新聞を買ってくれた人が、あの子の近くで歌を聴けるってわけ。おにーさんも明日からはちょっとだけ早起きしてね」

 青年は参ったなと肩を竦めて笑ったあと、数枚のコインと引き換えに新聞を持って行った。正直期待してた額より少ないが、働き始めなら仕方ない。新しい顧客が掴めただけ良しとしよう。ズボンのポケットにコインを突っ込んで、人波と手持ちの新聞を見比べる。一般的な企業の始業時間まであと三十分。手持ちの新聞は残り十部。いける。秋晴れの空によく通る愛らしい歌声を邪魔しない程度の声量で、俺は公園の前で足を止めている大人たちに呼び掛けた。

「マンハッタンの天使! ビリーの歌を間近で聴けるチャンスはあと十人! 今日のニュースもすごいよ。ザ・サード・ライヒ……おっと、もうそうやって呼ばないんだっけ? ドイツと生まれたばっかりのスロバキアがポーランドを攻めるってさ! また大戦が起きるかもって偉い人が言ってるよ! 新聞読みたきゃ俺たちから買ってね!」

 一人、また一人。俺にコインを渡して観客の最後列に加わっていく。三分もしないうちに、残る十部は全て売りきった。もう少し買い取っても良かったか。最前から七列ほどに膨れ上がった観客の数とポケットのコインを数えて考える。噴水からは一曲終えるごとに耳をつんざく量の歓声と拍手が巻き起こっていた。ふと、前から三列目あたりが不自然に動きだす。なんだ、と見ていれば、やがて最前列を抜け一人の男がステージに見立てた木箱の前に躍り出た。

「チッ……クソ、何すんだアイツ」

 俺が駆け出すよりも早く。ずい、と護衛代わりの少年の一人が前に出るのが見えた。混じり気のない、ひと目で東洋の血を感じさせる黒檀色の髪。目をすっぽり覆い隠す長さの前髪で表情はよく見えないが、尖らせた口から不機嫌さが伝わったのか男は一歩後ずさる。

「オれたちよりも前に出るなア。それ以上近付イたら追イ出すぞオ」

 少し母音が強めの乱暴な口調。続いて隣に立っていた茶髪に青い瞳の少年がむぅ、と可愛らしい顔を顰める。

「……変な人が来たら、中止するように言われてる。いいの、これ以上聴けなくなっても」

 彼がそう言えば、周りの観客から残念がる声とブーイングが次々飛んでくる。その騒ぎに乗じるようにして、ヒョロ長い眼鏡の少年が男の胸元を覗き込んだ。

「おや? お兄さん! 社員証が胸ポケットから落っこちそうだよ! なになに……タレント事務所! ってなんだっけ? まあいいや、ブロードウェイまで通勤がんばってね! 何十分かかるのか知らないけど!」

 さも善意で尋ねているといったように……否、彼の場合は本当に善意かもしれないけど。彼が聞けば、男は腕時計に目を遣り、舌打ちをひとつ残して立ち去っていった。その背中に届くように。ずっと護られていた金髪の少年が声を張り上げる。

「悪いねおじさん! オレ、みんなと一緒がいいからさ。スカウトは全部断ってんだ! でもオレの歌、良いと思ってくれたんだよね。ありがと!」

 打算のない自然で美しい微笑みに、無関係の観客たちもほぅ、と溜息を零す。

「そろそろみんな出社する時間? じゃああと一曲! 最近流行ってるあの曲、知ってる人も知らない人も一緒に歌おう!」

 観客たちが大合唱を響かせているのとは反対、真裏側に歩き噴水の淵に腰掛ける。噴水越しに見上げれば、硝子玉みたいにキラキラした水飛沫と陽に透かした金の髪、海を閉じ込めたような紺碧の瞳が目に飛び込んでどうしようもなく眩しかった。それに加えて天性の愛嬌と類稀なる歌声。忙しない社会に揉まれた大人たちが夢中になるのも当然だ。スカウトマンに目をつけられたのだって今日が初めてじゃなかった。それでも天使はゴミ溜めから飛び立たない。

「一緒がいいから、か」

 水面を覗き込めば、ボサボサの黒髪と濁った黄色の瞳がゆらゆら歪む。作られた愛想、特に取り柄がない凡才。釣り合わないにも程がある。それでも。

 誰がなんと言おうと、あの子は俺の弟。たった一人の双子の片割れだ。
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