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序章

黒羊の刻、中庭にて 『年代記 赤き衣の王と金色の道』

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 半ば大地に埋まった城壁。兵士たちの踝まで水が出ている。液状化現象を起こした軍港は、沼に姿を変えようとしていた。
目を開けたサーラは頭を振りあたりを見回す。西塔の崩れた後に小さな頭が二つ見えている。

「ナギィー! 来ちゃ駄目ぇ!」

 ナギはあたりを見回す。しかし飛び降りるにはまだ高かった。カーンが頑丈そうな鍵爪ロープを取り出す。大猿とサーラの頭の上には崩れた西の城壁が傾いて、そのアーチが彼女らのすぐ近くまで地面に埋まっていた。
 
「あそこならロープが届く。振り子の要領であの子をかっさらって来い!」

 カーンはそう言うと、ロープをアーチに向かって投げた。一発で見事に絡みつく。そしてナギの腰にロープを巻き付ける。

「あの子を掴んだらこっちでロープ引っ張ってやる! いけ!」

 ナギはカーンの浅黒い顔を見つめ力強く頷いた。この背の高い海賊はいつも冷静で迅速で迷いが少ない。



 サーラをかばう大猿に兵士たちの輪は小さくなっていく。すでにモーロの精鋭も半数近くがやられてうずくまっていた。しかし彼らはよく訓練されている。後ろに控えて指示を出すモーロも大猿の動きをよく観察し的確でいやらしい手を打つ。
 モーロの横にひときわ大きい兵士が現れた。

「ゲンツ!貴様遅いぞ。何をしておった!」

 腕が人の足くらいありそうで眉が太い。鹿の肉を咥え咀嚼している。

「腹が減っておりましたのでな。将軍」
「くそ! まぁいい何とかしろ!」
「ヘイヘイ」

 ゲンツと呼ばれた兵士は右手に巨大な投げ槍を持っていた。他の兵士の三倍はある丸太のような投げ槍。大盾の後ろにいた大猿の動きを油断なく観察していた。
 
 大猿に長槍兵が槍をさらに突き立てる。大猿はたたらを踏んだ。しかしそれでも大猿はひるむことなく近づく長槍兵を殴り飛ばす。
 暴れまわる大猿の首にサーラが飛びついた。兵士たちはいったん後退する。少女の身に怪我を負わせるわけにはいかなかった。

「なんで! なんでお前逃げないの! 戦ったらダメ!」

 大猿はサーラのほうを向こうともせず兵士たちのほうを睨んでいる。
 本能。大猿は宝玉を持つ物を守るように作られているようにその闘争本能をむき出しにしていた。

 
 ナギは勢いをつけてアーチに向かい半分崩れた西塔から飛び降りた。真下にはサーラと大猿がいる。

「サーラ!」

 呼びかけられたサーラが上をむく。小さい黒い点が、こちらへ向かってどんどん大きくなってくる。決意をした顔がだんだんと近づいてくる。

「ナギ!」

 サーラはナギを受け止め寄るように両手を広げたが、そこへ投槍が撃ち込まれた。
 大猿は数本の投げ槍を受けてよろけてしまう。何とか持ちこたえたが、肩の上のサーラはバランスを崩してしまった。
 ナギは肩透かしを食らったようにまた元の位置に戻ってしまう。

「くそ!」

 カーンはすぐにロープを巻きナギを元の位置に戻した。顔には汗がびっしょりと浮かんでいる。戻ってきたナギの背中を叩く。

「次はないぞ! 男は度胸だ! 死ぬ気で決めてこい!」
「はい!」

 ナギがもう一度飛ぶ!
 大猿はもう体中に槍を突き立てられていた。それでも群がる兵士を次々となぎ倒している。それでいてサーラをかばっているのであった。
 まるで姫を守る血まみれの騎士である。

 おそらく肺をやられているのであろうもはや叫ぶこともままならない。半ば沼になった練兵場にゲンツがゆっくりと進む。二、三度足元を確認するように踏みつける。
 
 ナギは真っすぐサーラに向かって降りてきた。腕を伸ばし指先までサーラを求めるように伸ばす。サーラもそれに応じるように腕を伸ばす。
 しかしもう一歩のところですり抜けてしまった。振り子の要領で高く体が舞い上がる。そしてもう一度大猿に向かって戻ってくる。

