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第6話『嚆矢濫觴⑤-コウシランショウ-』

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 室江崇矢むろえたかやの話が一通り終わる頃には、新しい書籍を購入して気分が高揚していた宮紡みやつむぐ准教授は神妙な顔付きになっていた。あまりに真面目で、深刻さすら感じる彼の表情に、西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみは固唾を飲んでいた。
 まるでその表情は、難事件を解き明かす探偵のようにも見える。
 まさか室江の話だけで、メモ用紙の送り主の正体がわかったのか!
 そんな期待が膨らむ。
 しかし。

「室江、もしかしてお前イジメに遭ってんのか?」

 突然そう呟くので、指摘された室江は勿論、顕人も晴臣も硬直する。
 皆が言葉を失う中、宮准教授は一大事だと言わんばかりに顔をしかめる。

「よりにもよって俺のゼミ生がイジメなんて・・・これって俺の監督責任とか問われるのか・・・?」
「あの、先生?」
「だが心配するなよ室江。俺は加害者の将来なんて考慮しないぞ。最高のタイミングで被害届提出するなり就活先の企業に暴露してこれから先の人生設計をぶち壊す。自分たちのやった事がどういうことなのか思い知らせてやるのも教師の努めかもしれないな」
「そんな教師いて堪るか」
 冗談か本気かわからないかなり過激な発言に顕人は呆れてぼやく。
「そもそもイジメに遭ってませんから」
 室江も宮准教授の過激な発言に流石に顔を青くして弁明する。

「てっきり先生が先輩の話だけでメモ用紙の主がわかったのかって期待したのに」
 顕人はガッカリと肩を落とすと、宮准教授は心外だと言いたそうに渋い顔をする。
「そりゃあ世の中には事件を解決する『准教授』は多々いるだろうが、この世の全ての准教授がそんなことできるわけないだろ」
 宮准教授はそううんざりしたように呟くと、徐に室江の前に並べられているメモ用紙の一枚を手に取る。『今日は裏門から帰ってください』と書かれているものだ。
 宮准教授はそのメモ用紙を室江に見せながら真剣な顔で問う。

「なあ室江。レジュメやスマホを取られるのは嫌がらせって言わないのか、お前の中では」
 その言葉に室江は息を呑む。それは顕人と晴臣も一緒だ。
 恐らく室江は自分が他者の悪意に晒されていることを想像していなかったのかもしれないと顕人は思った。
 室江は良い人だ。優しく、穏やかな人柄。
 学部が違う顕人にも色々親切にしてくれる。
 だから室江の話を聞いて、顕人自身可能性として宮准教授と同じことを考えたが、まさか室江にそんなことをする人間がいるはずがないとすぐに可能性を消した。
 だが宮准教授はそうではないらしい。

「嫌がらせされたり嫌われたりするのに、された奴の人柄なんて関係ないもんなんだよ。自分からそういう対象になるような行動するヤツもいれば、お前みたいにただ『良いヤツ』だったとしてもそういう対象にされることはある。世間にはどうしようもなく『歪み』を抱えるヤツがいるんだ」
 まるで人の『歪み』を見続けてきたような重さのある言葉。
 宮准教授の言葉に、室江は傷ついたように唇を噛む。
 正論だった。でも酷い言葉だと顕人は感じた。
 その通りだが、『嫌がらせ』だったとしても本人が歯牙にもかけなければやったヤツも馬鹿らしく思うだろう。わざわざ認識させるよりも、わからないでいることも必要なことなのかもしれない。
 しかしながら、宮准教授の正論は此処では終わらなかった。

「そもそもこのメモを書いたヤツも、お前が気にかける必要があるのか?」
「・・・それはどういう意味ですか」
「これを書いたヤツが本当に『良いヤツ』なのかって意味だ」
 宮准教授は親指と人差し指でメモ用紙を雑に揺らす。

「本当に親切で教えてくれてるなら、どうして自分を特定させないようにしてるんだ? 何か後暗いことがあるからじゃないのか?」
 そんな言葉が彼から続けられた途端、それまで黙って聞いていた室江は勢いよく立ち上がる。その衝動で室江が座ってたパイプ椅子はがたりと大きく音を立てて揺れたが幸い倒れることはなかった。
 黙って話を聞いていた顕人と晴臣も思わず室江に視線を向ける。
 宮准教授も室江をまっすぐに見つめたままだった。

 室江は苦しそうな表情だった。
 歯を食いしばり溢れるあらゆる感情の中、じっと耐えている。
 彼は宮准教授が摘んでいるメモ用紙を恐る恐るという手付きで取り返す。長机に並べられている他の二枚のメモ用紙と共に重ねまとめると大事そうに手帳に戻す。
「・・・きっと先生は正しいです。だけど僕は、これを書いてくれた人が僕のことを想って書いてくれたものだと思いたいんです」
「どうして?」
「理由はわかりません、何となくです。・・・会ってお礼が言いたいんです。向こうが、もしかしたら先生の言う通り何か思惑があってやったことかもしれないけど、それでも僕は『助けられた』って思うから」
 言葉の終わることには、室江の声は震えていた。
 手帳を掴む手も震えていた。
 宮准教授は何も言わなかった。
 室江は手帳と足元に置いていたカバンを掴むと「失礼します」と頭を下げて足早に部屋を出て行く。顕人であれば勢いよく苛立ちを込めて扉を閉めるところだが、室江は丁寧に閉めていった。
 それでも扉が閉まる小さな音が、静かな室内に不気味に響いた。

「先生、正論って人に刺さるんですよ?」
 まだ何処か気まずさの残る室内で、晴臣がそう言いながらお茶を飲む。宮准教授もお茶を飲みながら「試験なら減点だな」と呆れたようにぼやく。
「別に正論だけが人に刺さるわけじゃない。虚言も妄言も邪論も屁理屈、等しく人に刺さる。ただ正論の方が反論できないからダメージがでかくなる場合が多いってだけだ」
「でもわざわざあんな言い方しなくたっていいじゃないですか」
 晴臣に続いて顕人も少し不満そうに言う。

「何言ってるんだ。お前もそういう可能性があることはわかってただろ。何も教えないでただ淡い期待だけさせるのが優しさか?」
「それは・・・」
 宮准教授の言葉に顕人は言葉がでてこない。こっちにも正論が刺さる。晴臣はこのやり取りに首を傾げて「僕はただの親切な話だと思ったけど違うんですか?」と訊いた。
 どうやら晴臣も室江同様、人の善意を信じるタイプのようだ。

「滝田。自分の持ち物が無くなったとするぞ、そして誰かがそれを見つけて返してくれる。どう思う?」
「親切で良い人だなって思います」
「じゃあ同じことがもう一回続いたら? しかも今度はお前自身無くしたことを気付いてなかったら?」
「え。普通に良い人だなって思いますけど」
 晴臣の素直な感想に、顕人は自分が捻ていることを自覚する。宮准教授も呆れて渋い顔をしている。

「何でだよ、ちょっとは考えろよ。お前さては『登場人物の感情を推察しろ』って問題落とすタイプか」
「『作中から抜き出せ』ってのは得意です」
「抜き出すな、推察しろ」
 お前の前期の試験解答が今から心配だよ、と宮准教授は深い溜息をつく。

「ハルがいつ何処で無くしたかわからないものをどうしてソイツが知ってたんだって話だよ」
「どういう意味?」
「ハルは兎も角、室江先輩は席を立つとき忘れ物がないか確認する人だ。授業の机、食堂のテーブル。次に使う人が困らないように最後に見てるだろ。レジュメに関しては席を立っている僅かな間にやられてるが、次のスマホは? 先輩もいつなくなったかわからないってことは授業や昼食の時に何処かに忘れたわけじゃないし、落としたわけじゃない。落としてたら音で気が付くだろ、ハルは兎も角」
「二回も言うな。じゃあどういうこと?」
「あのメモ用紙の人は何処でスマホがなくなったか知ってた。つまり室江先輩を見てたってこと。多分レジュメの時も。でもすぐには言わなかった、どうしてか」
「・・・どうして?」
 顕人の言葉を聞いても、晴臣は首を傾げる。その様子に顕人は思わず長机に項垂れる。宮准教授は説明を顕人に投げていたが、晴臣の察しの悪さにそろそろ乾いた笑いを溢し結論を引き継ぐ。

「可能性その一。室江の持ち物を奪ったのは実はそのメモ用紙の主。実はストーカーで、室江の気を引きたくて盗んだがあまり困ってる様子もなかったのでメモ用紙で誘導する形で返却。・・・でもスマホはもしかしたら何かしらのデータがやられている場合がある」
「ですね」
「えっ」
「可能性その二。実は本当に室江に嫌がらせしようとしている複数人のグループがいる。レジュメもスマホもそのグループの嫌がらだが、その中の一人が室江に同情して返した。だけど仲間内で糾弾を恐れて、メモは自分を特定させないような方法を取った」
「俺はその一よりその二の方が腑に落ちる感じします」
「どっちでも嫌なことに変わりないけどな」
「確かに」
 大きく頷く宮准教授と顕人だが、晴臣は「えっ、ちょっと待ってちょっと待って!」と二人に叫ぶ。

「えっ、『守護霊』じゃないんですか? 先生もさっきそう言ってたから『良い話だなー』で終わりたかったんですけど?」
 晴臣はガッカリした顔で二人に言うと、顕人も流石に可哀想に感じて「可能性の話な」と付け加える。
 しかし晴臣は大きな溜息をつきながら、「僕は親切な人説を推したいですよ」と長机に突っ伏した。
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