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第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

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 パリス宗家の館でパリス時期宗主が、自尊心を深く傷つけられていた夜。下層でも普段から険しい顔をした男たちが、さらに険しく焦りを隠さない様子で顔を突き合わせていた。
 ガレを筆頭にダルダ一家の主だったものたちが街の外に出て二日近く経っている。目的はパリスで麻脂の密売を行っていた不良たちのまとめ役であり密売の頭目と目されていたエルヴィという少年の身柄を確保し、パリス四家の一つマッシュハガに高値で売りつけるためであった。エルヴィの元恋人で、唯一居所に見当がついていそうな女を探し出し、脅し宥め賺し様々な手を使ってあたりを付け、その案内でパリスの外に送り出している。

 ジョルダオ・ダルダの前には三人のヤクザ者が座っていた。オイジョ・ナガとオルバ・フナミ、二人とも一家を任されたローハンのグァンジ―一家の分家である。最後の一人はパリスに居ついているやくざ者でショル・オニタがこれも難しい顔をして座っていた。
 オイジョの顔色は悪い。オルバの目の前に大鉈が羽飾りと共に置いてあった。

「これが朝一で屋敷の前に置いてありました」

 オルバの言葉には感情がない。大鉈はシーラの愛用していたものである。この場にいるやくざ者はその意味をすぐに飲み込んでいた。
 ジョルダオの顔には表情が消えている。信じたくはないが一家の子分が全員やられたことは間違いがなかった。親一人だけなど丸裸と一緒である。今後パリスでダルダ一家がどれだけ大きな顔をしたところで、誰も見向きもしないであろう。渡世人ジョルダオの命運は尽きていた。子分がやりたい放題していたこともあり、パリスに長居すればジョルダオの命も危うい。ノア一家との抗争で怨みを持っている者も少なくなかった。
 オイジョが深く息を吐き出す。年長で状況を把握し迷いが少ない。

「ジョルダオ、いったんローハンに戻れ。ノア一家の息かかかったやつらはみんなお前さんの命を狙ろうとる。向こうに残してきた子分もまだおるだろう?」
「兄さん、わしに逃げろいうんですか?」

 ジョルダオの顔に深い怒りと憤りが浮かび上がりどす黒く皮膚を変えていく。

「子分全員やられて! 一人逃げ帰ってどうやって渡世でやって行ける思っとるんですか!?」

 オイジョが冷たく言い放った。

「ほなら死ね。使えんようなったはみ出し者なんぞ死ぬしか道はねぇ。親父に申し開きして死んだらええんよ。わしとオルバで後を引きとっちゃる」

 剣呑な空気を漂わせる二人に対し、ショルが口を開いた。

「うちのとこの若い衆も戻って来てない。しかしこいつは…」

 ショルは大鉈の柄に刺さった羽飾りを取り上げる。ショルにとって忌まわしい記憶が呼び起こされた。

「ゾルト族か…」

 オルバがショルを睨んでいる。

「何か知っておりますか?オニタの親分さんは」
「こいつはゾルト族の羽飾りだ。サウル盆地の北を根城にしてる移動民のな。冬場になるとこのあたりまで越冬のためにやってくる。やつらに手を出せば武装してない都市民なんぞイチコロだろうよ。近年一部のゾルト族がパリス宗家の許しを得て越冬地を貸し与えられたんだがな」

 ジョルダオが行き場のない怒りをショルに向け。声を大きくする。

「ゾルト族!? 移動民!? そんなことは関係ねぇ! 子の仇を取らなくて何が親だ! オニタのそいつらどこにいるんだ。わしは一人でも行くぞ! 全員ぶち殺して犬に食わしてやる!」
「無理だ…一昨日マッシュハガがその越冬地にゾルト族を捕縛するために出向いたんだが、もぬけの殻だったらしい。何をしたのかはわからんがマッシュハガはやつらを殲滅しようとしていたようだ」

