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第四章 星月夜
水面下、不協和音の気配
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見て見ぬフリはできなかった。余計なお世話かもしれないと思いながらも、わたしの口は勝手に動いて声を発していたのだ。
「……音島さん、いつからそこに……」
「ついさっき。ちょっと着替えたくてお邪魔してたんだけど、出ていくタイミングがわからなくて」
そんな言い訳をしながら、わたしは先ほどの電話を話題に出す。すると、牡丹があからさまに硬直した。
「電話の相手、すごくうるさ……大きい声だったけど。平気?」
「平気です。慣れていますから」
緊張を見せながらも、言葉だけは淡々と紡がれる。それが彼女の「武装」なのかもしれない。なんて、会って数日の人間に理解を示されても迷惑かもしれないが。
そっか。わたしは曖昧な相槌を返す。今聞きたいのは騒々しい電話相手のことではなく、蒼とのぎこちない関係についてだから。
「あと、牡丹にもう一つ聞きたいことがあって。今時間ある?」
「わたしは構いませんが、あなたは休憩時間じゃないのでは……」
困惑が混ざった声と同時に、時計が十二時を指す。これ以上ないほどのナイスタイミングだ。
「大丈夫。ちょうど休憩時間になったから」
「……そう、ですか……。では、わたしに聞きたいこととは一体?」
「蒼のことなんだけど」
その名前を出した瞬間、牡丹の表情が消える。不機嫌も戸惑いも見当たらない、紛れもなく「無」の表情になったのだ。
失敗した。瞬時に悟る。しかし、一度発した言葉を撤回することはできない。わたしは覚悟を決めた。彼女に嫌われることを、今後信頼されないであろうことを。
「……彼が、何か」
「二人って仲悪いの? お互いにぎこちないというか、態度が不自然っていうか」
空気が読めないフリをして、ずっと気にかかっていたことを指摘する。すると、牡丹は「不仲ではありません」と答えた。用意された答えを読み上げるように、感情の乗らない声で。
「確かに親しくはありませんが、仕事に支障をきたすようなことはありませんよ。ご心配をおかけしてすみません」
「心配……。まぁ、心配は心配だけど。わたしが言いたいのはそういうことじゃなくて」
わたしは一度言葉を切った。牡丹が怪訝な顔でこちらを見ているのがわかる。きっと、昭人や他の店員は彼らに踏み込むことを選ばなかったのだろう。――だが、わたしがそれに従う理由はない。
「ここにいる人たちは、異能者や術者のはぐれ者たちだって聞いた。この店は、昭人がそんな人たちを保護するための場所だっていうことも」
「……」
「だったら、内部でいがみ合ってる場合じゃない……と、わたしは思う」
もし悪意を持った者が〈オアシス〉に目をつけたら、ほころびのある部分を狙うはずだ。つまり、牡丹と蒼の不和は弱点にもなりうる。付け入る隙なんて与えたくない。
「会って数日のわたしに話したくない気持ちもわかる。だけど、今の二人は放っておけない」
牡丹の目をまっすぐ見つめて語りかけると、彼女はゆっくりとうつむいた。わたしの言葉を咀嚼して反芻しているように、小刻みに頭が動く。
「わたしじゃなくていい。昭人でも、ここの人以外でもいいから、誰かに相談してみてほしいんだ」
たたみかけるように言葉を重ねる。長い長い沈黙の末、牡丹は意を決したように顔を上げた。その目は不安そうに揺らいでいるが、わたしから目を逸らすことはない。
「……音島さんの懸念は理解しました。その上で、わたしからも質問していいでしょうか」
「何?」
「それこそ『会って数日』のわたしたちを、どうしてそこまで気にかけるのですか? いくら不測の事態を避けるためとはいえ、わざわざ『着替える』なんて口実まで用意して……」
「ごめん、着替えは本当。考え事してたらびしょびしょにしちゃって」
特に罪悪感を見せることなく返すと、牡丹は絶句した。呆れて物も言えない、そう顔に書いてある。いつもこれくらい表情を変えていれば、蒼も接しやすいだろうに。ぼんやりとそんなことを思った。
「あなたは……不思議な方ですね。驚くほど鋭く切り込んできたかと思ったら、信じられないくらいぼんやりとしていることもある」
「そんなに褒めないで、照れる」
「褒めてませんし、全く表情が変わってないですよ。……本当に、どこまでが演技なのでしょう」
「演技なんてしてないよ、素材本来の味百パーセント」
真顔で言い募ると、牡丹は目を丸くする。そして、くすりと微笑んだ。彼女が笑った顔は初めて見る。あどけない少女の笑みだった。
「ふふっ、ふふふ……! 面白いことを言うんですね、音島さんは……っ」
「笑ったから牡丹の負け、わたしの勝ち」
いえーい。ピースサインを見せつけると、彼女の笑い声が大きくなる。妙なツボに入ってしまったのか、牡丹の笑いが落ち着く兆しは見えない。
数分待って、ようやく牡丹の笑いが落ち着く。彼女は目尻を拭いながらわたしに向き直る。
「はぁ、こんなに笑ったのは久しぶりです。……それで、ご相談なのですが」
