16 / 104
第一章 三日月
報告、陰謀の気配
しおりを挟む
「……そうか」
「そんなことが起きたんだね」
目の前の兄妹が頷く。わたしは出されたお茶に口をつけ、報告は終わりだと宣言した。
「報告ありがとう、音島さん。……それにしても、訓練の妨害か……」
困ったね。千秋が眉を下げる。千波は無言で顔を顰めていた。
「今の話を聞いている限り、容疑者と呼べるほど疑わしい人物もいないようだし」
「音島曰く『偉そうな四大幹部』と『幹部に会いたがっていた少年』くらいか、候補としては」
「怪しいけど、訓練を妨害する動機もないと思うよ」
「そうだろうな……」
千波が深々とため息をつく。長い髪をかき上げると「面倒な話だ」と苛立ったように吐き出した。
「よりによって玲――『次期四大幹部』がリーダーを務める班でトラブルが起きるとはな」
「千波、言葉には気をつけて。いくらここが防音だからって、誰かが聞いている可能性はあるんだから」
「……すまない」
ぶつぶつ呟く千波を千秋が窘める。その言い回しに違和感を覚えたわたしは千秋に問いかけた。
「ねぇ千秋、今の話って誰かに聞かれたらまずいの?」
「ん? あぁそうだね、辻宮の処遇は現状未定……ということになっているから。聞かれるとよくないことになる」
誰に聞かれたらまずいの、とは聞けそうにない。千秋が目を細めてドアを見据えているからだ。
「……千秋、外に」
「わかっているよ。音島さん、すまないけどそこに隠れていてくれるかな」
「そ、そこってどこ」
混乱してわけのわからないことを言い出すわたしの腕を掴み、千波は丸テーブルへと早足で近づく。テーブルの下に押し込まれたわたしは、視界が椅子の脚で埋まっていくのを呆然と見ていた。
「静かにしていてくれ。……すぐに厄介な奴が来る」
わたしが了承するより早く役員室のドアが開け放たれる。ツカツカと入室してきたのは、質の良さそうなスーツを纏う脚――テーブルの下からはそれしか見えない――だった。
「大崎、これは一体どういうことだ……!」
「どう、とは?」
「とぼけるな! 〈三日月〉第二班の失態を隠蔽する気だろう!」
「……」
声を荒らげる人物とは対照的に、千秋は冷静そうだ。表情こそ見えないものの、普段の余裕を崩している様子はない。
「質問に質問を返すようで恐縮ですが、水沢さんはなぜ彼らの失態を把握しているのですか?」
「な……っ、そんなことどうでもいいだろう! とにかく、一刻も早く処分を――」
水沢と呼ばれた男が「処分」と口にした瞬間、室温がぐっと下がった錯覚に陥った。兄妹から発せられる冷たく棘のある空気は、テーブルと椅子に隠されているわたしの肌をも突き刺すように痛い。
「……言いたいことはそれだけか」
千波が普段より一オクターブほど低い声で凄む。男はうろたえたように口ごもっていたが、数秒後には威勢を取り戻したように嘲笑した。
「所詮大崎のスペアに過ぎないというのに、よく私に楯突けたな」
「過分な評価をどうも。私が千秋の代わりになれると判断してもらえたなら光栄だ」
男の挑発をあっさり流した千波は、再び「言いたいことはそれだけだな」と念を押す。返事を待たず、彼女は手を何度か叩いた。すぐさま複数名の足音が聞こえてくる。
「水沢の当主代行がお戻りだ。〈新月〉第四班に護衛を頼みたい」
「御意」
千波の依頼を承諾したのは若い男性らしい。彼は〈新月〉の第四班とやらを呼び出すと、わめく男を連れて退室していった。
パタンとドアが閉まり、足音が聞こえなくなった頃。大きな大きなため息が二つ重なって聞こえた。そしてガタガタと椅子が動かされ、わたしはようやくテーブルの下から出られたのである。
「ごめんね音島さん、見苦しいものを見せて」
縮こまった筋肉を解していると、千秋が申し訳なさそうに言った。そして千波に向き直ると「全く、千波は短気なんだから」と苦笑する。
