96 / 104
第五章 朧月
篠条昭人の回想
しおりを挟む
研究所での冒険から二週間。いつものように〈オアシス〉で働いていたわたしは、突如昭人に呼び出された。
「……〈九十九月〉に戻れ、って?」
あまりにも唐突な指示は、どうやら幹部たちによるものらしい。追い出しておいて身勝手な、と思いながら、ふと綾の言葉を思い出す。
『私の方から話してみます』
あの発言は、わたしが〈九十九月〉に戻れるよう取りなす、という意味のものだったのだろうか。だとしたら突然の指示も納得がいく。
一人で頷いていると、昭人がコーヒーを差し出してきた。
「我々を監視する必要がなくなった、ということでしょうね」
何気なく紡がれた言葉に顔を引きつらせる。いつから気づいていたのだろうか。そう問いかけると、彼は平然と「最初からです」なんて返してきた。
最初から気づいていたなら、どうしてわたしを店に引き入れたのだろう。疑問が顔に出ていたのか、昭人がくすくす笑いながら「わかりやすいですね」と呟く。
「ほら、私が音島さんに声をかけたのは三雲さんからの頼みですので。大方、幹部の方々が扱いに困って監視の名目でこちらへ向かわせたのだろうと思っていましたよ」
「監視って言われるとちょっと嫌だけど、まぁ大体そんな感じ。いろいろあってさ」
大雑把に話を投げると、昭人が「ご苦労さまです」と労ってくれる。そういえば、彼は千秋と近しい存在だったはず。気になることを一つ聞いてみることにした。
「昭人から見て、千秋ってどんな人?」
「千秋くん、ですか。……改めて聞かれると難しいですね」
困ったように笑いながらも、ぽつぽつと思い出話をしてくれる。……意外と悪戯好きだったらしい。性格があまりよくないことは知っていたが。
「いろいろと巻き込まれた割には、楽しそうに話すね」
「楽しかったのは事実ですので。異能者だとか術者だとか関係なく、ただの友人でいられましたから」
「友人……」
言葉を詰まらせる。昭人と初めて会ったときの会話を思い出したのだ。
『……わたしを利用しようとしてるのが、もし千秋だったら? そのときあんたは――』
『彼と対立するでしょうね。当然、彼もそのつもりだと思いますよ』
あのとき、彼は既に友人と対立する覚悟を決めていた。……わたしのせいで、友情に亀裂が入ったのではないだろうか。
昭人の目を見ていられず、視線を落とす。すると彼は何かを察したように「大丈夫ですよ」と笑いかけてきた。
「何を考えているかは大体わかります。ですが、あなたが責任を感じることではない。……それに」
不自然に切られた言葉を訝しみ顔を上げる。そこには、悪戯っぽく笑う昭人がいた。
「あんなことを言いましたが、千秋くんがそんなことを実行するわけないので。仲違いするはずがありません」
「なんでそんなこと――」
言い切れるの、とは続けられない。黙りこくるわたしに返されたのは、不明瞭でシンプルな理由。
「彼のことを信じているからです」
「しん、じて……」
柔らかく細められた左目の奥に、揺るぎない強さが見えた。わたしが大崎兄妹に向けたいもの。向けたいけれど、さまざまな情報で揺らいでしまっているものだ。
ふっと、息を吐き出すような音が聞こえた。次いで頭にひんやりとした手が乗せられる。焦らないで、そう諭す声が耳に心地よい。
「私に見えるものと、音島さんに見えるものは違います。あなたは、あなたに見えるもので判断するしかない。……たとえ見えたものが、あなたの希望と異なっていても」
信じるのは、まだ先の話です。昭人はそう言って、わたしの頭から手を離した。
「音島さん、あなたは〈九十九月〉に戻るべきです。幹部から命令されたからではない。あなた自身の結論を出すために、その目で彼らを見て――疑わなければ」
「疑う……?」
想像もしていなかった言葉に目を見開く。疑うなんて、信じるの対極にあると思うのだが。
うまく呑み込めないわたしに気づいたのか、昭人は「説明が不足していましたね」と苦笑した。
「これは私の経験から来る持論ですが、誰かを信じるためにはまずその方を疑わなければ。疑って疑って、最後に残った『疑う余地のないもの』が自分の信条に近しい何かである――それを理解して初めて『他人を信じる』ことができるのです」
「……昭人にとっては、千秋がそうなんだね」
納得しきれない自分を誤魔化すように、毒にも薬にもならない言葉を並べる。
信じるために疑え、なんて、なかなか酷なことを言う。……それとも、そうならざるを得ないほどの経験を、術者協会以外でもしてきたのだろうか。わたしはゆるゆると首を振った。
彼の過去はわからないし、知ったところでどうしようもない。ならば、わたしにできるのは「経験則」を受け取ること。それを噛み砕いて、自分なりに理解することだ。深呼吸を一つして、気合を入れる。
「言われた通り〈九十九月〉へ戻って、わたしなりに千秋たちのことを『疑って』みるよ。……短い間だけど、お世話になりました」
深々と頭を下げると、昭人は柔らかく笑った。あなたの決断を応援しています――そんな彼なりの祝福と共に。
「……〈九十九月〉に戻れ、って?」
あまりにも唐突な指示は、どうやら幹部たちによるものらしい。追い出しておいて身勝手な、と思いながら、ふと綾の言葉を思い出す。
『私の方から話してみます』
あの発言は、わたしが〈九十九月〉に戻れるよう取りなす、という意味のものだったのだろうか。だとしたら突然の指示も納得がいく。
