黒き死神が笑う日

神通百力

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空き巣ヒーロー

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 私は買い物から帰宅し、リビングに足を踏み入れて驚愕した。自分の見た光景が信じられなかった。赤色のスーツを纏ったヒーローがタンスの引き出しを開けて中を漁っていた。テレビのインタビューで何度も観たことがあるヒーローだった。
 どうしてヒーローが私の家にいるのだろうか? なぜタンスの引き出しを漁っている? 
 すぐに帰ってくるからと鍵をかけずに買い物に出かけたのが災いした。昼間だし大丈夫だろうという何の根拠もない油断もあった。
 茫然自失としていると、ヒーローがタンスから何かを取り出した。それは通帳だった。ヒーローは通帳の中を見て満足そうに頷くと、私に視線を向けた。
 私は思わずファイティングポーズを取ってしまった。まさかヒーロー相手にファイティングポーズを取ることになるとは思いもよらなかった。とはいえ、引き出しを漁っていた以上、警戒せざるを得なかった。
「そんなに警戒しないでください。私は市民を守るヒーローなんですよ」
「ヒーローともあろう者が私の家で何をしているんだ?」
「ヒーローだけでは食っていけないので、副業として空き巣をやらせていただいているんですよ」
 ヒーローは言いながら、タンスに仕舞っていた貴金属を肩から下げたカバンに堂々と放り込んだ。通帳もカバンに入れる。家主がいる前で堂々と貴金属を盗むヒーローに愕然とした。どうしてこんなに冷静でいられるんだ? 家主たる私と遭遇したというのに。
「そこから動くなよ。警察に通報する」
 私は急いで携帯を取り出し、警察に通報しようとした。だが、なぜか携帯は圏外だった。そんなことはありえなかった。この辺りは電波が通じやすい地域なのだ。圏外など考えられなかった。
「携帯電話妨害機を作動させていただきました。なので携帯は使えませんよ」
「なんて準備の良いヒーローなんだ」
「褒められても困るんですけどね。そうだ、サインしましょうか?」
「別に褒めてないし、空き巣するヒーローのサインなんかいらん」
 私はこちらにゆっくりと歩み寄ってくるヒーローを睨みつけ、手近に置いてあった掃除機を手に取って武器にした。いくらヒーローとはいえ、掃除機で思いっきり殴ればある程度のダメージは与えられるはずだ。その間に外に出て警察に通報する。
「こう見えても私は人気がありましてね。オークションで私のサインは高く売れるんですよ」
「それがどうした! すぐに色紙を買ってくるから十枚ほど書いてくれ」
「いくらでも書きますよ。あなたが色紙を買うのを待ってますから」
「それじゃ、買ってくる」
 私は財布を持って家を出る。すぐに近くの文房具店に駆け出した。店内を見て回り、色紙を手にすると、レジで精算した。店内を出た瞬間、私はハッとし、全速力で駆け出した。ふとサイン云々は逃げるための口実ではないかと思い至ったのだ。
 家に入ると、急いでリビングに向かった。ヒーローは勝手にお菓子を頬張りつつ、テレビを観ていた。マスクを鼻の下あたりまでめくりあげ、お菓子を口に放り込んでいる。
「あ、お菓子いただいてます」
「いただいてますじゃない! 勝手に食べるなよ。食べようと思ってたのに」
「仕方ありませんね。少しだけお菓子を譲ってあげますよ」
「いや、そもそも私のお菓子だから」
 私はヒーローを睨みつけつつ、お菓子を頬張った。その間にヒーローはレジ袋から色紙を取り出し、サインを書き始めた。いったいどんなサインを書くのだろうか? ちょっと楽しみだ。
 テレビを観ながら、ヒーローがサインを書き終わるのを待った。ヒーローはペンを置いてため息をついた。サインを見てみると、ウ〇コの絵が大きく描かれており、その下におまけ程度に『空き巣ヒーロー』と書かれていた。何だ、このサインは? なぜウ〇コの絵? それに『空き巣ヒーロー』って、空き巣をウリにしてないか。
 あまりにも腹が立って私は掃除機のプラグをコンセントに差し込んだ。不思議そうな顔をしているヒーローの口に掃除機の先端を押し当て電源を入れた。口元が掃除機の先端に吸い込まれ、ひょっとこのお面みたいな口になった。ヒーローは苦しそうに呻いている。
 掃除機の先端を口元から放すと、今度はマスクに近づけた。マスクは勢いよく掃除機に吸い込まれ、ヒーローの素顔が露わになった。鼻筋が通った端正な顔立ちで男前だったが、残念なことに髪が薄かった。ハゲを隠そうと髪を立てているのが何か哀れだった。まるで台風が通った後かのように髪が荒れている。とくに真ん中あたりが薄く、地肌が見えていた。
「…………」