「うるさい。千秋の気が長すぎるんだ」
「もう少し喋らせておけば何か自白したかもしれないのに」
穏やかな口調に毒を潜ませた千秋の表情は普段通りだ。しかし、わたしは彼の奥底に潜む憤怒と軽蔑を察してしまった。
「……そうだな、私が悪かったよ。だからそろそろ機嫌を直してくれないか」
「僕は怒ってないけど?」
「どの口が。……悪いな音島、少し退屈な話に付き合ってほしい」
千波は嘆息し、ドアの方向を見やる。
「さっきの男は水沢家の当主代行なんだが、辻宮家を敵視していてな。玲がリーダーをしているお前たちの班も気に食わないらしい」
「代行? 本当の当主ではないの?」
「あぁ。水沢家当主の座は現在空席だ。次期当主候補として二人の名が上がっているが、正式には決まっていない。次期当主が本決まりになるまでの繋ぎとして、あの男が当主の仕事を代行している」
「堅物でプライドが高い人だよ。次期当主がどちらになったとしても、今よりやりやすいはずさ」
千秋が笑顔で毒づく。相当機嫌が悪いようだ。千波は「口を挟むな」と一瞥し、話を戻す。
「あの男は私たちが玲に味方するのも気に入らないようで、事あるごとに喧嘩を売ってくるんだ。だから、気をつけろよ音島」
「何が?」
「……お前はあいつにとって格好の的だ。足元を掬われないように、行動には注意を払ってくれ」
第二班を守るも壊すも、お前次第だから。千波は目を伏せ、悲しそうに笑った。
「そんなことが起きたんだね」
目の前の兄妹が頷く。わたしは出されたお茶に口をつけ、報告は終わりだと宣言した。
「報告ありがとう、音島さん。……それにしても、訓練の妨害か……」
困ったね。千秋が眉を下げる。千波は無言で顔を顰めていた。
「今の話を聞いている限り、容疑者と呼べるほど疑わしい人物もいないようだし」
「音島曰く『偉そうな四大幹部』と『幹部に会いたがっていた少年』くらいか、候補としては」
「怪しいけど、訓練を妨害する動機もないと思うよ」
「そうだろうな……」
千波が深々とため息をつく。長い髪をかき上げると「面倒な話だ」と苛立ったように吐き出した。
「よりによって玲――『次期四大幹部』がリーダーを務める班でトラブルが起きるとはな」
「千波、言葉には気をつけて。いくらここが防音だからって、誰かが聞いている可能性はあるんだから」
「……すまない」
ぶつぶつ呟く千波を千秋が窘める。その言い回しに違和感を覚えたわたしは千秋に問いかけた。
「ねぇ千秋、今の話って誰かに聞かれたらまずいの?」
「ん? あぁそうだね、辻宮の処遇は現状未定……ということになっているから。聞かれるとよくないことになる」
誰に聞かれたらまずいの、とは聞けそうにない。千秋が目を細めてドアを見据えているからだ。
「……千秋、外に」
「わかっているよ。音島さん、すまないけどそこに隠れていてくれるかな」
「そ、そこってどこ」
混乱してわけのわからないことを言い出すわたしの腕を掴み、千波は丸テーブルへと早足で近づく。テーブルの下に押し込まれたわたしは、視界が椅子の脚で埋まっていくのを呆然と見ていた。
「静かにしていてくれ。……すぐに厄介な奴が来る」
わたしが了承するより早く役員室のドアが開け放たれる。ツカツカと入室してきたのは、質の良さそうなスーツを纏う脚――テーブルの下からはそれしか見えない――だった。
「大崎、これは一体どういうことだ……!」
「どう、とは?」
「とぼけるな! 〈三日月〉第二班の失態を隠蔽する気だろう!」
「……」
声を荒らげる人物とは対照的に、千秋は冷静そうだ。表情こそ見えないものの、普段の余裕を崩している様子はない。
「質問に質問を返すようで恐縮ですが、水沢さんはなぜ彼らの失態を把握しているのですか?」