一人で頷いていると、昭人がコーヒーを差し出してきた。
「我々を監視する必要がなくなった、ということでしょうね」
何気なく紡がれた言葉に顔を引きつらせる。いつから気づいていたのだろうか。そう問いかけると、彼は平然と「最初からです」なんて返してきた。
最初から気づいていたなら、どうしてわたしを店に引き入れたのだろう。疑問が顔に出ていたのか、昭人がくすくす笑いながら「わかりやすいですね」と呟く。
「ほら、私が音島さんに声をかけたのは三雲さんからの頼みですので。大方、幹部の方々が扱いに困って監視の名目でこちらへ向かわせたのだろうと思っていましたよ」
「監視って言われるとちょっと嫌だけど、まぁ大体そんな感じ。いろいろあってさ」
大雑把に話を投げると、昭人が「ご苦労さまです」と労ってくれる。そういえば、彼は千秋と近しい存在だったはず。気になることを一つ聞いてみることにした。
「昭人から見て、千秋ってどんな人?」
「千秋くん、ですか。……改めて聞かれると難しいですね」
困ったように笑いながらも、ぽつぽつと思い出話をしてくれる。……意外と悪戯好きだったらしい。性格があまりよくないことは知っていたが。
「いろいろと巻き込まれた割には、楽しそうに話すね」
「楽しかったのは事実ですので。異能者だとか術者だとか関係なく、ただの友人でいられましたから」
「友人……」
言葉を詰まらせる。昭人と初めて会ったときの会話を思い出したのだ。
『……わたしを利用しようとしてるのが、もし千秋だったら? そのときあんたは――』
『彼と対立するでしょうね。当然、彼もそのつもりだと思いますよ』
あのとき、彼は既に友人と対立する覚悟を決めていた。……わたしのせいで、友情に亀裂が入ったのではないだろうか。
昭人の目を見ていられず、視線を落とす。すると彼は何かを察したように「大丈夫ですよ」と笑いかけてきた。
「何を考えているかは大体わかります。ですが、あなたが責任を感じることではない。……それに」
不自然に切られた言葉を訝しみ顔を上げる。そこには、悪戯っぽく笑う昭人がいた。
「あんなことを言いましたが、千秋くんがそんなことを実行するわけないので。仲違いするはずがありません」
「なんでそんなこと――」
言い切れるの、とは続けられない。黙りこくるわたしに返されたのは、不明瞭でシンプルな理由。
「彼のことを信じているからです」
「しん、じて……」
柔らかく細められた左目の奥に、揺るぎない強さが見えた。わたしが大崎兄妹に向けたいもの。向けたいけれど、さまざまな情報で揺らいでしまっているものだ。
ふっと、息を吐き出すような音が聞こえた。次いで頭にひんやりとした手が乗せられる。焦らないで、そう諭す声が耳に心地よい。
「私に見えるものと、音島さんに見えるものは違います。あなたは、あなたに見えるもので判断するしかない。……たとえ見えたものが、あなたの希望と異なっていても」
信じるのは、まだ先の話です。昭人はそう言って、わたしの頭から手を離した。
「音島さん、あなたは〈九十九月〉に戻るべきです。幹部から命令されたからではない。あなた自身の結論を出すために、その目で彼らを見て――疑わなければ」
「疑う……?」
想像もしていなかった言葉に目を見開く。疑うなんて、信じるの対極にあると思うのだが。
うまく呑み込めないわたしに気づいたのか、昭人は「説明が不足していましたね」と苦笑した。
「これは私の経験から来る持論ですが、誰かを信じるためにはまずその方を疑わなければ。疑って疑って、最後に残った『疑う余地のないもの』が自分の信条に近しい何かである――それを理解して初めて『他人を信じる』ことができるのです」
「……昭人にとっては、千秋がそうなんだね」
納得しきれない自分を誤魔化すように、毒にも薬にもならない言葉を並べる。
信じるために疑え、なんて、なかなか酷なことを言う。……それとも、そうならざるを得ないほどの経験を、術者協会以外でもしてきたのだろうか。わたしはゆるゆると首を振った。
彼の過去はわからないし、知ったところでどうしようもない。ならば、わたしにできるのは「経験則」を受け取ること。それを噛み砕いて、自分なりに理解することだ。深呼吸を一つして、気合を入れる。
「言われた通り〈九十九月〉へ戻って、わたしなりに千秋たちのことを『疑って』みるよ。……短い間だけど、お世話になりました」
深々と頭を下げると、昭人は柔らかく笑った。あなたの決断を応援しています――そんな彼なりの祝福と共に。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定

愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

生まれ変わっても一緒にはならない
小鳥遊郁
恋愛
カイルとは幼なじみで夫婦になるのだと言われて育った。
十六歳の誕生日にカイルのアパートに訪ねると、カイルは別の女性といた。
カイルにとって私は婚約者ではなく、学費や生活費を援助してもらっている家の娘に過ぎなかった。カイルに無一文でアパートから追い出された私は、家に帰ることもできず寒いアパートの廊下に座り続けた結果、高熱で死んでしまった。
輪廻転生。
私は生まれ変わった。そして十歳の誕生日に、前の人生を思い出す。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる