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一章 ホルンメランの駿馬

八話

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 「ライアンくん、羽を生やそう。」

ライアンくんは「は?」と聞き返したそうな顔で僕を見ていた。
「いや、分かるように説明してくださいよ。」

ライアンくんの言うことはもっともなので、僕は昨日閃いたことを一から説明した。

 昨晩のフィリムとの話が随分とヒントになった。彼女には後でお礼しとかないとな。

「目指す馬は、気性が穏やかで力が強く、そして軽い馬だろ。でも普通じゃそれは無理なわけだ。そこで考えたのが羽だよ。もしも馬に翼を生やすことができたら、飛ぶまではいかなくても、多少浮くことはできるだろう。」

 ライアンくんはあっけにとられていた。彼が僕の言ったことを飲み込むまで少し待った。

「よくそんな突飛なことを思いつきますよね。でも翼を生やすなんてどうやるんです?」

そこは昨晩ベッドの中で考えていた。が、ここは単純な思考でいいのではないか。

「ここら辺にいる一番でかい鳥と配合しよう。できれば気性が穏やかだと助かる。」

ライアンくんは僕に少し待つように言うと奥へ行った。

 戻ってきたライアンくんは右手に分厚い図鑑を二冊持っていた。

「これ鳥類図鑑です。」

彼はそういうと、二冊とも机の上に僕の方へ向けて置いた。
図鑑は緑のと紫のが一冊ずつだった。

「これ、二冊あるのはなんで?」

二冊とも本の表紙には何も字が書かれておらず、違いは色しかなかった。

「緑のは通常の鳥類の図鑑で、紫の方は魔物指定されている鳥類の図鑑です。」

なるほど、この世界はちゃんと普通の動物と魔物とを区別しているらしい。

 普通の鳥と配合しても、鶏肉と馬肉がごっちゃになるくらいにしかならないだろう。

「じゃあ魔物にしよう。適任の鳥は思い当たるかい?」

「うーん、第一に翼が大きい種を選ばなければなりませんね。」

そう言いながらライアンくんは紫の図鑑のページをパラパラめくり始めた。

 気になるところがあったらしく、彼の手がぴたりと止まった。

「あ、こいつはどうです?バレエダンサーという魔物です。」

「なんか不思議な名前だけど、どんな鳥なの?」

そう聞くとライアンくんは図鑑をこちらに見せてきた。彼が指し示した写真にはバレエダンサーと思われる鳥が写っていたが……

「なあ、これただの白鳥じゃない?」

そう、写真の中の鳥はまんま白鳥だったのだ。

 ライアンくんは苦笑した。

「まあ確かに写真だけ見るとそうですよね。」

「何か違うのかい?」

「まず大きさが違います。バレエダンサーは白鳥の二倍以上は体長があります。実物を近くで見るとだいぶ大きいですよ。」

確かに大きいに越したことはない。

 ライアンくんはさらに付け加えた。

「それとですね……」

「それと?」

「最大の特徴なんですけどね、バレエを踊るんです。」

「いや、バレエダンサーってそういう意味かよ。」

馬にバレエは必要ないだろう。が、巨大な白鳥ということは、おそらく羽が大きいだろうから一番適しているはずだ。

「よし、ライアンくん。捕まえにいこう!」

 心なしか、ライアンくんが嫌な顔したような気がする。

「ええ、それじゃあ行きましょうか。」

彼はすぐに身支度を始めた。

 シャコの時と違って、今回は二人だけだった。

「二人で大丈夫かい?」

と聞いてみれば、ライアンくんは淡白に答えた。

「今回は別に危険じゃないので、気楽に行きましょう。」

言葉を裏付けるように、ライアンくんの格好は軽装だった。

 今回は湿地帯とは反対側の森林に入るようだが、中々街中から出ない。さっきからずっと大通りの中を二人で馬車に揺られているのだが、一向に防壁が見えてこないのだ。

「ねえ、今日はやけに遠くないかい?」

「そりゃあそうですよ。湿地帯方面は役所寄りなのですぐに外に出られますけど、森林方面は街の真反対にあるので町を横断していかないといけないんです。町を出るのは昼過ぎになりますよ。」

そこまでか。ホルンメランは僕が思っていたよりもずっと広いらしい。

 街を出るまでに本当に昼をこえてしまった。こちら側の壁は役所の側よりも気持ちボロく見えてしまった。あくびをする門番をよそに僕達が乗る馬車は門を出た。

 外の景色は、湿地とは全く違っていた。平野が広がり、少し先には緑溌溂と森林が茂っていた。最も違うのは、この通り馬車が倒れてしまうということである。空気も爽やかで、気持ちがいいからもう二度と湿地の方には戻りたくないと感じてしまう。

