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第五章 朧月
運転手、爪を隠す
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「藤原……、涼歌のこと?」
わたしの問いを、女性は再び肯定する。涼歌の同僚ということは、彼女も異能者なのだろうか。
「……が、わたしが耳にしたのは『風変わりな異能を持つ〈三日月〉の新人』という話だけです。それがなぜ昭人さんと行動を共にしているのでしょうか?」
思考の海に潜っていたわたしの意識を引き戻したのは、彼女の不審そうな声だった。ルームミラー越しに疑いの眼差しを向けられる。
疑われても困るのだが、どう説明したものか。さすがに〈五家〉の事情を説明するわけにもいかないだろう。頭を悩ませていると、昭人が助け船を出してくれる。
「その『風変わりな異能』が上層部に疎まれているようでして、私の方で保護しているのです」
「なるほど、昭人さん……というか大崎のご兄妹が考えそうなことですね」
納得したような声を発する女性は、さらりと「大崎のご兄妹」なんて言葉を口にした。この人は千波や千秋の人となりを知っているのだろうか。
何を説明するべきで、何を説明してはいけないのか――頭を悩ませるわたしをよそに車は進む。静かになった車内に走行音だけが響いた。
「――はい、到着しましたよ」
それから十数分ほどが経った頃。うつらうつらしていたわたしの耳に、柔らかい女性の声が届く。慌てて頭を上げると、運転席の女性はシートベルトを外していた。助手席に座っていたはずの昭人の姿はない。
「……あ、ありがとう」
車を降りて昭人と合流する。慣れた様子で――実際慣れているのだろうが――店のドアを開けた彼は、店内に向けて「ただいま戻りました」と声をかけていた。
「師匠、おかえりなさい! 律月さんも一緒ですか?」
「えぇ、連れて帰ってきました。それと……鈴の分のコーヒーをお願いします」
「わかりました!」
はきはきと返事をした麻里奈は、慣れた手つきでコーヒーの準備を始める。彼女も「鈴」という女性とは面識があるようだ。
わたしたちはホール最奥のテーブル席に腰掛ける。麻里奈がコーヒーを運んでくると、女性は柔らかい笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。麻里奈さんは元気でしたか?」
「めちゃくちゃ元気ですっ! 律月さんとか、新しく入ってくれた人たちもとってもいい人で――」
麻里奈は幼い子供のように最近の出来事を話す。女性は微笑んだまま相槌を打っていた。その目はどこまでも優しく、妹を可愛がるような色をしている。
ひとしきり話し終えた麻里奈が席を離れていく。三人になり、わたしは他二人の様子を窺いながらおずおずと口を開いた。
「……そっちはわたしのことを知ってるかもしれないけど、わたしはあんたを知らない。せめて名前くらいは名乗ってほしいんだけど……」
「そういえば、きちんとした挨拶はしていませんでしたね。失礼しました」
女性は軽く頭を下げると、昭人をちらりと見てからわたしに向き直る。
「わたしは菊池鈴、〈弓張月〉第一班に所属しています。そして、昭人さんとは幼馴染のようなものです」
「ふーん……? だから麻里奈とも知り合いってこと?」
そうですね。鈴が頷く。……多分、悪人ではないだろう。警戒をわずかに緩める。
向こうが名乗ったのだから、こちらもきちんと挨拶をしておくか。わたしは「一応自己紹介しておく」と前置きした。
「音島律月。幹部からの指示で〈九十九月〉のあちこちをうろうろしてる。ここで働いてるのもその一環」
「なるほど。納得はしていませんが、理解はしました。かなり災難な役回りですね」
事実であれば――続いた言葉は無視する。コーヒーを一口含み、わたしは正面の女を呼んだ。
「あんたは、異能研究所について知ってる?」
「……それを聞いてどうするつもりですか」
硬質な声で聞き返してきた鈴がすっと目を細める。あまりにも鋭い視線に貫かれてしまいそうだが、わたしは目を逸らすことなく彼女を見つめ返した。
触れてはいけない話題なのかもしれないが、少しでも情報は得ておきたい。この店の仲間が研究所に狙われている可能性を否定できないのだから。
「あんたと合流する前、研究所の人間に声をかけられた。そいつは綾……ここの店員の一人を知ってるみたいだから、危険に遭わないための情報が欲しい」
わたしが研究所について知ろうとしている理由は隠さず説明する。それが功を奏したのか、鈴の表情から鋭さが消えた。真剣な顔で何かを考え込んでいる。
「危機回避のため、ということであれば協力しましょう。ですが、有益な情報を提供できるとは限りませんよ」
「知らないで危険に遭うよりはマシでしょ」
「正論ですね。……わたしのようなごく普通の異能者が知っていることなんて、それこそ幹部の方に聞けばすぐわかるとは思いますが」
鈴は何度も「誰でも知っている内容」だと主張した。迂闊に言えないような機密情報でもあるのだろうか。
とはいえ、今のわたしが知りたいのは異能研究所という組織の性質だ。どんな人がどういう理念で動くのか、それによってわたしたち――特殊な異能を持つ人――にどんな危険があるのか。それが知りたい。
言いづらいことは言わなくていい、と付け加えると、ようやく鈴が口を開く。
「……あまり気分のいい話ではありませんが」