 私は掃除機を床に置くと、無言でズボンとパンティーを脱いだ。ズボンだけ穿き、そっとパンティーをヒーローの頭に被せてあげた。これでハゲは隠せた。思わずガッツポーズしてしまう。
「ハゲを隠してあげようという心遣いはありがたいですが、パンティーを被せるのはないでしょう。これじゃ、どっからどう見ても変態じゃないですか。『空き巣ヒーロー』から『変態ヒーロー』に改名しろってんですか」
 ヒーローは呆れた表情を浮かべ、パンティーを頭から取ると、当たり前のようにカバンに仕舞った。いや、私のパンティーを返せ。ってか『空き巣ヒーロー』が正式なヒーロー名だったのか。てっきりなんとかレッドとかそういうのだとばかり思っていた。赤色のスーツを着てるし。
「私の秘密を知られたからにはこのまま帰るわけにはいきませんね」
「秘密って空き巣を副業にしてることか」
「いえ、私がハゲだってことです。空き巣はウリにしてるので、秘密でも何でもないですよ」
「そっちかよ。空き巣をウリにしててよく警察に捕まらないな」
 私は呆れてため息をついた。何だか下半身に違和感があって落ち着かない。スースーする。パンティーを脱ぐんじゃなかった。今さら後悔しても遅いけど。
「警察の弱みを握ってますからね」
「弱み? それって何だ?」
「例えば警視総監が誰々の奥さんと不倫したとか警部補が誰々の奥さんと不倫したとかです。あとは本庁の刑事が誰々の奥さんと不倫したとかですかね」
「不倫ばっかじゃねえか。ゴシップ好きかよ」
「いや~それほどでも」
「褒めてないし、弱みを握ってるなら携帯電話妨害機を作動させなくても良かったんじゃねえか?」
「警察に面倒をかけさせたくなかったのでね。ちなみにあなたが高校時代からの友人の息子と関係を持っていることも知ってますよ」
 ヒーローがさりげなく言った言葉に私は頭が真っ白になった。ヒーローは笑みを浮かべ、カバンから何かを取り出して私に見せてきた。それは私と友人の息子が事に及んでいる写真だった。いつこんなものを撮ったのだろうか? 私の弱みをすでに掴んでいたから冷静だったのか?
「この家で事に及んだのはまずかったですね。空き巣に入る家は事前に調べておくものですからね。偶然この写真が撮れたものですから、相手の素性も調べさせていただきました。こうしてあなたの弱みを握れたので、私はラッキーでしたよ」
「……私はアンラッキーだけどな」
 私はヒーローを睨み付け、その手から写真を奪った。あらためて写真を見る。こうして見ると、私はなかなか良い体をしている。スタイルも良いし、肌もキレイではないか。
「私のところだけ引き伸ばしてポスターにしてくれ。部屋に飾るから」
「別に良いですけど、自分のことが好きなんですね。ただし高くつきますよ」
 ヒーローはゆっくりと二本の指を立てた。通帳を奪った挙句、金まで取るのか。
「二万円か?」
「いや、二十万くらいですかね」
「高すぎないか? 引き伸ばすだけで?」
「さすがにどこかの店に頼むわけにはいきませんし、私個人で引き伸ばしをしなければなりません。なので手間を考えると、二十万くらいは欲しいですね」
「そんな大金すぐには用意できない」
 私はどうやって金を用意すべきかと唸った。ポスターにして部屋に飾れば、いつでも自分の美しい体を見ることができるし、何としてでも二十万を用意しなければいけない。
「良い方法がありますよ。私と一緒に空き巣をやりませんか?」
「空き巣だって?」
「もし見つかっても大丈夫ですよ。警察の弱みを握ってますから、私が口添えすれば向こうが勝手にもみ消してくれます。すぐに二十万くらいは手に入るでしょうし、悪い話じゃないと思いますよ」
 ヒーローからの提案を頭の中で吟味した。さっきヒーローが盗んだ貴金属を売っても大した額にはならないだろう。中古で買ったものだし、これは自分のものだと言い張って分け前を渡してくれないに違いない。となると提案を受け入れるしないのだろうか?
「そうだ! さっき書いてもらったサインをオークションで売ればすぐに二十万は稼げるんじゃないか」
「いえ、一枚千円ほどなので仮に十枚売れても一万円くらいにしかなりませんよ」
「高く売れるって言ったじゃないか」
「空き巣をウリにしてることを考えれば、千円でも高い方だと思いますよ」
 ヒーローは肩をすくめた。確かにそうかもしれない。なにせサインがウ〇コの絵だし、冷静に考えれば高く売れるわけがない。テレビで何度もインタビューを受けてる割りには低いけど。
「……仕方ない。あんたの提案に乗ろう」
「では早速ですが、下見をして空き巣に入る家を探しましょう」
 ヒーローは頷くと、足早に玄関に向かった。すぐに私もヒーローの後を追った。

 ――後に『空き巣夫婦ヒーロー』として名を馳せるのはこれより二年後のことである。
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