13 / 104
第一章 三日月
訓練、そして苦悩〈二〉
しおりを挟む
『……ちょ、ちょっと、どうしてそんなに静かになっちゃったのよ……』
ルーチェのうろたえる声だけが訓練室に響く。わたしたちは誰一人言葉を発さず、ただただ佇んでいた。
つい数分前のこと。訓練を強制終了させられたわたしたちは、訓練室前で待ち構えていた〈三日月〉第一班の面々に烈火のごとく怒鳴られたのだ。意気消沈とはまさにこのこと。
『と、とにかくお疲れさま。ゆっくり休んでちょうだい』
早口でそう告げたルーチェは、そそくさと逃げるように姿を消した。訓練室に重苦しい沈黙が降りる。
「……退室しようか」
玲がぼそりと呟く。わたしたちは黙りこくったままぞろぞろと退室した。
十一階のエレベーターホールに到着すると、突然七彩が「……ごめん」とこぼす。何のことかと振り向いた瞬間、彼女はくるりと背を向けて走り去ってしまった。
「七彩ちゃん……っ」
「藤田、やめておけ」
追いかけようとした結を棗が引き留める。彼は続けて「今は一人にさせてやれ」と幾分か柔らかな口調で語りかけた。
「でも……」
「ねぇ結ちゃん、オレとスイーツ買いに行かない? みんなや七彩の分を選ぶの手伝ってほしいな」
「……そう、ですね。わかりました」
結は無理やり口角を上げ、不自然な笑顔を作る。そして「葵さんのお手伝いをしてきますね」と階段の方向へ向かった。
「えっ階段? お、オレも行ってくるー!」
「転ばないでね」
「財布は持ってるか」
「転ばないし財布ありまーす! じゃあまた後でっ」
それに続き、葵がどたばたと走り去る。残されたわたしと棗は、沈痛な面持ちの玲とエレベーターに乗り込んだ。
無言が続くエレベーター内は息苦しい。わたしは無意識のうちに視線を上にやり、階数表示が三を示すのを今か今かと待ちわびた。
ようやく三階に到着し、ドアが開く。相変わらず無言のわたしたちが廊下を進んでいると、玲の作業場付近をうろつく何者かを見つけた。
「……」
作業場を通り過ぎたかと思えば戻ってきて、時折室内を覗き込んではまた歩き出す。明らかに不審な動きに、わたしは千秋の言葉を思い出した。
『組織内で誰かが怪しい動きをしていたら報告するだけの簡単な仕事だよ』
これか、このことなのか。そう理解したわたしは、玲や棗を追い抜いてその人物に詰め寄る。接近すると、その人物がわたしとほぼ背丈の変わらない少年だとわかった。
「あんた、ここで何してるの」
声に警戒を滲ませて問いかける。室内を覗いていた少年はビクッと肩を跳ねさせ、ぎこちなくこちらを振り向いた。
「っな! ……何でもいいだろ、俺は用事があるんだよ」
変声期なのだろうか、少年の声は掠れたように聞き取りづらい。どうにか聞き取ったわたしは「あんたの用事が何かは知らないけど」とさらにトーンを下げる。
「場合によっては不法侵入で警察に突き出せるんだよ。それでもいいの?」
わたしが言えたことではないが。内心苦笑しながら脅す。しかし彼には効果てきめんだったようで、さぁっと顔を青ざめさせて「わ、わかった! 言う! 説明するから!」と慌て始めた。
「最初からそうしてれば、こっちだって脅す必要なかったのに」
「うるさいっ。本当は俺がここにいるのバレちゃまずいんだよ……!」
少年はぼそぼそと呟くと、わたしの背後――玲や棗のいる辺り――をちらりと見て大きなため息をつく。安堵混じりに「あの人はいないか……」と吐き出し、再びわたしに向き直った。
「……ここの幹部って奴に話がある。お前、伝手はあるか?」
「は? あると思って聞いてるの?」
「駄目元で聞いてる。幹部と繋がりがある奴がそう簡単にいるわけ――」
「あるんだけどね」
「何だよそれ! それならそう言えよな!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ少年を「騒がないでよ」と咎め、わたしはスマホを取り出す。通話履歴に残る唯一の番号を選択し、発信する。ワンコールで相手方が電話に出る音が聞こえた。
