上 下
19 / 69
はじまりの10歳

19. 夢に、甘く堕ちる《イヴ・クレイドルside》3

しおりを挟む

 苦しいのは悔しいからだ。

 そう解釈した僕。
 さらに嫌らしいことをすれば、逆にお姫様を悔しがらせることができるはず!

 お姫様が不在の隙をみて、大事そうに机の引き出しに入っていた紫色の宝石がきれいな懐中時計を手に取った。

 ズシッと重く冷たい感触に、ふとお姫様の悲しむ表情が頭を掠め、ぐっと喉に何か詰まった。
 足もふかふか絨毯に縫い付けられたように動かなくなる。

 懐中時計に目をやると、蔦が絡まり蝶のような小さな藤の花が垂れ下がる意匠。

 クレイドルの家紋だった。

 急速に血の気が引いていく。手の中の懐中時計の重みがぐぐっと増した気がする。
 あ、どうしよう。っこれ、とんでもなく大事にしていたものなんじゃあ。
 返し⸺

「おいっ! そこで何を……」

 運悪く使用人に見つかってしまった。
 ドアを締めた気でいたが、動揺して開けたままにしていたらしい。間抜けだ。

 そのまま使用人に咎められていたところにお姫様が到着。
 彼のすッんごく怖い悪魔従者から、無くなったお母さまの形見だと教えられた。

 それでもお姫様は笑顔で僕を許し、『弟』だと僕をいう。
 何なんだ。この人は。純粋かつ善良で、とっても甘過ぎる。
 まっとうに僕を『弟』として、愛している、とでも。

 いや、あの愚かな父のように、搾取されているのにも気づいていないのか。
 それとも僕をバカにしている?

 「……色無しのくせに」

 つい、悔しさのままポロッと漏らした。

 すると、もう堰を切ったように今まで我慢してきた思いが、止めどなく濁流のように言葉になる。
 家族への怒りや、やるせなさを、愚かで甘いまっとうな彼にぶつけた。全く関係ないのに。

 お姫様は自分が悪くないにも関わらず、懺悔の言葉を僕にかける
 とっても悲しそうな堪えている表情で。

 わけがわからない。なぜ謝るんだよ。あなたが。

 絶句し、咄嗟に考えが、言葉が、うまく纏まらない。

「僕はイヴくんのこと、とっても大好きだよ。君と出会えて本当によかった。
 毎日イヴくんと遊べるだけで僕はとんでもなく楽しいんだ。
 だから、お兄ちゃんとして弟の君が欲しがるものは全部あげたかったんだ。
 あのね、君はひとりじゃないから。お屋敷の皆も君のこと大事に思っているよ。
 それに、君は僕はいろいろ持っているっていうけど」
「僕は君の髪と瞳が羨ましい。君の纏う色は紛れもなくクレイドルのお姫様だよ」

 お姫様はそう言うと、儚げに柔らかく微笑む。
 彼のまろい頬に透明な澄んだ雫が1筋滑り落ちていく。

 ピンクの澄み切った瞳には、美しい雫がとめどなく溢れる。
 白い睫毛が涙で濡れ光り、可愛いというか綺麗。

 一瞬、あまりの綺麗さに見とれた。

 あぁ。もう無理だ。
 抗えない。

 この人が僕を大切にしてくれていたことは頭ではわかっていたけれど、認めたくなかった。
 甘えていたんだ。
 心から嬉しそうに笑いながら、僕に何でも渡そうとする。
 この人が飾らず差し出す純真な優しさに。

 今ならわかる。

 あなたのものが欲しかったわけじゃない。
 初めて会った時から、気品満ち溢れる所作も、相手を繊細に思いやりながらも芯のある行動力。
 自然と息を止めてしまう透き通るような美貌も。

「イヴくん」と呼ぶあどけない可憐な高めの声。

 甘美な熱に浮かされたように、頭の中からずっと離れなかった。

 認めてしまおう。
 この甘い甘いお姫様のまっとうな優しさと。
 いつの間にか染み込むように広がり、満たす僕の気持ちを。

 じゃあ、まずは仲直りだ。彼が望む『弟』になろう。
 幼く、無邪気で甘え上手な『イヴくん』に。

 それから、意図的にあどけなく口調を変え謝罪し、どさくさに紛れて抱き着いた。

 僕のお姫様ラズ兄様の反応が気になり、顔を上げた。
 途端、苛烈な想いが胸の中へ一気に膨れ上がる。

 ぐっとせり上がる衝動のまま、濡れる瞳へそっと手を伸ばす。
 未だに残る光を溶かしこみながら吸収し、煌めく美しい雫。
 その雫を指の背でそっと掬い取った。

 吸い寄せられるように舌を伸ばし、美味しそうな雫を味わう。

 僕の為に流された涙の優美な甘さに酔いしれ、想いのままに抱き着き。
 愛を告白した。

 だが、専属従者という悪魔にすぐに引き剥がされた。ちっ。



 諦められない僕は甘え上手な『弟』になりきることに。
 夜にラズ兄様のお部屋に訪ね、夜が心細い『弟』を装う。
 ちなみに、パジャマ姿のラズ兄様の可愛さに心臓を全部持っていかれた。

「ラズ兄様。今日は一緒に寝ても良いですか?」
「うん! 良いよっ!」

 ラズ兄様のベッドにふたりでいそいそ入る。
 瞬く間にラズ兄様専属悪魔が大悪魔に進化したけれど、無視だ。

 絹の薄衣のパジャマはラズ兄様のほっそりした体のラインを艶かしくひろう。
 窓から入る月光に照らされたその姿にほんのり色気を感じ、鼻息荒くなるのは仕方がないな。

 また、薄い布は、ラズ兄様の温もりも生々しく伝える。
 心の奥まで染み込むように入り込む甘い温もりに、今まで虚勢を張り強ばっていた心もほぐれて行く。

「……あのさ。イヴくん。僕ね、寝ボケるとなにかに抱き着く癖があるんだ」
「っご褒美ですね!」
「え?」
「あ、いや、大丈夫デスヨ」

 ありがとう、と小さく洩らしたラズお兄様はふわりと甘く笑う。
 しばらくすると、白く長いまつ毛をゆっくり伏せ、規則正しい寝息をたてはじめる。

 ごそごそ動き出すラズ兄様にもしかして、と期待に胸を膨らませた僕。
 耳にも美味しい甘い寝息と衣擦れ音を聞きながら、緊張でガチガチに固まった。
 すると、ラズ兄様の細い腕が僕の背中に回る。

 ぎゅうっと回る腕の力の強さがお姫様に、無意識にでも甘えてもらえているようで。

 その甘さが僕を満たし、まっとうな愛おしさでクラクラする。

 いつの間にかあなたが僕にじわりとじわりと浸潤し、甘く堕とした。

 もうこの甘さをにどっぷり浸かった僕は、あなたにこのままずっと溺れていたい。

 いつかあなたも僕に甘く堕ちてくださいね、ラズ兄様。

 

 すーっと息を吸い込むと、ラズ兄様の滑らかな肌から花のような甘い香り。
 どこまでも、全てが甘いラズ兄様の香りに溺れながら、彼が欲する瞳を閉じ微睡みに堕ちた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界では人並みに幸せになれますように

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:348

寿命が短い君と憂鬱な自分

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:3

過激な百合の毒

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:85pt お気に入り:1

猫もふあやかしハンガー~爺が空に行かない時は、ハンガーで猫と戯れる~

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:170

彼女は1人ぼっちだから…

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:28,640pt お気に入り:615

【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由

恋愛 / 完結 24h.ポイント:674pt お気に入り:1,533

処理中です...