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第五章 朧月
真昼間、予定調和の波乱
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二週間後。そいつらが店に現れたのは、普段通り〈オアシス〉を営業している最中のことだった。
「八辻綾を出せ。すぐに従えばお前らを害することはない」
「……いきなり何。客じゃないなら帰って」
強盗じみた言葉を放つ連中を睨みつける。すると、キッチンから昭人が姿を見せた。騒ぎを聞きつけたのかもしれないが、何もわかっていないのに状況が変化するのは嬉しくない。
「うちの店員が、何か?」
昭人の低く冷たい声に、招かれざる客たちは一瞬動揺を見せる。隣で聞いているわたしにもその冷たさは伝わってきたが、以前恭介が襲撃してきたときの方が恐ろしい声音をしていた。今はまだそこまで怖くない。
先ほどの勢いはどこへ消えたのか、侵入者である男三人はお互いの顔を見合わせながら口ごもっている。昭人が催促するように「何か?」と繰り返すと、連中は鋭い目をして最初の台詞を放った。
「……なるほど、研究所の方々ですね。生憎、礼を失する方の要求に応じる気はありません」
お引き取りを。昭人の言葉が聞こえた瞬間、視界の左端から何かが迫ってきた。ぎらりと輝くそれは――どう見ても刃物だ。
「ッ、危ない……!」
わたしが叫ぶと同時に、昭人は素早く右手を伸ばす。その掌中から水の弾丸らしきものが発射され、刃物を持つ男の手に命中した。男は刃物を取り落とし、あからさまな動揺を顔に浮かべる。
「もう一度お伺いします。――我々の仲間に、何のご用でしょうか」
「そ、れは――」
「お前は黙っていろ。私から説明する」
刃物を持っていた男を手で制し、その奥に控えていた男が口を開いた。
「我々は異能研究所の職員だ。所長命令により管理番号八十九、個体名『八辻綾』の回収に来た」
「何言ってるのかわからないんだけど。あんたたちに綾の行動を管理する権利なんてないでしょ」
反射的に発した文句は無視され、男が前――わたしたちの方へと歩み出る。わたしは思わず一歩後ずさり、キッチンに視線を向けてしまった。
「木崎、向こうだ。お前ならあれの異能にも対抗できるだろう」
「承知しました」
「ちょっと、何しようとして――」
ずんずんと迷うことなくキッチンへ進む三人目の男。慌てて制止しようと腕を掴むも、勢いよく突き飛ばされてしまう。
まずい、向こうには綾がいるのに。そう焦った瞬間、綾がキッチンから顔を覗かせた。……まるで、タイミングを見計らっていたかのように。
「あなたたちの目的は私でしょう。その人たちに危害を加えないでください」
「それはお前の言動次第だ。お前がわずかでも抵抗すれば……わかるな?」
「……わかりました、あなたたちに従います」
綾は小さく頷くと、わたしたちに向き直る。少し出かけてきますね、と笑みを浮かべ、すぐに視線を外された。
「いつものことですが、どうしてこんな強硬手段に出るんですか? あなたたちのことですから、私の連絡先くらい知っているはずなのに」
「確実性を重視するためだ」
「なるほど、予想の範疇です。あ、荷物をまとめる時間くらいはいただけますよね」
「許可する。逃げようとは思うなよ」
もちろんですよ。綾がくすくす笑う。こんなに非日常な光景だというのに、彼女一人だけが普段通り。それが異質だ。
綾が休憩スペースへと向かっている最中、突如わたしの首元に冷たい感触がした。その意図を察するより早く、背後から声が届く。
「あれが余計な行動に出たら貴様の命はない」
「あぁ……人質ってことか」
言葉の意味を噛み砕く前に口から呟きがこぼれた。その思考を肯定するように背中を押され、わたしはよろめきながら綾の後に続く。
休憩スペースにいたのは――顔面蒼白の友也と、彼を守るように立つ那津。自然な動作で荷物をまとめる綾は、彼らに視線を向けることすらしなかった。
「さて、と。これで大丈夫です。行きましょうか」
にこり。口元に笑みを浮かべた綾が、わたしに刃物を押しつける男を促して去っていく。呆然と立ち尽くすわたしたちなんて気にも留めず。……いや、そもそもわたしたちの存在を認識しているかすらわからなかった。
彼らの気配すら感じ取れなくなり、ようやく緊張状態から解放された気がする。わたしたちは脱力するように深く息をつき、それぞれと顔を見合わせた。
「ど……どうしましょう……」
わずかに震えが残る声で友也が呟く。わたしが口を開く前に、那津は「仕方ない、か」と頷いた。
「とりあえず、篠条さんのところへ行きましょうか。……これからのことを考えないと」
