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第十一話『愛煙家』
しおりを挟む「──プロメテウス症候群」
顔をさらしたゴー・キラーの姿を、コリィが一言で表す。
「そうだ」ゴー・キラーは、じっとコリィの目を見て応える。
「だが、だとしたらあんたは命にかかわる重病人だ。それは横になって眠るだけで死ぬこともある難病だぞ?」
「ああ、そのとおり」
「自由に動き回れるだけでも奇跡に近いのに、マフィアと戦うなんて──」
「──おまえは」質問の途中で、ゴー・キラーが口を挟む。
「健常者のヒーローしか、見たことがないのか?」
コリィはイライラと舌打ちし、帽子を脱いで激しく頭を搔き毟る。
自分が今見ているのは、ヒーローという奇跡であると同時に、もう一つの奇跡の具現で、その驚きを言葉にしたいのに、うまくできないのがもどかしくてしかたがないのだ。
訊きたいことが多すぎる。
疑問と謎が、あやとりみたいに複雑に絡み合う。
『まずは握手でもしてもらおうかな』などという、素人の好事家みたいな案が頭を掠めるが、息を深く吸い、強く吐いて気を落ち着かせる。
「勿論あるさ。ヒーローってのは特殊能力とひきかえに、なんらかの障害と一緒に産まれてくるやつのほうが多いんじゃねぇかと思ってるくらいだ」
ゴー・キラーが返答の真偽を確かめるかのように、真っ直ぐにコリィを見返す。澄んだ知的な眼差しに惹き付けられて、コリィの表情が固まる。
宝石のような水色の瞳が、岩のようにゴツゴツとした眉の骨の陰になり、岩戸のように二人の視線の行き来を塞ぐ。
ゴー・キラーが少し俯いただけで、正面から見ると首の上に革張りの球がのったように見える。
コリィはその丸さに──もともと不自然な形ではあるのだが──人為的な違和を覚えた。
巨大化した頭骨と膨張した無毛の皮膚は、他の同症候に苦しむ人らと比べ、妙に整っているように見えるのだ。
もっと不規則に、左右のバランスなど関係なく膨らむものだとコリィは認識していたが、たしかにゴー・キラーの頭部は目撃者の証言どおり、一見すると骸骨型のヘルメットのようにも見える。
「たとえば──」と眼ではその頭部を観察しながら、質問への答えを続ける。
「盲目のヒーローも、精神疾患のヒーローもいた。失声や緘黙、聾唖や声帯異常で喋れないヒーローもいたし、もうそいつはとうの昔に死んじまったが、末期がんのヒーローだっていた。だが、あんたのそれは別物だ。どんなにキツイ訓練も、痛み止めの治療も無意味だし、義手義足がどんなに進歩してもどうにもならねぇ。俺が驚いてるのはそこだよ。なんというか、おまえさんの場合、症候が能力と直結しているように見えるんだが──」
厨房からロンが出てくる足音がして、ゴー・キラーがパーカーのフードを被る。
コリィの背後にただ突っ立っているのを不自然だとでも考えたのか、座っていた隣席へと戻って腰掛ける。
コリィもそれに倣い、浮かせていた尻を椅子の座面へと落ち着かせる。
ロンは厨房の出口付近でなにか袋のようなものを開けて中身を取り出し、すぐにまた奥へと引っ込んだ。
足音が遠ざかるのを待ち、ゴー・キラーが口を開く。
「俺は〈半機械人〉だ」
「ハーフ……、なんだって?」
「ハーフ・マシンだ。俺の父は機械人だからな。この世界では、まだ彼らの先祖をロボットなどと差別的に呼んでいるのかもしれないが、いや、そんなこと言っても伝わらないか。とにかくそれが、〈機械〉が、俺の父親なんだよ」
「ロボットと人間のハーフ……」
ロボットと名付けられた機械製品は多いが、特定の家事や作業を特定の場所で、使用者や開発者の設定した基準に沿った量や質、方向や強弱などをAIが判断し、調節や運転をする程度の家電品に近いものしか、現代には存在していない。