 その時、確かに大猿は戻ってくるナギに対して、わずかにほんのわずかに腕を伸ばし、サーラを身体ごとナギに向かって差し出した‥‥。
 
 その大猿の腕の分、サーラの身体ごとナギは抱き留めロープは城壁の上に戻っていく。サーラは必然後ろの大猿の姿が目に入った。
 大猿が満足そうにこちらを見ている。血にまみれた痛々しい姿。そして次の瞬間大猿の胸に長い投げ槍が突き刺さり、丁度黄色い石が埋め込まれたあたりから槍の先端が飛び出るのが見えた。
 
 大猿はゆっくりと両手を広げ、後ろに倒れていく。その姿を見てサーラは涙を流していた。サーラの瞳からこぼれた涙が漆黒の闇の中に流れ弾け散る。
 
 呆然と二人の影を兵士たちは見送っていた。モーロは口が開いているが、すぐに状況を把握した。

「追えー! はよう! 奴らを追えー!」

 兵士たちはその声に西の塔の残骸に殺到する。しかしすでに二人の影は闇に溶けて見えない。兵士たちが瓦礫をかき分けると、モーロの背中からあわただしく声がしている。

「なんだ! こんどは!」
「将軍! 東門にイェンライの民が集まっております!」
「なんだと!」

 崩れて水に浸かった軍港の外が、いよいよ慌ただしくなっていた。


 東の城門ではイェンライの民が集まっている。その前には手下を従えたアズーサが、老人の前に立っていた。二人とも睨み合って動かない。城門の内側は人が集まっているのを確認したらしくかなり慌ただしくなっている。

「こんなところで街を逃げ出した宗主様が今更何をしてんだい?」

 アズーサの声には皮肉がたっぷりと振りかけられていた。二人の間には因縁が深い。とはいえアズーサのほうが一方的にやられっぱなしの感は否めなかったが。

「久しぶりだな、女海賊。わしがいなくなって仕事しやすくなっておったろう」
「ふん! ローハンの物のわからない奴らに比べりゃ、アンタのほうがずっと骨が折れるわね。ノコノコ出てきて、アンタも宝玉が望みなのかい?」

  メルギンはじっとアズーサを見定めている。イェンライに移住したあと、この女海賊とは長い間知恵の争いをやり続けていた。

 黄玉の存在が市井に噂として出回ってから数年しかたっていない。それはイェンライがスカージによって占領された後の話なのである。
 
 スカージ家とワルダーナ家、そしてローハンの一部の貴族階級にはその存在を三頭王の時代よりも前から認知はされている。
 しかしモルクル人の女海賊が黄玉の話を聞きつけたのは、間違いなくここ数年であったろう。しかしなぜかこの女海賊は黄玉の持ち主があの少女であるのかを知っていた。人の噂だけでそこまで推測することなど不可能なはずなのに。

「残念だったね。あの子はもううちの手下が持って行ってるはずさ」
「そうか。あの二人はお前のところにいるんだな」

 城門が開く。後ろから軍港の兵がワラワラと姿を現す。大猿が暴れまわっていたせいで混乱したまま外へ逃げてきたのである。城門の前に固まっているイェンライ周辺の村から集まった男たちと、軍港の兵が距離を取り牽制している。
 篝火が焚かれ、怖い顔の男たちが各々武器を持っているが、メルギンとアズーサが指示を出さないため何もできなかった。
 メルギンはじっとアズーサを睨んでいたが、何かを諦めたように深く息を吐いた。

「わかった。わしらは今一度耐えることにしよう。あの時大祖父様に耐えろと言われたときからずっと耐えてきた。それがもう少し伸びるだけの話じゃからな」
「そりゃあんたらは耐えればいいさ。いつかは運もめぐってくる。私らは今しかないからね。遠慮はしないよ」
「あぁ。わかった好きにするといい。ナギのことよろしく頼むぞ。お前さんらには大事な子だろう」
「ふん! やっぱりあんたらが‥‥」

 軍港の奥からモーロの精鋭がこちらへ向かってきていた。どうやら東の城門で何かが起きていると伝わったらしい。
 メルギンは大きな声で叫んだ。

「すまんな、皆の衆。集まってもらったのに我が宗家の姫様は次の場所へ向かわれたそうじゃ! ここにいたり、スカージに申し開きもできぬ。おぬしらは地に潜みもう一度その時を待つのだ!」

 メルギンの宣言に男たちは黙って頷く。そしてすぐさま闇夜に走り去った。残された海賊たちも男たちに混ざり走っていた。メルギンの横にはアズーサ達が並走している。

「大丈夫なのかい?」
「準備は怠ったことはないぞ。アル・エインの対岸に秘密の村をこさえてある。みな船に乗りそこへ向かう手はずじゃった。まぁあの子がいないのは目論見が外れておるがな」
「やっぱりあんたはギャラハン爺さんの血筋だよ。こういうとこに抜かりはないね」
「褒められたと思っておくわい。おぬしらはどうするつもりじゃ?」

