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第四章 星月夜
威圧者、暗中模索
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「聞こえなかったのか。ここで何をしている、と聞いたんだ」
高圧的な声音ではない。だが、声の主へ言い表せない恐怖心が募る。多分、厄介な相手だ。
視線を動かしていいものか。いや、もしわたしが部外者だとバレたらどうする? ……わからない。勝手な判断は、わたしだけでなく瑠璃の首も締めてしまう。
動けずにいるわたしに代わり、瑠璃があはは、と曖昧な笑みを浮かべた。
「柊さんこそ、こんなところで何してるんですか? 派閥と無縁のあなたがいるような場所でもないでしょうに」
「……久谷の娘が鷺沼の管轄に踏み込む理由もない。それに、そっちは部外者だろう?」
「ッ!」
息を呑む。柊と呼ばれた男は、一瞥しただけでわたしを「部外者」だと見抜いたのだ。どうしよう、どう切り抜ければ――。
「生憎、今は雑談してる場合じゃないんですよね! さっさと退散させていただきます!」
動けずにいるわたしの手首を掴み、瑠璃が部屋を駆け出す。背後から聞こえてくる制止の声も振り切り、行き先もわからずに走って、走る。
最終的にたどり着いたのは窓のない小部屋だった。追いかけてくる気配がないことを確認し、わたしたちは揃って大きく息をつく。
「はぁ、幸先悪いにも程がありますよ……。証拠は見つからないし、よりによって『火焔の貴公子』さまに見つかるし……」
「……気になるところはいくつかあるけど、その『火焔の貴公子』って何?」
ぶつぶつ不満を口にする瑠璃へ尋ねる。彼女は「最初に聞くのがそれですか」と笑いながら、先ほどの男が持つ二つ名だと教えてくれた。
「それは……本人が名乗ってるの……?」
「まさか! 周囲が勝手に呼んでるだけですよ。うっかり本人の前で口を滑らせたらどんな報いが待ってるか……想像しただけでも恐ろしい」
瑠璃は自分を抱きしめるような仕草をして、ぶるりと身震いする。そこまで怖い人間なのだろうか。確かに説明の難しい威圧感はあったし、かなり長身のようにも見えたが。
知りもしない「火焔の貴公子」とやらへの恐怖を深めつつ、わたしは外の様子を窺う。誰かが通る気配も、付近で息を潜めている気配も感じられない。――脱出するなら今だ。
「瑠璃」
小さな声で呼びかける。彼女も意図を察してくれたのか、こくりと頷いて立ち上がった。呼吸を合わせて部屋から一歩踏み出す、瞬間。
「――かくれんぼは満足できたか?」
虫の知らせとでも言うべきか。とにかく猛烈に嫌な予感がして、大きくのけぞる。
直後、炎が眼前すれすれをよぎった。チリリと感じる熱、髪が焦げる嫌な匂い。……本当に危なかった。一瞬でも判断が遅れていたら、命すら危うかっただろう。
ひいらぎ、さん。瑠璃の掠れた声が聞こえる。わたしは彼女を背に庇いながら男を睨みつけた。
「……突然人を燃やそうとするなんてどういうつもり? わたしに殺意でもある?」
「殺意はないが、敵意なら十二分にある。お前が素性の知れない部外者である以上、私は久谷の娘を説得し引き離さなければならない」
拒むようであれば戦闘も致し方ないだろう? 男はそう言うや否や、再び炎をこちらに放ってくる。この行動のどこを見れば「殺意はない」なんて言葉を信じられると思うのだろう、こいつは。
身を躱せば後ろにいる瑠璃が危ない。とはいえ避けなければ容赦なく燃やされるだろう。打つ手なし――そんな言葉が脳裏をよぎる。
諦めと共に目を閉じた途端、ふっと炎がかき消えた。先ほどまで目の前に存在していたはずの熱を感じないのだ。不審に思い、そろりと目を開く。
「……殺意はない、私は確かにそう言ったはずだが」
どこか気まずそうな表情で、男はそう言った。それに続いて「脅すにしてもやりすぎた」だの「まさか避けないとは……」だのと呟く声が聞こえる。
こいつ、意外と親しみが持てるかもしれない。わたしは考えを改めた。少なくとも「冷酷で恐ろしい『火焔の貴公子』さま」のイメージとはかけ離れているだろう。
もしかしたら――ふと浮かんだアイデアが、吟味する間もなく口からこぼれ出る。
「ねぇ、少し話さない? 部外者がここにいる理由も、瑠璃と一緒に行動してる理由も、場合によっては説明できるよ」
「ちょっ、音島さん……!」
瑠璃が慌てたように止めてくるが、構うことなく男に問いかけた。
きっと、わたしたちが無事に状況を打破する手段はこれしかない。目の前で威圧感を醸し出す男の良心――あるいは好奇心――に賭けるしかないのだ。
表面上は淡々と、内心不安に駆られながら返答を待つ。男は腕を組み、考え込むようなそぶりを見せた。
「……まぁ、危うく殺しかけるところだったからな。会話くらい構わない」
