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第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

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 パリス中層には四家に連なる氏族が住居を構えている。中央に下層から続く大通りが上層へと続き神殿のほうへと昇っていく。その途中に四方へ広がる五辻の広場があり、パリス市民はその広場で街の取り決めの様々な報告をうけるのである。
 四方へ広がる道はそれぞれ四家ゆかりの者たちがあつまる住居を形成する区割りとなっていた。北へ向かう道は神殿へ、北東へ向かう道はアケドナ家、南東はメルシゴナ家、南西はコルピン、そして北西にマッシュハガ家の住居群が広がっている。
 各々氏族へ連なる小さな家もまたその区画に住んでいるので、カズンズ・コルピンのコルピン家とユーラ・アボットのアボット家は同じ区画にある。

 青白い月がパリスの市民居住区を照らしている。緑の月が終わりに近づき四色の月ではないもう一つの月が細くなっていた。この青白い月が黒く光を失うと、四色の月は緑の月から紅い月へと変化するのであった。
 東南へと伸びる道へ向かい百を超えるパリスの兵が完全武装で歩いている。一糸乱れず長槍を立て足早に向かう先にはメルシゴナ家の氏族の住む区画があった。通りと居住区は閉鎖され軍装の兵士たちが囲んでいる。その中をコスゲン・マッシュハガがいつになく緊張した面持ちで立っていた。
 
 傍らには若い男が二人。一人は当主の息子バータ、もう一人はコスゲンの弟でアイザイアという。
 アイザイアは並んでいる二人と比べると幾分才気があふれていた。細面だが秀麗な顔立ち背はそれほど高くないが細身で人当たりがよさそうな雰囲気を醸し出している。バータよりも4歳ほど年は上ですでに兵役を終えていた。マッシュハガ家の中では一番の俊才と評判が高い。
 その三人の前に百は越えるマッシュハガの兵がならんでいる。どの顔も緊張感を隠し切れずにいた。マッシュハガの三人の後ろからレイブン・アケドナが姿を現す。

「よいかマッシュハガのお三方、火を出すことと人死にを出さぬことこれが条件である」

 いかめしいレイブンの言葉をバータが鼻で笑う。

「結局兵をださないアケドナ家が何を物申すのですか? くどくどとあてつけがましいことを言うならば付いてこなければよかったのですよ」

 レイブンの顔色が変わる。ことは急を要していた。トーメスが暗殺の疑いがメルシゴナ家にかかっている。真実は慎重に調べねばならなかったが、目の前で弟が死んだカシアスの怒りが激しく聞く耳を持たなかったのである。その勢いにレイブンは折れしまった。それでも調停役として後詰めをせねば何が起きるかわからなかった。
 バータの人を小馬鹿にしたような棘のある物言いにレイブンは気分を悪くした。決して気の長い質ではない。普段からこましゃくれたバータの態度や言動に苛立つ大人は多かった。

「まだダルダンが首謀者とは決まったわけではないぞ。それにどういう手段でトーメス様を殺めたのかもはっきりしておらんのだ」

 バータは呆れたように溜息をついた。貧相な身体に鎧がまったく似合っていない上に初めて着こんだためなのかどこかしっくりとしていない。借りてきた衣裳のように不自然な成りだった。

「メルシゴナからの差し入れを飲んで倒れられた。他に理由を探すほうが難しいでしょう。やつらは宗家に対する謀反人そう決まっていますよ」

 都合の良すぎることを都合の良い様に解釈し、決定権を行使する。バータの浅はかさをレイブンは危ぶんだ。パリスの中で権力に守れていればバータの言葉も守られよう。しかし一歩外に出て現実を突きつけられたときこの少年はどう自分を守るのかということを考えてもいない。

 コスゲンが兜をかぶった。アイザイアがそれに続く。

「バータ、相手はメルシゴナ家のダルダンだ。虚をつく我らに利はあるが、長年北方を守り続けてきた手練れだ気を緩めるな」
「なんの叔父上。今メルシゴナの兵はほぼ外に出ておりますれば、率いる兵がおりませんよ」

