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第四章 星月夜
禁術使いの復讐劇〈一〉
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「……昭人?」
思わず呟く。他の面々にとっても、彼の登場は予想外だったようだ。ざわめき立つのがわかる。
「二度とこの地に戻ることはない。そう思っていましたが……榛様から乞われれば、致し方ありませんね」
昭人は困ったように笑う。細まった左目が、撫子と名乗る女を捉えたのがわかった。
「特級の術者になりたい、ですか。憧れるのは結構ですが、現実を直視してもそう主張できますか?」
「何、言って……。私の行動など、協会を追い出された禁術使いには無関係でしょう」
「えぇ。私には関係ありません。ですが、未来ある若い術者が犠牲になることは看過できませんので」
「犠牲になる? 馬鹿なことを言わないでいただきたい」
女は嘲笑するように鼻を鳴らす。しかし昭人は何も言わずに微笑を浮かべ、柊の方に視線を移した。
「お久しぶりです、伊吹さん。見ない間にすっかり表情筋が衰えてしまったようで」
「そっちはずいぶんと性根が歪んだようだな、昭人。関わる人間は選べとあれだけ言っただろうに」
容赦ない言葉のやり取りだが、彼らの表情は柔らかい。気安い間柄であることが伺える。……そういえば、以前昭人は自身を「特級水術士」と称していた。その頃の知人だろうか。
親しげな二人とは様子が異なるのが、だらしない服装の男。先ほど柊とやり合っていた奴である。わなわなと唇を震わせ、昭人を指さすと「何が目的だ!」と叫んだ。
「目的……そうですね。誤解を恐れず言うのであれば『復讐』でしょうか」
「復讐だと? 単なる逆恨みだろう。やはり追い出されたことを根に持っていたんだな」
男は勝手に結論づけ、昭人を敵と判断したらしい。今すぐ出て行け、と笑った。
「今逃げ出せば、大きな傷を負うことはない。完全に目が潰れるのは嫌だろう?」
「……傲慢なのは変わらず、ですか。とはいえ『私に勝てる』と判断しているのは成長でもありますね」
昭人が小さく笑う。ここを荒らしてもいいのであれば戦いましょう、と。
不穏な展開になってきた。背中を冷や汗が伝う。蚊帳の外にいる人々の表情からも、困惑と不安が見て取れる。しかし、月子や正輝は冷静な目をして混乱を傍観していた。
「撫子、援護しろ!」
突然、男がそう叫ぶ。呼ばれた女は戸惑いながらも了承を返した。お兄様の仰せのままに、と。
「拘束させていただきます。暴れなければ怪我はしません」
女が呪文を唱えると、鎖のようなものが現れた。透き通った鎖は時折ぐにゃりと形を歪ませながら昭人へと向かっていく。
「形状変化ですね、上級術者としての実力は十分ある。――ただ、甘い」
昭人が右手を差し向けた途端、鎖はぴたりと動きを止める。そして先端から凍りつき、やがてパキンと砕けた。
「水術使いが特級になるのであれば、最低でも『気化』あるいは『凝固』を操れなくては」
「……ッ」
悔しそうに顔を歪める女から視線を外し、昭人が呪文を口にする。対峙している男は慌てたように土の塊を投げつけた。ただの塊だったそれは次第に形を変え、鋭利な刃物のような見た目で昭人に迫る。
「動揺が表に出すぎです。その単調な攻撃で本当に私を排除する気ですか?」
びちゃり。土の塊だったものは水に包まれ、泥となって床に落ちた。すかさず昭人が告げる。
「私の目的は、あなた方と戦うことではありません。目的を果たせばこの場を去ると約束いたします」
「馬鹿なことを言うな! そんな言葉が信じられるわけ――」
「黙っていろ。話が進まないだろうが」
叫ぶ男の口を封じたのは柊だ。彼は火の玉を槍のような形に変形させ、男の喉元に突きつける。引きつった悲鳴がわたしの耳にも届いた。
「話を続けろ、昭人」
「言われずとも。……まずは、一つの誤解を解くことにしましょうか」
昭人は右手の人差し指を伸ばし、小さな水のリングを生み出す。それをクルクル回しながら退屈そうな顔をした。
「この二十年ほどで協会を追われた禁術使いは五名。……さて、彼らの用いた『禁術』とは?」
リングが男の指をすり抜け、恭介の元へ飛んでいく。危なげなくそれを受け止めた彼は肩をすくめて「術式の詳細は伏せられてるね」と答えた。
「そうでしょうね。恐らく『認識するだけで危険』だとでも主張しているのでしょう」
「まるで実際はそうじゃないような言い方だな。詳細が伏せられたところで禁術使いには変わらないだろう」
幹部会の承認があるのだから。口を挟んできた柊はそう呟く。炎の槍から手を離さないまま。
「幹部が罪を認定した、それだけで――たとえ禁術を扱っていなくても禁術使いになることができる」
この意味がわかりますか。昭人が問いかけると、リングはいつの間にか女――撫子の元にあった。彼女は不愉快そうな顔で答える。
「自分は無実だとでも言いたいのですか? 幹部が罪をでっち上げた、と?」
女の問いかけには静かな微笑みだけを返し、昭人はリングを瑠璃の元へ飛ばす。久谷のお嬢さん、と。
「五名の罪を訴えたのは久谷派ですか?」
「……いいえ。両親から『また鷺沼派に先を越された』と何度も聞かされています」
「ありがとうございます」
昭人は微笑み、リングを手元に呼び戻した。リングは細かい粒子状に分解され、やがて消える。
「幹部が認定した『禁術使い』とは、一体何者なのか。あなたなら答えられますよね? 特級地術士、鷺沼海斗さん」
思わず呟く。他の面々にとっても、彼の登場は予想外だったようだ。ざわめき立つのがわかる。
「二度とこの地に戻ることはない。そう思っていましたが……榛様から乞われれば、致し方ありませんね」
昭人は困ったように笑う。細まった左目が、撫子と名乗る女を捉えたのがわかった。
「特級の術者になりたい、ですか。憧れるのは結構ですが、現実を直視してもそう主張できますか?」
「何、言って……。私の行動など、協会を追い出された禁術使いには無関係でしょう」
「えぇ。私には関係ありません。ですが、未来ある若い術者が犠牲になることは看過できませんので」
「犠牲になる? 馬鹿なことを言わないでいただきたい」
女は嘲笑するように鼻を鳴らす。しかし昭人は何も言わずに微笑を浮かべ、柊の方に視線を移した。
「お久しぶりです、伊吹さん。見ない間にすっかり表情筋が衰えてしまったようで」
「そっちはずいぶんと性根が歪んだようだな、昭人。関わる人間は選べとあれだけ言っただろうに」
容赦ない言葉のやり取りだが、彼らの表情は柔らかい。気安い間柄であることが伺える。……そういえば、以前昭人は自身を「特級水術士」と称していた。その頃の知人だろうか。
親しげな二人とは様子が異なるのが、だらしない服装の男。先ほど柊とやり合っていた奴である。わなわなと唇を震わせ、昭人を指さすと「何が目的だ!」と叫んだ。
「目的……そうですね。誤解を恐れず言うのであれば『復讐』でしょうか」
「復讐だと? 単なる逆恨みだろう。やはり追い出されたことを根に持っていたんだな」
男は勝手に結論づけ、昭人を敵と判断したらしい。今すぐ出て行け、と笑った。
「今逃げ出せば、大きな傷を負うことはない。完全に目が潰れるのは嫌だろう?」
「……傲慢なのは変わらず、ですか。とはいえ『私に勝てる』と判断しているのは成長でもありますね」
昭人が小さく笑う。ここを荒らしてもいいのであれば戦いましょう、と。
不穏な展開になってきた。背中を冷や汗が伝う。蚊帳の外にいる人々の表情からも、困惑と不安が見て取れる。しかし、月子や正輝は冷静な目をして混乱を傍観していた。
「撫子、援護しろ!」
突然、男がそう叫ぶ。呼ばれた女は戸惑いながらも了承を返した。お兄様の仰せのままに、と。
「拘束させていただきます。暴れなければ怪我はしません」
女が呪文を唱えると、鎖のようなものが現れた。透き通った鎖は時折ぐにゃりと形を歪ませながら昭人へと向かっていく。
「形状変化ですね、上級術者としての実力は十分ある。――ただ、甘い」
昭人が右手を差し向けた途端、鎖はぴたりと動きを止める。そして先端から凍りつき、やがてパキンと砕けた。
「水術使いが特級になるのであれば、最低でも『気化』あるいは『凝固』を操れなくては」
「……ッ」
悔しそうに顔を歪める女から視線を外し、昭人が呪文を口にする。対峙している男は慌てたように土の塊を投げつけた。ただの塊だったそれは次第に形を変え、鋭利な刃物のような見た目で昭人に迫る。
「動揺が表に出すぎです。その単調な攻撃で本当に私を排除する気ですか?」
びちゃり。土の塊だったものは水に包まれ、泥となって床に落ちた。すかさず昭人が告げる。
「私の目的は、あなた方と戦うことではありません。目的を果たせばこの場を去ると約束いたします」
「馬鹿なことを言うな! そんな言葉が信じられるわけ――」
「黙っていろ。話が進まないだろうが」
叫ぶ男の口を封じたのは柊だ。彼は火の玉を槍のような形に変形させ、男の喉元に突きつける。引きつった悲鳴がわたしの耳にも届いた。
「話を続けろ、昭人」
「言われずとも。……まずは、一つの誤解を解くことにしましょうか」
昭人は右手の人差し指を伸ばし、小さな水のリングを生み出す。それをクルクル回しながら退屈そうな顔をした。
「この二十年ほどで協会を追われた禁術使いは五名。……さて、彼らの用いた『禁術』とは?」
リングが男の指をすり抜け、恭介の元へ飛んでいく。危なげなくそれを受け止めた彼は肩をすくめて「術式の詳細は伏せられてるね」と答えた。
「そうでしょうね。恐らく『認識するだけで危険』だとでも主張しているのでしょう」
「まるで実際はそうじゃないような言い方だな。詳細が伏せられたところで禁術使いには変わらないだろう」
幹部会の承認があるのだから。口を挟んできた柊はそう呟く。炎の槍から手を離さないまま。
「幹部が罪を認定した、それだけで――たとえ禁術を扱っていなくても禁術使いになることができる」
この意味がわかりますか。昭人が問いかけると、リングはいつの間にか女――撫子の元にあった。彼女は不愉快そうな顔で答える。
「自分は無実だとでも言いたいのですか? 幹部が罪をでっち上げた、と?」
女の問いかけには静かな微笑みだけを返し、昭人はリングを瑠璃の元へ飛ばす。久谷のお嬢さん、と。
「五名の罪を訴えたのは久谷派ですか?」
「……いいえ。両親から『また鷺沼派に先を越された』と何度も聞かされています」
「ありがとうございます」
昭人は微笑み、リングを手元に呼び戻した。リングは細かい粒子状に分解され、やがて消える。
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