不愉快そうに顰められた顔と、ぎゅっと拳を握りしめる気配。わたしは小さく息を呑み、覚悟を決めた。
わたしの問いを、女性は再び肯定する。涼歌の同僚ということは、彼女も異能者なのだろうか。
「……が、わたしが耳にしたのは『風変わりな異能を持つ〈三日月〉の新人』という話だけです。それがなぜ昭人さんと行動を共にしているのでしょうか?」
思考の海に潜っていたわたしの意識を引き戻したのは、彼女の不審そうな声だった。ルームミラー越しに疑いの眼差しを向けられる。
疑われても困るのだが、どう説明したものか。さすがに〈五家〉の事情を説明するわけにもいかないだろう。頭を悩ませていると、昭人が助け船を出してくれる。
「その『風変わりな異能』が上層部に疎まれているようでして、私の方で保護しているのです」
「なるほど、昭人さん……というか大崎のご兄妹が考えそうなことですね」
納得したような声を発する女性は、さらりと「大崎のご兄妹」なんて言葉を口にした。この人は千波や千秋の人となりを知っているのだろうか。
何を説明するべきで、何を説明してはいけないのか――頭を悩ませるわたしをよそに車は進む。静かになった車内に走行音だけが響いた。
「――はい、到着しましたよ」
それから十数分ほどが経った頃。うつらうつらしていたわたしの耳に、柔らかい女性の声が届く。慌てて頭を上げると、運転席の女性はシートベルトを外していた。助手席に座っていたはずの昭人の姿はない。
「……あ、ありがとう」
車を降りて昭人と合流する。慣れた様子で――実際慣れているのだろうが――店のドアを開けた彼は、店内に向けて「ただいま戻りました」と声をかけていた。
「師匠、おかえりなさい! 律月さんも一緒ですか?」
「えぇ、連れて帰ってきました。それと……鈴の分のコーヒーをお願いします」
「わかりました!」
はきはきと返事をした麻里奈は、慣れた手つきでコーヒーの準備を始める。彼女も「鈴」という女性とは面識があるようだ。
わたしたちはホール最奥のテーブル席に腰掛ける。麻里奈がコーヒーを運んでくると、女性は柔らかい笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。麻里奈さんは元気でしたか?」
「めちゃくちゃ元気ですっ! 律月さんとか、新しく入ってくれた人たちもとってもいい人で――」
麻里奈は幼い子供のように最近の出来事を話す。女性は微笑んだまま相槌を打っていた。その目はどこまでも優しく、妹を可愛がるような色をしている。
ひとしきり話し終えた麻里奈が席を離れていく。三人になり、わたしは他二人の様子を窺いながらおずおずと口を開いた。
「……そっちはわたしのことを知ってるかもしれないけど、わたしはあんたを知らない。せめて名前くらいは名乗ってほしいんだけど……」
「そういえば、きちんとした挨拶はしていませんでしたね。失礼しました」
女性は軽く頭を下げると、昭人をちらりと見てからわたしに向き直る。
「わたしは菊池鈴、〈弓張月〉第一班に所属しています。そして、昭人さんとは幼馴染のようなものです」
「ふーん……? だから麻里奈とも知り合いってこと?」
そうですね。鈴が頷く。……多分、悪人ではないだろう。警戒をわずかに緩める。
向こうが名乗ったのだから、こちらもきちんと挨拶をしておくか。わたしは「一応自己紹介しておく」と前置きした。
「音島律月。幹部からの指示で〈九十九月〉のあちこちをうろうろしてる。ここで働いてるのもその一環」
「なるほど。納得はしていませんが、理解はしました。かなり災難な役回りですね」
事実であれば――続いた言葉は無視する。コーヒーを一口含み、わたしは正面の女を呼んだ。
「あんたは、異能研究所について知ってる?」
「……それを聞いてどうするつもりですか」
硬質な声で聞き返してきた鈴がすっと目を細める。あまりにも鋭い視線に貫かれてしまいそうだが、わたしは目を逸らすことなく彼女を見つめ返した。
触れてはいけない話題なのかもしれないが、少しでも情報は得ておきたい。この店の仲間が研究所に狙われている可能性を否定できないのだから。
「あんたと合流する前、研究所の人間に声をかけられた。そいつは綾……ここの店員の一人を知ってるみたいだから、危険に遭わないための情報が欲しい」
わたしが研究所について知ろうとしている理由は隠さず説明する。それが功を奏したのか、鈴の表情から鋭さが消えた。真剣な顔で何かを考え込んでいる。
「危機回避のため、ということであれば協力しましょう。ですが、有益な情報を提供できるとは限りませんよ」
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「正論ですね。……わたしのようなごく普通の異能者が知っていることなんて、それこそ幹部の方に聞けばすぐわかるとは思いますが」
鈴は何度も「誰でも知っている内容」だと主張した。迂闊に言えないような機密情報でもあるのだろうか。
とはいえ、今のわたしが知りたいのは異能研究所という組織の性質だ。どんな人がどういう理念で動くのか、それによってわたしたち――特殊な異能を持つ人――にどんな危険があるのか。それが知りたい。
言いづらいことは言わなくていい、と付け加えると、ようやく鈴が口を開く。
「……あまり気分のいい話ではありませんが」
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