あ・い・う・え・お

夢=無王吽

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第二十話『無理解』

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 妹のマミさんは、涙を流していた。
 悲しくて泣いているのではなく、笑いすぎて泣いていた。
「オナカいたい、苦しい」と、ゼイゼイ喘いでいる。
 姉も泣くほど笑っていたが、困惑全開の俺の表情に気付き、笑うのをやめた。
「ゴメンね」と、テーブルの上に置いた俺の腕に触れる。掌が温かい。
「イナヅくん、やっぱり思ったとおり、いい人だった」
 微笑んで、アキさんが見詰めてくる。俺の腕に触れた掌も、そのままだ。
「はぁ」
 俺は素直に喜んでいいのかがわからず、また口からすかしっ屁をひり出した。
 アキさんが口角をあげたまま、ぐいと俺に顔を寄せる。
「いきなり彼女にしてとか厚かましいことは言わないからさ、今度、どっか遊びに行ったり、飲みに行ったりとか、しようよ」
 印象どおりの、グイグイと押す強気なタイプだった。
 すごく自信のある人なんだろうなと、俺はなぜか冷静なままで、そっと考えた。
 過去の俺が今の自分を見たら、なんだその羨ましい状況はと、俺の冷めた態度を責めるかもしれない。
 でも俺は、アキさんが羨ましかった。
 こんなに自信がある人には、そうなった経緯があるはずで、俺にはそんな過去はないからだ。
「イヤ? ワタシみたいなの、苦手?」
 アキさんの声に、気遣いがこもる。
 俺は、そんな、嫌がるような顔をしていたのだろうか?
 嫌じゃない。逆だ。すごく嬉しい。
 俺に触れてくれて、認めてくれて、誘ってくれて、優しい言葉をかけてくれる、スタイル抜群の美人。マンガかよと、状況に現実味を感じないくらいだ。
 それでも前向きな反応ができないのは、なぜかな、自分でもわからない。
 アキさんは、すごくモテそうな人だ。
 明るくて、人見知りせず、物事をハッキリと伝える。
 男にも女にも、等しくモテる人だと思う。
 なんで俺なんかに、顔も知らないうちから興味を持ってくれたのだろう? そう考えた瞬間、彼女の美点がもう一つ増えた。アキさんは人を外見じゃなく、内面で判断する人だということだ。俺の顔なんてどうでもよくて、というか、好き嫌いの判断にはあまり関係なくて、俺が好きな人に堂々と告白をした点を評価してくれている。評価できる点を持つ相手には素直に興味を持ち、俺よりはるかにモテそうな彼女のほうから、こんな風に、まるでファンみたいに、下手に出て口説いてくれている。
 俺はいつの間にか、会ったばかりのアキさんの人柄を、大好きになっていた。
 で、ボケッとしている俺に、妹のマミさんが「どうかな?」と、答えを促したというワケだ。これが今までの会話のすべて。
 さて、困ったぞ。


