ネームdeトランス

神通百力

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ネームdeトランス

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 私は大人気恋愛ドラマ『私は認知されたい』のDVDを観ていた。リアルタイムでも観ていたけど、これは何回でも観れる。私の大好きな女優――美奈川由梨花みながわゆりかが出演しているからだ。
 主人公は大物俳優と新人女優の間に産まれた子供だ。しかし、大物俳優にはすでに妻と子供がいた。そう主人公は愛人との間に産まれた私生児――法律上夫婦とは認められていない男女の間に産まれた子供のこと――なのだ。
 当然二人は結婚していない。主人公は女手一つで育てられ、父親には認知されていない。大物俳優として不倫の末に産まれた子供を認知するわけにはいかなかった。
 主人公は父親に認知されるために奮闘しつつ、クラスメイトの男子との愛を育んでいく物語だ。美奈川由梨花は主人公の女友達を演じている。主人公を演じる女優はよく知らない。
 美奈川由梨花は演技が上手いし、とても美しい。主人公が霞むほどの容姿だ。もし生まれ変われるならこの人になりたい。それほど私は美奈川由梨花に憧れを抱いている。
 美奈川由梨花の美しさに見惚れていると、インターホンが鳴った。
 私はインターホンに苛立ちながらも、一時停止にし、ドアを開けた。
「こんにちは。私は訪問販売をしている木月きつきです。本日は商品を購入していただけないかと参った次第です」
 メガネに黒のスーツを着たうさん臭い男が立っていた。どうせどこかの山の天然水やら着けるだけでモテるネックレスとかだろう。
「本日の商品はですね。『ネームdeトランス』と言いまして、名前を入力するだけでその人になれるんですよ」
 思ってたのと全然違った。予想を超えてきた。名前を入力するだけでその人になれるだって? この人はいったい何を言ってるのだろう? もしやそういうゲームでアバターの見た目を変えれるということだろうか?
「……どういうことですか? よく分からないんですけど」
「では一度試してみてください。キーを押せば名前を入力できますので」
 木月さんとやらは私に小型の端末を渡してきた。私は訝しながらも、美奈川由梨花の名前を入力してみた。だが、別段変化は感じられなかった。
「この手鏡でご確認ください」
 私は木月さんが差し出した手鏡を受け取り、確認してみた。
「え! これって?」
 私は美奈川由梨花になっていた。まじまじと手鏡を凝視するが、ふと思った。手鏡に何か細工されているのでは?
「手鏡に細工されていると思っているのでしょう? ご自宅の鏡で確認していただければ、細工されていないと分かるはずです」
 私は木月さんに少し待つように言い、すぐに洗面台で自分の姿を確認した。その姿は紛れもなく美奈川由梨花だった。どうやら手鏡に細工はされていなかったようだ。
 私は財布を持って早歩きで玄関に戻った。
「この商品は一万円と少々値を張りますが、いかがなさいますか?」
「……購入します」
 私は木月さんに一万円を渡し、『ネームdeトランス』を受け取った。
「商品を購入していただき、ありがとうございました」
 木月さんは深々と頭を下げて立ち去った。

 ☆☆

 私はこれまで自分の容姿に自信が持てなかったため、適当にメイクを済ませていた。しかし、美奈川由梨花の容姿を手に入れた今は自信に満ち溢れている。
 私は三十分以上もかけてメイクをし、お気に入りの洋服に着替えた。せっかく美奈川由梨花の姿になったわけだし、これまでできなかったことをしよう。
 本来の私ではしたくてもできなかったことを今の私にならやれるはずだ。この容姿ならどんな男性だって近寄ってくるだろう。
 私は玄関に立ち、大きく深呼吸した。さぁ、男性狩りの始まりだ。

 ☆☆

「美奈川由梨花さんですよね?」
 思った通り男性が近寄ってきた。私は繁華街に来ている。人通りが多い場所を選んだのだ。
「ええ、そうよ」
 本当はまったくの別人だけど、私は美奈川由梨花に成りきることにした。
 男性の目はキラキラと輝いている。女優に出会えたことが嬉しいのだろう。それも美奈川由梨花とくれば、当然の反応だろう。私だって本人に逢ったら興奮する。
「プライベートで来たんだけど、もしよろしければ一緒に繁華街を回らない?」
 私はわざと身体を男性に押し付けた。本来の私なら絶対にこんなことはできない。美奈川由梨花の容姿だからこそできる行為だ。
「え? い、いいんですか?」
 男性は鼻の下を伸ばした。こんな表情をされたのはこれまでの人生で初めてのことだった。『ネームdeトランス』を購入して本当に良かった。これを買っていなければ、男性にこんな表情はさせられなかった。
「もちろんよ。手を繋いでもいいかしら?」
「はい、喜んで!」
 私は男性の手をぎゅっと握った。男性は手を握り返してきた。少し汗ばんでいる。緊張しているのかもしれない。
「まだ昼ご飯を食べてないんだけど、どこかいいお店を知らないかしら?」
「この近くに美味しい定食屋があるんですけど、そこはいかがですか?」
「いいわね。案内してくれる?」
「はい!」
 私は男性に身体を押し付けながら、定食屋に向かった。

