観月異能奇譚

千歳叶

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第五章 朧月

篠条昭人の回想

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 研究所での冒険から二週間。いつものように〈オアシス〉で働いていたわたしは、突如昭人に呼び出された。

「……〈九十九月〉に戻れ、って?」

 あまりにも唐突な指示は、どうやら幹部たちによるものらしい。追い出しておいて身勝手な、と思いながら、ふと綾の言葉を思い出す。

『私の方から話してみます』

 あの発言は、わたしが〈九十九月〉に戻れるよう取りなす、という意味のものだったのだろうか。だとしたら突然の指示も納得がいく。
 一人で頷いていると、昭人がコーヒーを差し出してきた。

「我々を監視する必要がなくなった、ということでしょうね」

 何気なく紡がれた言葉に顔を引きつらせる。いつから気づいていたのだろうか。そう問いかけると、彼は平然と「最初からです」なんて返してきた。
 最初から気づいていたなら、どうしてわたしを店に引き入れたのだろう。疑問が顔に出ていたのか、昭人がくすくす笑いながら「わかりやすいですね」と呟く。

「ほら、私が音島さんに声をかけたのは三雲さんからの頼みですので。大方、幹部の方々が扱いに困って監視の名目でこちらへ向かわせたのだろうと思っていましたよ」
「監視って言われるとちょっと嫌だけど、まぁ大体そんな感じ。いろいろあってさ」

 大雑把に話を投げると、昭人が「ご苦労さまです」と労ってくれる。そういえば、彼は千秋と近しい存在だったはず。気になることを一つ聞いてみることにした。

「昭人から見て、千秋ってどんな人?」
「千秋くん、ですか。……改めて聞かれると難しいですね」

 困ったように笑いながらも、ぽつぽつと思い出話をしてくれる。……意外と悪戯好きだったらしい。性格があまりよくないことは知っていたが。

「いろいろと巻き込まれた割には、楽しそうに話すね」
「楽しかったのは事実ですので。異能者だとか術者だとか関係なく、ただの友人でいられましたから」
「友人……」

 言葉を詰まらせる。昭人と初めて会ったときの会話を思い出したのだ。

『……わたしを利用しようとしてるのが、もし千秋だったら? そのときあんたは――』
『彼と対立するでしょうね。当然、彼もそのつもりだと思いますよ』

 あのとき、彼は既に友人と対立する覚悟を決めていた。……わたしのせいで、友情に亀裂が入ったのではないだろうか。
 昭人の目を見ていられず、視線を落とす。すると彼は何かを察したように「大丈夫ですよ」と笑いかけてきた。

「何を考えているかは大体わかります。ですが、あなたが責任を感じることではない。……それに」

 不自然に切られた言葉を訝しみ顔を上げる。そこには、悪戯っぽく笑う昭人がいた。

「あんなことを言いましたが、千秋くんがそんなことを実行するわけないので。仲違いするはずがありません」
「なんでそんなこと――」

 言い切れるの、とは続けられない。黙りこくるわたしに返されたのは、不明瞭でシンプルな理由。

「彼のことを信じているからです」
「しん、じて……」

 柔らかく細められた左目の奥に、揺るぎない強さが見えた。わたしが大崎兄妹に向けたいもの。向けたいけれど、さまざまな情報で揺らいでしまっているものだ。
 ふっと、息を吐き出すような音が聞こえた。次いで頭にひんやりとした手が乗せられる。焦らないで、そう諭す声が耳に心地よい。

「私に見えるものと、音島さんに見えるものは違います。あなたは、あなたに見えるもので判断するしかない。……たとえ見えたものが、あなたの希望と異なっていても」

 信じるのは、まだ先の話です。昭人はそう言って、わたしの頭から手を離した。

「音島さん、あなたは〈九十九月〉に戻るべきです。幹部から命令されたからではない。あなた自身の結論を出すために、その目で彼らを見て――疑わなければ」
「疑う……?」

 想像もしていなかった言葉に目を見開く。疑うなんて、信じるの対極にあると思うのだが。
 うまく呑み込めないわたしに気づいたのか、昭人は「説明が不足していましたね」と苦笑した。

「これは私の経験から来る持論ですが、誰かを信じるためにはまずその方を疑わなければ。疑って疑って、最後に残った『疑う余地のないもの』が自分の信条に近しい何かである――それを理解して初めて『他人を信じる』ことができるのです」
「……昭人にとっては、千秋がそうなんだね」

 納得しきれない自分を誤魔化すように、毒にも薬にもならない言葉を並べる。

 信じるために疑え、なんて、なかなか酷なことを言う。……それとも、そうならざるを得ないほどの経験を、術者協会以外でもしてきたのだろうか。わたしはゆるゆると首を振った。
 彼の過去はわからないし、知ったところでどうしようもない。ならば、わたしにできるのは「経験則」を受け取ること。それを噛み砕いて、自分なりに理解することだ。深呼吸を一つして、気合を入れる。

「言われた通り〈九十九月〉へ戻って、わたしなりに千秋たちのことを『疑って』みるよ。……短い間だけど、お世話になりました」

 深々と頭を下げると、昭人は柔らかく笑った。あなたの決断を応援しています――そんな彼なりの祝福と共に。
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