社会的適応

夢=無王吽

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第三話『雨あがる』

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 穴底の中心は、まるで舞台のようだった。
 祈祷師たちの舞いを神殿で観たことがある。
 太陽光が降り注ぐように幾筋も陰影を断ち、成人した若者や、いくさ場に赴く戦士たちを鼓舞するための祈りの奉納を、神秘的に輝かせていた。
 あの美しい祈祷師は、タカ族の長が髪を掴んで引き摺り、連れ去ってしまった。
 縦横無尽に消えては弾ける記憶の泡粒が、パチンと消えて俺の視覚を戻す。
 疲労で意識が途切れ、ほんの一瞬、夢を見ていたようだ。
 俺は骨折の痛みに耐え、両腕で地面を掻いて這うように進み、穴底の中央の光の円を通過して、対面の暗い壁際を目指す。
 そこにいる誰かの顔を見るためだった。
 回り込むほうが雨に濡れずに済むのだが、折れた右足がそれを許してくれない。
 雨水と、曇天の鈍い日光の支配する舞台の中心では、毒の雨が背に当たり、腹を流れ落ちて、傷にしみた。
 尻の穴からもまだ出血しており、そこに水が伝うと、火のような熱さを覚えた。
 痛みは、意識を覚醒させるのに有効だった。
 呻き声と荒い呼吸が、毒水を意識から蒸発させる。
 俺は円形の照明の下を抜け、対岸の闇へとたどり着いた。
 体内に、発癌性の毒が浸透していくのを感じる。
 滲み出て流れ落ちる、血液と汗の混じった体液に、毒素が混じり、傷から入って血管を巡る。
 強く息を吐くと、頭がくらくらした。
 震える身体は冷え切っており、屠殺されたての家畜に似た痙攣を隠せない。
 俺は発作と恐怖の混淆した振動で揺れた視界を、男の顔に向けた。
 見上げる途中、俺と同じように切断され、焼いて止血された陰部が眼にうつる。
 だがその男の全身に刻まれた傷は、今日、拷問でつけられたとは思えない、肌に馴染んだいびつさだった。
 どう見てもいくさ傷。古傷だ。
 一番大きな傷跡は左腕だった。もう完全に断面は塞がっているが、前腕がない。いくさで切断されたというよりも、毒を塗布した吹き矢かなにかが原因で壊死した部位を切り離すために、肘の少し上から切り離して治療したような失い方だった。
「あんた、戦士なのか?」
 自分でも驚くほどの奇妙な旋律が、喉から質問を歌った。
 震えた声が、俺の意思とは無関係に音を上下強弱させ、細く息切れした語尾は、消えるようにフェイドアウトした。
 交感神経がおかしくなって、呼吸が思うようにできない。
 これでは、まともに喋れない。
 俺の問いかけが届かなかったのか、男はまた勝手に話を続けた。
「なにが《戦士の槍》だ。殺人を芸術にするなんてバカげてる。笑えねぇよ」
 やはり、少し頭のネジが外れているのだろうか。
 俺が会話を諦めかけた時、「そうだ、俺は戦士だった」と、男が答えた。
「斥候か?」
 さっきより少しだけ震えが落ち着いた。
 俺は男がここに来た理由を知ろうとした。
「ああ、斥候だ」
 機械的な即答。俺は訝しんだ。
 俺に対して嘘をつく理由などないと思うが、もしかしたら本当にただ壊れているだけなのかもしれない。
 考えて発した返事とは思えないタイミングだった。
 だがそれは、こっちも同じだ。
 たっぷり時間をかけて拷問と強姦を味わったのだ。
 神経や精神が壊れていてもおかしくない。
 その意味では、この男も俺も変わらない。
 俺は這い進んできた俯せから、またごろりと仰向けになった。
 いつの間にか、気管のヒューヒュー鳴る音は止んでいた。
「おまえも、戦士なのか」
 男の発音はおかしく、語尾があがらないので質問なのかがわからない。それでも俺は答えた。
「いや、俺は違う、戦士じゃない」
「違うのか。ではなぜハムラ族の縄張りになど侵入した」
 まただ。質問というより責めているかのように、語尾が硬い。
「雨だ」と、俺は構わずに答える。
「雨だと。そうか、命が惜しくて逃げて、裏目に出たのか」
