胎動

神﨑なおはる

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25:そして漸く立ち上がれた

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 漸く名前がついた赤ん坊を見ながら、璃亜夢は不本意ながら少しばかり感じ入ってしまった。この時、璃亜夢は本当に自分が子供を出産したのだと思い至る。
 人間というものは、いや、女性というものは本当に人間を産めるようになっているのだなと何処か他人事のように感心してしまう。
 璃亜夢が、眠っているのか目を閉じて呼吸を繰り返す茉莉花の顔を見ていると、不意に、向かいに座っていた大黒が「あ」と何かを思い出したかのように声をあげる。
 その声に璃亜夢は彼に顔を向けるが、大黒は慌てた様子スマートフォンを確認して「二十時前か……」と呟いて璃亜夢を見る。

「璃亜夢さん、今から出かけられるかな?」
「今?」
 璃亜夢は怪訝そうに大黒を見て、一体何処へ行くつもりなのかと困惑する。
 一瞬璃亜夢の脳裏に『警察』の文字が過ぎり、警察へ突き出されるのかと恐怖する。
 だけど大黒は通勤カバンから財布を出して、ズボンに突っ込むとゆっくり立ち上がる。

「病院。産婦人科。一人で出産したわけだし、身体に何処か問題ないかとか診てもらっといた方がいいよ。産後に体調崩すこともあるんだから。二番目の姉さんは一人目出産した後に後陣痛こうじんつうって言ったかな? 陣痛よりも酷い痛みが来て大変だったこともあったから検診は受けないと」
 そう言いながら大黒は出かける準備をするが、璃亜夢は茉莉花を抱きクッションに座ったまま動かない。その表情は暗く、大黒は「やっぱり体調悪かったかな?」と問うので璃亜夢は慌てて首を横に振る。

「私、保険証持ってないし、それに妊娠したってわかってからも病院には一回も行ってないし、その……怖い」
 上手く言えないが、病院に行ったら医師や看護師に、何故病院に行かなかったのかと怒られるような気がして血の気が引く。
 璃亜夢の言葉に大黒は神妙な顔をする。そして難しい顔をする。

「申し訳ないけど、これから行く病院の先生はめちゃくちゃ怖い。君の話を聞いて君を叱りつけると思う」
 そう言われて璃亜夢は意気消沈する。
「だけど叱られるのはその場だけの話だし、君の身体に何かあったらそれはその後に長く患うかもしれない。今病院には行くべきだ」
 大黒にそう言われて、璃亜夢は拒むことができなかった。
 璃亜夢は茉莉花を抱いたまま観念して立ち上がった。

 ***

 産婦人科へはタクシーで向かった。
 その道すがら、大黒はこれから行く病院の話をしてくれた。
 院長は船越という先生で、医師は六人勤務しているらしい。
 開業して最初に産まれた赤ん坊が大黒だったらしく、今も妊娠中の姉達が通院しており、大黒の家とはもう二十年以上の付き合いなんだという。
 大黒はタクシーの中で病院に連絡していた。こういう事情の女性を診てほしいと簡単に璃亜夢のことを説明していた。
 璃亜夢はその会話を聞きながら、かなり緊張していた。
 大黒はとても怖い先生だと言っていた。もう気が気じゃない。
 生きた心地がしないまま、タクシーは十分程走って病院へついた。

 病院に着くと既に外来診察時間は終わっていた。
 だけど受付の電気は点いていた。待合には誰もいなかったが、受付の前には白衣を来た初老の背の高い男性が立っていてやってきた大黒と璃亜夢を見て顔をしかめた。その白衣の名札に『船越』とあり、この人が『怖い先生』なんだと璃亜夢も直感する。
 大黒は苦笑しながら「今晩和、船越先生」と会釈すると、船越は璃亜夢を一瞥する。

「君か、未受診の上一人で出産した馬鹿娘は。何考えてんだ」

 そう淡々とした口調で言われる。怒鳴られることを覚悟していた璃亜夢だが、船越の口調はそれとは違う凄みがあった。璃亜夢は船越の言葉に思わず縮こまる。
 それを見ていた大黒は「先生それくらいに……」と船越を宥める。
 船越は大きく溜息をつくと、「まずは採血。それから検査。あとの話はそれから」と言うと受付の方へ声をかける。
 すると奥から看護師らしき女性がやってきて、璃亜夢と茉莉花を奥へと誘導する。その女性も璃亜夢がどういう状態なのか知っているらしく璃亜夢の背中を摩りながら「一人で頑張ったね」と声をかけてくれる。
 そんな言葉に璃亜夢は、ああ私頑張ってたんだ、と今日はまた少し泣きたくなった。
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