 ☆☆

「感激です! 由梨花さんとお食事ができるなんて!」
 男性――高宮庄司たかみやしょうじは食事には目もくれず、私をジッと見つめていた。
 この定食屋は個室のみらしく、私は今高宮と二人きりだった。きっと高宮は私と二人きりになりたかったから、この定食屋を選んだのだろう。
「あ~んしてあげる。口を開けて」
 高宮はすぐに口を開けた。私は箸でとんかつを掴んで高宮の口に入れた。
「美味しい?」
「はい、すごく美味しいです!」
 高宮は頬を赤らめていた。
 私に視線を向けながら、高宮はご飯をパクリと食べた。ご飯粒が口の周りについている。
「ご飯粒がついているわよ」
 私はご飯粒を手にとって、パクッと食べた。
「……由梨花さん!」
 高宮は突然、私を押し倒した。突然の出来事に驚いたものの、私はすごく嬉しかった。押し倒されたことなんてなかったから。胸がどきどきしてる。
「ちょっと待って」
「す、すみません! 由梨花さんがあまりにもキレイだったから、つい押し倒してしまいました」
 高宮は土下座して謝ったが、私は顔を掴んでグイッと上に引っ張り上げ、唇にキスをした。
「謝らなくてもいいわよ。『ちょっと待って』と言ったのはここが定食屋だからよ。あんまり騒ぐと店員が来るかもしれないわ。続きはあなたの家でしましょ」
 私はそう言って、もう一度キスをした。
「は、はい」
 高宮はとても嬉しそうだった。美奈川由梨花に二度もキスをされた上に、家に来るのだ。ファンからすれば嬉しくてたまらない出来事だろう。私はまったくの別人だが、高宮は本人だと思い込んでいる。
 他愛もない会話をしながら、食事を終え、定食屋を後にした。

 ☆☆

 私はこの日――処女を失った。
 定食屋の後、すぐに高宮の家に行き、シャワーを浴びた。そして半日間も事に及んだ。
 私はもちろんのこと、高宮も事に及ぶのは初めてだったようで、互いに動きがぎこちなかった。しかし、だからこそ心地よかった。もし高宮が経験者だったなら、私はきっと腰が引けていただろう。
 互いに初めてだったからこそ、私は心に余裕を持てた。リラックスしながら、事に及べたのだ。
 初めての相手が高宮で良かった。初の男性狩りは成功と言えるだろう。
 高宮はパソコンの前に座り、私とのツーショットをネット上にアップしていた。さっき高宮にツーショットをネット上に公開していいか聞かれたが、私はどうするべきか迷った。
 私は本人じゃなく、偽物なのだ。美奈川由梨花に成りきっているに過ぎない。しかし、あの表情を見ていたら、頷くしかなかった。本人の目に私たちのツーショットが触れないことを祈るしかない。もし本人が見てしまったら、私が偽物だってことが高宮にバレるかもしれない。
 それは何としても避けたい。高宮は私に好意を抱いてくれている。私を本人だと思っていることは承知の上だが、好意を抱かれていることが嬉しかった。
 私は背後から高宮に抱きついた。この関係がずっと続いていくことを願いながら、高宮の頬にキスをした。
 

 ☆☆

「……やっと見つけた」
 人気のない路地裏で私は美奈川由梨花と向かい合っていた。
 高宮と付き合い始めてから二ケ月が経過していた。誕生日が近い高宮へのプレゼントを買いに繁華街をウロウロしていたら、突然路地裏に引きずり込まれたのだ。
 私は美奈川由梨花に逢えた喜びと恐怖で身体が震えていた。明らかに敵意のこもった目で私を睨み付けている。
「私のふりをして男と付き合うなんてね。いったい何を考えているのかしら?」
 私に対する怒りが感じられた。それも当然だろう。本人のふりをするだけならまだしも、私は男と付き合っているのだ。
「腕の良い整形外科医に頼んで私の顔にしてもらったのかしら?」
 私はその問いに答えることができなかった。『ネームdeトランスを使ってあなたの姿になったんです』と言ったところで信じてもらえるかわからない。実際に使用しているところを見せれば信じてもらえるかもしれないが、美奈川由梨花の表情が恐ろしくて私は動くことができなかった。それに信じてもらえたところで許されるわけじゃない。私が美奈川由梨花のふりをしたという点に怒っているわけだから。
「……答える気はないわけね。まあ、いいわ。あのツーショットのせいで、私はビッチやら男を食い物にするやらと言われ始めた。それに頼めばやらせてくれるなんて噂も流れ始めた」 
 そんなことになっているなんてまったく知らなかった。ここ二ケ月間は高宮とのデートに夢中だったから、美奈川由梨花の状況を把握してなかった。どうりで最近ドラマに出ていなかったわけだ。
「苦労してここまで上り詰めたのに……あなたのせいで私の人生めちゃくちゃ! 絶対にあなたを許さない!」
 美奈川由梨花は懐から包丁を取り出した。突然のことで私は反応することができなかった。
「ぐふっ!」
 包丁は深々と私のお腹に突き刺さった。意識が朦朧とする。
 どうしてこんなことになったんだろう。

 ――私はただあなたに憧れていただけなのに。
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