鵺の泪[アキハル妖怪シリーズ①]

神﨑なおはる

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第30話『震天動地⑤-シンテンドウチ-』

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「どの人ですか」
 購買部の前まで来ると、西澤顕人にしざわあきとは陸上部所属の四年生・西尾にそう問いかける。
 購買部は、建物の中にあるコンビニのように通路に面する壁がガラス張りになっており、外からも店内の様子が見えるようになっていた。一般的なコンビニよりも、購買部の方が店内は広いが、店内を窺うことはできた。
 滝田晴臣たきたはるおみはガラス越しに派手目の服装だと言われる噂の『あんりちゃん』を探す。

 今、顕人と晴臣は西尾を連れて購買部の外から、『あんりちゃん』を探していた。
 晴臣曰く、昨晩顕人と晴臣の前に現れた通り魔は恐らく女性で、その上『あんりちゃん』は通り魔と身長が近いらしい。といっても身長を証言したのは『サモエド管理中隊』の函南だし、函南も恐らくというニュアンスだったから確証は何一つない。
 ただ、二人が襲われる理由があるとしたら、昨日から調べだした室江に送られたメモ用紙の差出人とそれと芋づる式に話題に上がった『ペッパーハプニング』が関わっているのではないかと考えられる。
 その『ペッパーハプニング』の首謀者であると思われる荒瀬川たちが鉄パイプを持った通り魔に襲われ、同じく鉄パイプを持った人物が明らかな敵意を持ってやってきたのだ。無関係ではないだろうし、顕人は昨晩の通り魔と荒瀬川達を襲った通り魔は同一ではないかと考えている。
 昨日話を聞いて回った中で、話に上がった女性は、自称文学部二年の田村八重子たむらやえこだが、彼女に関してはこれ以上の追及することを何故か宮准教授から止められた。正直、二人は納得できないでいたが、宮准教授にするなと釘を刺された以上追求するにはそれなりの理由が必要になってくるのを理解している。それが無い以上は動けないのだ。
 田村八重子を調べられない以上、もう一人の話に上がった女性である『あんりちゃん』を調べるしかない。
 でもただ単に、荒瀬川に近しい女性で、身長が通り魔に似ているからという理由で、本当に通り魔なのかと疑っている部分もある。
 昨晩の通り魔と荒瀬川達を襲った通り魔は同一であったとしても、それが『あんりちゃん』かどうかは顕人も素直に頷けないでいた。
 此処までの話は、晴臣の直感に頼っている部分が大きいからだ。
 根拠が欲しい。
 でも『あんりちゃん』に会えばそれもはっきりするかもしれない。
 顕人はそんなことを考えながら、噂の『あんりちゃん』を探す。だけど、店内に女性客は何人もいて、どういう服装が『派手目』なのかがわからず困惑する。
 女性の服装、本当にわからない。
 顕人が渋い顔をしていると、隣りにいた西尾が不意に「あっ、あんりちゃん」と呟くの慌てて西尾の視線の先を追いかけた。

 レジの前に明るい茶色の緩くウエーブのかかった長い髪の女性が立っていた。
 顕人たちがいる場所からは後ろ姿しか見えないが、西尾が言うなら彼女が『あんりちゃん』なのだろう。
 彼女は丈の短いオレンジ色のワンピースを着ている。数時間前に見た小金井のワンピースとは対照的に色の濃さが強い明るい服装だ。
 確かに、派手目、という言葉が当てはまる。
 彼女が通り魔? 顕人は首を傾げながら『あんりちゃん』の後ろ姿を見ていたが、晴臣は不意に何かを見つけて「アキ」と声をかけてくる。

「何」
「右手見て」
 晴臣に言われるまま、顕人は『あんりちゃん』の右手を見る。彼女の右手首には包帯が巻かれていた。
 それを見て、昨晩晴臣が通り魔の右手首付近を蹴りつける場面が脳内で再生される。
 あの怪我なのだろうか。
 顕人が考えていると、昨晩のことを知らない西尾は暢気に「あんりちゃん、怪我してるじゃん、大丈夫かな」とぼやく。
 そういえばまだこの人がいたな。
 顕人は西尾に向き直ると深々と頭を下げる。

「ここまで付き合ってくれてありがとうございます」
「え」
「先輩も忙しいでしょうから、『あんりちゃん』さんにはクラッカーの件、俺たちから説明しておきます」
「えっ、えっ?!」
「お疲れ様でしたー」
 顕人は西尾に反論させる間もなく捲し立て彼を購買部のある建物の外へと押し出していった。西尾は突然の退場に驚きつつも踏み止まろうとするが、顕人に晴臣も加勢して西尾の背中を押すので、あまりに近くにいた晴臣の驚きそのまま渋々という様子で恐らく陸上部の仮設テントの方へ戻っていった。
 さて。顕人と晴臣は顔を見合わせる。