 興奮が抑えれずジョルダオは息を荒くしている。そのジョルダオを尻目にショルは続けた。

「やつらは移動民だぞ。一度どこかへ行ってしまえば行き先は誰にもわからん。ジロン領内にいるのかもっと北にいったか…」

 ジョルダオは怒りに任せて立ち上がり座っていた椅子を蹴り上げる。相手が得体のしれない移動民となると手の施しようがなかった。独自に調査をするにしても人手も時間もかけなければならない。パリスに骨を埋める覚悟で復讐を果たさなければジョルダオの存在価値はないに等しい。

「どちらにせよ…ジョルダオ。一度仕切り直さねばパリスで商売は無理だな。オルバ今後はお主が仕切れ。今ダルダ一家には人も足らん違うか?」

 流石にジョルダオも状況はわかっている。

「マッシュハガ家への繋がりは絶対に断つな。多少脅してでもな。我らにはオルギン宗家がついとる。最悪出張って来てもらえばよい」

 ショルが立ち上がる。
 今更ダルダ一家を見捨てるつもりは毛頭なかった。しかしオニタ一家も子分を三人失っている。ショルはそのことを問いたださなければならない古馴染みに覚えがあった。

「こちらも調べをつけてみよう。あんたがたより長くこの都市に居ついとる。ゾルト族が相手となると流石に期待は出来んがな。わしはオニタ一家を立てる前にやつらと諍いを起こしたことがあってな。その時も随分身内がやられとる。やつらにすれば食い扶持に手を出すわしらのほうが悪いということだがな」

 オニタの背にオイジョが圧の強い声色を出した。

「隠し事はなしだぞオニタの親分」
「隠すも何もわからんことだらけだからな。やつら数年前からパリスで商売を許されとったからな。とはいえマッシュハガが攻めてしもうとる。期待は出来んよ」

 手がかりなど無いに等しかった。それでもショルはローハン者のために骨を折ろうと考えている。ガキの頃から面倒をみてきた三人をやられたことをショルは許す気がなかった。



 牧歌的なファーロ村は夏の気配が過ぎ去ろうとしている。村の中央にある広場は馬車の轍でボコボコに土が浮き上がりっていた。モズロはファーロ村の屋敷にいる。遠くで家畜の鳴き声が聞こえているが、暗闇でその姿は見えない。
 ファーロは多い時には120人ほどマッシュハガ氏族に連なる村人がいるパリス近郊の集落であった。モズロはファーロで数日待たされていた。上手く事が運べばもう一度パリス市民、それ以上にメルシゴナ氏族として都市に戻れる手はずであった。
 モズロはすでに50をいくつも超えている。パリスの下層に忍び込むくらいでしか生まれ故郷に戻れない身分になりさがり20年以上たっていた。市民権を取り戻しメルシゴナの指導部に戻ることこそがこの老人の生きる道となっている。

 ファーロは静かであった。わびしい秋の夏の終わりが夕闇と共に広がっている。わずかに残る夏の名残が肌にまとわりつく湿度で感じられた。果報を待つモズロはその心地よい空気に触れることもせず、密室の中で麻脂の炊いた臭いと煙をまとわりつかせている。
 もうすぐ復讐が成就すると思うと、モズロの内にある土留め色したメルシゴナに対する憎悪がわずかばかりでも癒されていた。四半世紀存在を無視され続けた老人の呪いが、その部屋に満ち満ちている。モズロは闇に浮かぶファーロ村の明かりを見るために開き戸を開ける。老人から出ている臭気は健やかな秋の気配を漂わせた村へと放出された。

 村の明かりがまったくなくなり、新月と相まって屋敷の足元も見えなくなっている。モズロは直感的に屋敷の周りを見渡す。
 闇の中に蠢く人の波がわずかに見て取れた。異様な人数にモズロは否応がなく異変を感じ取る。贅肉に覆われた体をひるがえし階段に向う。下からは人の気配が消えていた。

