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千野木穂香は死を繰り返す

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 千野木穂香せんのぎほのかは住宅街を歩いていた。千野木は陸上部に所属し、厳しい練習を終えて家に帰るところだった。
 この辺りの一軒家は高い塀で囲まれた家が多く、外からは庭さえも伺い知ることはできなかった。というのも非常に治安が悪い地域であり、一日に何件も殺人事件が起きている。その対策として塀を高くし、家への侵入を困難にしているのだ。殺人の多くが変死であり、未だに未解決の事件が多かった。
 千野木はこの町があまり好きではなかった。殺人が多いというのもあるが、幼少の頃に祖母から聞かされた話も理由の一つだった。この町にはかつて土地神様に生贄を捧げる風習があったらしい。しかも、生贄は土地神様が満足するまで何度も死を繰り返すのだという。何度も死を繰り返させる土地神様とやらが気に食わず、そんな奴に生贄を捧げていた町も嫌いになったのだ。もちろん土地神様の存在など信じていなかったが。
 千野木は足早に歩を進めながら、暗澹たる思いで空を見上げた。空は見事なまでの赤色に染まり、夕陽が顔を覗かせていた。
 視線を前に戻した千野木はギョッとして思わず立ち止まった。いつの間にか前方に同年代と思しき少女がいた。少女は首を傾げ、両腕を横に伸ばして肘から先を下に曲げていた。両足も内側に曲がり、内股のような状態になっていた。何より小刻みに体を震わせながら歩いているのが不気味だった。
 千野木は目を合わせないようにし、少女の横を通り過ぎようとした。その瞬間、少女は勢いよく振り向き、首がコマの如く、回転し始めた。突然の事態に驚き、千野木はバランスを崩して尻もちをついた。
 少女の首は異様なほどに捻じれ、正面を向いた辺りで回転は止まった。すぐに少女は背中を曲げてブリッジのような体勢になったかと思うと、口を大きく開けた。千野木はあまりの恐怖に立ち上がることすらできなかった。何が起きているのかも分からなかった。
 少女が大きく開いた口の奥に何かが見えた。それは一回り小さい口だった。まるでマトリョーシカのように、奥から次々と小さい口が出てきた。口が何層にも重なり、鋭い牙が生えていた。何とも恐ろしい姿だった。
 不気味な姿に震えていると、少女の顔の真ん中に縦線が入り、二つに割れた。その直後、少女は耳を劈くような奇声を上げた。その声に弾かれるように、千野木は立ち上がり、全速力で駆け出した。殺されるかもしれない恐怖に体が震え、歯がカチカチと音を鳴らした。
 後ろを振り返ると、少女はブリッジの体勢で追いかけて来ていた。いくつもの舌が意思を持っているかのように蠢いている。
 千野木は顔を前に戻し、必死で走った。すると巨大な影が住宅街を覆った。何事かと空を見上げると、二本の巨大な槍が降ってきていた。二本の巨大な槍は両側の一軒家に深々と突き刺さった。轟音が辺りに響き、粉塵が舞い上がった。
 千野木は両手で耳を塞ぎつつ、巨大な槍が突き刺さった一軒家に視線を向けた。高い塀が邪魔で千野木のいる位置からは見えなかったが、一軒家は見るも無残に崩れていた。
 少女に視線を向けてみると、いつの間にか立ち止まっていた。どことなく笑っているように見える少女はまたも奇声を上げた。その直後、巨大な槍が音を立てて真っ二つに割れた。割れた槍の中からドロドロとした赤色の液体が溢れ出した。それはまるで血流のようだった。
 パニックに陥った千野木は甲高い悲鳴を上げ、全力疾走した。そんな千野木を嘲笑うかのように、赤色の液体は凄まじい速度で迫っていく。千野木はあっけなく赤色の液体に飲み込まれて意識を失った。

 ☆☆

 千野木は目を覚まし、体を起こした。そこは必要最低限の物しか置かれていない部屋だった。しばらくぼんやりとしていたが、千野木は自分の部屋だと気付いた。
 不気味な少女に追いかけられた上に赤色の液体に飲み込まれた出来事は夢だったんだと千野木はホッとした。けれど、それにしては妙にリアリティがあった。夢だとは思えないほどに現実染みた出来事に思えたのだ。それほど恐ろしい体験だった。
 千野木は首を傾げながらも、壁にかかった時計を見た。時計の針は午前七時を指していた。ベッドから降りると、クローゼットを開け、ハンガーにかかった制服を取り出した。部屋着を脱いで制服に着替えると、部屋を出て階段を降り、リビングに向かった。
 リビングの扉を開けると、母がキッチンに立っているのが見えた。
「お母さん、おはよう」
 千野木は母の背中にそう声をかけた。母はゆっくりと振り返った。
「えっ?」
 それは母ではなかった。千野木に恐怖を与えた不気味な少女だった。あの時のように、不気味な少女の顔は二つに割れている。左右に開いた顔の断面には脳味噌や筋肉の繊維などが詰まっていた。口からいくつもの小さい口が突き出て何層に重なり合っているのもあの時と同じだった。
 目の前に不気味な少女がいることを考えると、あの恐ろしい体験はやはり夢ではなくて現実の出来事だったのだ。だとするとなぜ自分は生きているのだろうかと千野木は疑問に感じた。あの時、自分は確かに赤色の液体に飲み込まれたはずだった。それなのに自分は死なずに生きている。いったい自分は何に巻き込まれてしまったのかと千野木は怯えた。
 少女はキッチンに立ったまま微動だにせず、じっと千野木を見つめていた。すると少女は僅かに口元を歪めた。もしかしたら笑ったのかもしれない。少女は高く飛びあがると、天井に張り付いた。それはまるで天井に張り付く蜘蛛のようだった。
 少女は奇声を上げると、天井を這いずり出した。千野木は慌ててリビングを出ると、玄関に向かった。玄関のドアを開けて振り返ると、少女は体を小刻みに揺らしながら、天井を這いずっていた。何ともおぞましい追いかけ方だった。
 玄関を飛び出した千野木は大声を出して近所の住民に助けを求めた。だが、慌てて家から飛び出してくる者は皆無だった。それに住宅街の雰囲気がどこか異質だった。千野木の知る住宅街とは雰囲気が異なるように感じたのだ。知らない場所に迷い込んだかのような感覚だった。
 ともかく少女からできるだけ遠くに逃げようと千野木は必死だった。足がもつれそうになりながらも、千野木は全力で走った。すると道路に亀裂が走り、盛大な音を立ててアスファルトが真っ二つに割れた。割れた破片が重力に逆らうかのように上空に舞い上がった。底がまったく見えない巨大な亀裂に千野木は落ちていく。
 少女は舞い上がった破片を足場にして駆け抜けた。手足を振り回して足掻く千野木にしがみつくと、少女は何層にも重なった口を動かして頭からゆっくりと食べた。

 ☆☆

 目を覚ました千野木は机に突っ伏していた。何度か目を瞬かせてしばらくぼんやりとしていたが、徐々に意識がはっきりしてきた。ようやく体を起こした千野木は辺りを見回した。そこは教室のようだった。なぜ自分が教室にいるのかも分からなかった。
 不気味な少女に食べられたはずなのに、なぜ机に突っ伏していたのかと千野木は困惑した。今までの出来事は授業中に見ていた夢だったのだろうか? 千野木は一瞬そう考えたが、どうしても夢だとは思えなかった。自分が感じた恐怖は本物だと確信していた。それ故に状況が理解できず、恐ろしかった。
 あの少女はいったい何者なのだろうか? 未だに未解決の変死事件と何か関係があるのだろうか? 考えを巡らせながら、千野木はあらためて教室を見回した。クラスメイトたちは俯いていて表情は伺えなかった。担任も背中を向けていてどんな表情をしているのかは分からなかった。
 千野木がもう一度考えを巡らせようとした時、急にクラスメイトたちが振り返った。それはクラスメイトではなかった。千野木を食べた不気味な少女だった。何十人もの少女が割れた顔をこちらに向けて千野木をじっと見つめた。何十人もの少女に見つめられ、あまりの恐怖に千野木は失禁した。パンティーが濡れたが、そんなことはどうでもよかった。
 じっとこちらを見つめる少女たちに怯えていると、ふいに担任が振り返った。担任もまた不気味な少女だった。それを合図としたかのように、少女たちは濁った液体を千野木に向かって吐き出した。濁った液体を浴びた千野木の腕にヒビが入った。
 千野木は悲鳴をあげた。両腕に迸ったヒビから何かが出てくるのが見えた。それは小人くらいの身長しかない千野木だった。小人サイズの千野木たちが体を這いずり回った。少女同様に顔が割れ、千野木の体を食べ始めた。
 今までに味わったことのない激痛が全身を駆け抜け、高笑いする不気味な少女の姿が目に焼き付き、それが千野木の最期の記憶となった。

 ☆☆

 仕事から帰宅した母親は自室で千野木が死んでいるのを発見し、すぐに警察に通報した。司法解剖の結果、千野木の死因を特定することはできず、変死と判断された。さらに容疑者も浮かび上がらず、未解決となった。
 警察が容疑者を見つけられなかったのも、死因が特定できなかったのも当然だった。かつてこの町が生贄を捧げていた土地神様が容疑者なのだから。
 不気味な少女――土地神様は生贄の風習がなくなった後、どうするべきかを考えた。考えた末に自ら生贄を探すことにし、人間を殺し始めた。それがこの町で起きている変死事件の真実だった。
 千野木は面白いくらいに怖がってくれ、土地神様は三回殺した辺りで満足した。
 そして土地神様の次なる生贄は千野木の母親だった。抜け殻のような状態で仕事に向かう千野木の母親に、土地神様は肘の先を下に曲げ、体を小刻みに震わせながら近づいた。
 千野木の母親は驚いたように土地神様を見た。体を震わせ続ける土地神様に、千野木の母親は明らかに怯えの表情を浮かべた。娘に勝るとも劣らない怖がりようだった。
 土地神様は心底楽しそうに甲高い奇声を上げた。
 
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