会話機能やペットのようなリアクションをプログラムされたロボットもいるが、それらも実はいくつかの言語やリアクションのパターンを繰り返すだけの傀儡で、アップデートにより──それを売りとしているならば──一見すると成長しているかのように見えるだけのものであり、『学習機能』などと企業が大袈裟に宣伝しているほどの高機能は有しておらず、当然、自分の意思と呼べるようなものは持っていない。況してや人間相手に生殖行為をする、遺伝子か、あるいはそれに相当するものを、次世代に、その時代における全局面対応型機能へと、種を多様化させつつ繋いでいこうとする本能を持ったロボットなど、マンガのように突飛な話であり、現代人であるコリィには現実的な姿を想像することすらできなかった。
ゴー・キラーは被ったフードを、再び脱ごうとはしなかった。
コリィのほうを見ずに、正面の棚に並ぶ多種の酒瓶へと顔を向けている。
その〈自己紹介〉は荒唐無稽にしか聴こえなかったが、嘘を言っているようにも聴こえなかった。
ゴー・キラーは喋ると、かなりの早口だった。
だが発音は正確で、言い間違いもない。まさに機械のような印象を与える。
頭の回転のよさからも酔っているようには見えず、ネジの緩んだキチガイ風でもなかった。
言葉を失って呆然としていると、ゴー・キラーが「おまえは」と続けた。
「タイムスリップについては、どの程度知っている?」
口中や舌、喉の奥なども膨張しているのか、発音は正確だが声はこもっていた。
それでもしっかりと聞き取れるのは、声質にあわせた喋りかたを工夫しているのかもしれないなと、コリィは推測する。
と同時に、相手の質問の突拍子のなさにも気が付き、眉を寄せた。
タイムスリップだと?
「ふん」と鼻でひとつ笑ってから、滔々と答える。
「タイムマシンなんてのは暇人の戯言だ。ワームホールだかダークエネルギーだか知らねぇが、あんなもんは都市伝説と一緒だ」
ゴー・キラーがお返しのように、嘲るような鼻息をひとつ吐く。
「なるほど。ヒーローだ都市伝説だと熱をあげているが、全部を盲信するわけではないのか」
都市伝説の盲信者ね、そう思われていたのか。
コリィはその嘲笑を受け入れたかのように自嘲する。
普通に考えりゃ笑い者にされて当然だろうなと、ゴー・キラーのフードから覗く顎や唇から目を逸らしかけ、おや? と二度見する。
顔の上半分がフードに隠れているうえ、顔全体が頭蓋骨ごと膨張しているので、その表情は読み取りにくい。
だが今、ゴー・キラーはたしかに、少しだけ笑った。
口もとに注目していたからか、コリィはその微妙な表情の変化に気付いた。
悪用する連中もいるので完全にイコールではないが、表情の変化は心境の変化の表れだ。
「ヒーローは信じられてもタイムスリップは無理か?」ゴー・キラーが訊きながら僅かに顔を動かすと、ちらりとフードのなかの顔が覗いた。
濃い影になっていてほぼ見えないが、目もとにも微笑が浮かんでいる。
コリィは観察していることをさとられないよう、言下に返す。
「そうじゃねぇよ。信じるにゃ少し、現実的な証拠が足りねぇだけだ」
ゴー・キラーがさらに身体の角度を変え、コリィに正面を向ける。
「タイムスリップは、不可能だと思うか?」笑みが挑戦的なものへと変じる。
「わからねぇが、たとえば光速に近いスピードで移動すれば未来にいけるとして、時間がとまるほど速い乗り物ってなぁなんだよ。そんなもんに乗って人間は重力で潰れねぇのかい? 『宇宙が膨張する速度は光より速い』なんて説もあったか? 宇宙ってなあれかい? サーフィンみてぇに膨張の波にでも乗れるのかね。あとはなんだ、ワームホールだったかね? あんなもん、まるっきりマンガじゃねぇか。俺にゃあれは、科学の話には聴こえねえよ。言われた側が絶対に確認できねぇのをいいことに、好き勝手な妄言を吐いてるようにしか思えねぇな」
反論を受けても、ゴー・キラーの緩んだ口もとは変わらなかった。
自分を熱心に理解しようとする者を歓迎するかのように、その分厚い顔の骨肉の内側で、喜びを湛えているように、コリィには見えた。
「俺がどうやってタイムスリップしたか、知りたいか?」
ゴー・キラーの問いに、コリィは身を乗り出す。
バーカウンターの椅子をくるりと回転させ、正面同士を向け合う態勢になる。
それが真実なら金を払ってでも聴きたいと、その態度が語っていた。
「おまえの言うとおり、時空移動に、肉体を乗り物で運ぶのは不可能だ」
「なら、おまえさんは、どこからどうやって来たんだい?」
「どうやって来たかより、どうやって生まれたかを訊きたいんじゃないのか?」
「生まれた? ってなんだそりゃ、おいキラー、もっと噛み砕いて丁寧に説明してくんねぇか」
「俺を『キラー』と呼ぶな、コリィ」
「おっと」
人を殺しまくってるくせに、人殺しと呼ばれるのは嫌なのか?
頭に浮かんだ疑問は口にせず、しまっておく。
「オーケー悪かった、じゃあ、なんと呼べばいい?」
「カーマルだ。俺の名前はカーマル・イケミケスケ・レリック」
「カーマル・イケミケスケ・レリック」
その変わった名前を、口のなかで一度、転がしてみる。
イケミケスケとは、どこの国の名前だ? なにかの宗派か? と疑問が重なる。ゴー・キラーことカーマルは構わずに続けた。
「タイプは〈AC・GI・M〉だ」
「タイプ? ってなあれか、血液型のことかい?」
「違う、〈人間型〉だ」
「人間型? 人種みたいなもんか?」
「まあ、そうだな。それも含まれる。俺は自分が一体、この時代の何年後から来たのかは正直、わからない。だが俺がいた時代、時間軸と言い換えてもいいが、そこでは機械人にも、人格と人権と生殖能力が与えられていた」
未来のことを、過去形で語るのは妙な感じだった。
コリィはただ黙って頷いた。
理解したから、そうしたわけではない。
話の先を促しただけだった。
ゴー・キラーは深く頷き返し、続けた。
「性別、人種、機械人または半機械人、障害、超能力。未来ではそれを分類する。白人(C)の母(B)と純機械人(F)の父(A)から産まれた、半機械(G)の男性(A)で、重度の身体障害(M)を持つ超常者(I)。それが俺のタイプだ」
「それがAC・GI・M?」
「俺は障害と能力の組み合わせが特殊だから、これじゃ本当は分類しきれてないんだけどな」
「LGBTQは、分類しないのか?」
「なんだそれは」
「性自認や性対象だ」
「そんなものを公表してどうする?」
「いやまぁいい、忘れてくれ。で、あんたの能力ってのは?」
「俺を捜していたなら、いろんな噂を聞いただろう?」
「ああ聞いたね。巨人だの小人だの、未来人だのテレポーターだのとよ。なかでも解せねぇのは、殺されたって噂だ。ネタモトは確かだから、たぶんあんたの遺体を持ってるやつがどっかにいる。もう破棄したかもしれねぇがな。そんなんだから、捜すのは大変だったよ。こんなに苦労したのは、本物のUMAがいると信じて探しまくってた記者時代以来だ」
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「はは、違うよ。俺みたいなのをマフィアがご丁寧に埋葬してくれると思うか? 俺は分身できるんだ。もっと正確に言えば分裂だけどな」
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「これは順番に説明しないとわかりにくいんだが、機械人と人間の間の子供には、まれに超常者が生まれるんだよ。どんな能力を得るかはそれぞれだが、俺の場合は任意細胞のエネルギー化だった。これにより発光、発熱、気化などは勿論、研究と訓練の結果、空間転移や自身のコピーを発生させることまでできるようになった。あと、これは、生まれつき多くの機械人、半機械人が持っている能力だから、俺の固有能力とは無関係なんだが、ナノマシン抗体の生成能力もある。自ら生み出した共生生物が体内を巡って怪我を治癒したり、侵入した病原体を殺したり、癌細胞を不活化したりする」
「すげぇ……カーマル、それはあれか? 不死身ってことか?」
「そんなに都合のいいものじゃないよ。ナノマシンを生み出す能力は別としても、他の能力は、つかうたびに体細胞を削って発動させるんだ。能力をつかいすぎればたぶん、消滅するか死ぬだろう。どっちになるかは、実際にやってみないとわからないがな」
「パワーをつかうほどに細胞を消耗するのか。そりゃ確かに都合がいいどころか、生命を削る能力だな」
「でも俺は、生まれつき膨張細胞を持っている」
「プロメテウス症候群か」
「そうだ」
「ナノマシンの力で細胞の癌化など、動くのに不都合な症候は全て防げるんだが、成長とともにエネルギー化能力のほうがどんどん強力になっていき、それに併せるように膨張速度もあがっていった。細胞を定期的に消耗しなければ、俺はどんどん巨大化してしまい、近いうちに自分の身体に潰されて死ぬだろう」
「なるほど。それで巨人だったり小人だったりするわけか」
「そうだ」
「任意細胞をエネルギー化できるって言ったな」
「ああ」
「それで、なるべく目立たないように形を整えてるのか」
「そうだ。左右のバランスが崩れると動きにくくもなるしな」
「エネルギーは、どうやって消耗してるんだ?」
「それは、知っているだろう?」
「殺しか」
「まあな。これでも相手は選んでるつもりなんだが」
「未来ではどうしてたんだ? 子供の頃から殺してたわけじゃないんだろ?」
「そうだな。未来では無理だ。無闇にエネルギーを使うとテロや傷害、器物損壊の罪で逮捕されてしまう。逮捕が不可能だと判断されれば、能力者の特殊部隊と死ぬまで戦うことになるかもしれない」
「じゃあ、どうしてたんだ?」
「子供の頃はそんなに膨張が活発じゃなかったから、分身や空間転移などの練習をしていれば、自然と細胞は消耗されていたんだ」
「大人になると、それができなくなった?」
「膨張速度があがり、エネルギーも強力になったからな。だんだん消耗が間に合わなくなっていった」
「それで過去へ、というか、この時代へタイムスリップして来た?」
「父は俺の転移能力を応用して、時空をこえる方法を研究していた。一定量以上の体積があるとエネルギー量のコントロールができず、暴発してしまう怖れがあったので、今の俺くらいのサイズの分裂体をエネルギー化して、その情報を異次元へと送った。何度も、何度もだ。向こうで成功か失敗かの確認はできないから、方法を工夫してはまた送り出した。俺は二百七回目の実験体だ。未来にのこされたほうの俺がその後どうなったのかは、この時空に来た俺には知りようがない。当然だが、時空をこえる通信手段なんかないからな。俺と父がしたことで、この時空の未来がどう影響を受けるのかも、正直、わからない」
「難しいな」いい加減な感想を吐きながら、コリィは笑っていた。
なんだかわからないけど、こいつは事実、今ここにいる。
なにもかもが不明ななかで、それだけが確かなことだった。
