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序章

黒羊の刻、中庭にて 『年代記 赤き衣の王と金色の道』

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 ゆっくりと二人の乗るボートへ軍船から降りてきた男たちが近づいてくる。4人の男は威圧的で軍装ではなかったが、それとわかる雰囲気をしていた。
 黒いマントを羽織った男だけがひと際目立つ。おびえた様子のサーラが後ずさりナギに軽くぶつかった。

「あの人達‥‥私をさらった人」

 誰に聞かれることもなかったが自然と小さくつぶやく。

「え‥‥あいつらが?」

 二隻のボートはいよいよ近づくサーラはナギの後ろに隠れじっと絹シャツの乗ったボートを見つめている。絹シャツたちの顔を確認できる距離に近づいていく。

「あいつは‥‥」


 絹シャツたちの後ろに控える黒マントの男にナギは身覚えがあった。父の研究を手伝いそれを盗んでいったあの男のことを忘れたことはない。 
 
 ナギが険しい顔をしているのをサーラはさらに不安そうに見つめる。ナギが船底に置いたオールが目に入る。サーラはそのオールを抱え上げるとボートを漕ぎ始めた。船首がゆっくりと旋回する。

「サーラ! ちょっと」
「ダメ! 逃げなきゃ!」

 船が旋回するのを認めると、絹シャツたちはいっせいにボートを漕ぎ始めた。彼らもまた訓練された水兵である。ナギはサーラの手からオールを奪い湖の底を突くようにしてボートを走らせる。

「ダメ! 追いつかれちゃう! ナギは一人で逃げて!」

 サーラの呼びかけを無視してナギはオールを必死に漕ぎ始めた。
 雪解けの冷たい水の上とはいえ、すぐに額に汗が浮かび始める。来た方向へ向き直ると湖岸から新たな船影が見えた。
 バースから追いかけ続けていたアズーサがこちらへ向かってきている。今度は筏のような推進力に問題があるような船ではなくどこかで奪ったらしい大型のボートである。

「ナギ! こっちからも!」

 ナギはさらに船首を変える。
 その先は船が上がってくることができないほど流れが速い渓谷へと続く支流があった。川幅も狭く小さな森に向かってその川は続き、さらには低い滝もある。イェンライの住民はその流れには絶対に入らない。その支流が暗い口を開けていた。 
 
 追手たちはよほど操船に自信があるのか、その支流のことを知らないのかナギたちのボートを執拗に追いかけていく。

「かぁちゃんあの先、あんまりよくなさそうだよ」

 トールがオールを漕ぐ太い腕を休ませ、船の真ん中で仁王立ちするアズーサを見上げる

「わかってるさ。あの坊主だってそんなことわかってるよ。気を抜くんじゃないよ。どこかでお宝は動きが止まる。その時が仕事の時だよ!」
「かぁちゃん駄目だ。あいつら・・・」

 チシャの間抜けで甲高い声が注意を促す。絹シャツがアズーサの姿をみとめると、こちらには容赦をするつもりがないらしく数人が弓をつがえているのがわかった。

「まったく! あきらめの悪い男たちだよ! いいかいお前ら! 男はあんなケツの穴のちっちゃいのになっちゃダメだよ」

 アズーサは矢が届かないのを経験上しっていた。水面で矢を使うとどうしても距離感に狂いが出てくるのである。

 船の上での戦闘に慣れているアズーサは、おおよそ矢が届かない距離からさらに離れた場所をそれとなく走らせる。
 実際に矢が放たれるのが見えたが、ほとんどがずいぶん手前で湖の中に消えていった。しかしナギとサーラを追いかけると、どうしても絹シャツたちとも近づくことになる。アズーサは慎重にその距離を測りながら船の進路に指示を出している。
 
 ナギにもサーラにも森へと続く支流が見えていた。もちろんその仄暗い入口の先に危険が待っていることもナギは知っている。しかしナギには選択の余地がなかった。
 これ以上進めばナギの力では流れに逆らえないポイントが迫ってきている。湖面もそこからは少しあわただしく波が動き、支流への流れが出来ているのが目で見てわかる

「ダメだ。サーラ! この先は行けない!」

 とうとうナギは船を漕ぐのをやめた‥‥。
 猛然と二隻の船はナギたちに向かってくる。しかし弓をつがえた姿をみたアズーサは海賊のボートを止めさせた。
絹シャツたちは海賊たちが立ち止まっているうちにナギたちへ向かっていく。ナギはボートを流れに沿って動かそうとオールを湖につける。サーラは黄玉を力強く握りしめた。
 
 その瞬間、ナギが一瞬目を離したその間であった。

 サーラは湖の流れが生まれているほうへ一人飛び込んだ。

 サーラの小さい頭が波に飲み込まれる。

「サーラ!」
「ダメー! ナギ! 来ちゃ駄目!」

 ナギはその言葉を無視した。脇目もふらず湖に飛び込む。
 ナギは想像以上に冷たい水と、支流へと吸い込まれる流れに自由を奪われてしまう。なんとかサーラに向かって泳ぐが、流れに逆らえるものではなかった。泳ぎながら体制を整え流れに任されているサーラに手を伸ばす。
サーラのほうもなんとか水中で体を整えようとするが体の自由がきかない。手を伸ばしナギの腕を掴もうとしている。高い波が生まれ何度も二人は水中へと飲み込まれた。
 
 ナギがそれでも必死に手を伸ばす。そしてどうにかサーラの腕を掴み、腰を抱き寄せた。しかし二人同時では流れに逆らうこともできない。森へと続く流れに身を任せるしかなくなっていた。そしてその先には小さな滝とさらに急な流れが待っていた。
 
 絹シャツのボートは二人を追いかけるように流れに侵入する。人数が多いため支流の流れに逆らえるのである。
しかし流石にコントロールがおぼつかなくなり、オールを波にとられていた。その様子をアズーサは呆れたように見ている。

「ああ! 駄目だ!あいつら。 かぁちゃんどうする」

 トールが悲しそうな声を上げる。波に飲み込まれたナギとサーラを見つけ、その先が支流の入り口へと向かっていくのがわかったからであった。いくら海賊でも目の前で子供が死ぬのは気分が良くなかった。
 
 アズーサは二人の様子を静かに見つめる。どこか神秘的なものを見るかのようなそんな表情だった。

「静かにしな」

 アズーサは諭すように聞こえた。そのとき‥‥。
 支流へと続く水中から、ゆっくりと細く金色に輝く光が上がってくる。そしてその光は静かに広がり天へと向かって伸びた。

 海賊たちはその様子をあっけにとられたように見ていた。その光の柱の周りだけ一瞬水の量が減り、ナギとサーラの姿が湖面に見える。二人の身体の周りに光が集まっているのが見て取れた。
 水量が減ったため絹シャツたちのボートも自由が取り戻せている。それ以上に支流に向かう流れそのものがとまっていた。絹シャツたちもその光景に心を奪われ動きをなくしている。
 
 ナギはサーラの腕を掴んでいた。強かに水を飲んではいたが、二人とも意識ははっきりしていた。
 自分たちの周りが明るく輝いているのがわかる。それはサーラの胸元から沸上がっていた。

「‥‥これ」
「はっは‥‥すげぇ。やっぱりこれだったんだ。サーラがバースに流れ着いたときもこうなってた」

 光は湖面から水を吸い上げ、光を放つ。
 その光が石から零れ水面に落ちると、水中から様々な植物の茎や花が現れる。その植物は二人の周りに集まり小さなサークルを作って漂い始めた。
 水量が減り、流れが緩やかになっていく。二人はそのまま森の入り口へ流されていった。サーラは不安そうにナギの手を握る。

「大丈夫このまま行こう」

 ナギはイェンライ周辺には特に詳しかった。父親がいたころはイェンライに住んでいた時期もあった。
 だんだんと湖の水量は元に戻っているようで、支流に差し掛かるころには流れが戻り始めていた。花の船は思いのほか強く、流されるままではあったが崩れたりはしない。支流に入り小さな段差をいくつか超えていく。そのさきには滝が待ち構えている。
 


 
 取り残された海賊と絹シャツは、あっけに取られていた。アズーサだけがその様子を満足そうに眼を見開いて眺めている。

「素晴らしい!」

 アズーサの声が湖面に響く。そこにいた全員が黄金色の光に魅了されていた。

「かぁちゃん‥‥。 あれ‥‥」

 チシャがアズーサに小さく声をかける。

「なんだい!?」

 チシャが指さした先、イェンライの方角から幾艘ものボートが繰り出してきていた。
 モーロ直属のスカージの兵士である。現実に引き戻された海賊は、焦ったようにオールを動かす。

「みんな急ぎな! 双頭の蛇の方角に!」

 海賊は声をそろえて船首を変え逃げ出す。逃げ出すときのほうが速かった。数本の矢が船の後部に突き刺さる。海賊は脇目もふらず声をそろえてオールを漕いだ。

「必ずだ! 必ずあの石を手に入れるんだ」

 アズーサの声は誰に向けた物でもなかった。しかしその場にいた全員が思いを一緒にしていた。



 黄金色の光に包まれたまま花の船は流される。そのまま森の中へ入っていった。いくつかの段差を超えると水量が減り、流れが穏やかになる。そのまま飛び降りても歩いて陸に上がれそうなほどである。
 もうすぐ滝が姿を現すが、その前にナギは川に降りた。普段なら頭までつかる川の水が膝の上までしかなかった。花の船に手をかけ川岸まで引く。そのころにはサーラの胸元の光もだんだんと輝きを失ってきていた。同時に水量が増え、花が崩れ始めてくる。

「おっと、もう少しまってくれよ」

 ナギは踝まで浸かりながら、サーラの手を取り花の船から降ろす。
 サーラが下りると光は消え。花はそのまま崩れて川の流れに消えていった。二人とも川に飛び込んだのにそれほど服が濡れていない。わずかに生乾きの感触があるだけで、体に張り付くようなことも水の寒さもほとんど感じていなかった。
 
 川岸に降り立つとすぐに森の中へ入っていく。
 この辺りは複雑に小さな支流が流れ、時期になるとイェンライからも釣り人が出向く場所であった。森の中に何ヵ所か森を切り開いた釣り場があり、迷いそうな森の中でもその釣り場を移動すれば、慣れたものであれば自然とイェンライに戻れるのであった。

 ナギは慎重に森の中を移動して、二つ目の釣り場に腰を下ろした。砂地で焚火の後が残っている。火を起こし生乾きの服と冷えた体を温める。

「やっぱりその石には不思議な力があるみたいだ」

 枯れ枝を集めながらナギが興奮気味に話す。サーラは自分の身に起きたことがいまだに信じられないでいた。ナギはユーリアと長き尾を持つ蛇との伝説を思っている。

「サーラがバースに流れ着いたときから何かすごいことが起きるんじゃないかって、そう思ってた。やっぱりその石には秘密があるんだよ」

 興奮気味になっているナギは、上着を脱いだ。ナギの服は石の影響が少なかったためか少し水分が多かった。絞るとわずかに水滴が落ちてくる。上半身を綿の肌着だけになったナギの姿からサーラは視線を思わず外す。幼さ残る細い身体は日に焼けていた。サーラがおずおずと視線を戻すと、ナギの左肩に拳ほどの紋様が刻まれていた。

「ナギ‥‥それって‥‥?」
「ん? あぁこれ? ちっちゃいころからついててさ。なんだかわかんないんだよね。父さんがつけたみたいだけど何かは教えてくれなかったし」

 ナギの肩に刻まれていたのは怪我や火傷の後ではない。明らかに意図的に入れられた刺青であった。
 
 刺青はスタルメキア人にとっては刑罰である。身体の一部を欠損させるという重い刑罰に当たらないが、一目で罪人とわかるように体のに印をつけるのであった。サーラにとってみれば父親がいれたということが異質なのである。

 ナギの肩に入れられた紋様は、円を二つ重ねた形で一つは太陽をかたどっているようにも見えた。
 二人の間に僅かに緊張が生まれている。スタルメキア人としてサーラの中にある常識と、ナギの刺青がその緊張をうみだしていた。しかしその緊張も次の瞬間消える。
 
 釣り場の奥の茂みが僅かに揺れるのを二人が気づいたからであった。生乾きのままのシャツをナギが着こみ、サーラの前に立つ。茂みの動きが大きくなり近づいてくるのがわかった。ナギが鋭く問いかける。

「誰だ!?」
「森の精に釣られて来てみれば、珍しい者がおる」

 のっそりと姿を現したのは子熊のような老人であった。
 顔の下半分は白髪交じりの灰色に見える髭に隠れ、藁で作った帽子。バースの職人たちと同じような綿の作業着を着て、片手には竹の釣り竿を持っている。

「メルじいさん!」

 ナギを見た老人は、目を小さな目を見開いていた。小さく見えるが体はがっちりとしている。

「どなた?」
「バースに魚や獣なんかを持ってくる狩人さ。悪い人じゃないよ」

 メル爺さんは目を細めて二人を優しげな顔で観察している。

「どうした? とうとうバースから追い出されおったか? おや女の子まで連れておる」
「この子が悪いやつらに追われてるんだ。イェンライの軍隊もこの子を探してる」
「ふぁふぁふぁ。それは難儀じゃの」
「バースまで戻りたいんだけど、どうしたらいいかな?」

