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第六話『夢かうつつか』
しおりを挟む六月二十五日(金)
とくになにもない一週間が終わろうとしていた放課後に、教室で帰り支度をしていると、隣席のサブに話しかけられた。
教室でも食堂でも体育の時間でも、同じチームや隣席になったことはあるけど、親しくはないし、向こうから話しかけてきたことなんか一度もない。たぶん今回が初めてじゃないかなというくらいの、珍事と言ってもいいような出来事ではあるのだけど、でも、だからって別にどうということもないし、なんとも思わなかった。
私はサブの存在を気にしたことがないので、彼と噂になりかけた先週のことを、けっこうムカついたり喧嘩したりイロイロとあったはずなのに、ほぼ忘れていた。そのくらい、サブのことなど考えないし、なんとも思っていない。だから今回も、嬉しいも嫌だもなく、普通に受け答えした。
このへんが私の警戒心の低さなのかなと、今になって考えると反省したくもなるけど、でもあの噂の件に関してはサブは別になにも悪くないのだから、目立つほど親しそうにしなければ、わざわざ冷たくする理由などない。そこまで他人の視線に気を遣ってはいられない。そんなの息苦しいし、バカバカしい。
ただ、喋りかけられて嬉しいということもないし、思い当たる理由もないので、私の反応は自然と、「はぁ?」という無愛想なものになった。
「テレクサさんは、部活はなにをやってるの?」
下校時刻の教室のガヤガヤとした騒音だらけのなか、いきなり投げかける質問としては急だよなと、今になってよく考えてみても、やはりそう思う。
だから私の返しも、「はぁ?」となったのだ。当然だ。でも聴こえなかったわけではないので、そのまま続けて答えた。
「部活なんかやってないよ。だって別に、やりたいこともないし」
そう答えている間も、私の表情は尖っていたように思う。
その塩対応に臆することもなく、柔和で温厚そうな口調のまま「へえ」と応じ、サブは私の目をまっすぐに見返していた。
「そーなんだ、じゃあ、ウチの部に見学にこない?」
なんだそりゃ。
「見学? ってあんた、ナニ部だったっけ?」
「ああゴメン、軽音楽部だよ」
そうか、そうだった。忘れていたというか、なにも考えずに、テキトーに返事をしてしまっていた。
……で? それでなんで私を誘う? 意味がわからんのだけど。
私の顔がより鋭く尖ると、サブもさすがに自分の誘い文句が急すぎたと気付いたようだ。
「嫌ならいいんだ。楽しいから誘ってみただけで、ムリにとは言わないから」
笑顔のまま、少しあたふたとした様子で視線をそらす。
おっと。
その自信のない感じ。
失敗したなと恥ずかしそうにする感じ。
くすぐられるじゃないか。私に生来そなわっているサディストの気質が。
なぜか急に楽しくなり、イタズラしてみたくなった。
「なにそれ。来てほしいなら、ハッキリとそう言いなよ」
言葉がキツめなので、声を少し柔らかくする。
この真綿で首をしめるような緩急に、こいつはどう反応するかな?
サブは自嘲気味に俯いて笑んだまま、「うん、そうだね」などと、まだこっちを見ることもできずにいる。そうだろそうだろ。面白いからもっと見せろその顔を。
なんだ軽音楽部にケンガクって。
それは、客として誘っているのか?
私が、素人の演奏の、それも練習を見学して、キャースゴイと楽しそうに言うとでも思ったのか?
さあ、もう少し誘ってみろ。
見学なんだろ? 客を入れて、おまえらが楽しみたかったんだろ?
なめんなよ小僧。
ほれほれ、正直に言ってみろ。
バンドごっこのライブごっこを見せてやるぞと、そのマヌケな誘い文句を私に、もういっぺん聞かせてみろ。
ある程度は、のってやるぞ。
すごーいとか、喜んで見せるのもいいかもしれない。
で、私を連れて行こうとした瞬間に、「誰が行くかボケ!」という会心の一撃。デトックス効果が期待できそうなほど爽快な、ノリツッコミをキメさせてもらう。
おお、ワクワクする。ほら、早く誘え、ほら。
私は愉悦で悪魔のように微笑し、うずうずして絶好のタイミングを待った。
その勝手な思い込みのぶん、サブの次の言葉を脳ミソが理解するのに少し時間がかかってしまった。
「実は、うちのバンドのメンバーが、噂を仕入れてきてさ、テレクサさんは、歌がうまいらしいって」
……ん、んん? お、おお、おおおん、なん、なんだ? それは。
えー、と。どの、ルートで、誰に、伝わった噂、なのかな?
あれ? すごい恥ずかしいぞ? あれ?
つんのめりそうになっている私に、サブが畳みかける。
「バンドに加入してとは言わないからさ、一曲だけ、ゲスト参加して、歌ってくれないかな?」
それは反射神経で対応できるような、予想の範疇にある誘い文句ではなかった。
何時間予想しても、そんなことを今日、誰かに言われるなんて思いもつかない。
S気質全開で責めていたつもりが意表をつかれ、私は逆に、顔を赤くして俯いてしまった。
「新曲に女性ボーカルを入れてみたいんだ。試してみるだけでいいから、どう?」
「ああ、あああ、それ、そのわた、私は、私……」
「たのむよ。セッションしてみたら、きっと楽しいから、ね?」
サブはサブのくせに、けっこう粘り強く押してくる。
案外やるな、コイツ。
ていうか、ちょっと待って?
セッションって、なに?
生まれて初めて言われたわ、「セッションしよう」って。
セックスですら、まだ言われたことないのに。
面と向かって「セッションしよう」て。
よくまあ、恥ずかしげもなくそんな。え、セッションって、なに?
それはあれ? 私が今日イキナリいって、できるものなの?
私はその、セッションとやらで、なにをすればいいの?
これはなんだ、羞恥プレイ的な、私の恥ずかしさを楽しむ企画か?
いやいやいや、サブがそんなことをする理由がない。
というより、それ以上に、そんなことをしそうに見えない。
だって、スゲーまっすぐな目でこっちを見てくるじゃんか。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ、言葉が出ない。
なんかまだ言われてるけど、よくわからない。
私は今、笑ってるのか? なんで?
なにかを「うんうん」と聞いている。
ああもう、わかんない! なにこれ!
恥ずかしさに顔を俯かせたまま、ふと人肌って温かいんだななんてことを思う。うん、なぜ?
私は自分がいつの間にか、教室から連れ出されていたことに気が付いた。
ん? ん? と、高速回転し、入れかわり続ける空想世界と現実世界。
手が握られているのは、これは、現実か?
力強く、でも痛くない。強引で、でも図々しく感じない。
優しく、でもしっかりと、私を先導する細身の背中。
廊下の窓から、傾きかけた西日が射し込む。
オタクで、モテなくて、奥手で、気弱で、人にバカにされても抵抗もしない。
サブは、私のなかのサブは、たしかそんな人だったような。
窓が開いている。
初夏に近い、涼やかで、でも活き活きとした風が吹き込んでくる。
サブの長髪から、若く清潔な、健康的な若者の匂いが運ばれる。
この、ムダに勤勉な季節風は、四季の変化と同時に、私の手を握る相手が男性であることも、しっかりと伝えてくれる。
若葉の懸命に繁茂していく青々とした匂いと、サブの髪や服から運ばれる香料が混じり、鼻腔から入って脳ミソを痺れさせる。
窓から射し込む陽光がサブの影をキラキラと輝かせる。
風に躍る大きめのサイズの服と、数珠のように連なり靡くクリクリの毛髪。
ダメだ、こいつとこれ以上いると危険だ。
手を振りほどこうと頭では考えているが、その信号が手に伝わらない。
サブの背中から、視線が外せない。
手から伝わる温もりを、拒絶できない。
助けてトラン。
あなたが私の王子様なら、駆けつけるタイミングは今しかない。
さあ、振り返れば、そこにあの輝く白い歯が! ほら!
頭をぐるんぐるん回して探しても、トランどころか知り合いもいなかった。
一階の昇降口へと急ぐ帰宅部と、部活へと走る勤勉な人らが行き来している。
私はそのどちらでもない。
この中で一番、新鮮な驚きに包まれているという優越感。
でもその相手がサブであるという混乱。
もう、わからない。
夢ならさめてほしい。
でもたぶんこれは、悪夢ではない。
──つづく。
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