 アズーサは一足早く川縁に方向をかえた。

「海原へ! 軍港から出たあの光。あれを追わねばならないからね」
「それがいい。お主らは海賊じゃ。海賊は海賊らしくしなければな」

 すでにアズーサ一家は用意されたボートに飛び乗っていた。アル・エインの暗い波に乗っている。



 グラムとファルキアが、崩れ去った西塔の瓦礫の前に立っている。二人ともじっとりと汗をかいていた。
目の前には目を開けたままの大猿が倒れ、踝まで血に染まった水が溢れている。
 大猿のすぐ横の瓦礫の前に絹シャツたちが集まっている。その一人がグラムとファルキアを手招きした。

「あったか」
「こちらへ」

 瓦礫を退かすと、淡い光をたたえた宝玉が姿を現す。気のせいではない親指ほどの石だったものが拳に納まるくらいの大きさになっている。

「支柱石‥‥」

 ファルキアが小さくつぶやく。その声はグラムには届いていなかった。

「ふむ。やはりこれが支柱石だったようだな」

 グラムは鼈甲色の石に手を使づける。指先で軽く叩いてみる。あの磁力のような力はかからない。持ち上げて振り向くと目の前には大猿の死体が横たわっている。
 次の瞬間大猿の死体が僅かに中に浮き上がり、黄色い泡粒が全身から上がってくる。

「こ、これは‥‥」
「言い伝え通りだよ、ファルキア君。石が目覚め、石守りがその役目を終えるとき、宝玉はあるべきところへ戻るとね。石を封じた物に古の知恵。古代人の知識が手に入るのだよ」

 大猿の身体が大気に溶けるように霞んでいく。大猿の胸に埋め込まれた黄玉だけが残り、粉々に砕け散った。力を失い大地に戻る。
 鼈甲色の光は消えず、弱い光が真っすぐ南に向かって伸びている。

「モーロ将軍に伝えてくれ! 準備通り出航すると!」

 グラムの声が沼地となった軍港に響いた。


 
 アル・エインの半で、アズーサとナギたちは落ち合った。
 
 濃紺の闇があたりを包んでいる。周りは波の音しか聞こえない。遠く軍港のほうでは煌々としている。火の手が一部を燃え上らせているのであろう。
 カーンは少し疲れたように船にどっかりと腰を落とした。流されるまま岸から離れている。

「ふー、今日はようけ仕事したわ」
「‥‥ありがとう」

 サーラはカーンの手をとり、深く頭を下げた。カーンの手は節くれカサついている。

「お嬢さんの感謝だけじゃ。割に合わねぇな」

 ぶっきらぼうに答えているが、すぐに笑い声をあげた。海賊家業は当たれば大きいが外れのほうがはるかに多いのである。一歩間違えれば吊るし首と思えば命があるだけましなのであった。

「カーン! 首尾は!?」

 遅れたアズーサの声が聞こえてくる。カーンは振り向きもせず手を振った。二人とも夜目がきく。それに今夜は月がでていた。三人の影を確認したアズーサは安心したように息を吐いた。
 そのまま海賊たちを乗せたボートはアル・エインを下っていく。物も言わず男たちはボートを漕いでいた。子供が二人、大人たちは六人の影をのせてボートは暗い波の上を音もたてずに動いている。
軍港の灯が見えなくなるころになりようやくアズーサが小さくつぶやいた。

「お嬢さんあんた軍港で何を見た?」

 ふいに尋ねられたサーラはナギの腕をつかんだ。しかしナギがサーラを促す。

「石の柱に眠っていた大猿が私を守ってくれました」
「石守りの伝説だね。かならず宝玉には石の守りがついている。おそらくお嬢さんの持っていた宝玉も、本当はその猿と一緒にあったんだろう」

 アズーサがなぜそんなことを知っているのかサーラは不思議に感じた。それに青い石。ユーリア王妃が目覚めさせた石にもその石守りがいたのであろうか。あんな大猿のような石の守りが‥‥。

「石と共に生まれ。石と共に死す。鼎の守り。大地の柱。石は目覚めて有るべきところへ」

 アズーサがユーリアの歌集の一節を諳んじた。北を示す動かない月が瑠璃色に替わる瞬間。新年の時に歌われる歌だった。

「それって‥‥」
「あぁ、そうさ。ユーリア王妃の歌さね。ちゃんと彼女は残してるのさ。何があったのかを。なぜこの歌を新年に歌うのかは知らないけどね」

 今のサーラにはなぜこの歌が最初に歌われるのかよくわかる。
 あの黒衣の男がサーラに告げたように、すべての始まりは宝玉だ。つまり新しい年の最初に歌われるのも石を目覚めさせたときの歌だったわけだ。
 