 ナギの言葉にメル爺さんは行動で示した。後を付いて来いと来た道を戻り始める。
 思いのほか川沿いの森は複雑で、慣れない者が入り込めば抜け出すのは容易ではない。熊は人を用心して姿を現さないが、鹿や猪といった充分に危ない獣は痕跡がいくつも残っていた。
 
 三人は川沿いを歩きいくつかの釣り場を通り抜ける。人の痕跡がある場所には獣たちもおいそれと近づかないものである。

 陽が高くなるころに何個目かの釣り場に腰を下ろした。
 メル爺さんが腰の魚籠から取れたばかりの川魚を串に刺し、岩塩をまぶしてナギが起こした火の近くに差し込む。しばくすると太った川魚から油が滴り、バチバチと火が跳ねてくる。表面に焦げ目がつくのを確認すると数本ナギとサーラのほうへ差し出す。

「何も無いでな」
「いいえ。おいしそう」

 爽やかな微笑をして、差し出された魚をサーラは受け取る。メル爺さんはその顔を満足そうに見返した。ナギのほうはすでに背中からかぶりついている。サーラもナギにならい背中に歯を当てた。

 慎ましい食事が終わり、メル爺さんは真水を沸かし煎じた薬草を溶かして二人に渡す。

「おじいさんはずっとこの森に?」
「ふぁふぁふぁ。まさかの。人が森に住むには不便があり過ぎるでな」

 一瞬の間があった。

「このところ森の精や小鬼どもが静での。調べに着ておったのよ」

 メル爺さんが言葉をやめて辺りに静寂が広がる。サーラは老人の言う森に目をやりその後に目を閉じた。ナギもよくわからないまま目をとじ二人に倣った。
 小鳥のさえずりや、葉が風に流される音が無いのである。しかし微かにほんの微かに河のせせらぎの中で、甲高い金属がぶつかるような音が二人の耳にも届いた。

「聞こえたじゃろう? 大地が鳴っておるのよ。それで森の精や小鬼どもが黙ってしまっておる」

 二人は不思議そうに眼を開いた。このような音を聞いたのは初めてだった。
 サーラがふと胸元の石をシャツの間から取り出してみる。石は鼈甲色のままであったが。わずかに震えているようにみえた。それは今にも割れて中から何かが飛び出してきそうなそんな動きをしている。

「‥‥お、お嬢さんそりゃあんた‥‥」

 老人はかすれた声を絞りだす。

「そりゃあんた。黄玉の結晶じゃないか‥‥これをどこで手に入れなすった‥‥?」
「黄玉だって!? それじゃこれがユーリアの予言した宝玉!」
「そうじゃ‥‥ユーリアが長き尾を持つ蛇との契りでスタルメキア人に約束された宝玉の一つ‥‥」

 黄玉を見つめるメル爺さんは最初こそ驚いたように目を見開いていたが、その顔はどこか懐かしそうな表情をしていた。しかしすぐにその顔を消す。

「あぁ‥‥お嬢さんすまないが、わしにはそのような価値あるものは目の毒じゃ。すまないが隠しておいておくれ」

 メル爺さんは両手で顔を覆う。皺の多い顔から脂汗が出ているのがわかるほどであった。
 立ち上がり川岸に近づくと、両手で冷たい水をすくい額の汗を洗い落とす。振り返るその表情にはすでに読み取れるものは何もなかった。

「ふぅ‥‥」
「この石は祖母から引き継いだものです。私が生まれる前から家に代々引き継がれていたものでした‥‥」
「そうか‥‥ユーリアの歌集、ユーリア王妃の歌集も一緒になかったかね?」
「歌集ですか‥‥ユーリア王妃の歌集はありませんでしたけど‥‥
ただお婆様もお母様も毎日のようにユーリア王妃の歌集を歌って聞かせてくださってました。それは良く覚えています。二人ともよく覚えているなって子供の頃には感心してました。私もそのうちなんだか全部歌えるようになってましたけど」

 メル爺さんは竿と魚籠をさげた。休憩は終わりなようであった。二人はついて森の中に入っていく。そろそろ森を抜けてもいいころであった。森を歩きながら老人は独り言のように話し始めた。

「黄玉は‥‥石はイェンライのワルダーナ家に引き継がれておった。近年北の盆地にも掘られるようになったが本物ではない」
「本物? 石は本物と偽物があるのですか?」
「偽物ではないかのう。自然石といってな。人工的に作られた石ではないのじゃよ。ただワルダーナに伝わった石は人の手によって結晶化したものだったそうじゃ」
「人の手によって‥‥? それはどういう意味なのですか?」 
「伝説でサウル盆地に伝わっておった青い石をユーリアが生き返らせたと言われておる。長き尾を持つ蛇と契約しての。
 火を吸い上げ、水を司り大地を凍らせる青石が神の台座に納められたとき、そこに結晶化した黄玉はあったのらしいのじゃ。
 いつどこで誰が作ったのかはわからぬ。知っておるのはあの場にいた五人の男とユーリアだけじゃ」

 森の中に静寂がさらに広がっていく。ナギは老人の会話に心躍っていた。スタルメキア人に祝福をもたらすと言われている伝説がいま目の前にある。

「サウルの奥地にいるサルビム人の中には、青石を使えるものがおるらしい。まぁ使えるのは石に選ばれた者らしいがの。ただ彼らにはユーリアの恩恵が継がれておる。元々ローハンにもその恩恵はあったらしいが、サルビムを追い出した時にすべて持ち去られてしまったのじゃがな」
「恩恵? それはどんな‥‥」

 老人の話には謎が多い。ナギはついていくのがやっとであった。サーラは老人少女の話に聞き入っている。

「不思議に思わんか? わしらが着ている綿や絹の服。パンを作るすべもそうじゃ。ローハンの煉瓦や青銅を作ることも。まだまだあるじゃろ。こんなことができたのはサルビム人の知恵によるところが大きい」
「それは‥‥」

 ナギが口を挟んだ。

「つまりサルビム人が受けた恩恵は青石を蘇らせるときにその技を発見した‥‥」
「そうじゃ。ローハンに住む者たちには秘匿された、サルビム人だけに伝えられた長き尾を持つ蛇からの知恵。それこそが宝玉の真の力となる」

  老人の話はどこか夢物語のようにも思えた。今あるスタルメキア人の生活は石の知恵によって齎されている話には、あまりにも現実味がない。
 人間の進歩はそんなものではないのではないかそうナギは考えていた。二人の若者の沈黙を老人は疑念と受け取っている。

「そのうちわかる」

 力強く老人は断言した。そして三人は森を抜けた。



 ナギとサーラの目の前に森との切れ目が現れた。
 乾いた大地には短く茅が生えていたのであろうが、誰かが短く刈り込んでいる。川から小さな丘にあがりながら、日の高さに目を細めてしまう。

 メル爺さんは二人を森から案内すると、丘にあがらず森の中から手を振っていた。ナギはサーラの手を引き丘の上に招き上げる。丘に上がるとそこからはイェンライからバースへと続く街道が遠くに見えていた。正午の日の光が、複雑に入り組んだ川に反射して美しい緑を映えさせている。
 
 サーラは老人の話を聞いた後、浮かない顔をしていた。どこか思いつめた様子が白い肌を余計に浮きただせたようで、ナギは心配そうに顔色を窺っている。
 二人は丘の上でわずかに息をついた。サーラが丘の上の風景を見つめて意を決したようにナギに話しかける。

「ナギ‥‥、あなたに謝らなければならないことがあるの‥‥」

 丘の上でバースの方角を見やり伸びをしていたナギは後ろを振り返る。

「なんだい今更かしこまって」
「ナギ、私には本当の名前があるの‥‥サーライェ・ワルダーナ・ローン。それが私の本当の名前‥‥」

 名を告げられたナギは目を見開きナギの顔を見つめる。

「それって‥‥イェンライの宗‥‥」

 ナギが話しかけようとすると、丘の下から節くれだった手が伸びてくる。背の高い男が三人ナギとサーラを囲む。絹シャツたちが二人の目の前にいきなり現れた。サーラの叫びがナギのすぐ後ろで響いた。

「手間かけさせやがって!」
「何をする!」

 絹シャツはナギの声を遮るように近づいてくる。
 ナギはサーラの前に立った。いきなりナギの後頭部に衝撃が走りナギは昏倒した。薄れゆく意識の中でナギはサーラが自分の名を呼ぶ悲痛な声を聞
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