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第十話『交渉術』
しおりを挟む「用ってほどのこたねぇんだけど、俺はただ、あんたを知りたいだけでよ」
コリィは相手が消える前に、できる限りの想いを伝えようとした。嘘ではない。世界に散らばる謎や不思議を追い、できれば触れて、驚きたい。解明したいとか、正体を暴きたいのではなく、伝説を幻想ではないと実感したいだけだった。冒険の果てに得るものなどなくてもいい。誰かに自慢したいわけでも、金儲けが目的でもない。体験し、感動して、自分のなかで納得できればそれでいいのだ。
記者時代は、同じ想いをもつ誰かにも、それを届けたいと考えていた。
実際やってみて、伝えないことは独占にはならず、伝わらないことは、どんなに証拠を揃えようと伝わらないのだと知った。
熱は冷めたが、それが理由の全てで記者を辞めたのではない。
伝える意味や、他人のために調査をする意味を、自分のなかに見出すことができないと気付いただけだった。
コリィのそれは、渇望と言ってもいいものだった。
心を沸き立たせる事象がこの世に実在するならば、隠されたままの神秘を密かに追い求め、触れて実感したい。
今も都市伝説を飯の種にしているのは事実だが、それを世間と共有すれば偽善や忖度が混ざり、不思議の純度が下がることは身に染みており、伝える側に戻りたいとは思わなかった。
今回のような、裏社会が関わる都市伝説を追うと、特にそれを実感する。
知的好奇心とか、怖いもの見たさを超えた熱情。
それが純粋であるほどに、他人と共有できない部分は増えていく。
いや、それも綺麗事のイイワケだ。
コリィは自己選択の結果、〈繋ぎ屋〉の仕事を始めたわけではない。
生き甲斐を見失い、不確かな生きかたをしてきた結果、それまでに培ったコネや調査能力を売って、金銭を得ているに過ぎない。
自分のしていることが仕事と呼べるものなのかもわからず、虚無感は変わらずに心の大部分を占めていた。
ゴー・キラーを追う日々の充実感は、心の空洞など端からなかったかのように、完璧に埋めた。
本物だと確信した対象を調べ、捜索し、辿り着けたときの達成感。
これは記者時代にはない感覚だった。
自己顕示欲はコリィにもあるが、この欲求はそこには繋がっていない。
誰かの基準で褒められたいのではなく、誰よりも自分を納得させたい。
自己満足でしか生きられないというガキ臭い連中が世の中には少なからずおり、コリィもそのうちの一人だった。
誰とも共有したくないとは言わないが、他人に理解されることを最大の目的とはしていない。
それは表社会で生きるには、あまりにも純粋すぎる欲求であり、コリィはかつて自分が職を辞した理由を想いの強さ故だったのだと、今ハッキリと認識していた。
「あんたを知りたいんだよ、ゴー・キラー」
背後から気配が消えないので、もう一度繰り返してみる。
こんなに誰かに自分の想いが伝わってほしいと願ったのは、始めてだった。
反応はないが、すぐ近くから呼吸や衣擦れの気配を感じる。
いけるか?