「な……っ、そんなことどうでもいいだろう! とにかく、一刻も早く処分を――」
水沢と呼ばれた男が「処分」と口にした瞬間、室温がぐっと下がった錯覚に陥った。兄妹から発せられる冷たく棘のある空気は、テーブルと椅子に隠されているわたしの肌をも突き刺すように痛い。
「……言いたいことはそれだけか」
千波が普段より一オクターブほど低い声で凄む。男はうろたえたように口ごもっていたが、数秒後には威勢を取り戻したように嘲笑した。
「所詮大崎のスペアに過ぎないというのに、よく私に楯突けたな」
「過分な評価をどうも。私が千秋の代わりになれると判断してもらえたなら光栄だ」
男の挑発をあっさり流した千波は、再び「言いたいことはそれだけだな」と念を押す。返事を待たず、彼女は手を何度か叩いた。すぐさま複数名の足音が聞こえてくる。
「水沢の当主代行がお戻りだ。〈新月〉第四班に護衛を頼みたい」
「御意」
千波の依頼を承諾したのは若い男性らしい。彼は〈新月〉の第四班とやらを呼び出すと、わめく男を連れて退室していった。
パタンとドアが閉まり、足音が聞こえなくなった頃。大きな大きなため息が二つ重なって聞こえた。そしてガタガタと椅子が動かされ、わたしはようやくテーブルの下から出られたのである。
「ごめんね音島さん、見苦しいものを見せて」
縮こまった筋肉を解していると、千秋が申し訳なさそうに言った。そして千波に向き直ると「全く、千波は短気なんだから」と苦笑する。
「うるさい。千秋の気が長すぎるんだ」
「もう少し喋らせておけば何か自白したかもしれないのに」
穏やかな口調に毒を潜ませた千秋の表情は普段通りだ。しかし、わたしは彼の奥底に潜む憤怒と軽蔑を察してしまった。
「……そうだな、私が悪かったよ。だからそろそろ機嫌を直してくれないか」
「僕は怒ってないけど?」
「どの口が。……悪いな音島、少し退屈な話に付き合ってほしい」
千波は嘆息し、ドアの方向を見やる。
「さっきの男は水沢家の当主代行なんだが、辻宮家を敵視していてな。玲がリーダーをしているお前たちの班も気に食わないらしい」
「代行? 本当の当主ではないの?」
「あぁ。水沢家当主の座は現在空席だ。次期当主候補として二人の名が上がっているが、正式には決まっていない。次期当主が本決まりになるまでの繋ぎとして、あの男が当主の仕事を代行している」
「堅物でプライドが高い人だよ。次期当主がどちらになったとしても、今よりやりやすいはずさ」
千秋が笑顔で毒づく。相当機嫌が悪いようだ。千波は「口を挟むな」と一瞥し、話を戻す。
「あの男は私たちが玲に味方するのも気に入らないようで、事あるごとに喧嘩を売ってくるんだ。だから、気をつけろよ音島」
「何が?」
「……お前はあいつにとって格好の的だ。足元を掬われないように、行動には注意を払ってくれ」
第二班を守るも壊すも、お前次第だから。千波は目を伏せ、悲しそうに笑った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定

愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

生まれ変わっても一緒にはならない
小鳥遊郁
恋愛
カイルとは幼なじみで夫婦になるのだと言われて育った。
十六歳の誕生日にカイルのアパートに訪ねると、カイルは別の女性といた。
カイルにとって私は婚約者ではなく、学費や生活費を援助してもらっている家の娘に過ぎなかった。カイルに無一文でアパートから追い出された私は、家に帰ることもできず寒いアパートの廊下に座り続けた結果、高熱で死んでしまった。
輪廻転生。
私は生まれ変わった。そして十歳の誕生日に、前の人生を思い出す。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる