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第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

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 白いパーリウィス神殿が青い空気の中で映えている。ユーラ・アボット、カズンズ・コルピン、そしてタイロン・メルシゴナの三人は並んで神殿の中庭に立っていた。祭壇の前には白磁の盃が並べられている。水盃の中身はもうなくなっている。
 晴れやかさといえば聞こえはいいが、何かが特別に変わったわけではないだろう。しかし三人の間には断ち切ることが出来ない血よりも濃いものが芽生えた。一晩中パミルタス神官に神殿の空き部屋を借りて慣れない酒を飲み、そのうち酒に負けて三人とも寝込んでしまっていた。

「頭いてぇな…」

 カズンズは中庭に降り注ぐ陽の光を二日酔いで青くなった顔に当てている。ユーラは全く酔わない体質であり蟒蛇のように飲んでしまう質であった。とはいえ三人ともそれほど人前で酒を飲むことが殆どなかった。
 パリスっ子が酒を覚えるのは兵役についたときと相場が決まっている。戦闘の恐怖を忘れることと戦死した兵士の弔いのために毎晩のように飲まされることでパリスの市民は酒をその体になじませていく。もちろん戦場に行く前から飲み始めるものも多い、親が率先して飲ませるような家も無くはなかった。
 義兄弟の盃と祝としてパミルタス神官がすっかり高級品になってしまっていた麦酒と、サルビム盆地の代表的な枸杞酒を用意してくれていた。麦酒は苦味があるが冷やすと非常に飲みやすい。逆に枸杞酒は癖が強かった。甘ったるく舌先にわずかに残る刺激が特徴で、水やポスカ水で割って飲むことが多い。原液のまま飲むこともできなくはないがそんな飲み方をしている輩は相当に酒慣れたものであろう。

 ユーラが大きく伸びをする。かなり散らかしてしまっている部屋を恨めしそうに見つめている。

「片付けだるいなぁ」
「神官様にどやされるよそのまま帰ったりしたら」

 タイロンが先に部屋に入り散らかった机の上の皿や籠を重ねると、ユーラとカズンズも後に続いた。

「誰もいないな。そろそろ爺婆どもが朝詣でしてもいい時間じゃないか?」
「そういや神官様も姿見ないね。朝のお勤めあるはずなのに…」

 人の気配が完全にない神殿の中庭へ三人は出てみた。空は薄暗く季節外れの雨が降りそうになっている。ゾルト族の越冬地にいたときから今年は空模様がどこか怪しかった。緑の月の後半ははほとんど雨が降らないのがパリスの気候なのであった。黄色の月から緑の月に替わるころがウル・アリーシャの雨季にあたりその時に綿花が育つために必要な雨がふる。それが終わると降雨がなくなり乾いた夏が訪れるのである。それが今年に限り量こそ少ないがすっきりしない天気が続いている。

「また降りそうだね」

 タイロンが鼠色の空を見上げる。中庭からはパリスの中層住宅地から宗主の屋敷・神殿へと続く大通りが眼下に見えていた。メイン通りを人々が慌ただしく行き来しているのがそこからでもよく分かった。街の様子が随分とおかしいことに三人はようやく気付いた。
 朝も随分と早い時間である。こんな時間に人々が駆け出すようなことはついぞ見たことがなかった。

「…おかしいな」

 カズンズが右往左往する人の波を見つめている。まるで戦が始まる前のようなパリス市民の動きであった。一人の影が神殿に上がる坂を歩いているのが見える。だんだんと近づいてくるその影はパミルタス神官であった。
 パミルタスは少し顔色が悪いように遠目からでも見える。神殿の門を通り抜け中庭へ入るパミルタスは三人を見つけて軽く手を振った。

「もう起きたのですか?いや皆早く家へ帰りなさい」

 いつになくパミルタスの声は諭す音を帯びている。街の様子から何があったかをタイロンは聞こうとしたが、パミルタスの声にそれを拒絶するものが混じっているのを感じ取り言葉を噤んだ。
 パミルタスに続き幾人かの大人たちが神殿へと早足でかけてくる。どうやら三人はここにいてはいけないという事に否応なく気づかされた。

「ユーラ、テルベ行こう」

 カズンズの言葉に二人は頷くこともなく歩み始める。神殿へと向かう人の中にファルカオンの学園の刺繍がはいったワンピースを着た少女のような見た目の女が坂道を息も切らせず早足で登ってきていた。三人ほどの集団の中に混じりビョークはパミルタスに宗主テリデスの様子をうかがうために駆け付けたのである。
 パリスを離れると決めてはいたが、テリデスには根無し草の自分を受け入れてもらった恩も感じている。ビョークは自分の知識が何かの助けになればと考えていた。テリデスの身の回りの世話をするために集められて女官たちと共にビョークはパミルタスと打ち合わせをするため神殿へと赴いたのである。

「どうゆう状態なのでしょう…」

 小太りで年増の女官は心配そうな顔を隠すことなくビョークに尋ねてくる。当然のことながらここにいる女はだれもハッキリとしたことはわかっていなかった。ビョークは見た目こそ少女のようであるが彼女たちよりも歳が上であり比較的落ち着いていた。心配を和ますように話を聞かせる。

「はっきりしたことは神官殿に聞いてみませんとわかりません。聞いたお話だと風病だと思います。風病であればいくつか私も薬の知恵がありますからロゴラス殿のお役に立てるかもしれません。女官殿たちは決して慌てることなく宗主様の介護を。風病であれば悪くすると半身が不自由になることもありますので」
「なんと恐ろしい…体が不自由になるのですか?それでは宗主様は…」
「いえ。風病は目覚められてからが大切になります。自由の利かなくなった側をいかに動かせるようになるかは最初の訓練次第でありますから」

 ビョークの知識にいちいちと女官たちは頷いている。神殿に向かう坂を四人で固まり登っていくと、三人の少年とすれ違う。三人は軽く会釈をする。女官たちもそれに返すように会釈をした。
 
 ビョークはその三人の少年、一番背が低くほっそりとした中性的な顔立ちで左手の先がない少年に釘付けになってしまう。動悸が速くなり一瞬立ち止まった。

 恐ろしいまでの青石の力を身にまとう少年。恐らくファルカオンの学園でもこれほどの潜在能力を持ったものはいないであろう。漏れ出すほどの王気がビョークの直感を刺激してくる。セリウィス家の血筋にもローハン周辺の宗家の者たちにもこれほどの王器を持った者はいたであろうか。底が知れないほどの器をその少年から感じ取りビョークは呼吸をするのを忘れていた。

「ビョーク様、ビョーク様?いかがされました?」

 三人の後ろ姿を見つめ固まっているビョークに女官が声をかける。ようやく自分が放心していることに気づき頭を振った。

「…あの方々はどちらの?」
「さて…一人はコルピン家の分家にあたる家のご子息様でカズンズ様だと思いますけど、あとのお二人はどちらのかたでしょう?」

 年若い女官が言葉を奪う。甲高い声を発した。

「あぁそれならば、大柄な方はコルピン家の家人筋にあたるアボット家のユーラさんでしょう。あとの左手のない亜麻色の髪の子はメルシゴナ家の御養子でタイロン坊ちゃんじゃないかしら?ほらあのお三方御兄弟の契を交わされたそうだから」

 耳の達者さは若い女官ならではであろう。三人がいつも一緒にいるのは誰も知っていることであったが、義兄弟になる噂はそれほど広まっていなかった。コルピン家とアボット家では立場が違い過ぎておりコルピン家の中には反対するものが少なからずいたこともある。結局カズンズと彼の両親が本家と、そのほか口うるさい古老たちを説き伏せることが出来たためヴァルドを組むことができた。