 三人はメルシゴナ氏族の住居に兵を進めさせた。どの家にも明かりは灯っていない。兵役番のメルシゴナ氏族には男どももほとんどいないのである。

「カシアス様はダルダンを連れてこいと申された。皆の衆他の物には目もくれるなよ。ダルダンの身柄だけを連れてくればよい! わかったな?」

 マッシュハガの兵は小さく拳を突き上げた。



 その晩タイロン・メルシゴナは遅くまで寝れずにいた。特に理由があったわけではなかったが夕食の後から始めたファルカオンの史書の注釈に気を取られ過ぎて、寝る間を失っていたのである。
 タイロンが気が付いたとき母と姉の寝室はすでに火が消えていた。決して安くはない油を使っていると姉の小言を聞かされることになる。タイロンは誰に聞かせるというわけでもなく溜息をついていた。明かりを消すと一瞬にあたりが暗くなる。メルシゴナ氏族の住居はまだ数か所明かりが灯っている。部屋全体が明るいところを見るとオイルランプではなく燭台を使っているのであろう。
 
 タイロンは寝台にもぐりこみ大きく欠伸をした。横になるがどうにも寝付けず低い天井を見つめた。
 どれくらいの時間が立ったのかわからなかったが、タイロンの部屋の下を何人もの足音が響き渡る。砂地の道を擦るように歩き威圧的な足音が足並みをそろえているのがタイロンにはわかった。
 不審に思ったタイロンは寝床から体を起こし、窓の前で身をかがめる。竹の格子にすだれを付けただけの窓であったがそのすだれを少し動かし部屋の外を見る。

 タイロンは自分の眼下に広がる光景に目をこすった。完全武装の今にも戦地に赴くようないで立ちのパリス兵が隊列を組んでいるのであった。メルシゴナ氏族の居住区はおそらくすでに閉鎖されているであろう。物々しい兵士が中央の勢溜まで待機しているのである。
 息を殺してその様子を見ていたタイロンは、音を立てずに一階へとおりる。どの部屋も明かりは灯っていないが、暗闇の中で動く者が目に留まる。タイロンは小声で陰に声をかけた。

「姉さん…」
「タイロン…外」

 ケイラの顔は暗がりでよくわからなかった。しかし身体が小刻みに震えている。タイロンはあたりを見渡した。

「母さんは?」
 
 ケイラは戸口の方を指さす。そこにも影が浮かんでいた。兵役の月番で父親のトゥールーズは家を空けている。メルシゴナ氏族の男たちはほとんどが北方方面か東の治安維持と守備に出向いていた。今パリスにいる男は、学業で兵役を先延ばしにされているタイロンのような少年か、退役した老人だけであった。ダルダンが引き連れて帰ってきた者達がいるが、その数は10名ほどである。
 タイロンはアセロに近づき背中をさすった。アセロは振り返りタイロンを確認する。

「マッシュハガの兵士だけみたい」
「どうして…」

 アセロは冷静さを装っているのか、やせ我慢しているのかわからなかった。闇の中でマッシュハガ兵の影が庭先に伸びては消えていく。誰も一言も声を出していないところが余計に三人を不安にさせた。

「二人とも地下へ」
「母さん。俺大叔父さんのとこに行ってみるよ。男手がいないから」

 アセロは目を大きくしてタイロンを見つめる。

「なに考えてんの・・・。今の状況わかってるの?」

 タイロンの腹は決まっている。その表情に二人は気圧されていた。

「いま男手がいない。みんな兵役で外出てしまってるからね。マッシュハガの人たちがメルシゴナの居住区を閉鎖してるってことは大叔父さんが目的だと思うんだ」

 タイロンの言葉を二人は押し黙ったまま聞いている。タイロンは薄く笑顔を作って見せた。

「一人でも男手がいると思うんだ。もしかしたら大叔父さんに怒られるかもしれないけど、今行かなきゃパリスのために役に立てるようにはなれないと思うんだ…だから母さん行かせて」