 石を目覚めさせよ、石を本来あるべきところへ戻せ。ユーリアの歌はそうサーラに告げていた。

 サーラはそのことに気づき軽く身震いをした。背中に悪寒が走る。ナギが心配そうに背中をさすった。

「大丈夫?」
「ええ‥‥大丈夫」

 サーラはその力がどれほどの物かわからないまま黄色の宝玉を目覚めさせてしまった。その責任に小さな体は押しつぶされそうになっている。しかしだからこそサーラは目覚めた黄玉をあるべきところへ導かなければならない。
 アズーサはその姿を同情の眼差しで見つめていた。

 



 海賊たちと共にナギとサーラはアル・エインを下っている。辺りはすっかり日が暮れて肌寒さが身体に刺さってくる。ナギの目にぼんやりと影が見えていた。

「‥‥船だ。おばさん船がいる」

 アズーサは落ち着いた様子で、トールに向かって顎をしゃくった。トールは立ち上がり船につまれた紅白の旗を振る。
 この暗闇の中で見えているのかどうかもわからなかったが、船が白々とその姿を現した。中型船と大型船の間くらいはあるだろうか、帆船であった。ボートが近づくと後ろのハッチが開く。
 
 旗を振っていた船の海賊が、ロープを引きボートを引き入れていく。
 ナギとサーラは追い立てられるように中へ押しやられた。船底は頑丈な木材で出来ているようだった。しかし船の横っ腹に、こんなボートを収納するスペースを作っていることは常識外れと言える。安定感や強度に問題がありそうな造りなのだ。
 
 かなり汚らしく生活感が溢れその上狭い。二人は甲板に上がる階段を昇る。甲板にでると巨大なマストや操舵室が目の間に飛び込む。

「すげぇ」

 あまり人がいない。やはり帆船なのであろう。しかし帆船がアル・エインを遡ることなど可能なのかとナギは考えていた。
 カーンがナギの肩を引っ張り連れていく。サーラと引き離される。

「ナギ!」

 アズーサがサーラの腕を掴む。

「取って食やしないよ。お前さんはこっちだ」

 ナギはカーンに連れられ、中央のハッチから中へ降りていく。そこは大きめの石窯がありサーラが見た青石の機関が備えられていた。火はつけられていないようであった。

「なんだ。これ‥‥」
「おっちゃん! おっちゃん。どこだ!?」

 カーンがごみごみとした機関部で、大きな声をだす。すると綿の肌着に麻の作業ズボンという出で立ちの、頭が禿げあがった背の低い初老の男が姿を現した。

「おぅ。ひよっこどうした?」
「ほら。前から欲しがってた助手」
「おぅ。そうか」

 老人は手だけを作業場から出してこちらに手招きしている。

「いけよ‥‥怒ったらビックリするくらいこぇけど‥‥」

 そう告げるとカーンはそそくさと機関部から出て行った。ナギは老整備士の元へいく。

「このシャフトが入らねぇ」

 老整備士は丸く削られた木材を取り換えているところであった。すり減り前の物が機能しなくなっているのである。複雑に入り組んだ歯車がナギの目を奪う。
 ナギは老整備士から木製シャフトを受け取り。歯車の真ん中にあいた穴へ通す。

「ここだね」
「お前名前は?」
「ナギ」
「わしはエドじゃ」

 ナギは仕事中無駄話をしない。黙々とエド爺さんの指示に従う。しかしそこにはナギの知らない青石の知恵が具現化したものがあった。


 アズーサに連れられたサーラは寝間着のような絹のワンピース姿であったが、あまりにも動きにくそうである。その姿をアズーサは少し呆れたように見ていた。
 アズーサの船長室に連れられ、体に合うアズーサの服を探す。どれも結構大きいのであるがそのなかで、女海賊が若いころに来ていた絹のシャツと綿のズボンを取り出す。
 サーラの背の高さにはちょっと合わない。アズーサは今でこそ横にも大きいが背が高い女だった。

「こいつなら裾合わせたら使えるね」

 アズーサは服を身造ろうと、大きなあくびをする。海賊は安全な場所に帰ってきて気が緩んだようであった。石の旅はまだ続く。大変な一日が過ぎさり、陽が昇れば新しい一日がはじまるのであった。
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