ゆっくりと、相手を驚かさないように振り返る。
「動くな」
僅かに顔を横に向けただけで、背後の呼吸音が警告へと変じた。
声に威嚇の響きを孕んでいるのは感じ取れるが、ついさっき表通りで聴いた同じ言葉と比較すると旋律に迷いが含まれているのを、コリィは聴き逃がさなかった。
「俺は敵じゃねぇよ。あんたが生きていると誰かに密告るつもりもない」
コリィは首を斜め横に向けたままで、固まっていた。戻せとは言われていない。警戒はしていても、この角度までは許してくれているということだと判じる。
もう一歩踏み込みたくて、それを素直に伝えてみる。
「喋りづらいな、あんたのほうを向いちゃダメかい?」
脅すつもりも、騙すつもりもないことを示したかった。
慎重に喋り、慎重に動く。ゆっくりと、もう少しだけ首を後ろに回す。
「俺の顔を見るな」
背後からの警告。コリィはまたピタリと動きを止める。
ゴー・キラーの声には、喜怒哀楽とは違う色が混じっていた。
「どういう意味だい? マスクをつけたいならつけても構わないぜ?」
穏やかな声で提案する。顔を見たいわけではないと暗に伝える。
自警人は顔を隠す者が多い。
怨みを抱かれることが多いので、正体を知られないほうがいいのだろう。
「マスク?」ゴー・キラーの声が低くなる。
自分の発言になにか失礼があったのかと焦り、「どこかに置いてあるのかい? 『骸骨のマスクを被っている』なんて噂を聞いたことがあるからさ、もし今持ってないのなら、なにかで代用してもらってもいいし、ここに戻ってきてくれるなら、マスクを取りにいってもらっても構わないぜ」と、イイワケがましく捲し立てる。
「骸骨……おまえはなんだ、探偵か? 記者か?」
「以前は記者をやってたよ。今はフリーだ」
「フリーの記者か」
「いや、記者はやめた」
「マフィアか?」
「いや、組織には属してない」
いいぞ、もっと質問してくれ。
コリィは微笑みそうになるのを堪えていた。
会話は、心の距離を縮めるのに有効だ。
ヘタなことを言えば逆に距離があいてしまうが、相手の質問に正直に答えているうちは問題ない。
「殺し屋か?」
「フリーの殺し屋なんていねぇよ、ありゃ映画の世界だ」
「俺を殺しにきたんだろう?」
「あんたを俺がか? 殺せると思うかい?」
「ムリだろうな」
「だよな、そのくらいは、調べてから来てるよ」
「俺を調べてるのか?」
「まあ、ちょっと興味があってね」
「探偵か」
「そんな上等なもんじゃねぇよ。ただの、あんたのファンだ」
「ファン? どうやって俺のことを知った?」
「そりゃあんたは、噂になってるからな」
「マフィアから聞いたのか」
「そうだが、俺はマフィアとは関係ない」
「なんだ、おまえ、何者なんだ?」
コリィは我慢できずに噴き出してしまった。
「悪ぃ、そんなに警戒しなくても、あんたの敵じゃねぇよ」
「それは、俺が判断する」
「ボディチェックしてもらっても構わないぜ」
「そんなことをしても、意味がない」
コリィは心中で、ほう、と感心した。
強力な銃器を携えた大勢のマフィアと、都市伝説クラスのヒーロー二人をぶつけても斃せない戦闘力を持っている以上、コリィが武器を隠し持っていると警戒しているとは思えない。今のは、隠しカメラなどの情報収集機器を警戒しての発言だと判じられた。それはつまり、自分の情報を広められたくないということ。誰も勝てないほどの圧倒的な強さに、この臆病さを併せ持つのは簡単ではなく、彼の強さの秘密でもあるのかもしれないと推察し、コリィはそこに感心したのだった。
文房具やメガネ、ライター、タバコ、腕時計、洋服のボタンなど、疑いだしたらきりがないのが諜報用機器の怖さだ。
口中に隠しているかもしれないし、義眼や頭皮にカメラが埋め込まれているかもしれない。
それはつまり、発見できない。または発見してもそれが隠された機器の全てかはわからないということである。
今の会話から、コリィが得た情報は他にもあった。
ゴー・キラーは情報源をもたない個のヒーローであり、調査力も低い。そして、透視能力や読心能力も具えていないということ。
コリィはそれを踏まえ、用心深い相手として交渉することにした。
「どうすれば、敵じゃないと証明できる?」
「そりゃ、ムリだな。俺にはこの世界の知識がないし、おまえがついた嘘を見破る手段がない。てことはつまり俺の主観で判断するしかなく、となるとどうしても、信用しないのが最善ってことになってしまう」