 こちらの平原があまりに快適だから、ふと考えてしまう。

「なあ、これさ。そもそもこっちの出口使えば湿地を通らずに済むじゃないか。湿地走れる馬なんて本当に必要なのか?」

浮かんだ疑問をライアンくんにぶつけると、彼は景色のむこうを指さした。

「あれですよ、あれ。」

彼の指の先には、頭に雪を被った峰々が連なっていた。あまり遠くにあるわけでもないから、余計に気圧されてしまうたくましさだ。

「こちら側から出ていくとすぐそこの山脈にぶち当たるんですよ。しかもこの山脈、ホルンメランを囲うように連なっているから余計不便なんです。どこかへ行こうと思ったら、ほとんどの場合は湿地帯を通っていかなくちゃならないんです。」

彼の言葉通り、馬車は平原をすぐに通り過ぎて山の麓の森林に差し掛かろうとしていた。

 森の中は静かだった。動物たちは大勢いたが、どれも僕たちに敵意は向けてこなかった。ライアンくん曰く、ここの森には穏やかな気性の生き物しか住んでいないらしい。さながら元の世界の森と同じ感じである。

 木々の間に器用に作られた粗末な道を馬車は進んでいくが、その間も不思議なくらいになにも起きなかった。ときどき頭上を鳥が飛び交うだけで、あとは何もない。そんな森の雰囲気につられて僕も無口になって馬車に揺られていた。

 ライアンくんがもう少しで着くと合図したので、窓から先の景色を見通すと、確かに木がまばらになっているところが見えた。そこはしだいに近づき、影が少なくなったおかげで日の光がよくさしてきた。

 視界が開けきったその場所は、聞いた通りの湖だった。無風の今日は殊更に湖面が綺麗で、見事な鏡面磨きになっている。

 僕が湖の景色に恍惚としている間に、ライアンくんは準備を始めていた。彼は馬車の荷台からなにやら機械を取り出していた。

「なんだい、それ?」

と聞いてみると、彼は見たほうが、いや、聞いたほうが早いと言って機械のスイッチを入れた。

 すると機械は音楽を奏で始めた。これはラジカセのようなものだったらしい。音楽についての知識は僕にはほとんどないが、流れた音楽は高尚で上品なやつだった。

「これで出てくるはずです。」

そういうとライアンくんは機械を湖のほとりに置いた。

 しばらく音楽が流れると、湖の奥の方から影が近づいてきた。先程まで、僕は心の中でライアンくんを疑っていたのだが、本当に近づいてきて驚いている。影はたしかに巨大な白鳥だった。しかし実際見てみても奇怪だったのは、その動きである。バレエダンサーはその名の通り、翼をはためかせながら、クルクルと踊っているのだ。

 僕たち二人はじっと影に潜んでバレエダンサーの踊りを見守っていた。

「もうしばらく踊り続ければ夢中になって周りが見えなくなるので、そこがチャンスです。」

確かにライアンくんの言葉通りに、白鳥のダンスは次第に熱を帯びてきた。

 バレエダンサーはついに機械の目の前まで来て踊り狂って羽音を響かせはじめた。そろそろだという合図とともにライアンくんは岩陰からでた。しかしバレエダンサーはあまりに熱中しているために全くライアンくんの存在に気づかなかった。

 ライアンくんに続いて僕も陰から出たが、やはり気付かれない。ついに二人ともがバレエダンサーの目の前まで来てしまった。

 しかし恐るべき集中力だ。到底鳥とは思えないほどである。さて、ここからどうするのだろうかとライアンくんを見ていると、こちらも仰天の行動に出た。

 素手で羽交い締めにしたのである。触れられると、流石にバレエダンサーも僕たちに気づいて暴れ出した。ただでさえ巨大な鳥だから、暴れ出すと羽音が凄まじくうるさい。僕があっけにとられていると、ライアンくんが必死に叫んだ。

「早く!早く電源を切って下さい。」

彼の言葉で僕は我に返って、言われた通りに機械のもとまで向かった。

 しかし、電源がどれか分からない。しまった、聞いておけばよかった。思いの外複雑な機械らしく、大量のボタンがあった。迷うひまもないので、僕は勘で一つ押してみた。



 音量が上がってしまった……バレエダンサーは一層激しく動き始めて、ライアンくんは振り回され始めた。彼は半ギレで僕に再び叫んだ。

「違いますよタイセイさん!水色のボタンです!」

水色、水色……って、二つあるじゃないか!

 どうしようか。なぜにこうもボタンの数が多いのか。大きいのと小さいのが一つずつあった。電源は目立つ方だろうと思い、僕は大きい方のボタンを押した。


 曲が変わっちゃった……それも激しめの曲に。バレエダンサーのボルテージはいよいよ最高潮に達したとみえ、スピンにますますのキレがでてきた。ライアンくんはもうかろうじてバレエダンサーの体にしがみついているだけで、グルグル振り回されている。

 こっちじゃなかったのか。今度こそ三度目の正直ということで、小さい水色のボタンを押し込むと、そこでようやく音楽は止まった。

 すると不思議なことに、たった今まで踊り狂っていたバレエダンサーは、突然静かになってしまった。それをライアンくんは最後の力を振り絞って捕まえた。いや、はたから見たらどちらが捕まえられているのか分からなくなってしまうが……
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