『はい、大崎です』
「千秋? わたしわたし。あんたに……というか〈九十九月〉の幹部に会いたいって人がいるんだけど」
『詐欺かな? 悪いけど今から会議でね。また日を改めてくれないか』
ガチャッ、ツー、ツー……。無情にも電話は切られてしまう。わたしは首を振りながら少年に「駄目だった」と伝える。
「また来てね、今度はおやつ用意しておくから」
「子供扱いすんな! てかもう来ないからな!」
少年はそう言うと廊下を駆け出して行った。途中で棗にこっぴどく叱られているようだ。哀れ少年。
とぼとぼと去っていく彼が見えなくなると、玲と棗がやって来た。棗は不愉快そうに鼻を鳴らしているが、玲は変わらず暗い表情をしている。
「……玲、まだ落ち込んでるの?」
「そうみたいだな。なぁ音島、お前さっきの子供に『幹部の伝手がある』って言ってたよな」
「言ったけど……それが何?」
「辻宮の話を聞いてやれ。というか全部吐き出させろ。リーダーがこんな状態じゃ仕事に支障が出る」
「それと幹部の話がどう関係――」
疑問を口にすると、途中で細められた視線に遮られた。音島、呼ばれる声に背筋が凍る。昨日の地獄を思い出したのだ。
「わ、わかった。玲、どこか人が少ない場所とか知ってる?」
「……こっちだ」
わたしは慌てて玲に話を振る。背中を丸めたまま歩き始めた彼に置いて行かれないよう、小走りで追いかけた。
ルーチェのうろたえる声だけが訓練室に響く。わたしたちは誰一人言葉を発さず、ただただ佇んでいた。
つい数分前のこと。訓練を強制終了させられたわたしたちは、訓練室前で待ち構えていた〈三日月〉第一班の面々に烈火のごとく怒鳴られたのだ。意気消沈とはまさにこのこと。
『と、とにかくお疲れさま。ゆっくり休んでちょうだい』
早口でそう告げたルーチェは、そそくさと逃げるように姿を消した。訓練室に重苦しい沈黙が降りる。
「……退室しようか」
玲がぼそりと呟く。わたしたちは黙りこくったままぞろぞろと退室した。
十一階のエレベーターホールに到着すると、突然七彩が「……ごめん」とこぼす。何のことかと振り向いた瞬間、彼女はくるりと背を向けて走り去ってしまった。
「七彩ちゃん……っ」
「藤田、やめておけ」
追いかけようとした結を棗が引き留める。彼は続けて「今は一人にさせてやれ」と幾分か柔らかな口調で語りかけた。
「でも……」
「ねぇ結ちゃん、オレとスイーツ買いに行かない? みんなや七彩の分を選ぶの手伝ってほしいな」
「……そう、ですね。わかりました」
結は無理やり口角を上げ、不自然な笑顔を作る。そして「葵さんのお手伝いをしてきますね」と階段の方向へ向かった。
「えっ階段? お、オレも行ってくるー!」
「転ばないでね」
「財布は持ってるか」
「転ばないし財布ありまーす! じゃあまた後でっ」
それに続き、葵がどたばたと走り去る。残されたわたしと棗は、沈痛な面持ちの玲とエレベーターに乗り込んだ。
無言が続くエレベーター内は息苦しい。わたしは無意識のうちに視線を上にやり、階数表示が三を示すのを今か今かと待ちわびた。
ようやく三階に到着し、ドアが開く。相変わらず無言のわたしたちが廊下を進んでいると、玲の作業場付近をうろつく何者かを見つけた。
「……」
作業場を通り過ぎたかと思えば戻ってきて、時折室内を覗き込んではまた歩き出す。明らかに不審な動きに、わたしは千秋の言葉を思い出した。
『組織内で誰かが怪しい動きをしていたら報告するだけの簡単な仕事だよ』
これか、このことなのか。そう理解したわたしは、玲や棗を追い抜いてその人物に詰め寄る。接近すると、その人物がわたしとほぼ背丈の変わらない少年だとわかった。
「あんた、ここで何してるの」
