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第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

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 パリスの北方の岸壁が男たちの眼前に迫っている。三頭引きの戦車が連なり、それに乗る9人の男全員が戦装束であった。西の都市で乱発した野盗の略奪がようやく一段落し、ダルダンは急いでパリスへと帰還している。ダルダンはメルシゴナ家の出身者を選び、盗賊を討伐するため西に移動した。
 北で行っている新兵の鍛錬は人に任せ、西の中心都市になるモサや銅山、ジロンへと続く要所のモッサリアと各所を転戦し、どうにか中心になっていたジロン出身の商人が作った野盗を壊滅させたのである。テリデスが倒れたときからすでに半月以上たっている。
 野盗との決着がつくとダルダンすぐにパリスへと帰還した。それはメルシゴナ家とその家人筋の氏族で構成された1000名の部隊をそのまま西の治安維持のために残した。ダルダンに付き従う5人は手練れの御者二人と若者二人。そしてダルダンの弟バッサオラであった。

 先頭を走るダルダンのすぐ後ろには若く日に焼けた男が立っている。表情はいつもと変わらない。黙ったまま戦車の後ろで長槍を抱いている。男はテリデスの次男トーメスである。
 激しく揺れる戦車の中では会話も中々難しい。ダルダンは大きな声をだして、横にいるトーメスに声をかける。碑は沈みかけている。三日をかけ走り通しいた。全員の顔に疲労の色が見える

「若!ファーロ村が見えてきましたな」

 トーメスはダルダンの声に小さく頷く。

「今からパリスに向かっても城内には入れませんねダルダン殿。今夜はファーロで待機しましょう」

 ファロ村の大門が開く。パリスの旗とメルシゴナの旗を確認したファーロの住人が大きく手を振っているのがトーメスの目に入った。牧草地が広がるファーロへと入ると戦車を馬屋の近くへと止める。戦車を引く戦馬は重装こそつけていないが、どの馬もかなり息があがっていた。

 馬に水と飼葉を与え、男たちは全員戦車から降りている。軍装を解かず馬屋の側にある水場へと移動する。全員が軍装であるためいちいち物々しい雰囲気がしていた。
 水場に立ったトーメスは桶に溜められた水に手拭いを浸すと、顔を拭いた。

「よかったのか?ご子息は」

 トーメスの問いかけにダルダンは顔色を変えなかった。オグナルが戻って来てみたところで何が変わるわけでもない。勤めがあるのであれば、そちらに従うことがパリスのためには重要と割り切ることができる。

「もうすぐ軍役について一年がたちますのでね。いつまでも親の後ろにいてもらっても困ります」
「野盗相手の時は随分と勇ましかったではないか」
「あのような者たちを相手にしたところで、使い物なるかどうかなど判断できませぬよ」
「これは中々に手厳しい」

 トーメスはそれほど笑顔を見せる男ではなかった。しかし軍役につき身分柄すぐに小部隊の指揮権を得ると、パリスにいたころのような立ち振る舞いでは人が動かないことを学んでいた。このところは随分と冗談も言えるようになってきている。
 緑の月のはじめにあったジロンとの小規模な戦がトーメスの初陣であった。百に満たぬ部隊の小競り合いであったが、それでもたいがいに数人の戦死者とその倍ほどにもなる傷者をだしている。トーメスが戦場の恐ろしさを知るには充分すぎるほどであった。

 そのあとモッサリア周辺で出没する野盗狩りでトーメスはいくつかの集団を討ち果たしていた。モッサリアの街道筋からモサ銅山までの間は、それまで野盗の影も形もなかったのであるが、テリデスが倒れたという報が届くと同時に諸所で悪さをし始めたところにトーメスはきな臭いものを感じていた。

「ダルダン殿。今回の野盗どもどう感じられた?」
「といわれると?」
「父上が倒れたという報が届くと同時に野盗どもが活発になったような気がしたんです。ダルダン殿はどう思われたのか」

 ダルダンは水を柄杓ですくい口に含む。口を漱ぐち一口目を吐き出した。トーメスも同じように口をゆすぎ、顔の埃を洗い落とす。

「確かに偶然にしては都合が良すぎますな。まるで宗主が倒れたのを知っていたような…」

 ダルダンはモッサリアの街道筋へ援軍に向かうまで、西の情報を取り入れていなかった。トーメスは一年近くモッサリアの周辺の治安維持と守備についていたこともありかなり地域の事情を見聞きしている。
 モッサリア周辺からモサ銅山は、元来アケドナ家の故地である。アケドナ家に連なる邑集落や邑が多くモッサリアやモサもまたアケドナの領分となっていた。そのアケドナの土地でトーメスは良からぬ噂を聞かされていた。