那津の声は、発された言葉とは裏腹に何かを決意したような響きを持って聞こえる。それを指摘することもできないまま、わたしたち三人はホールに残る昭人の元へ向かった。
「八辻綾を出せ。すぐに従えばお前らを害することはない」
「……いきなり何。客じゃないなら帰って」
強盗じみた言葉を放つ連中を睨みつける。すると、キッチンから昭人が姿を見せた。騒ぎを聞きつけたのかもしれないが、何もわかっていないのに状況が変化するのは嬉しくない。
「うちの店員が、何か?」
昭人の低く冷たい声に、招かれざる客たちは一瞬動揺を見せる。隣で聞いているわたしにもその冷たさは伝わってきたが、以前恭介が襲撃してきたときの方が恐ろしい声音をしていた。今はまだそこまで怖くない。
先ほどの勢いはどこへ消えたのか、侵入者である男三人はお互いの顔を見合わせながら口ごもっている。昭人が催促するように「何か?」と繰り返すと、連中は鋭い目をして最初の台詞を放った。
「……なるほど、研究所の方々ですね。生憎、礼を失する方の要求に応じる気はありません」
お引き取りを。昭人の言葉が聞こえた瞬間、視界の左端から何かが迫ってきた。ぎらりと輝くそれは――どう見ても刃物だ。
「ッ、危ない……!」
わたしが叫ぶと同時に、昭人は素早く右手を伸ばす。その掌中から水の弾丸らしきものが発射され、刃物を持つ男の手に命中した。男は刃物を取り落とし、あからさまな動揺を顔に浮かべる。
「もう一度お伺いします。――我々の仲間に、何のご用でしょうか」
「そ、れは――」
「お前は黙っていろ。私から説明する」
刃物を持っていた男を手で制し、その奥に控えていた男が口を開いた。
「我々は異能研究所の職員だ。所長命令により管理番号八十九、個体名『八辻綾』の回収に来た」
「何言ってるのかわからないんだけど。あんたたちに綾の行動を管理する権利なんてないでしょ」
反射的に発した文句は無視され、男が前――わたしたちの方へと歩み出る。わたしは思わず一歩後ずさり、キッチンに視線を向けてしまった。
「木崎、向こうだ。お前ならあれの異能にも対抗できるだろう」
「承知しました」
「ちょっと、何しようとして――」
ずんずんと迷うことなくキッチンへ進む三人目の男。慌てて制止しようと腕を掴むも、勢いよく突き飛ばされてしまう。
まずい、向こうには綾がいるのに。そう焦った瞬間、綾がキッチンから顔を覗かせた。……まるで、タイミングを見計らっていたかのように。
「あなたたちの目的は私でしょう。その人たちに危害を加えないでください」
「それはお前の言動次第だ。お前がわずかでも抵抗すれば……わかるな?」
「……わかりました、あなたたちに従います」
綾は小さく頷くと、わたしたちに向き直る。少し出かけてきますね、と笑みを浮かべ、すぐに視線を外された。
「いつものことですが、どうしてこんな強硬手段に出るんですか? あなたたちのことですから、私の連絡先くらい知っているはずなのに」
「確実性を重視するためだ」
「なるほど、予想の範疇です。あ、荷物をまとめる時間くらいはいただけますよね」
「許可する。逃げようとは思うなよ」
もちろんですよ。綾がくすくす笑う。こんなに非日常な光景だというのに、彼女一人だけが普段通り。それが異質だ。
綾が休憩スペースへと向かっている最中、突如わたしの首元に冷たい感触がした。その意図を察するより早く、背後から声が届く。
「あれが余計な行動に出たら貴様の命はない」
「あぁ……人質ってことか」
言葉の意味を噛み砕く前に口から呟きがこぼれた。その思考を肯定するように背中を押され、わたしはよろめきながら綾の後に続く。
休憩スペースにいたのは――顔面蒼白の友也と、彼を守るように立つ那津。自然な動作で荷物をまとめる綾は、彼らに視線を向けることすらしなかった。
「さて、と。これで大丈夫です。行きましょうか」
にこり。口元に笑みを浮かべた綾が、わたしに刃物を押しつける男を促して去っていく。呆然と立ち尽くすわたしたちなんて気にも留めず。……いや、そもそもわたしたちの存在を認識しているかすらわからなかった。
彼らの気配すら感じ取れなくなり、ようやく緊張状態から解放された気がする。わたしたちは脱力するように深く息をつき、それぞれと顔を見合わせた。
「ど……どうしましょう……」
わずかに震えが残る声で友也が呟く。わたしが口を開く前に、那津は「仕方ない、か」と頷いた。
「とりあえず、篠条さんのところへ行きましょうか。……これからのことを考えないと」
那津の声は、発された言葉とは裏腹に何かを決意したような響きを持って聞こえる。それを指摘することもできないまま、わたしたち三人はホールに残る昭人の元へ向かった。
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