自分なりの落とし所を見つけたのか、男は頷きを返してくる。ついてこい、とわたしたちを促し、長身に見合った歩幅でどんどん先へと進んでいく。わたしは瑠璃と顔を見合わせ、とりあえず後に続くことを選んだ。
高圧的な声音ではない。だが、声の主へ言い表せない恐怖心が募る。多分、厄介な相手だ。
視線を動かしていいものか。いや、もしわたしが部外者だとバレたらどうする? ……わからない。勝手な判断は、わたしだけでなく瑠璃の首も締めてしまう。
動けずにいるわたしに代わり、瑠璃があはは、と曖昧な笑みを浮かべた。
「柊さんこそ、こんなところで何してるんですか? 派閥と無縁のあなたがいるような場所でもないでしょうに」
「……久谷の娘が鷺沼の管轄に踏み込む理由もない。それに、そっちは部外者だろう?」
「ッ!」
息を呑む。柊と呼ばれた男は、一瞥しただけでわたしを「部外者」だと見抜いたのだ。どうしよう、どう切り抜ければ――。
「生憎、今は雑談してる場合じゃないんですよね! さっさと退散させていただきます!」
動けずにいるわたしの手首を掴み、瑠璃が部屋を駆け出す。背後から聞こえてくる制止の声も振り切り、行き先もわからずに走って、走る。
最終的にたどり着いたのは窓のない小部屋だった。追いかけてくる気配がないことを確認し、わたしたちは揃って大きく息をつく。
「はぁ、幸先悪いにも程がありますよ……。証拠は見つからないし、よりによって『火焔の貴公子』さまに見つかるし……」
「……気になるところはいくつかあるけど、その『火焔の貴公子』って何?」
ぶつぶつ不満を口にする瑠璃へ尋ねる。彼女は「最初に聞くのがそれですか」と笑いながら、先ほどの男が持つ二つ名だと教えてくれた。
「それは……本人が名乗ってるの……?」
「まさか! 周囲が勝手に呼んでるだけですよ。うっかり本人の前で口を滑らせたらどんな報いが待ってるか……想像しただけでも恐ろしい」
瑠璃は自分を抱きしめるような仕草をして、ぶるりと身震いする。そこまで怖い人間なのだろうか。確かに説明の難しい威圧感はあったし、かなり長身のようにも見えたが。
知りもしない「火焔の貴公子」とやらへの恐怖を深めつつ、わたしは外の様子を窺う。誰かが通る気配も、付近で息を潜めている気配も感じられない。――脱出するなら今だ。
「瑠璃」
小さな声で呼びかける。彼女も意図を察してくれたのか、こくりと頷いて立ち上がった。呼吸を合わせて部屋から一歩踏み出す、瞬間。
「――かくれんぼは満足できたか?」
虫の知らせとでも言うべきか。とにかく猛烈に嫌な予感がして、大きくのけぞる。
直後、炎が眼前すれすれをよぎった。チリリと感じる熱、髪が焦げる嫌な匂い。……本当に危なかった。一瞬でも判断が遅れていたら、命すら危うかっただろう。
ひいらぎ、さん。瑠璃の掠れた声が聞こえる。わたしは彼女を背に庇いながら男を睨みつけた。
「……突然人を燃やそうとするなんてどういうつもり? わたしに殺意でもある?」
「殺意はないが、敵意なら十二分にある。お前が素性の知れない部外者である以上、私は久谷の娘を説得し引き離さなければならない」
拒むようであれば戦闘も致し方ないだろう? 男はそう言うや否や、再び炎をこちらに放ってくる。この行動のどこを見れば「殺意はない」なんて言葉を信じられると思うのだろう、こいつは。
身を躱せば後ろにいる瑠璃が危ない。とはいえ避けなければ容赦なく燃やされるだろう。打つ手なし――そんな言葉が脳裏をよぎる。
諦めと共に目を閉じた途端、ふっと炎がかき消えた。先ほどまで目の前に存在していたはずの熱を感じないのだ。不審に思い、そろりと目を開く。
「……殺意はない、私は確かにそう言ったはずだが」
どこか気まずそうな表情で、男はそう言った。それに続いて「脅すにしてもやりすぎた」だの「まさか避けないとは……」だのと呟く声が聞こえる。
こいつ、意外と親しみが持てるかもしれない。わたしは考えを改めた。少なくとも「冷酷で恐ろしい『火焔の貴公子』さま」のイメージとはかけ離れているだろう。
もしかしたら――ふと浮かんだアイデアが、吟味する間もなく口からこぼれ出る。
「ねぇ、少し話さない? 部外者がここにいる理由も、瑠璃と一緒に行動してる理由も、場合によっては説明できるよ」
「ちょっ、音島さん……!」
瑠璃が慌てたように止めてくるが、構うことなく男に問いかけた。
きっと、わたしたちが無事に状況を打破する手段はこれしかない。目の前で威圧感を醸し出す男の良心――あるいは好奇心――に賭けるしかないのだ。
表面上は淡々と、内心不安に駆られながら返答を待つ。男は腕を組み、考え込むようなそぶりを見せた。
「……まぁ、危うく殺しかけるところだったからな。会話くらい構わない」
自分なりの落とし所を見つけたのか、男は頷きを返してくる。ついてこい、とわたしたちを促し、長身に見合った歩幅でどんどん先へと進んでいく。わたしは瑠璃と顔を見合わせ、とりあえず後に続くことを選んだ。
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