【完結】サトリ様と花謡いの巫女の手習い〜奪われ虐げられた私は伝説の巫女様でした〜

日月ゆの

文字の大きさ
上 下
7 / 30

7

しおりを挟む

 初夏の風に熱気が混じるようになったある日。
 茜は今日も紫生に文字を習いに裏山へ日参していた。

 眩しい日差しを避けるように木陰で今日も茜は文字の書き取り練習をする。
 切り株を文机代わりとし、和紙を敷き、紙の上に筆を運ぶ。

「……お前の字はとてもお前らしいよな」

 紫生は木の幹にもたれかかる寛いだ姿勢でぽそっと呟く。その視線は茜が初めて書いた『しき』という拙い文字へ注がれていた。

 茜は和紙に滑らせていた筆を止める。紫生の視線を感じ取りながら、自分の書いた字に目を落とす。

 その字はやっと字の形を成しているほどだ。真っ直ぐ伸びすぎた『し』という文字の横に小さく『き』と紙の余白に寄りすぎている。

(こんな不格好な字のように紫生には私が見えてるんだ)

「違う」

 鼻を指で摘まれ、茜は驚きで思わず筆を落としそうになる。だが、折良く紫生が手早く筆を取り上げ難を逃れる。

「お前の真っ直ぐな気性が表れていると褒めたんだよ……」

 紫生は茜から筆を取り、竹筒の中に納める。
 ぽかんと紫生を見つめたまま身動きを忘れた茜から罰が悪そうに紫生は視線を外す。

 紫生が茜を褒めるなんてめったにない。いつもは「ニヤけるな」とか「手加減しろ」とか頬をつままれたり、叱られてばかりだった。

「お前は隠し事なんてないんだな。顔にも、字にも、思っていることがそのまま出てる。嘘も駆け引きも、まったく必要ないんだな……」

 どこか遠くを見るような目で紫生は呟いた。
 どこか寂しげを滲んでいて、茜は胸の奥が引き絞られるような感覚を覚える。

「ああ……そうか」

 何かが腑に落ちたように、ふっと小さく笑う紫生がこちらを向く。

「お前といると、いやお前との時間が堪らなく心地いいんだ。俺には得難いものだと思っていたのにな……」

 茜色の瞳を眩しそうに細め、甘やかすような声音で紫生は言う。
 嬉しいけれどくすぐったいような眼差しに茜は鼓動が早まり、紫生から目が離せなくなった。
 茜がどぎまぎしながらもはにかむと、見つめ返す紫生がふわり、と笑う。
 今まで見たことがない屈託無いやわらかな笑顔で、茜の頬もさらに緩んでしまう。
 二人の間に、ほんのりと甘い空気が流れた。

「ん。……やる」

 紫生は茜の書いた紙を丁寧に折り、懐へ仕舞う。白絹に包まれたなにかをおもむろにそこから取り出し、すっと茜に押し付けるように手を差し出す。

(なんで?)

 突然なぜそんなものを紫生がくれようとしているのかわからず。
 茜は首を傾げ、両手を胸元の位置で振る。

「……文字の練習を頑張っているからな。ご褒美というのか労いだっ」

 紫生はさらにそれを茜の目の前に突き出す。

「大人しくもらえばいい」

 絶対に引く様子のない紫生に茜はおそるおそるそれを受け取る。布を開け、息をのんだ。

 中には赤漆で塗られ、繊細な花が螺鈿らでん細工であしらわれた美しいかんざしだ。光を反射し、小さな花が紫がかった色合いや白色にも変化し、思わず見惚れた。

「気に入ったようだな」

 紫生の満足というよりほっとしたような声に聞こえた。茜はわけもなく胸が締め付けられる。
 簪を大事に胸に抱えると茜は何度も頷く。

「簪にある茜の花は、花の中では小さく地味だが……俺は好きだ」 

 大事にしろよ、と紫生は頭を撫でる。優しい笑顔と思いがけず掛けられた「好き」という言葉に焦って視線を伏せる。心臓が急におかしな音を立てた。

(紫生が言ったのははお花の方なんだけど、嬉しいし。あの笑顔とか……全部かっこ良すぎてずるい)

 茜の耳に紫生の小さく息をのむ音が届く。心の声が紫生には筒抜けだったことに、今さら気づく。

(どうしよう。えっと、勘違いしていないよ)