 アセロは思わず口元を抑えていた。タイロンを抱き寄せると背中に手を回す。アセロの両腕に感じられたタイロンの身体は思いのほか大きくなっていた。



 その日ダルダン・メルシゴナは酒も飲まず早くに床に就いていた。北の任地から戻りシュザンナの独演会という名の四家当主の評定からまでほとんど休む暇がなく、頑強で知られていたダルダンも泥沼に使ったような体の重さを感じるほど疲労を感じていたからであった。
 メルシゴナ氏族の男子はダルダンが連れて帰った側近の10人だけである。全員パリスに戻ってからは家族の元へと返していた。どの男もダルダンと同世代ので働き盛りではあったが若さは感じられない。戦働きではなく調停に役立つ側近ばかりであった。弟のトゥールーズをはじめ信頼できるものは皆任地に残してきている。その中には息子のオグナルもいた。

 ダルダンはかなり早くに寝付いていたが、疲れのためか短く浅い眠りを繰り返した。神経が過敏になっていたことが原因であろうが、それよりもシュザンナの罵声と屁理屈が思い出されるのである。
 寝ながら怒りの声を上げて起きあがる。目を開けると不愉快さに汗ばんでいた。次期のこともあるが喉も乾いていたためダルダンは寝床から起き上がり水桶のある土間へと向かう。

 ダルダンの目は伸びては縮む兵士の影を見逃さなかった。歴戦のメルシゴナ当主は戦の匂いをかぎ分け、うっすらと伸びてくる殺気だった人の気配を敏感に感じ取る。水瓶から柄杓で一口すくうと一息に飲み干す。すぐに身をかがめ屋敷の奥へと移動した。
 そこには見知った男と妻のロナが待っている。

「バッサオラ。外のあれは?」
「はい。どうやらマッシュハガ家の兵と見受けられます」

 二人とも緊張感がまるでない。ロナだけが顔を悪くしている。屋敷には鎧はもちろん武器の類すら満足に用意されていない。そもそもパリス市民の住居がある中層には武器の形態が許されていなかった。状況を吟味する猶予がないなかでダルダンは弟に命を与えようとした。

「難儀なことであるが、今いる男どもをここへ呼んでこれるか?年齢は問わん」

 バッサオラは首を左右に振る。いったん外へでてダルダンの屋敷まできている彼はマッシュハガの備えを確認していたのである。

「どうやら若いのが仕切っとるようですが、後詰めがアケドナのレイブン殿でございますのでな。期待はできませんぞ」

 ダルダンは大きく息を吐いた。レイブンがいるということはまだ問答の余地があるという事でもある。どのような経緯でマッシュハガが兵を出したのかは全く不明だが、アケドナまできているということはよほどのことがあったと認識せざる得なかった。

「こちらから出向いてやろうか」
「悪い案ではございませんな。囲まれるいわれもありませぬでな」

 ダルダンが寝間着から着替えようと辺りを見渡す。畳まれていた絹の上着に着替え直しロナから当主だけが許される短刀を受け取る。
 一息吐き出し、バッサオラと共に屋敷の入り口から出ようとすると、外門を激しく叩く音が響いてくる。土を踏みしめる音が屋敷の中にまで聞こえてきていた。

「ダルダン・メルシゴナ! 宗家セリウィス家よりの使いとして参った。直ちに門を開けよ!」

 どこか頼りなげな声をしている。二人とも声に聞き覚えがあった。

「コスゲン殿でしょうな」

 バッサオラの言葉にダルダンは黙ったまま頷く。ダルダンの屋敷の下人が姿を現した。バッサオラを招き入れたのもこの下人であった。ダルダンの父親の代からメルシゴナ当家に仕えている古株で屋敷の敷地内に居を構えているほどであった。
 背は曲がっているが、年齢よりもかなり逞しい体つきをしている老人がダルダンの前に跪く。