「おい! 誰もいないのか? 外で何があった!?」

 モズロが大声で叫ぶ。屋敷の一階は酒場になっていて普段ならば酒と夜更かししか趣味がない男たちがたむろっているはずなのであった。しかしこの時は何の反応もなかった。

「誰かいないのか!?」

 モズロの声に足音が返ってくる。

「くそ! アイザイアめ!」

 窓際へ重そうな体を進め開いた木戸の外へモズロは飛び出た。軒の上へ転がりそのまま這うようにして屋根をつたっていく。すぐ後ろで男たちの怒号が聞こえてくる。不安定な萱の屋根を四つん這いで進む。モズロは後ろも振り返らなかった。

「あそこだ! 屋根だ! 逃げてるぞ!」

 モズロは屋根の上を転がるように逃げた。マッシュハガを頼ったのはモズロ自身である。マッシュハガ当主ヴリンにはアイザイアを通してモズロのパリス市民復帰を約束している。それは口約束ではなく念書であった。ヴリンのサインまで入った請願書でありモズロのメルシゴナ氏族復帰をマッシュハガ当主が請願するという内容であった。
 モズロは念書を肌身離さずもっている。この時がそれが仇となった。

「くそ! くそ! くそ! なぜわしだけが!」

 呪詛の言葉を喚き散らしながらモズロは屋根から転げ落ちる。下には牧草と牛糞が敷き詰められていた。牧草に飛び込むとすぐに立ち上がる。モズロの鼻に牛糞の臭気が飛び込むが、それをいちいち気にしている暇はなかった。
 
「ここだ! ここに飛び降りたぞ!」

 マッシュハガ兵の声がモズロの耳に届く。往生際悪くモズロはサイロの外へと飛び出した。しかしそこにはマッシュハガの兵が十重二十重と待ち構えていた。
 どの兵士も若く長槍を構えている。屈強な兵士に囲まれモズロは後退った。

「アイザイア様こちらに!」

 兵士の声の間からアイザイアが姿を現した。

「アイザイア…貴様!」
「反逆者ダルダン・メルシゴナの共犯者モズロよ。観念いたせ」

 アイザイアの目は笑ってはいない。モズロは兵士たちに両脇を抱えられアイザイアの足元に跪かされた。

「たばかったな! アイザイア!」
「何の話でしょうな」

 アイザイアはモズロに近づく。懐に手を差し込むと一枚の羊皮紙を取り出した。

「返せ! この恥知らず共が!」
「今更あなたのパリス市民復帰などだれも望んではおりませぬよ。パリス市民を商売に麻脂の密売などと、どちらが恥知らずなのか」

 青白い顔に脂汗を滲ませすさまじいまでの恨みを眼光に映しアイザイアに向けている。数年にわたりマッシュハガのためパリス近郊で汚れ仕事をしてきたのも市民復帰への道と信じてのことであった。
 氏族を売り、麻脂密売など人の道にもはずれ、ジロン界隈の汚い飯を食っているような輩と取引をし、人間性も信頼も失いながらもマッシュハガの手先となって動いていた全てが裏切られた哀れな老人は、牛糞が薄く積もったサイロの地面に顔を押し付けられている。

「連れていけ」

 兵士たちはアイザイアの言葉に小さく頷き。モズロを小突きながら引きづっていった。一人残ったアイザイアはサイロを後にする。ファーロ村の住人が遠くからマッシュハガ兵のことを観察する松明の灯が見て取れる。パリス兵が日が落ちた後に動くことがほとんどなかったこともあり、物珍しさから好奇心の塊である童たちが一番先に出てきているのを親たちが止めるのが見えていた。
 
 アイザイアにマッシュハガの若い兵が付き従う。

「アイザイア様。村長に部屋を提供してもらいました。今夜はそこでお休みください」

 アイザイアは歩きながら頷く。ファーロ村はマッシュハガ所縁のものが多く居住する集落で、村長もまたマッシュハガ家の縁者であった。

「村人を呼び寄せろ。ファーロは同朋の村だ手を出すことはならんぞ。明日の朝にはパリスに帰還する」

 アイザイアの命令はすぐに伝わり、マッシュハガの兵は各々あてがわれた宿舎か、村の外に作られ幕舎へと散っていった。アイザイアは村長の館へ向かわず、そのまま外の幕舎へと向かっていく。今日中にモズロからダルダンの関与を引き出さなけれならず、悠長にしていれなかった。
 長い夜になりそうだと、アイザイアはファーロ村の門の前だ大きく伸びをした。



 目は炯々としいる。一晩で随分と目の下のクマが色濃くあらわれたようであった。
 己の見立ての悪さを二人の宿老に指摘され未熟さを体の芯まで思い知らされたカシアスは、一睡もできずに朝をあ迎えていた。
 それまでセリウィス家の跡継ぎとして耳障りの良い事しか言ってこなかった取り巻き、マッシュハガ家の家人その言葉一つ一つが今更に自分を小馬鹿にしていたと感じられ、自尊心を深く傷つけられている。カシアスの人生には阿りとへつらいはあったが、苦い忠告を父親以外に言われたことがなかった。それでも彼はパリス宗主として思考し判断し責任を持たなければならない。
 
 カシアスは空になった果実酒の瓶を数回振る。いつの間にか闇が晴れ朝日が差し込んできていた。何を悩んでいたかもわからなくなりカシアスは立ち上がる。母親のシュザンナもその場にはいなかった。
 大きく息を吐き出す。

「カシアス様…」

 名を呼ばれそちらを向くと、少年が一人カシアスのほうを不安そうに見つめている。

「ローファか。みなは?」

 名を呼ばれた少年は大きく頷いた。ローファ・シュアはマッシュハガ家の家人筋にあたる氏族の出である。宗主となるカシアスの身の回りの世話をするため選ばれた少年の中の一人であった。

「はい。中央広場にお揃いになっておりますが…」
「どうした?」
「シュザンナ様がもう少し待たせるようにと」

 カシアスは悪い予感がした。昨晩シュザンナは二人の当主に息子が諭されたあと、この世のものとは思えぬほど不機嫌になり一言も声をかけず自室に戻っていた。プライドを傷つけられたシュザンナが、朝一番で皆の前で宗主となる宣言をし、パリスの差配を定めようとするその時、息子になにもカシアスに言ってこないはずがない。
 
 カシアスは心の底からうんざりしている。元来責任感に乏しい青年である。母親の干渉も二人の当主の苦言もカシアスにとってはこの際奥歯に挟まった葉物野菜のように鬱陶しいことこの上なかった。

「そうか。すぐ来られるのか?」
「はい。 あ、いえ。カシアス様の準備が整ったら呼ぶようにいいつけられております」
「そうか。ならば早く呼んできておくれ」

 ローファ少年は大きく頷くと早足でその場をあとにした。しばらくすると廊下をするような足音が耳に入ってくる。それも少し様子がおかしかった。足音は二つほどあり片方はズシリと重そうな雰囲気が伝わってくる。
 扉が重そうに開くと思いもよらない人物が二人ならんでいた。

 カシアスは立ち上がり二人を向かい入れる。

「大叔父上…なぜ」

 姿を現したのはマッシュハガ家当主ヴリン・マッシュハガであり、彼の前には大柄な兵装の男が陣取っている。歳の頃は30代になったばかりであろうか。横にも縦にも大柄で長いひげを蓄えていた。拳は節くれだち太い指と、拳から腕にかけ戦傷だらけである。
 あまり表情の変わらない兵装の男、マッシュハガ家の分家ミラー家の当主ガイウス・ミラー、パリスでは知らぬものがいない長槍の使い手で幾多の戦に参加した歴戦の戦士がヴリンと共にいる。
 ガイウスの異様な雰囲気にのまれたカシアスの前にヴリンが立つ。
 
「息災か?」
「大叔父上こそ。久しく出仕されなくなっておると聞いていましたが…」
「宗主がお亡くなりになり、シュザンナの息子が跡を継ぐ。マッシュハガのパリス宗主が生まれるというときにマッシュハガの当主が祝福せずに誰がするのだ」

 老人には奇妙な威圧感が漂っている。後ろに控えるガイウスが無表情で控えていることも威圧感の一部になっていた。ヴリンは慎重が高く上から圧し掛かるようにカシアスに近づいていた。

「悩んでおるか? カシアス」
 
 カシアスは警戒する。ヴリンという人物をよく理解しているつもりであった。子供のころからどことなく近寄りがたい人物で作ったような笑顔をしていた。そして何よりあの晩、母親の行動に疑念を持ちそれがいつまでものどに刺さった魚の骨のように取れずにいる。目の前にいる大叔父の姿があの晩の母親の行動と重なる…。

「悩むな。宗主が悩む必要などないぞカシアス。悩むのは家臣のすることよ」

 老人の異様な圧力と熱気にカシアスは脂汗が背中を伝わり落ちるのを感じていた。後ろに控える男にもうっすらと殺気がまとわりついている。
 脅し…。明らかな恫喝の色がヴリンの言葉には含まれている。

「カシアス、カシアス・テリデス。パリス宗主よ。何も背負うことはない。我らマッシュハガが其方様の問題をすべて請け負うて、支えて差し上げよう」

 感情の読めない張り付いたような笑顔。ヴリンの中に巣くう怪物をカシアスは生れて始めた見た。このような化け物じみた男を父親のテリデスはどのように手懐けていたのか。四家の均衡を偏らせぬ様に腐心していたテリデスの手腕は、今のカシアスでは到底足元にも及ばないことを改めて実感させられる。
 
 昨晩のこともあり、テリデスは完全に自信を喪失していた。

「宗主はお疲れのようだ。改めて宗主の後を継ぐ宣言はされたらよい。テリデス様の喪とメルシゴナの仕置きはわれらが引きうけいたそう。なに汚れ仕事は我らマッシュハガに万事お任せくだされ」

 ヴリンは高らかに笑うと部屋を後にした。自尊心をえぐられ、尊厳蔑ろにされた上に宗主としての実権もマッシュハガは奪おうとしている。しかし微温湯に浸かりきった生活を送っていたカシアスにはマッシュハガに対する反骨は、一瞬わずかに起こったがすぐに諦めていた。
 新パリス宗主カシアス・セリウィスは力なく椅子に腰かけ空虚を見つめた。己の存在意義を見出すことのできなくなった青年の観念と自棄の念が、彼の精神を壊していくこととなる。



 すっかり景気の湿った早朝のパリスにショル・オニタが一人歩いている。市場も開かない朝靄の漂うパリス下層の一番外側の通りを歩いていた。向かう先は北側の城門の近くであり、そこは人が普段から寄り付きたがらないような陰鬱な場所である。
 パリスで死んだ非市民は一度その場所へ遺体を移される。老若男女その死の理由を問わず下層に住む非市民はその場所へと運ばれてくるのである。下層民の実数を把握している者はパリス市民にも下層民にもいなかったが、それでも十万に近い人口が住むパリスである。毎日の遺体の数もそれなりであった。
 
 その遺体置き場は北門のすぐ横にひっそりと作られている。周りを森に囲まれた広場であり外から見ると鬱蒼としているのであるが、植物の門のようなところから中に入れるようになっていた。馬車が一台通れるほどの通路でそこからパリスの墓守が毎日定期的にどこかへ馬車を走らせるのである。彼が遺体をどこへ持っていくのかは誰も知らない。痘痕顔の墓守ジョダはパリスの童にはどこか異様な死の使者のように受け止められている。
 ショルは遺体置き場に迷わず入り込んだ。大きな屋敷を二軒くらい建てれそうな広さが広がっている。遺体はない。しかし陽の光があまり差し込まず物静かな安置所は奇妙に冷え切っている。