牡丹は神妙な面持ちになり、おずおずとわたしを見上げた。
「音島さんに、わたしたちの事情をお話ししたいのです」
「……音島さん、いつからそこに……」
「ついさっき。ちょっと着替えたくてお邪魔してたんだけど、出ていくタイミングがわからなくて」
そんな言い訳をしながら、わたしは先ほどの電話を話題に出す。すると、牡丹があからさまに硬直した。
「電話の相手、すごくうるさ……大きい声だったけど。平気?」
「平気です。慣れていますから」
緊張を見せながらも、言葉だけは淡々と紡がれる。それが彼女の「武装」なのかもしれない。なんて、会って数日の人間に理解を示されても迷惑かもしれないが。
そっか。わたしは曖昧な相槌を返す。今聞きたいのは騒々しい電話相手のことではなく、蒼とのぎこちない関係についてだから。
「あと、牡丹にもう一つ聞きたいことがあって。今時間ある?」
「わたしは構いませんが、あなたは休憩時間じゃないのでは……」
困惑が混ざった声と同時に、時計が十二時を指す。これ以上ないほどのナイスタイミングだ。
「大丈夫。ちょうど休憩時間になったから」
「……そう、ですか……。では、わたしに聞きたいこととは一体?」
「蒼のことなんだけど」
その名前を出した瞬間、牡丹の表情が消える。不機嫌も戸惑いも見当たらない、紛れもなく「無」の表情になったのだ。
失敗した。瞬時に悟る。しかし、一度発した言葉を撤回することはできない。わたしは覚悟を決めた。彼女に嫌われることを、今後信頼されないであろうことを。
「……彼が、何か」
「二人って仲悪いの? お互いにぎこちないというか、態度が不自然っていうか」
空気が読めないフリをして、ずっと気にかかっていたことを指摘する。すると、牡丹は「不仲ではありません」と答えた。用意された答えを読み上げるように、感情の乗らない声で。
「確かに親しくはありませんが、仕事に支障をきたすようなことはありませんよ。ご心配をおかけしてすみません」
「心配……。まぁ、心配は心配だけど。わたしが言いたいのはそういうことじゃなくて」
わたしは一度言葉を切った。牡丹が怪訝な顔でこちらを見ているのがわかる。きっと、昭人や他の店員は彼らに踏み込むことを選ばなかったのだろう。――だが、わたしがそれに従う理由はない。
「ここにいる人たちは、異能者や術者のはぐれ者たちだって聞いた。この店は、昭人がそんな人たちを保護するための場所だっていうことも」
「……」
「だったら、内部でいがみ合ってる場合じゃない……と、わたしは思う」
もし悪意を持った者が〈オアシス〉に目をつけたら、ほころびのある部分を狙うはずだ。つまり、牡丹と蒼の不和は弱点にもなりうる。付け入る隙なんて与えたくない。
「会って数日のわたしに話したくない気持ちもわかる。だけど、今の二人は放っておけない」
牡丹の目をまっすぐ見つめて語りかけると、彼女はゆっくりとうつむいた。わたしの言葉を咀嚼して反芻しているように、小刻みに頭が動く。
「わたしじゃなくていい。昭人でも、ここの人以外でもいいから、誰かに相談してみてほしいんだ」
たたみかけるように言葉を重ねる。長い長い沈黙の末、牡丹は意を決したように顔を上げた。その目は不安そうに揺らいでいるが、わたしから目を逸らすことはない。
「……音島さんの懸念は理解しました。その上で、わたしからも質問していいでしょうか」
「何?」
「それこそ『会って数日』のわたしたちを、どうしてそこまで気にかけるのですか? いくら不測の事態を避けるためとはいえ、わざわざ『着替える』なんて口実まで用意して……」
「ごめん、着替えは本当。考え事してたらびしょびしょにしちゃって」
特に罪悪感を見せることなく返すと、牡丹は絶句した。呆れて物も言えない、そう顔に書いてある。いつもこれくらい表情を変えていれば、蒼も接しやすいだろうに。ぼんやりとそんなことを思った。
「あなたは……不思議な方ですね。驚くほど鋭く切り込んできたかと思ったら、信じられないくらいぼんやりとしていることもある」
「そんなに褒めないで、照れる」
「褒めてませんし、全く表情が変わってないですよ。……本当に、どこまでが演技なのでしょう」
「演技なんてしてないよ、素材本来の味百パーセント」
真顔で言い募ると、牡丹は目を丸くする。そして、くすりと微笑んだ。彼女が笑った顔は初めて見る。あどけない少女の笑みだった。
「ふふっ、ふふふ……! 面白いことを言うんですね、音島さんは……っ」
「笑ったから牡丹の負け、わたしの勝ち」
いえーい。ピースサインを見せつけると、彼女の笑い声が大きくなる。妙なツボに入ってしまったのか、牡丹の笑いが落ち着く兆しは見えない。
数分待って、ようやく牡丹の笑いが落ち着く。彼女は目尻を拭いながらわたしに向き直る。
「はぁ、こんなに笑ったのは久しぶりです。……それで、ご相談なのですが」
牡丹は神妙な面持ちになり、おずおずとわたしを見上げた。
「音島さんに、わたしたちの事情をお話ししたいのです」
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