「具体的になにを知っているわけでもないけど、この時代の科学力や捜査力では、俺を捕まえることはおろか、犯罪者として立証することも不可能だ。そして都合のいいことに、この時代にはまだ組織暴力が存在している」
「未来にはマフィアやギャング、テロリストなんかはいないのか?」
「たぶんおまえらには想像もできないくらいの、超監視社会だからな。この時代はたぶん、監視と言ってもカメラとかその程度だろう? 俺のいた未来では、警察の監視能力者による脳ハックと、個人識別情報登録による位置情報、人工衛星からの行動確認という三点による徹底管理だからな。犯罪組織どころか、犯罪行為自体が絶滅していた」
「知能犯、たとえば詐欺はどうなんだ? ハッキングなどのネット犯罪は?」
「能力者が監視しているから、内心まで捜査できる。詐欺は言い逃れができない。未来にはこの世界のような裁判制度はない。犯罪行為と罰則が直結しているんだ。警察は罪が確定している相手だけを捕まえる。あと、ハッキング? ハッカーならどこにでもいたよ。この時代はどうなのか知らないが、未来ではハッカーといえば〈情報技師〉のことで、ハッキングが犯罪行為とは限らないからな。現に俺の父がそうだった。父の研究はたぶん、法的にスレスレなところもあったかもしれない。が、うまくごまかしていた。未来では通信に複数のエネルギーが利用されていて、この世界とはネットの概念がまるで違うんだ。脳から脳へと直接エネルギー通信を行えるし、日々、新技術が開発されていた。悪意があったわけでも被害者や損益が出たわけでもない。内心や行動を監視しても、罪人だと特定するのは難しかったのだろうな」
「じゃあ暴力は淘汰された? 突発的な、たとえば喧嘩はどうなんだ?」
「ないね。議論すらない。思考世界を直結できるから、戦争も差別もない。もっと言えば未婚も少子化も、貧富の差もない」
「理想的だな。まるで御伽噺だ」
「その代わりというか、人口制限がある。適正人数を超えると、世界政府が妊娠を止める」
「子供を生む自由はないわけか」
「生物には寿命がある。俺のいた世界では百四十歳くらいが最長寿だった。人口が減れば、妊娠は早いもの勝ちで許可される。人工授精は違法行為だ。性別や能力の有無まで操作できてしまうからな。だから政府の特権だった。自由化運動も起きたらしいけど、まあ、どう考えてもダメだろうな」
「この世界からも、暴力や戦争は近い将来、根絶されるのか?」
「さあな。それはわからない。俺がいた世界とここでは暦も違うし、この時代から何百年後なのか、何千年後なのかもわからない。未来ってのはちょっとしたことで簡単に変わってしまうものだしな」
「おまえはこの時代に、エネルギーを消費するために来たのか?」
「任意だったのは過去か未来かくらいで、細かく時代を選べたわけじゃない。が、可能な限り原始的な時代まで遡ったはずだ。ここは見る限り、野蛮人しかいない。まさに理想どおりの世界だ。俺がエネルギーを消耗すれば、頼りない警察力よりも先に犯罪者を減らせるし、一石二鳥だろ?」
「まぁ、そうかもな」
コリィは懐からタバコを出して銜えた。
カーマルが左手の人差し指を差し出す。
指の先端が赤く光り、タバコに火が点った。
「おお、すげぇ」煙と驚きを同時に吐き出す。
カーマルは「どういたしまして」と微笑んだ。
「未来じゃ、こいつも絶滅してるか?」
コリィはタバコを指で挟み、くいと動かしてみせる。
先端がジジッと焼ける音がして、手の動きを細い紫煙が追った。
「タバコも麻薬もないね。精神安定が目的なら錠剤を飲めばいい」
ピシャリと言われたコリィは眉尻を下げ、寂しげに笑う。
「錠剤か、そりゃ味気ないな」