 ショルの視線の先には広く逞しい背中が見えている。ジョダは骨ばっているような見た目の大男だったが、しゃがんで死者の弔いの言葉をささやいている。
 ショルはジョダの祈りの言葉が終わるまで、ジッとその場に立っていた。祈りを終えると振り返らずショルに語り掛ける。

「随分と顔をおみせになりませんでしたね。オニタの親分さん」

 物優し気な声色。殺気のかけらもないこの大男がパリスの闇を一手に引き受けているとは思えない。ショルは充分に距離を取っている。互いに知らぬ中ではなかった。
 パリスの殺し屋を束ねる元締めそれがこの大男の裏の顔であった。パリス近郊でおきる誰かの死に関することはこの男の元に必ず届いているのである。ショルは子分三人の亡骸くらいはどうされたのか知っておく必要があった。

「わしのところの若い衆が三人消えた。元締め、これは復讐などという事ではない。血は繋がってはいないが身内の死の話だ。何があったか教えてくれまいか?」

 ジョダがのっそりと立ち上がる。振り返るとショルよりも頭一つ以上背が高い。戸板のような体に痘痕の多い顔はより一層ジョダという男を恐ろし気に見せている。

「三人? オニタ一家の御縁者のかたのことは存じ上げませんよ」

 ジョダは呼吸音さえ聞こえない。異様なまでに存在感だけはあるのだがどこかそれは影のような異質さがあった。口を開いて言葉を発しているからかろうじて認知できている。

「知らないことはないだろう。パリス近郊で起きた人死の処理は、全部あんたが仕切ってるのはわかってんだ」

 ジョダの表情は全く変わらない。常と同じように張り付いたような真面目な面が張り付いている。

「はて…知らぬことを知っていると言われましても。私としてはどうお答えすればよいか見当もつきませぬ」

 低くどこか人の精神を圧迫するようなジョダの声色。その中にわずかばかりに混じる死の気配にショルは気圧されていた。
 パリスの裏社会で名が聞かれるようになった幽鬼。それ以前からあるパリスの闇。大きな尾ひれのついた噂が事実であれば、目の前にいる墓守はテリデス・セリウィスの毒刃という通り名で知られている。
 テリデスがパリスの実権を手に入れるときに幾人もの政敵を闇から闇へと葬ってきた暗殺者。ショルはパリスに居つきオニタ一家を立ち上げ、血で血を洗うような下層民の争いのなかでその噂話を嫌というほど聞いている。

 ショルは以上に張り詰めた場の空気に耐えれなくなる。大きく息を吐き出した。威勢のいい下層民にもこれほど得体のしれない殺気を持った者はいない。今更ながらダルダ一家の腕っぷしの良さなどパリスの権力者が歯牙にもかけない理由がわかった気がしていた。おそらく取引にもこの墓守は乗ってこないであろう。

「そうか。わしの見当違いだったみたいだな。悪いことをした。他を当たって…」

 ショルの身体にどす黒い殺気がまとわりついてくるのがわかり、思わず二・三歩後退した。冷たい汗が額から背中に流れるのを自覚する。それが墓守の身体から放射状に霧のように噴出し、自分を包み込もうとしているとわかるとショルは青ざめていた。
 ジョダが口を開く。

「パリス北面、ヴァロ廃村にある祭壇はご存知ですな?オニタの親分さん」

 ショルは音を立てて唾液を飲み込んだ。喉は異様に乾き上手く声が出せそうになくなっている。

「ヴァロ廃村の奥に古い祭壇がございます。親分そちらへ行かれるといい」

 それだけ告げるとジョダは、もう一度土の剥きだした遺体置き場のほうに顔を向けた。 雑草を抜き死者の手向けなのであろう人の手が入った花壇に白っぽいものを蒔きだす。
 ショルは居心地の悪さに一刻も早くその場を立ち去りたかったが、何とか体裁を整え後ろを振り向くとゆっくりと遺体置き場を後にする。一家のねぐらへ戻る道すがら、自分がなぶられたことにようやく怒りが沸き起こりわけもなく不機嫌になっていた。
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