「旦那様…」
「よい。そのままで向こうから勝手に入ってくるであろう。ヨーキン爺お前は寝床に戻って知らぬ顔をしておけ」
「そのようなことできますか。わしは旦那様と共に行きますぞ」

 外門をたたく音が大きくなる。どうやら何かの道具を使い始めたようであった。他の家人や下人はすでにいない。ヨーキンが気を利かせたようである。ヨーキン以外の下人は比較的若く違う主人に雇われるであろう。
 コスゲンの声が響いてくる。

「開けぬようであるならば、パリス宗法の宗主に対する反旗とするがよいか!?」

 バッサオラが思わず笑いだす。パリス宗法をダルダンに問うあたりが片腹痛かった。

「兄上に相手にパリス宗法の問答をやる気ですよ」
「バッサオラ少し揶揄ってやれ」

 バッサオラは嬉しそうに城壁に近づき大声を張り上げる。

「そちらの声の主はどなたでござろうか?ここはメルシゴナ家当主ダルダンの屋敷と知ってのことでございますか?」

 門の外が一瞬静かになる。門を打ち付ける音も止まっていた。小さな物音が聞こえ、次いでコスゲンの声が聞こえてくる。

「我はマッシュハガ家コスゲンである。宗家の命によりメルシゴナ家当主を出迎えにまえった」
「宗主の命でございましたか。それは今御病気で療養されておられるテリデス様からの命でございますか?」

 ダルダンがバッサオラの問答を聞いて声を出さずに笑っている。風病で倒れたテリデスが受け答えできないことは周知の事実であり、コスゲンの物言いには矛盾がある。

「宗主は宗主である。我々は宗主の命により参った。宗主の命を聞かぬは宗法に反することになるぞメルシゴナ!」

 声の主が神経質でかつ若い声になった。ダルダンは声の主が誰だか一瞬わからない。いきなり当主代理のコスゲンを無視して声を発した礼儀知らずに心当たりがない。バッサオラも唐突に若い声が横入りしてきたことに戸惑いがあった。
 声の主はバータである。神経質で感情的になると甲高い声になり聞くものの神経を逆なでしてくる。バッサオラはあくまでも礼にのっとり相手をする。

「名を名乗られよ」
「反逆の疑いがある者どもに名乗る必要などない!」
「どうやらマッシュハガ家は礼儀をどこかへ置き忘れたようでございますな。名も名乗らず宗主の命を騙るなど言語道断」
「ぬかせ。貴様らの手勢はもう我らの手の内ぞ」

 あまりにも理不尽な物言いにダルダンの我慢が尽きた。

「そうかようわかった。では明日の朝一番に天守に出向こう。パリス宗法ではこの時間天守に出向くことはパリスの宗法に反する。どこの若造が知らんがどうしても連れて行きたいのであれば、門を破ればよい。それこそパリス宗法に反することになるがな。我らを連れ出すというのであれば、理由を申せ。愚か者どもが!」

 空気が揺れそうなほどの怒気を含んだ大声にマッシュハガの兵たちがざわつき始めた。その声が静まると門をたたく音が続いてくる。

「問答するのをやめましたな」

 バッサオラが呆れたようにつぶやいた。ダルダンは怒りに任せているわけではなかった。これでマッシュハガの兵たちにも状況がわかったことであろう。しかしダルダンには自分たちの正義が通らないということも理解していた。半分観念しているのである。

 木戸が軋み、閂が激しく揺れる。巨大な木槌が打ち付けられ門の一部が破壊され木片が飛び散っりに若きに飛んできていた。それほど門は持ちそうになかった。
 閂がへし折れる。門が開け放たれると完全武装のマッシュハガ兵がダルダンの屋敷になだれ込んできた。10人ほどの兵の後ろから若い男が姿を現す。マッシュハガ家当主代行のコスゲンが後ろに控えている。生意気な暴言を吐き散らかしたバータの姿が見えなくなっており、コスゲンのやや前方にアイザイアがいた。
 アイザイアが若々しく凛々しい声をだす。

