鵺の泪[アキハル妖怪シリーズ①]

神﨑なおはる

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第25話『一場春夢-イチジョウノシュンム-』

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 その鬼に出会ったのは、西澤顕人にしざわあきとが一年の春だった。

 既にゴールデンウイークが終わり、始まったばかりの大学生活での緊張が緩み始めた頃の事だ。
 学内の運動部に『鬼』が出るという噂を耳にした。
 それは授業が始まる前の教室であったり、昼食中の食堂だったり、時間を潰していた図書館だったり。
 ひそひそと流言が散っていく。
 大抵は、運動部に鬼のように強い学生やってきて部員を圧倒して去っていくという内容だった。
 陸上でも、サッカーでも、野球でも。
 何をやらせても他の部員よりも上手くやってしまう。
『鬼』は大して練習もルールも知らないのに、少し聞いただけで部員に勝ってしまう。
 たった数分のレクチャーで、それまで何十時間何百時間と練習し研鑽も磨いてきた者を追い越してしまう。
 それはどんな光景だったか。
 始めて数分の素人同然の人間が、自分の遥か前にいる光景は。
 自分の後ろにいると思っていた人間が、いつの間にか前にいてその背中がどんどん遠のく感覚は喪失感に似ているのだろうか。
 それはどんな地獄だったのか。
 そしてそんな地獄を作っている奴は筋骨隆々としたまさに『赤鬼』のような男なのだろうと思っていた。

 でも、ひょんなことからこの一件に巻き込まれることとなった顕人は、噂の鬼と対面する。

 そこにいたのは、格闘家やレスラーを思わせるような筋肉も身長も強固な肉体もなかった。
 まるで幽霊のようだった。
 いや、鬼なのだろう、ならば『幽鬼』と呼ぶのが相応しいか。
 顕人と同じくらいか、それより小柄な男がいた。

 その表情は陰鬱としていて、目の下にはくっきりとした隈。
 明らかに疲れと、まるで何かに取り憑かれているかのような悲壮感。
 どうしてこの男が、噂の鬼なのか全く理解できないほど、やつれていた。
 その惨憺さんたんたる姿に、言葉も出てこなかった。

 ***

 ガサガサとビニール袋の触れる音に、顕人はゆっくりと目蓋をあげる。
 すると、長机の上に幾つかのビニール袋を置いて中を探っていたが、顕人が起きたのを見て晴臣は笑う。
 午後までまだ時間があり、そういえば昨日は色々考えてしまいあまり眠れていなかったので顕人は少し仮眠を取った。といっても長机に突っ伏して寝ていただけだ。
 正直熟睡できた気はしないが、多少は頭がすっきりした。

「起きた? 昼食適当に購買で買ってきたんだけど食べるでしょ?」
 そう言いながら晴臣は菓子パン・惣菜パン・サンドウィッチを長机に並べていく。
 パンが多いなあと思っていながら顕人は背筋を伸ばしていたが、パンを並べ終えると今度は別のビニールからおにぎりを出していく。
 鮭・ツナマヨ・ネギトロ他多数。どんなけ買ってきたんだ。
 顕人は呆れながら、ぐるりと部屋を見回すと、宮准教授の姿がなかった。

「先生は?」
「僕が帰ってきたとき、下に降りてったよ? 何か用事あるって。でもすぐ戻るって言ってたけど」
「ふーん」
 顕人はそう言いながら欠伸を漏らす。
 壁に掛かっている時計は十一時半を指している。今から食べて出れば、『オープンキャンパス』の準備が始まるだろうか。
 億劫な気分だ。
 宮准教授からの無茶振りを思い出して気が重い。
 荒瀬川の目論見を阻止しろだなんて。そもそもその『目論見』自体がまだ確証のない話なのに。
 どうしたものか。
 顕人は重い気分で、長机いっぱいに並ぶパンやおにぎりの中から、ミックスサンドを手に取る。
 晴臣はおにぎりの包みを破り早速齧り付く。
 幸せそうに食べる顔に、顕人は夢で見た『鬼』の面影が全く無い。

 未だに顕人は、あの時、晴臣の身に何が起こったかわからない。
 あの対峙した後、顕人が晴臣を取り押さえ病院へ担ぎ込んだ。
 数日昏倒した晴臣は、殆ど事件のことを覚えていなかった。
 運動部を荒らしまわっていたことも。
 晴臣に最初に助っ人を頼んだ女子生徒のことも。
 その女子生徒が学内から姿を消したことも。
 彼女が残していった名刺のことも。

 久しぶりにあの時の夢を見たが、今の晴臣を見る度にあれが本当に起こったことなのかを疑いたくなる。
 そんなことを思いながら晴臣を見ていると、おにぎりを咀嚼していた晴臣が怪訝そうに顕人を見る。

「何?」
「いや……幸せそうに食うなって思って」
「だってお腹空いているし」
「食べきれるのか?」
「余裕」
 晴臣は宣言通り余裕たっぷりに笑うと、一つ目のおにぎりと食べ終える。そして二個目は焼きそばパンに手を伸ばしてビニールを破って齧り付く。
 その間抜けな平和な顔を見れば見るほど、去年の彼は一体何だったのかと顕人は考えてしまう。
 でも、どうして今更そんなことも思い出すのか。
 顕人はサンドウィッチをもそもそと食べながら、一旦夢のことは忘れようと考えるが、意識すればするほどあの時の晴臣の表情が脳裏に貼り付いてしまった。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
一応シリーズ一本目ですので、その内二本目を書き始められればと思っております。
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