「これからどうする? 直接声かけてみる?」
 晴臣が嬉々とした表情で顕人に問う。だけど顕人は首を横に振る。
「もし、万が一、仮に。『あんりちゃん』さんが昨日俺達を襲った通り魔だったとする」
「うん」
「どういう意図があったかは知らないけど、昨日襲ったやつが次の日自分のことを訪ねてきたら驚いて話どころじゃないだろ」
「じゃあどうする?」
「暫く様子を見る。そもそも他のバスケ部が来ていないのにどうしてあの人だけ来てるのかも気になる」
「明後日の準備じゃないの? ガムテープとビニール紐買ってたけど」
「……見えてたのか」
「バッチリ。あっ、出てくるよ」
「……」
 晴臣の言葉に、顕人は建物から出て入口から死角になる物陰に入る。晴臣もそれに続く。
 数秒後、オレンジ色のワンピースの女性が茶色の髪をなびかせて建物から出てくる。
 一瞬ちらりと見た彼女の顔は化粧をきっちりと施されて、唇の赤さに顕人の目を引いた。しかしながらその表情に笑みはなく、服装の明るさとは裏腹に暗そうな印象を受けた。
 彼女は荒瀬川の所属するバスケ部が割り当てられた区画とは違う方へ歩いていく。
 二人は十分な距離を取りつつ、彼女の後を追いかける。

「背格好的にどうだ?」
 顕人は小声で晴臣に問う。
 晴臣は首を傾げながら「身長はあれくらいだったけど……もっと近づかないと判断つかないかな」とぼやく。
 確かに今、二人と彼女の間には大凡五メートルほどの距離が空いている。
 これ以上近づくのは彼女に気付かれる可能性がある。
 どうせ話を聞くなら、人通りの少なく、揉め事になっても人目を引かない場所が良い。彼女が通り魔ではないにしろ、彼女が付き合っている男性のことを根掘り葉掘り聞こうというのだ。良い印象を抱かれるのは難しい。何とか穏便に話を進めたいが。
 顕人がそんなことを考えていると、『あんりちゃん』は教室棟に入っていく。
 教室棟でも研究会所属の生徒達が割り振られた各教室で展示の準備をしているはずだ。
 彼女は何処かの研究会に所属していたのだろうか。
 二人は慎重に彼女を追いかけて教室棟に入る。

 少し前を歩く『あんりちゃん』は玄関ホールを抜けてロッカールームに向かう。
 大抵の生徒は所属する学部の学部棟の一階にあるロッカーを借りるのだが、中にはそのロッカーだけでは足りず別のロッカーを追加で借りる生徒がいる。
 そういう生徒が、この教室棟のロッカーを二つ目として借りるのだ。
 学生課へロッカー申請の際、英数字が掘られたダイヤルロック錠を渡されるので、それを錠のかかっていない扉に付けて自分のロッカーとして使用するのだ。ロッカーの場所ではなく、ロッカーに掛かっている錠で使用している生徒と紐付けているのだ。
 つまりダイヤルロック錠がかかっていないロッカーは使用者無し。

 なのだが、最近このロッカー利用についても問題が起こっている。
 それは学生課にロッカーの申請を行わずロッカーを使用している生徒がいるのだ。彼らは学生課が用意した英数字入りのダイヤルロック錠とよく似た錠を市販で購入し、それをロッカーの扉に取り付けて勝手にロッカーを専有しているのだ。
 そういう生徒を『偽錠使用者』と呼ばれ一応『サモエド管理中隊』の取り締まり対象となっている。
 しかしながら、教室棟のロッカーはどの年も余っており、ロッカーの不正使用で本来の使用者が使えないということになっていないので、わざわざ錠をひとつひとつ確認して取り締まるようなことはされていない。
 ただバレると注意を受け、その学期の単位の四分の一が没収されるペナルティを負う。そう考えると、ロッカーの不正使用も中々に危険な行為だ。

「『あんりちゃん』さん、学部のは別にロッカー借りてんだな」
 顕人は小声で呟きながら、ロッカールームを覗く。
 ずらりと並ぶロッカー。そもそも二つ目のロッカーを借りている生徒が多くないということもあり、ロッカールームには『あんりちゃん』の姿しかない。
 顕人と晴臣はロッカーの影から『あんりちゃん』の様子を窺う。

 彼女は奥のロッカーの錠を外すと、中から黒のトートバッグを引っ張り出す。そして扉を閉めて施錠するとロッカールームを出る。
 二人は彼女が出るまでロッカーの影に身を潜める。
 彼女を追いかけて顕人がロッカールームを出ようとすると、晴臣は一言「『あんりちゃん』さん、『偽錠使用者』だったね」と呟く。
 その言葉に顕人は思わず「え」と声が出る。

「『あんりちゃん』さんから直接話が聞けなくても、ロッカーの錠ナンバーが分かれば、言い訳して学生課で『あんりちゃん』さんのこと調べられるかなって思ったんだけどよく似た偽錠だったよ」
「あの距離でよくわかったな……」
「視力は良いからね」
 晴臣はそう言いながら。ロッカールームの入口から顔を出して『あんりちゃん』を探す。彼女はロッカールームを出ると、そのまま目の前にある女子トイレに入っていく。
 その様子は顕人も見ていて、少し顔を曇らせた。

 この女子トレイは、昨日田村八重子たむらやえこに撒かれた場所だったからだ。

 正直良い思い出がない。
 そもそも一晩考えても、どうして田村八重子が消えてのか全くわからない。
 顕人は難しい顔で女子トイレから『あんりちゃん』が出てくるのを待った。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
一応シリーズ一本目ですので、その内二本目を書き始められればと思っております。
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