「ダルダン殿。宗主の命にございます」
「何の用だと聞いているのだ。テリデス様は病床であろう。どのような命があるのだ?」

 アイザイアの表情は変わらない。若いがダルダンの威圧感にも押されていなかった。

「トーメス様が毒殺されました。その嫌疑がかけられております」

 ダルダンの顔色が変わる。メルシゴナ当主としては全く思いもよらない。想像もつかないことが若いマッシュハガの兵士の口から吐き出された。



 黄金の牡牛の刻もとうに周り双頭の蛇の刻の半ばまでまわっている。夜が一番深いこの時にパリスのメルシゴナ氏族居住区画にはマッシュハガの兵士がひっきりなしに行き来していた。
 タイロンは屋根の上をつたってダルダンの屋敷の方角に進んでいる。しかし通りの全てにマッシュハガの兵がウロウロとしていた。何人か中年の男がマッシュハガの兵に連れ出され勢溜のほうへと連れていかれるのがわかった。抵抗しているわけではないが、両手を後ろで縛れている。

 ダルダンの屋敷にはどうしても大通りを横切らなければならない、いったん屋根から比較的広い屋敷の庭先に降りる。左手がないわりにタイロンは器用に壁に移り屋根から飛び降りた。思いのほか高さがあったが敷き詰められうずたかく積まれた飼葉用の干し草の上に飛び降りる。
 干し草から這い出ると、左右を見渡した。マッシュハガの兵はむやみやたらと家探しをしているようではなかった。ダルダン側近の屋敷に押し入り身柄を拘束している。塀の向こう側で兵士たちの足音と話し声が聞こえている。

(だめだな…通りは抜けれない。いったんコルピンの居住区に出ないと駄目か)

 タイロンは庭先を身を低くして走り抜ける。塀によじ登りもう一度屋根に上がろうとした。右手をかけ飛び上がり塀の上からさらに屋根に上がる。乱雑に並んだ屋敷の屋根がコルピン氏族の居住区画にまで続いていた。大きく息を吐き出し大通りから見えない側を音を立てないように歩いた。屋根は丸みを帯びた釉薬瓦であった。
 黄玉の技術がなせる業で、鉱石や煉瓦の技術は飛躍的に向上している。形に均一性がないが耐久性に優れた陶器製の瓦はあまり素早く動くと、音を立ててしまう。
 タイロンは慎重に瓦を踏みコルピン氏族の居住区の方角へと向かっていく。しかし行く先にある勢溜には数十人の兵が集まっていた。完全にメルシゴナ氏族の居住区は閉鎖されていたのである。勢溜の向こう側にはわずかばかり人だかりができていた。どうやらコルピン氏族の夜更かししていた者たちが集まってきているようであった。

 タイロンは屋根の上から周囲を見渡す。メルシゴナ居住区の通りはネズミ一匹通ることが出来ないくらいマッシュハガの兵が行き来し始めている。それまでの静けさはすでにない。家へ侵入するようなことはなかったが、兵の話し声が闇夜に響いている。
 ダルダンの屋敷に向かうためにはどうにか大通りの一つを抜けなければならなかった。コルピン居住区からは抜けることはできないであろう。闇夜に紛れて大通りを抜けなければならない。意を決して屋根から降りる。手入れがされていない小さな家の庭先であった。屋敷の主は老齢の男でタイロンもよく見知っている。明かりがついていないが起きてるのか寝ているのかも分からなかった。
 
 屋敷から裏手の小道に身をひそめる。明かりを持った兵士が大通りを何人も歩いていた。

(駄目だ…)