声に警戒を滲ませて問いかける。室内を覗いていた少年はビクッと肩を跳ねさせ、ぎこちなくこちらを振り向いた。
「っな! ……何でもいいだろ、俺は用事があるんだよ」
変声期なのだろうか、少年の声は掠れたように聞き取りづらい。どうにか聞き取ったわたしは「あんたの用事が何かは知らないけど」とさらにトーンを下げる。
「場合によっては不法侵入で警察に突き出せるんだよ。それでもいいの?」
わたしが言えたことではないが。内心苦笑しながら脅す。しかし彼には効果てきめんだったようで、さぁっと顔を青ざめさせて「わ、わかった! 言う! 説明するから!」と慌て始めた。
「最初からそうしてれば、こっちだって脅す必要なかったのに」
「うるさいっ。本当は俺がここにいるのバレちゃまずいんだよ……!」
少年はぼそぼそと呟くと、わたしの背後――玲や棗のいる辺り――をちらりと見て大きなため息をつく。安堵混じりに「あの人はいないか……」と吐き出し、再びわたしに向き直った。
「……ここの幹部って奴に話がある。お前、伝手はあるか?」
「は? あると思って聞いてるの?」
「駄目元で聞いてる。幹部と繋がりがある奴がそう簡単にいるわけ――」
「あるんだけどね」
「何だよそれ! それならそう言えよな!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ少年を「騒がないでよ」と咎め、わたしはスマホを取り出す。通話履歴に残る唯一の番号を選択し、発信する。ワンコールで相手方が電話に出る音が聞こえた。
『はい、大崎です』
「千秋? わたしわたし。あんたに……というか〈九十九月〉の幹部に会いたいって人がいるんだけど」
『詐欺かな? 悪いけど今から会議でね。また日を改めてくれないか』
ガチャッ、ツー、ツー……。無情にも電話は切られてしまう。わたしは首を振りながら少年に「駄目だった」と伝える。
「また来てね、今度はおやつ用意しておくから」
「子供扱いすんな! てかもう来ないからな!」
少年はそう言うと廊下を駆け出して行った。途中で棗にこっぴどく叱られているようだ。哀れ少年。
とぼとぼと去っていく彼が見えなくなると、玲と棗がやって来た。棗は不愉快そうに鼻を鳴らしているが、玲は変わらず暗い表情をしている。
「……玲、まだ落ち込んでるの?」
「そうみたいだな。なぁ音島、お前さっきの子供に『幹部の伝手がある』って言ってたよな」
「言ったけど……それが何?」
「辻宮の話を聞いてやれ。というか全部吐き出させろ。リーダーがこんな状態じゃ仕事に支障が出る」
「それと幹部の話がどう関係――」
疑問を口にすると、途中で細められた視線に遮られた。音島、呼ばれる声に背筋が凍る。昨日の地獄を思い出したのだ。
「わ、わかった。玲、どこか人が少ない場所とか知ってる?」
「……こっちだ」
わたしは慌てて玲に話を振る。背中を丸めたまま歩き始めた彼に置いて行かれないよう、小走りで追いかけた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定

愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

生まれ変わっても一緒にはならない
小鳥遊郁
恋愛
カイルとは幼なじみで夫婦になるのだと言われて育った。
十六歳の誕生日にカイルのアパートに訪ねると、カイルは別の女性といた。
カイルにとって私は婚約者ではなく、学費や生活費を援助してもらっている家の娘に過ぎなかった。カイルに無一文でアパートから追い出された私は、家に帰ることもできず寒いアパートの廊下に座り続けた結果、高熱で死んでしまった。
輪廻転生。
私は生まれ変わった。そして十歳の誕生日に、前の人生を思い出す。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる