鵺の泪[アキハル妖怪シリーズ①]

神﨑なおはる

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第4話『嚆矢濫觴③-コウシランショウ-』

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 長机に置かれていた今川焼きが冷め始めた頃、室江崇矢むろえたかやは絵本を読み聞かせるようなゆっくりとした口調で話し出した。

「昔・・・小学校くらいかな。調理実習の時にクラスメートにおふざけで胡椒をかけられたことがあるんだ」
 室江は歪な文字が並ぶメモ用紙を端を指でなぞりながら、恐らく当時の情景を思い出しているのかもしれない。

「くしゃみが全然止まらなくなって、身体がそれをアレルギー反応と認識したのかその直後から咳が出始めたんだ。喘息みたいな咳になって救急車で病院に運ばれたことがあったんだ。咳は全然止まらなくて嘔吐いてしまって、胡椒をかけたクラスメートは僕が咳で死にそうになってるから泣き出して・・・。息もままならなくて苦しかったのを今でも覚えてる。正直死ぬんじゃないかって思った。・・・このメモ用紙に従って、僕はあの日六時間目の授業が終わると裏門から帰った。次の日、『ペッパーハプニング』のことを聞いてあの時のことを思い出したよ」
 室江はメモ用紙を見つめる。
 もしこのメモがなければ、室江は他の生徒同様胡椒を撒かれていただろう。その後は昔と同じ展開を迎えたかもしれない。
 そう考えると、このメモ用紙の送り主は室江を助けるためにこれを書いたのだろう。
 良い話だ・・・とならないのが、西澤顕人にしざわあきとだった。

「そのメモのおかげで先輩は『ペッパーハプニング』を回避できたのは事実ですけど、普通そんな怪しいメモの内容信じますか? 文字だって明らかに偽装しているし、俺が貰ってたら寧ろ罠の可能性を疑いますよ」
 名前も書いてない、筆跡も誤魔化している。
 これを悪戯だと疑うだろう。
 顕人は室江が大事そうに持っているメモ用紙を見ながら肩をすくめた。
 この意見に関して滝田晴臣たきたはるおみも共感したようで「確かに僕も疑いますね」と頷く。

「そりゃあ僕も、このメモ用紙だけだったら疑っていたかもしれない。でもメモ用紙を受け取ったのは今回だけじゃないんだ」
「「え」」
 その言葉に、顕人と晴臣の驚きの声が被る。
 室江は一枚目のメモ用紙を挟んでいた手帳から、同じメモ用紙を更に二枚取り出す。
 そこにはそれぞれ『F2教室 最後列奥の机』『法学部一階トイレ横 電話』と書かれている。最初に見たメモ用紙同様、定規を使って線を引いた書いた筆跡を誤魔化している文字だ。
 顕人と晴臣は出された二枚のメモ用紙を見比べる。

「F2教室って学部共通の授業とかやって大きい教室だよな。何だろ、『最後列奥の机』って」
 晴臣はメモ用紙を見つめる。
 すると室江は「それが一枚目なんだ」と口を開く。