 バカにされたように感じ、少しムッとした。
 自分だってさっき、雨ざらしは嫌だと言ったではないか。
「敵に殺されるのはいい。災害で死ぬのも、まぁ運が悪かったのだと諦めがつく。だが、雨は避けられる天災だ。避けられる危険は避けるほうが利口だろうが」
「わかったわかった」
 ムキになって反論する俺をあやすように、男は言葉に笑みを含めた。
 よけいに腹がたち、俺は黙った。
 俺の機嫌など気にしていないかのように、男が質問らしき言葉を重ねる。
「じゃあ、おまえはなんだ。呪術師か」
「いいや」
「鉄師か」
「違う」
「焼きもの師か」
「猟師だ」
「猟師……、おまえは、肉を食う部族なのか」
「そうだ、狩りが成功するとは限らないので肉は貴重だが、祝いの席では必ず肉が出る。ふだんの食事でも、干し肉はよく食べる」
「なら、雨を怖がるのは変だろう」
「なぜだ? 生で食うわけじゃないぞ」
「それでも動物は雨水を飲んでいるのだから、火を通そうが、干そうが、無毒にはならない」
「無毒はムリだ。魚はもっと危険だし、野菜だって、地面から生えている以上は、やはり同じくらい有毒だ」
「例外はある」
「例外?」
「地下で育成した野菜や草花、それを食って育つ食肉は濾過された清浄な湧水しか身体に入れていない。安全だ」
「そんなもの、どこに……」
 言いかけて俺は、こいつが捕まった理由に思い至った。
「ハムラか」
「そうだ。ここら一帯でハムラの縄張りだけが、地下水源を独占している」
「だから、強力な戦士をたくさん扶持してるんだろ」
「それでも、どこかに急所はあるはずだ」
「おまえ、それを?」
「そうだ。もともとはうちの族長が、地下水を他の集落にも分けるよう説得に来て失敗した。殺されはしなかったが、逃げ帰ってきた。そのかわり付き添い人たちが何人も殺された」
「それでも、まだやる気なのか?」
 だから、斥候など送り込むのか。こいつの返事は嘘だからじゃなく、迷いがないから早く、無感情だったのか。
「いくさで、ハムラに勝てると?」
 気付けば俺はまた、起き上がっていた。
 そんな無謀な連中が、ここいらにまだいたのかと感心する。
「いくさというよりも、夜襲だな。なにも正面からぶつかることはない。ハムラの戦士どもをまとめて焼き殺してしまえば、あとは簡単だ」
 俺は思わず「ふん」と、鼻で笑ってしまった。
 簡単だとうそぶくやつが、現に今、捕まって陰部を失い、処刑を待っているからだ。
「なんだ?」
 男の声が強くなり、語尾があがる。
 感情がよみがえったかのようだった。
 俺は「いや、べつになにも」と、言葉を濁した。
 相手をバカにしたところで、俺だって同じ立場なのだ。
 偉そうに説教をする資格などない。
「言いたいことは、わかる」
 男は落ち着いた声で、笑われた理由を認めた。
 俺が男の顔を再度見上げると、少し周囲が明るくなったのか、男の顔は、さっきよりもハッキリと見えた。
 そう言えば、泥を撥ねさせていた雨音が止んでいる。
 天気が変わったのかもしれない。
 さっきまでぼんやりとしか見えなかった男の顔。
 逞しい胸板に太い首。
 唇にも古傷が段差を描いている。
 前歯は白く、キレイだった。
 傷だらけだが、精悍な顔つきだった。
 精悍? と、自問する。
 戦士は、村や上役のために死ぬのが役目だ。
 そのため精神を病んでいる者が大半で、精悍などという形容に似合う戦士など、見たことがない。
「おまえ、戦士だと言ったな?」
 俺が首を傾げて投げた質問に、男は反応しなかった。
 だが、ゆっくりと顔を下に向け、俺と眼を合わせた。
 吸い込まれそうになる、透明な瞳だった。
 ますますおかしい。
 なんだこいつは?
「戦士なら、そうだ、マーヴはやらないのか?」
 全裸のこいつが持っているとは思わないが、訊かずにはいられなかった。
 龍が潜んでいると言われる神秘的な泉にも似た、不思議な色の瞳をもつこの男の正体が知りたくて、俺は遠慮せずに失礼な質問をした。


 ──つづく。
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