 四つ這いになり様子をうかがう。目の前を後ろ手に縛られた男が一人通り抜けていった。タイロンはその男の顔をよく知っていた。ダルダンを支えるメルシゴナ氏族の顔役の一人ホーレスという人物であった。細身で背が高く常にピリピリとして口うるさい男であったが、タイロンも可愛がられている。

(ホーレスさんまで捕まってる。何があったんだろ…)

 大通りの反対側二つ目の区画にあるのがダルダンの屋敷であった。メルシゴナ居住区の中央からわずかに北に位置している。決して広くも大きくもない屋敷であるが、古くからメルシゴナ当主が住む屋敷でありその周りにはメルシゴナ氏族の直系家系の屋敷が囲んでいる。ホーレスもメルシゴン男系直系の出自でダルダンの屋敷のすぐ横に住まいがあった。

 タイロンは左右を確認する。しかし一定の距離を保ち兵士たちが封鎖していた。かなり気が抜けているようで、どの兵士もあまりやる気は感じられない。
 大きく息を吐き出す。気づかれてもダルダンの屋敷に駆け込めば何とかなりそうな気もしてきていた。腹に力を入れ直し、タイロンは身を低くしながらも大通りを一気に通り抜けようと走り出す。

 小さくもないタイロンの影をさすがにマッシュハガの兵は見逃さなかった。

「おい! ガキが抜け出してるぞ!」

 どこからともなく兵士の声が背中に浴びせられる。タイロンは大通りを突っ切ってダルダンの屋敷に向かって走しった。背中に追いかける兵の足音が響いて伝わってきていた。タイロンは同世代の中では足が速いほうであった。

「まて! ガキ!」

 振り返る余裕はなかった。大通りを横切り、小道に入る。二軒先の屋敷を曲がればそこにダルダンの屋敷の裏口があるはずであった。闇がタイロンに味方している。追ってくる兵士はタイロンの影を見失っているようであった。

「こっちだ。当主の屋敷の裏手に入っていったぞ!」

 タイロンは声を無視して小道を全力で走る。それほど長くない距離だったが、緊張感で息がすぐに上がっていた。二軒通り抜け、右手に曲がる…。

 タイロンが右手に折れた先には三人の兵士がダルダンの屋敷の裏口を封鎖していた。二人の若い兵士がタイロンに気づき振り返る。どの顔にも見覚えがあった。後ろから三番目に控えていた兵士がタイロンの顔を見るといやらしく笑いかけた。

「変なところで会うな手無し」
「あんたバルツ…」

 三人はバータの取り巻きであった。どうやら裏口の見張りを仰せつかっていたようであった。間の悪いことに暇そうにしていたところへタイロンは鉢合わせしてしまったのであった。
 タイロンの背後に追いかけてきた兵士が姿を見せる。

「ここにいますよ!」

 バルツが大声を出す。タイロンは左右を見るがどの屋敷の塀もかなり高い。それでもあきらめず塀に手をかけよじ登ろうと試みる。
 タイロンが塀に走り手をかけ体を引き上げようとすると、バルツが体当たりを食らわせた。タイロンは砂地の上に強かに背中を打ち倒れ込んでしまう。バルツ達四人が周りを囲んだ。

「メルシゴナのもんは外出禁止だ。宗主の命でな。出てるやつらは詰め所にしょっ引いていいことになってるんだよ」

 痛みで顔をしかめバルツ達を睨んだ。バルツはその顔が気に食わなかったのか、タイロンの顔を殴りつけた。追いかけてきた兵士たちがバルツ達を制する。

「よくやった。あとは我々で処理する」
「よろしくお願いします先輩。 そいつはメルシゴナ氏族の手無しのタイロンだ。まだ兵役に付いてないガキだが何しに当主の屋敷に来たのか怪しいですからね。こってり絞ってやってくださいよ」

 バルツの気色悪いいおもねりの声を遠くに聞きながらタイロンは両脇を抱えられた。連れていかれるタイロンにバルツ達の馬鹿にしたような笑い声が届いていた。


 
 
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