「一枚目を貰ったのは前期が始まってすぐで・・・十二日だったかな。その日一時間目の学部共通授業だったんだけど・・・」
 室江は苦笑をこぼした。
 その日の一時間目の授業は学部共通の授業であったが、四年生で履修できる授業だったため百人程度が入る大きさの教室での授業だった。授業はその日が前期一回目ということもあり、授業の説明や成績の付け方、そして大量のレジュメの配布で終わってしまった。
 最後に出席カードを提出して終了だったのだが、室江が出席カードを提出し席に戻ってくると置いたままにしていた荷物の中から、今日配布されたレジュメがなくなっていたのだ。
 室江はカバンに入れてしまったのだろうかとカバンを確認するもレジュメの束は存在しない。それなら誰かが間違えて持っていったのか。そんなことを考えている内に教授は片付けをして帰ってしまい、再度レジュメを貰うこともできなかった。
 どうしたものか。
 次の授業の時に誰か知り合いが同じ授業を受けていればコピーさせてもらおうか。
 でも一体どうして無くなってしまったのか。
 室江はその日一日、今日最初の授業での不可解な出来事について悩んだ。
 しかし無くなってしまったものはどうしようもない。
 そう諦めて帰ろうと、貸ロッカーへ向かった。
 当大学にロッカーの貸出があり、各学部棟の一階にロッカールームがある。
 生徒一人一人に鍵付きのものが貸し出されており、その日使わない教科書や荷物などを預けたりするのに使われている。
 室江も重い図録などの本を置いて帰ろうと鍵を外してロッカーを開けると、扉に挟まっていたのか紙片がひらりと飛び出し落ちていった。
 一瞬、ロッカーに入れていた物が出てきてしまったのかと室江は思ったが、確認するとどうも違った。
 大学のロゴが印刷されたメモ用紙には、歪な文字で『F2教室 最後列奥の机』と書かれていた。
 全く覚えのないメモ用紙に、何かの悪戯かと室江は考えた。
 でも無視して、後からになって、あれは一体何だったんだろう、と考えるくらいならさっさと確認する方が良いのではないか。
 そういう考えに至った。
 室江は根が素直なお人好しなのだ。
 そのため大した警戒もなく、指定されたF2教室へ向かった。
 時間帯は既に六時間目が終わった後で、その後授業が入っていなかったのですんなり入れた。広さがあるため階段教室になっており、授業は大きなスクリーンにパワーポイントなどを映して行われるが、今はスクリーンはなくなっていた。教室内は無人というわけではなく、広い教室の中談笑する者たちがいれば、何かの勉強をしている者もいた。
 室江は書かれていた『最後列』の机を順番に確認していくと、扉から一番遠い席のイスに紙の束が置かれていた。
 ひと目でそれが今日の一時間目に消え失せた授業のレジュメだとわかった。
 何故こんなところに。
 いや、そもそもこれは貰っても大丈夫なのものだろうか。
 室江は考えたが、せめてコピーを取らせて貰おうと一時的に持ち帰らせて貰った。
 次の日の朝にコピーを取り終えたレジュメを、再びF2教室の最後列の奥の机に戻して『お借りしてました、ありがとうございます』と書いたメモ用紙を添えておいた。
 ちゃんと返せた気になって午後に確認しに行ったらレジュメも添えていたメモ用紙も無くなっていたので、恐らく返せたのだろうと室江は思った。

「それって結局誰のレジュメかわかったんですか?」
 話を聞いていた顕人が訊くが、室江は「わからなかった」と首を横に振る。
 そりゃそうか。わかってたら此処で相談してないか。顕人はお茶を飲みながら自分の問に自分で結論を出す。

「それで、こっちはどういうメモですか?」
 室江が話している間黙々と今川焼きを食べていた晴臣が、まだ語られていないメモ用紙を指差す。
『法学部一階トイレ横 電話』
 これも随分謎な文章だ。

「それを貰ったのは二十日。学内でスマホを無くしたんだけど、全然気付いてなくてさ。ロッカーにこのメモ用紙が挟まってて、文字でこの前の人だってわかったから、もし本人がいるなら直接お礼が言いたくて慌てて法学部棟に行ったら、トイレ横の公衆電話の上に僕のスマホが置いてあったんだ。それ見て漸く無くなったのに気付いたんだ」
 恥ずかしそうに笑う室江に晴臣は「先輩ってそういうところありますよね」と笑う。顕人も口には出さなかったが内心、確かに、と頷く。

「結局このメモを書いた人には会えなかったけど、この二枚があったから、三枚目もきっと何かあるんだって信じられたんだ。きっとまた僕を助けようとしてくれているんじゃないかって」
 室江はそう呟きながらメモ用紙を指の腹で撫でる。
 顕人は、最初この妙なメモ用紙が出てきた時にただ怪しいと思ったが、室江の話を聞いて考えを改める。
 良い話だ・・・!
 そしてその率直な感想を室江に述べようとした瞬間、室江でも晴臣でも、当然顕人でもない声が部屋に響く。

「まるで『守護霊』だな」

 聞こえてきた声に、それまで今川焼きを囲んでいた三人は慌てて声の方を見る。
 振り返ると、長机と本棚の間のスペースにパイプ椅子を広げて彼は座っていた。本来座る向きとは逆向きに椅子を跨ぐように座り、背もたれ部分に両腕を置いてかなり楽な姿勢だった。
 大多数の教員がスーツなどカッチリとした服装が多い中、彼はVネックのTシャツにズボン、ライトアウターというまるで教員に見えないラフな格好だった。

 それがこの部屋の主である、宮紡みやつむぐ准教授だ。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
一応シリーズ一本目ですので、その内二本目を書き始められればと思っております。
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