「ダルダン殿はモッサリアの街道筋の話を聞かれましたか?」
「いえ。わしが援軍に来てからすぐに野盗討伐がはじまりましたので、詳しいことはなにも」
「モッサリア周辺は麻の栽培が多いのですが、どうやらその中に麻脂を作っている邑があるらしいのです」

 ダルダンとトーメスは並んでファーロの楼閣へと向かって歩いた。ファーロの住人が数人迎えに出てきている。ダルダンの表情は変わらなかった。

「いまパリスで麻脂が出回っているとはきいていますが…まさか」
「ダルダン殿おそらく出所はモッサリが周辺からでしょう。そしてジロンの息がかかっていると私は睨んでいます」
「ジロンが?なぜ?」

 楼閣に入る。ファーロ村は決して大きくない。パリスに近くマッシュハガ家の氏族が植民した村で大きな畜産邑であった。農業も行っているがパリスの北は農業に不向きな岩場と牧草地がひろがっている。パリスの畜産業はマッシュハガ家のほぼ独占でファーロ産の肉はパリスの食卓を支えているのであった。
 マッシュハガ家の村はパリスの北、それも比較的近郊に広がっている。マッシュハガ家がこの辺りの宗族であったことに由来しているのであるが、食料事情が悪い事と生産性の問題、そしてなによりも自衛の問題から邑同士が一所になるのである。このことによりパリスの北側は廃村になりやすい地域でもあった。

「とらえた野盗のほとんどが元々パリス圏とはことなる場所からの流れ者でありました。ダルダン殿はジャンク一党はご存知か?」
「たしかモサ近辺にいる山賊どもでしたな?あれらは昔からあのあたりを縄張りにしいた筈ですが」
「情けない話ですがジャンク一党と取引をしました。やつらも新参どものやりかたが気に入らなかったようです。野盗はジロンの食い詰め者が流れてきたようなのです」
「首謀者がいると?」
「ジャンク一党もそこまではわからなかったと言っていました。ただ示しあわせたように姿を現しているところをみるとおそらくは…」

 トーメスの話はダルダンに懸念を抱かせる。
 どうして宗主テリデスが倒れたと同時に野盗が、それも軍のいる場所の近くで活動をし始めたのか。ダルダンはまだしもトーメスの足止めをするにはこれ以上ないほどのタイミングなのであった。

「…時間が足りませぬな。調べようにも今はパリスに戻るのが先決」

 トーメスはダルダンの言葉に深く頷いた。二人ともはっきりと言葉にはしなかったが、トーメスの帰還をよく思わないものがパリスにいるということ互いに認めている。
 
 トーメス一向がファーロ村へ入り、仮宿へと向かう。その集団をジッと観察する影があった。宿を一望できる小汚い民家の二階でその男は額に汗を浮かばせながらダルダンとトーメスの背中を見つめていた。背を丸めた小太りの小男、誰にも見られることはないであろうが無駄に緊張しローブを深くかぶっている。
 男はモズロであった。この男はトーメス一向が向かいの宿へ入るのを確認すると、あわてたように身をひるがえした。動きは鈍重で一段づつ階段を降りる。民家の裏手から裏庭へと抜け出すと、短躯を忙しなく動かし何処かへと走り去った。



 音もない闇夜がパリスを包んでいる。どぶ板通りの喧騒ももはやなくなり女郎宿や楼閣の明かりも消えている。昼間に僅かに降った雨が湿度を上げ、まとわりつくような空気を作っていた。
 ヴェスは人影の無くなったパリスの街を早足で歩いていた。何度も道を変え後ろを振りかえる。同じ道に出ては小道に入りまた同じ道に戻るのを何度も繰り返している。人影は全く無くなっており月の明かりでヴェスの影が何度も民家に浮かんでは消える。
 次の瞬間…一瞬の間をおいてヴェスの影が左を振り向くと同時に影が街の中から消えた。

 ヴェスは古いが手入れの行き届いた屋敷の裏庭へたたずんでいた。小さな花壇、短く刈り込まれた芝生の中に小さな祠が立っている。ヴェスの背中で幾人かの足音が足早に行き来する音が闇夜に響いている。
 祠はスタルメキア・サルビム人の信仰、運命と道の神『シェン・ラー』のものであった。最も古い土地の神とも呼ばれ、どの街にも必ず祠が幾つか存在している。祠の中には神の像が飾られていて、その特徴は運命をかたどったタスペタリー左手に掲げ、右手には道を灯すランタンを持っている。ヴェスが祠の前に進むと屋敷の裏手扉がゆっくりと開いた。
 
 細身で背の低い男が庭先に現れる。顔色が酷く悪く見え、土気色の顔に鼻から目の下まではほとんど緑色に変色していた。血走った眼を見開いたままヴェスを睨んでいる。

「早かったな」
「警戒されてる俺を呼ぶとはどういう要件だ?」
「仕事以外に何の用がある?」

 ヴェスはきな臭さに少し顔をしかめた。

「で?客は?」
 
 男の顔が喜色の悪い笑顔になる。張り付いたような作り物の顔。それが顔色と相まって余計に悪相になる。
 
「おめぇの兄貴…と言いたいとこだが、今回はノア一家のゴモト。もう一つあるがそいつは俺が受け持つ」


 男が庭先に降りてくる。猛禽類のような指先、爪は硬く幾本も筋が入り黄ばんで見えた。庭に降りると祠の前に立ちそこにあった小さな赤い花を摘む。

「処理係のやつが一人消えた」
「いくらでも変えがいるだろ?」

 男は楽しそうに花をくるくると廻しながら臭いを嗅いだ。死体の処理係りは足がつかないように複数人いる。処理係から彼らに手が回るようなことはほぼありえなかったし、処理係にこちらの姿を見せたこともない。ただ近年処理係が見当たらなくなるようなこともなかったのである。
 男は久しぶりに自分たちの影を追える者たちが現れたことが嬉しいらしい。

「ローハン者にやられたようだ。もう一つのほうはそっち絡みだ。元締めからの直接の依頼だ」
「そりゃお気の毒」
「そういうわけだ。ついでにお前さんの兄貴は名を騙られてるな」
「やっぱり」
「やらせてんのがゴモトだ」

 ヴェスは溜息をついた。ノア一家で残っているのは確かにゴモトとイルノの二人だが、どちらもしょぼくれた金勘定もできないやくざ者である。ヴィスは咄嗟に疑問を口に出した。

「ゴモトの爺がか?誰に知恵つけられたんだ」

 呆れたヴェスの問いかけに男は庭先の腰かけ石に座り込んで話し始める。

「今回の麻脂とアサシンの密売。これを裏で絵を描いたのはゴモトよ。元々は人売りの下準備でしょっぱい商売をやろうとしていたようだな」
「穏やかじゃないな」
「ローハン者はゴモトにとっては渡りに船だったんだろうよ。抗争でノア一家のまともな連中が先にやられて、逃げ回ってたのが幸いしたようだ」

 男は腰かけ石の手前にある火種起こしで種火を付けると、手巻き煙草に火をつける。闇の中でも煙草の先端が灯り煙が空間に漂うのがよくわかった。

「イルノはイルノで湿気た商売してやがるがな。これを知ってるか?」

 男は件の赤い薬を取り出す。掌の結晶が月夜にあたり怪しい光を放っていた。

「精力剤だったな。もう下層だけじゃなくてパリスの市民で夜のほうを困ってるおっさん連中は手を出してるだろ」

 男は赤い結晶を口に放り込みかみ砕く。喉を鳴らして飲み込むと目を細めた。酷く動悸が激しくなり血流が体中を駆けまわる感覚によっている。

「そうさ。こいつ事態はご法度じゃないな。ハサシンと一緒に夜の営みを少し過激に楽しみたい奴らにはもってこいだ。少々値は張っても買わずにはいられない」
「そいつをイルノが仕切ってんの?」
「そうさ。ジロン経由で仕入れたこれを流行らせてんのはイルノさ。親父を殺されてもあの二人は自分の懐具合しか興味がないな」

 男は瘴気じみた煙草の煙を吐き出した。男から発せられる腐った血の匂いと黴臭い刺激臭がヴェスの鼻孔を刺激した。汗のと共に煙草の煙がよけいに臭いを引き立てていく。
 居心地が悪くなりヴェスが祠の前に移った。男は煙草を吸い終えると身をかがめて祠に頭を入れた。背丈ほどある木製の祠のなかに頭を突っ込むと、一振りの短刀を取り出しヴェスに手渡した。

 柄と鞘は黄色から橙に変色し光沢を帯びている。ヴェスが軽く力を籠めると、音もなくするりと鞘から刀身が姿を現した。直刀ではない。先端は太くなり湾曲していた。重さがヴェスの手にしっくりと伝わってくる。鞘に納めるとヴェスは膝末いて祠の中のシェン・ラーに深く頭を下げた。
 体を起こし懐に短刀をしまう。外からは全く不自然さがない。体に巻いた革の帷子に引っ掛けているのである。ヴェスが屋敷から出ようとすると、男が思い出したように声をかける。

「そうそう聞き忘れた。青の月の終わりに俺の知らない仕事があったらしい。お前何か知ってるか?」

 振り返ったヴェスは首を左右に振る。ヴェスは短刀以外で仕事をしない。仕事の仕方を知れば何かがわかるかもしれないと思い直し問い返した。

「仕事のやり方は?」
「わからん。傷口は捻じれて、肋骨から背骨までが砕かれてる上に背中が突き抜けるほどの穴が開いてたらしい。相手はトール―ズのやつで人攫いだ」
「仕事の手間省けてよかったじゃねーか」

 男の血走った目にどす黒い光が灯る。それは怒りであった。毒気が凄まじくヴェスは気に当たられる。

「勝手にシマに手をだされちゃかなわんぞ。商売あがったりだぜ」
「捻じれた穴か。棒とかか?」
「いや。俺の見立てじゃ拳骨だろうよ」
「なんだ?人かそれ」
「幽鬼とか呼ばれてる凄腕のお前でも流石に拳骨じゃ人間の体に穴はあけれねーか。まぁそういうこった。お互い素性が割れたら首と身体が離れるような裏の仕事してる間柄だ。忠告だけはしといてやるよ」

 ヴェスは男の言葉に背中で答え、屋敷の裏口から音もなく街に消える。足音さえさせず闇夜にとけこんでいった。残された男はもう一本手巻き煙草を作り火を付けようとしたが、何かに気づいたように屋敷の中に入っていった。男が持っていた花は萎れて枯れ落ち、花弁は変色していた。



 パリス下層にあるザウストラの織物屋の店先で、三人の若者は日陰に入り遅めの朝食を取っている。ここ数日カズンズは下層で見知った若者を捕まえては、下層で密売されている麻脂の話を聞いてまわっている。やはり主犯はヴェスの兄エルヴィであるということが皆の一致した話であった。

「でもどこ行ったのかわかんないんでしょ?」
「あぁ。ヴィスにも四六時中監視がついてるはずなんだ」

 ユーラは丁寧に端から付け合わせの香の物を口に運んでいる。口の中のものを飲み込み目線を食事に落としたまま会話に入る。

「ノア一家の親分さんもやられっちまったんだろ?もうくたばってんじゃねぇか?」

 身も蓋もないもの言いだが、真実を当てているかもしれなかった。カズンズもその可能性をぬぐいきれないでいる。ローハン者のダルダ一家とノア一家の抗争が激しくなり、そのさなかノア一家のガーシ・ノアが死にノア一家はほぼ壊滅状態になっていた。
 それまでノア一家が後ろ盾になっていた下層民はダルダ一家に乗り換えるか、新参者が信用できない一部の古株はオニタ一家の世話になりはじめている。結局のところ厄介ごとが解決できれば看板はどんな色でもかわまわないというのがパリス下層民の本音なのであろう。

 カズンズがタイロンに膝付き合わせる。タイロンは顔を上げて口の中に焦げ目の多いパンを口に入れた。

「ノア一家のガーシはローハン者にやられたんじゃないらしい。どぶ板通りの女郎宿から夜中に酔っぱらって飛び降りたんだそうだ」
「話が上手くできすぎてない?」

 タイロンは不思議そうにしている。話のいきさつに違和感があったのはカズンズも同じであった。カズンズは顔ををタイロンに向けた。

「やっぱりおかしいと思うか?テルベも」
「喧嘩の最中に当事者が酔っぱらって事故死とかありえなくない?しかもやられてるほうが夜通し売春宿で飲んでたってことでしょ?そんな余裕あったのかな」

 ガーシの事故死の後もエルヴィは姿を現さなかった。粗野で喧嘩っぱやい若者だったようだが、不思議と下層の若い者には嫌われてはいなかった。面倒見がよかったのが理由らしい。しかし麻脂密売の首謀者と言われ、さらに恩人の葬儀にも顔を出さなかったこともあり皆の中では野垂れ死にしたということになっていた。

 下層の治安はレイヴンをはじめとするアケドナ家の介入で随分と良くなっている。麻脂も表立って売られることはなくなっていた。取り締まりは厳しく、虱潰しに売人を取り締まっていることが効果をだしている。しかしパリス側は供給元が特定できていないこと、重要人物とみられるエルヴィの行方を掴めていないことなどがあり決め手には欠いていた。

「ヴィスの兄貴が雲隠れしちまって手詰まりになってるな」

 タイロンとカズンズはユーラの言葉に同時に頷いた。
 パリス下層の若者の間にはエルヴィに対する懸賞金まで出ているらしい。堅気の者は別にして素行の悪い腕力だけで生きているような下層民にとってエルヴィは飯の種になってた。特にオニタ一家はノア一家が崩壊したためパリスの古株としての面目もあるのだろう。エルヴィの捜索には血眼になっている。かなり怪しい情報でもオニタ一家はエルヴィのことに対して金銭をだしているのであった。

「宗主様のこともあるしな。トーメス様とカシアス様のどちらかが宗族継ぐかわかんないけど、宗主様は流石に公務耐えれないだろう」

 沈黙が漂った。宗主テリデスの状態は決して良くはない。大人たちは隠そうとしているが、どうしても子供たちは敏感い空気を感じ取るものである。
 ユーラは宗家の世継ぎのことはよくわかっていないし興味も薄かった。ユーラの感覚では長男で正妻の子供が継ぐのが当たり前だという思いがある。

「カシアス様が継ぐのは決まってることなんだろ?」
「カシアス様が継ぐべきではあるんだがな。それで皆が納得すればいいんだが」

 カズンズの言葉にはカシアスに対するパリス市民の懐疑が色濃くにじんでいる。
 弟のトーメスはすでに数年の兵役につき戦争指導者としての資質をパリス市民にしめしていた。そのことは勇気と献身、そしてパリスに対する忠誠を宗家が示すことにもなっていた。20代の中ごろになっても兵役の義務を果たさないパリス市民が目立ち始めるなか、トーメスの姿はパリス男児のあるべき姿とみられていた。
 トーメスの後ろ姿を追うことで若年のパリス市民も兵役の義務を果たすものが多くなっていることも事実である。それだけに相反するように兵役に付かずにいるカシアスに対する視線は厳しいものとなっていた。
 カズンズはその当たりのいきさつを二人には話さない。話したところでどうなるものでもなかった。兵役に付くことが宗家としての勤めではない。良い政を行いパリスを繁栄させることがよき指導者としての条件であろう。蛮勇だけが世継ぎの条件であるというのは、古い考えが過ぎていると考えるからであった。

「おっさんらが決めたらいいことだな」

 ユーラは身も蓋もないことを言い放った。

「違いないね」
「そういやテルベんとこのおっさんはまだなのか?」

 タイロンは首を左右に振る。ことが収まらない理由の一つがトーメスとダルダンが帰ってきていないことである。テリデスが倒れてからもう半月近くたち、緑の月も終わりに近づいていた。テリデスのこともあり今年の冬ごもりの祭りは祭祀だけ行って祭り自体は中止になるであろう。
 
 三人が同時に溜息をつく。
 乾いたウル・アリーシャ高地の冬は辛く厳しい。パリスは雪こそそれほど降らないが、内陸の厳しい乾燥が続くのである。冬ごもりの祭りはその冬の寒さを耐えるための最後の楽しみであった。それがなくなると思うとどうしても陰鬱な気分になってくるのであった。
 カズンズとタイロンが同時に顔を上げると、外壁の大手門の方角が人が割れていくのが見えた。随分と離れているようだが、三人のところまで馬の嘶きが聞こえてきた。数台の戦車が見えその前に幾人か戦装束の男たちが早足でこちらへ向かってきていた。
 男たちの姿が大通りを中層に向かって歩く。先頭を歩くのはトーメスとダルダンであった。三人はその姿を目で追う。ダルダンが三人の姿を見つけると三人はそろって顔を背けた。

「おい!なんで顔を背けるんだ!」
「あっちゃ~見つかっちまった」

 カズンズが小声で二人に声をかける。どうしてもメルシゴナの当主の前ではいらぬ緊張を強いられてしまう。

「またくだらん悪さでもしとるんか? 久しぶりに帰ってみたら三人そろって油売りおって」

 いちいちダルダンの声は大きかった。カズンズとユーラは何かにつけタイロンの家に入り浸っている。何か言わなければならないのはダルダンの当主としてのお節介の表れだった。
 立ち止まったダルダンを横目に一団が宗主の館へと向かって動いていく。ダルダンの姿をみてトーメスが軽く笑ったような気がした。タイロンが指をさしダルダンを促すと、不満そうな顔を隠すことなくダルダンは一団の最後尾へとついていく。
 ようやくパリスの行く末を決める立場の者がそろったのである。三人は一様に安堵の顔色になっていた。それぞれの氏族の思惑が絡み合うことになるであろう世継ぎの問題も早晩決着がつくことになると、この時は誰もが考えていた。
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