「アキさんがスゴクいい人なのは、少し話しただけで伝わりましたし、もちろん、嫌だなんてことはないですけど、でも、俺にはまだムリです。スンマセン」
 大好きな人には、ちゃんと正直な気持ちを伝えないとダメだ。
 俺は自分の気持ちと向き合って、それをそのまま伝えた。
 フッたフラれたじゃなく、誠実にしなきゃいけない場面で、そうしただけだ。
 俺は姉から妹へと視線を移して、今度はこちらから質問をした。
「マミさんは、高校生ですか?」
「うん」
「俺は今回、高校生を好きになってしまったことについて、じっくり時間をかけて反省しました。社会人が学生を好きになっちゃダメだなんてことは常識で、それは自分でもわかってはいたんですが、つい好きになってしまい、どうしても気持ちが止められなかった。俺は彼女の名前も知らなかったのに」
「ミキだよ」
 俺が恥ずかしくなって俯くと、アキさんが咥えたタバコに火をつけながら教えてくれた。やっぱり思ったとおりだった。さっきの会話に出てきたのが、俺の好きな彼女の名前だったんだ。
 俺は、「ありがとう」と小さく言って、またイイワケを続けた。
「ミキさんを、好きになってはいけなかった。これは反省してます。でも、好きになった人とダメになったからって、すぐにアキさんと、なんて、そんな調子のいいことは、したくないというか、割り切れないというか、俺にはできないです」
 妹のマミさんは、穏やかな表情で俺の答えを聞いていた。
 何度も頷いて、そうそう、そうこなきゃという感じで。
 姉のアキさんは無表情で、口から煙を吐き出している。
 そらそうだ。
 かっこつけたイイワケで、俺なんか口説かなくても、いくらでも相手のいそうなアキさんをフッたのだから、不機嫌にもなるだろう。
 俺は、また失敗したのだろうか?
 人を傷付けて、自分も相手も不幸にしたのだろうか?
 アキさんはさっき、なんでもないことのように言ったけど、でも、あれは交際の申し込みに近い。というか、告白そのものだったじゃないか。同じことをしたから俺にもよくわかるんだけど、人前で告白するには、自尊心がバラバラになるほどの覚悟が必要だ。勇気を振り絞り、一生ぶんの恥を覚悟しないとならない。
 それほどの勇気を出して伝えてくれた好意に対して、俺は、自分がカッコつけることを優先して、無下に拒絶してしまったのかもしれない。
 なんてバカなんだと頭を抱えそうになった時、アキさんが静かに言った。
「違うのよ、イナヅくん、勘違いしてる」
 俺には言われた意味がわからず、その意外な答えにポカンと口を開けることしかできなかった。
 アキさんが煙と一緒に、謎の言葉を吐き続ける。
「ミキオを好きになるなら覚悟がいるよってこと。知った後であいつを傷付けたら許さないからね?」
 責めているようにも聞こえる口調だけど、そうじゃない。
 アキさんは真剣な顔で、俺になにかを伝えようとしていた。
 意味がわからず、「どういうこと?」と、反問する。
 アキさんが最後通告のように、クシャッと顔を歪めて言う。
「だから、ワタシにしておきなって言ってるのにさ」
 ちがう、俺が聞きたいのは、そっちじゃない。
「アキさん、ちょっと待って、さっきの『覚悟がいる』って、どういう意味?」
 俺の質問に、今度はマミさんが反問する。
「イナヅくん、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ。ミキさんを好きになるには覚悟がいるって──」
「ミキオだってば!」
 マミさんの、断ち切るような声。
 なにかを期待するかのような微妙な笑顔と、なにかを恐れるような不安な顔が、交互にいれかわる。
 その複雑な表情は、救いを求めるように俺に向けられていた。
「……ミキオ?」
 声が裏返りそうになったが、辛うじて堪えた。
 たしかに、さっきアキさんもそう言っていた。
 でもそれは、妹の友人に対しての、親しみをこめた呼び名だと思っていた。
 いつもそう呼んでいるから、親しい関係を俺に伝えるためにそう呼んだのだと、勝手に思い込んでいた。
 マミさんが頷く。
「ミキはね、一学期の途中で引っ越してきた、転校生だったんだ」
「転校生」バカみたいなオウム返しをする俺に、マミさんが「うん」と真剣な顔で答える。
「向こうの学校ではね、酷いイジメを受けて、登校拒否になってたみたい。中学の頃からイジメられるようになって、高校でも同じで、だから地元の公立から私立に転校してきたんだって。お嬢様学校だからね、うちの学校」
「イジメって、なんで?」
 訊き返したが、俺にはもう、薄々だけど察しがついていた。
 地元にいられなくなるほどの、どうにもできない理不尽。
 アキさんが、タバコの煙を苦そうに吐き出しながら答える。
「トランスセクシャル」
 俺はアキさんの顔につられるように苦い顔になり、「トランス?」とまたムダに聞き返した。
「自意識の性別と生物学上の性別が一致せず、違和感を覚えている人のことよ」
 アキさんの落ち着いた声。俺はまた、それにつられて静かに返す。
「彼女が、ミキさんが、その、トランスセクシャルなの?」
「簡単に言えば、だけどね。異性装や適合手術までは求めていない、自分の身体に違和感のない人たちも、トランスジェンダーってことで一括にされてるらしいんだけど、あの子は自分の身体に違和感があるのよ」
「それが、トランスセクシャル?」
「そう。て、ワタシもよくわからないんだけどね。こういうのって百人百様みたいだし、ワタシは正直、ミキが男でも女でもどっちでもいいし。でもあの子を好きになる人は、そういうワケにはいかないでしょ? 知らないで好きになると、ミキが傷付くことになるかもしれない。あの子はもう、いっぱい傷付いてきたんだから、ワタシはあいつをこれ以上傷付けるやつは絶対に許さない。ミキがいいやつだってことくらいは、イナヅくんだってなんとなくは、わかってるんでしょ?」
 頷きたかったが、反応できなかった。
 もちろん俺は、ミキさんを見て、性格がよさそうだなとは思っていた。
 こんないいトコロがある、あんないいトコロがあるって、毎日コレクションして勝手に楽しんでいた。
 でも、「わかってた」なんて、ミキさんをよく知る二人の前では言えない。俺はただ自分のために、彼女を理想的に見ていただけなのだから。
 俺には、アキさんを真剣な顔で見返すことしかできなかった。
 アキさんが俺の目を見て頷く。また一服、満足そうに煙を吐き出す。
 ミキさんを大切に想う、この二人もきっと、いい人なんだ。
 俺の態度を見て、もっと話してもいいかなと判断してくれたようだった。
 少なくとも俺は、ミキさんの事情に対して、拒絶反応は示していない。
 たぶんこの二人は、それだけでもかなり安心してくれたのだと思う。
「ミキね、両親と、ハタチになったら適合手術を受けに海外に行くって約束したんだって。性別ってのは複雑でさ、男になったり女になったり、性対象が日によって変わる人もいるらしいのよ。だからね、ミキの両親も理解しようとしてはいるんだけど、手術の後で後悔させたくないから、今、急いで手術を受けるんじゃなくて、ハタチまでは様子を見ようってことにしたんだって、ミキもそれには、納得してるみたい」
 アキさんはたぶん、ミキさんを理解するために、いろいろと調べたのだろう。
 自分の言葉っぽくない、引用のような言い方になるのは、調べて覚えたからかもしれない。
 俺は、なにも知らない。
 ミキさんの過去も、悩みも、未来に抱く微かな希望も。
 もしかしたらこの二人が、ミキさんにあの美しい笑顔を与えてくれていたのかもしれない。
 その彼女の笑顔を、俺はただマヌケ面で、見惚れていただけだったんだ。


 ──つづく。
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