 ありがとう、と何度も心の中で念じる。バクバクと逸る心臓の音が紫生に伝わっていませんように、と。

 紫生の顔が見ることができす、そっと膝でじりと後退ると、紫生の大きな手が頭から離れていく。

 その離れた温もりと重さにふと名残惜しい気持ちが掠めるが、それを頭をふって追い払う。

 もうそろそろ家にも帰らないと、と考えたその時。

「……なあ。お前大丈夫か?」

 ふいに紫生が真剣な声で問いかけた。

 弾かれたように顔を上げると、いつの間にか正面にいた紫生がじっと茜を見下ろしていた。

 緋色の瞳は真摯な眼差しを向けてくるが、紫生の真意が見えず戸惑う。
 何も思いつかない茜は眉を寄せ、胸元に持つ簪をぎゅうと抱きしめる。

 紫生は茜からの何か言葉を待つように、思い詰めた真っ直ぐな視線を向ける。
 だが、やがて諦めたようにまつ毛を伏せ、ふうと小さく息を吐いた。

「また明日も気をつけて来いよ」

 けれど、紫生はすぐにいつものように気だるげな表情になり、しっしっと追い払うように手を振った。
 茜は戸惑いながらもコクリと頷き、里へ向かって歩き出す。

 先程の紫生の表情はなんだったのかな。怖いぐらい真剣だった。
 茜は数歩歩いたあと、ふと振り返った。

 なにかを期待なんかしていない。名残惜しいと思っているのはたぶん自分だけ。
 でも、紫生は茜の方を見つめながら、同じ場所にに立ったままだった。
 その顔は、甘く、優しく見守るような表情を浮かべている。

(なんでそんな顔しているの?)

 いつもそうやって見送ってくれたのかもと錯覚しそう。
 紫生にとって私は単なる暇つぶしでしょ?
 疑問を浮かべたまま、紫生と目を合わせる。

「茜」

 
 紫生の凛々しい唇がゆっくり言葉を紡ぎ出し、笑みの形に崩れた。
 その瞳はやっぱり優しい。

 なぜかその瞬間、心の奥に新たな痛みを感じ、目の奥が熱くなる。
 甘さを帯びた痛みは、何も言えず大切にしたい気持ちだった。

  茜はもどかしい想いを抱えながら、紫生と静かにただ見つめ合った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―

島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。

天狐の上司と訳あって夜のボランティア活動を始めます!※但し、自主的ではなく強制的に。

当麻月菜
キャラ文芸
ド田舎からキラキラ女子になるべく都会(と言っても三番目の都市)に出て来た派遣社員が、訳あって天狐の上司と共に夜のボランティア活動を強制的にさせられるお話。 ちなみに夜のボランティア活動と言っても、その内容は至って健全。……安全ではないけれど。 ※文中に神様や偉人が登場しますが、私(作者)の解釈ですので不快に思われたら申し訳ありませんm(_ _"m) ※12/31タイトル変更しました。 他のサイトにも重複投稿しています。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

後宮の裏絵師〜しんねりの美術師〜

あきゅう
キャラ文芸
【女絵師×理系官吏が、後宮に隠された謎を解く!】  姫棋(キキ)は、小さな頃から絵師になることを夢みてきた。彼女は絵さえ描けるなら、たとえ後宮だろうと地獄だろうとどこへだって行くし、友人も恋人もいらないと、ずっとそう思って生きてきた。  だが人生とは、まったくもって何が起こるか分からないものである。  夏后国の後宮へ来たことで、姫棋の運命は百八十度変わってしまったのだった。

【完結】「聖女として召喚された女子高生、イケメン王子に散々利用されて捨てられる。傷心の彼女を拾ってくれたのは心優しい木こりでした」

まほりろ
恋愛
 聖女として召喚された女子高生は、王子との結婚を餌に修行と瘴気の浄化作業に青春の全てを捧げる。  だが瘴気の浄化作業が終わると王子は彼女をあっさりと捨て、若い女に乗 り換えた。 「この世界じゃ十九歳を過ぎて独り身の女は行き遅れなんだよ!」  聖女は「青春返せーー!」と叫ぶがあとの祭り……。  そんな彼女を哀れんだ神が彼女を元の世界に戻したのだが……。 「神様登場遅すぎ! 余計なことしないでよ!」 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿しています。 ※カクヨム版やpixiv版とは多少ラストが違います。 ※小説家になろう版にラスト部分を加筆した物です。 ※二章に王子と自称神様へのざまぁがあります。 ※二章はアルファポリス先行投稿です! ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて、2022/12/14、異世界転生/転移・恋愛・日間ランキング2位まで上がりました! ありがとうございます! ※感想で続編を望む声を頂いたので、続編の投稿を始めました!2022/12/17 ※アルファポリス、12/15総合98位、12/15恋愛65位、12/13女性向けホット36位まで上がりました。ありがとうございました。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

処理中です...