「俺に言わせりゃ、ナノマシン抗体も持たない普通の人間が、有毒な発癌性物質をわざわざ摂取する理由が皆目わからない。それはなんだ、度胸試しかなにかか?」
「いやぁ、違うと思うぜ」コリィが愉快そうに肩を揺らす。
「自殺願望か?」
「そっちのがまだ近いかな」
「やっぱり、わからんな」嘆息とともにカーマルが席を立つ。
「なんだよ、もう行くのかい?」
名残惜しそうな顔と声が、フードに覆われた顔を追う。
知りたかったことはだいたい訊いてしまったが、まだ話していたかった。
「コリィ」
「ん?」
「もう、俺を追うのはやめておけ」
カーマルがちらりと顔を向ける。優しい瞳、穏やかな声。
マフィアが相手とはいえ人を殺しまくっている男には、とても見えなかった。
背を向け、出口扉へと向かう途中で、「そうだ」と立ち止まる。
「この時代で一つ、気に入っているものがあるんだ」
とまた、コリィに顔を向ける。水色の瞳とコリィの視線がそろりと触れる。
互いに、相手に半分背を向けたような体勢だったが、コリィの勘違いでなければ二人とも、まだ離れずにいられる理由を探しているような表情だった。
「ほう、そりゃ気になるね。なんだい?」
固定椅子をクルリと回転させ、コリィがカーマルに正面を向ける。
「本が紙で、文字情報なんだよ。イメージデータじゃなく」
「未来にゃ、紙はねぇのかい?」
「あるさ。データでなく実物が、ちゃんと博物館に保管されてるよ」
「ちゃんと、ね」
「ああ。タバコも、紙の本もないなんて、理想郷でもなんでもないだろ?」
「そんなに紙の本が気に入ったのかい?」
「そうだな。紙の本はいいね。文字を読んで空想すると癒やされる」
「わかるよ」
「タバコは、いらないけどな」
コリィの笑声を背中で受け、カーマルは店を出た。
扉が閉まる間際、二人の視線がまたちらりと交差した。
今はもうコリィの視線の先には、分厚い鉄の扉しかない。
古くてあちこちが凹んだ防音扉。
コリィは椅子を回転させ、カウンターのほうへ向き直った。
話し込むうち、警戒心も憧れも消え去り、旧友と飲んでいるような気分になっていた。
なつかしい感覚だった。
ガキの時分には友情というものが、物理的にすぐそこに存在しているかのように感じていた。
今、コリィの掌の上には、その色褪せた温かな感覚がのっている。
カーマルも本心では、穏やかな人生を送りたかったのかもしれない。
未来の理想郷で暴力とは無縁の人生を、紙の本でなくとも誰かの創造した物語とともに。
運命か神の御心か、その確率論の果てにあるなにかに人生を翻弄された男。
宝石のように透明な水色の瞳を持つ、理知的な一人の青年が、暴力の世界でしか生きられない非業な運命を背負ってしまった。
理不尽な話だなと、コリィはビールを呷る。
ゴー・キラーこと、カーマル・イケミケスケ・レリック。
人間のタイプは〈AC・GI・M〉。
タバコを灰皿で揉み消し、席を立つ。
「よう、帰るぜ、ロン」
厨房に声をかけると「ああコリィ、毎度」と、くぐもった店主の声が聴こえた。
中折れ帽を目深にかぶり、コリィも店を出る。
薄暗い階段から、明るい地上へとのぼっていく。
車道を行き交う車の、乱暴な走行音と下品なクラクションが耳朶を叩く。
騒音に慣れると、街路樹や人々のざわめきが聴覚に届くようになる。
人の垢の成分を含んだビル風が、全ての音を洗い流す。
見慣れた街の薄汚れた景色が、コリィを現実へと引き戻す。
本物のヒーローに会えた、夢のような時間が流れ去る。
辺りを見渡しても、カーマルの姿はどこにもなかった。
また会えるだろうかと考え、目を閉じて頭を振り、タバコを銜える。
──つづく。
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