「おいおい、なにも、オトモダチになろうってんじゃねんだぜ?」
ゴー・キラーがふっと笑う。
コリィもフンと一緒に笑った。
同じ行動をすることも、笑顔や笑声にも、心の距離を縮める効果がある。
だがそれだけに悪用する輩、裏で言えば稼業人や詐欺師、表で言えば訪販営業や宗教の勧誘などだが、依存や洗脳の手段としてつかわれることも多い。
ゴー・キラーほどの用心深さをもつ者であれば、却ってそんな風にポジティブな感情表現が重なったときにこそ、警戒心を強めるのだろうと、コリィにはわかっていた。
わかっていても笑ってしまったのは、単純に嬉しかったからだ。
ゴー・キラーが言葉とは裏腹に、逃げずに会話を続けてくれているという事実。
そこがなによりも重要で、有難かった。
逃げるべきだと判断しているのなら、もうとっくに逃げているだろう。
機を逸した行動は、新たにそのきっかけを与えなければ再開されない。
コリィが相手を警戒させなければ、会話は続くということだった。
「なぁ、おい、あのさ」
コリィは友人に対するような口調になった。
「俺んちに来ないか? 歩いて行ける距離のボロアパートだ。嫌なら次でもいい。けど、できりゃ今日、来てほしい。だってよ、逃げたきゃあんたなら、いつだって逃げられるんだろ?」
返事はないが、ここまで踏み込んでもゴー・キラーはまだそこにいる。
鼻炎持ちなのかパグ犬のように呼吸が荒いので、いなくなればすぐにわかる。
「あんたに興味があるから話を聞きたいだけだよ。ダメかい?」
コリィはそっとビールに手をのばし、一口啜って唇を湿らせた。
「俺は都市伝説の調査を生き甲斐にしてる。ヒーローに憧れてるんだよ」
「ヒーロー?」
「ああ、メタヒューマン、能力者、なんでもいいが、数奇者の間じゃヒーローってことで統一されてる」
「それが俺と、なんの関係がある?」
「あんたが俺にとって、ヒーローだって言ってんだよ」
背後の呼吸音が、今度はため息に変わる。
「嘘は言ってないぜ? いや、確かめる手段はないかもしれねぇが、そんくらいはわかるだろ?」
返事はない。だが、聴こえてはいるはずだった。
言ってることが届いている内は、まだ交渉の余地があると判じる。
「俺がどっかの組織の使い走りじゃねぇかってまだ疑ってるなら、そこいらの奴に訊いてみればいい。〈ただのコリィ〉って野郎のことを知りたいって言えば、俺を知ってるやつなら言うだろうよ。あいつは『なんでもない奴』だってよ。俺んちで少しくらい話しても、あんたにゃ害はねぇよ。なんなら奥に引っ込んでるロンに、ここの店主のオヤジにさ、訊いてみなよ。こいつは無害なやつかってよ。有益とは言わねぇだろうが無害だって、そこんとこはたぶん保証してくれるからよ」
ここがチャンスだと踏んで、コリィは一息で伝えた。
まるで童貞の小僧が、初めて惚れた女を口説いているような必死さだった。
情けない自分をさらけ出すことで信用を得られるなら、バカにされたっていい。
ゴミ屑みたいなやつだと軽蔑されても構わない。
長いこと捜し回ってやっと出会えたヒーローと、二人だけで話す時間をくれと、真摯に願い、伝えていた。
「俺を見ろ」背後から、諦めとは違う無感情がぶつけられる。
「いいのかい?」コリィはその言葉の真意が読み取れず、まだ動けない。
「おまえが思うようなヒーローなのか、俺を見てからもう一度言ってみろ」
無感情というより、攻撃的な口調。
なんだ?
意図が読めず、コリィは「わかった、いいんだな?」と断ってから、ゆっくりと言われたとおりにした。
ぐるりと店内の壁が視界のなかで回り、フードの男が目に入る。
コリィは息を呑んだ。
そういうことかと疑問の雲が晴れ、点と点が繋がっていく。
一度は顔を見るなと言い、今度は見ろと言った理由。
マスクという言葉に反応した理由。
そしてもしかしたら、巨人だ小人だと、目撃者の証言が変わった理由も。
「俺がなにか、わかるか?」
ゴー・キラーがコリィを正面から見据え、問う。
「わかる。が、いや、これは……信じられねぇ」
言葉が出てこなかった。
奇跡そのものが、目の前にいた。
「わかるなら俺がなにか言ってみろ、コリィ」
責めるような質問。
ゴー・キラーが深く被っていたフードを脱ぐ。
間違いない。こいつは──。
コリィが震える唇を開き、ゴー・キラーの正体を零した。
──つづく。
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