「…そう。パリスの子弟のかたなのですね」

 ビョークは全身が鳥肌が立ちうっすらと汗をかいている。毒気にも似たものを全身に浴びたような気になり動悸が激しくなっていた。首を左右にふり頬を叩くと気を取り直しビョークは坂を上り始める。三人の女官は不思議そうにその後ろ姿を追いかけた。


 門から一直線に神殿へ向かう大通りと、中央の広場から放射状に道がつながる小道、黒い屋根が特徴的なパリスの住居がその小道沿いに整然と立ち並んでいる。ユーラが数歩先を歩きその後ろにタイロンとカズンズがついている。中央の広場に差し掛かるころには、騒然となったパリス市民たちの姿が、三人にもようやく理解できた。誰も彼も不安そうな表情を隠すことなく焦っているが、かといって何をしてよいのか判らぬ様子でウロウロとしていた。
 三人も流石に街の異様さに気が付いていた。

「どうしたんだろう」

 タイロンの言葉にカズンズは難しい顔をしてむっつりと黙り込んでいる。先を歩くユーラは若干足元がおぼつかない。まだ少し体の中にアルコールが残っているのであろう。中央広場まで出ると、円形に敷き詰められた縁石に座り込んだ。
 二人がユーラに近づくとアケドナ家の氏族が集まる区画の方角から幾人かの若い男たちが馬を引いてくる。その中に顔を合わせたくないのが三人の目に入った。全員血相を変えて馬を引きながら小走りに下層へと続く門へ向かっていった。三人を見つけモウラ・アケドナが立ち止まり声をかけてくる。

「なぁ!なぁ!お前らなんでこんなとこにいるんだ?え?言ってみろよ!なぁ!?」

 朝からこれでもかと大声で聞いてくる。うんざりするほどの声量であった。呆れた顔でカズンズが対応する。ユーラは家柄が悪いこともあり何かにつけて絡まれてくることが多く、なるべく話さないようにしていたし、タイロンに対してはモウラのほうが興味がなさそうで、いつもカズンズが受け答えていた。

「そりゃこっちの台詞だモウラさん。どうしたんだみんなバタバタして」

 モウラは小馬鹿にしたような顔になったが、すぐに表情を引き締めた。三人の後ろから馬を引いた中年の男が近づいてきたからであった。屈強な体つきでパリスの中でもかなり大柄な部類に入るであろうか。背の高さはユーラと比べても変わらないくらい高く、がっしりとしている。髪と同じ色をした顎髭を蓄え、長く伸ばした髪を束ねていた。

「モウラ。遊んでるんじゃない」

 語気は強くはないが野太く力があった。男の名はレイブロン・アケドナ。アケドナ家の本家筋でモウラの叔父の一人であった。
 レイブロンは三人に目を向ける。

「コルピン家のカズンズだな?急いで家に帰れ」

 有無を言わさぬものがこもっている。カズンズに反発心が生まれそうになっていたが、タイロンが先に尋ねたためにその表情は読まれなかった。

「何かあったのでしょうか?レイブロンさん」

 レイブロンはタイロンを睨みつける。アケドナ家には自尊心が強く責任感を持つ者が多かったが、それだけに他家の分家筋を下に見る悪癖があった。レイブロンもその毛が強くある。

「メルシゴナの分家の拾い子か。わしに対等な口を聞くとは良い度胸だ」

 レイブロンはタイロンに近づくと冷たい目を向ける。

「貴様らなぞに問答をする理由はない。今すぐ家に帰り都市からの下知をまっておれ!」

 あまりの言い分に今度は流石に分かるようにカズンズが不満そうに口を開きそうになった。しかしすぐにレイブロンの顔が変わる…。
 一瞬であった。ほんの一瞬しかし明らかに分かるようにレイブロンの周りの空気が冷たくなるほどの殺意が包む。自分の背中にこれでもかと冷や汗が流れるのを髭面の男は感じとり後ろを振り向いた。しかしそこには道行く市民の影があるだけで何もいない。
 レイブロンの異様な仕草ではあったが、モウラはその姿をわずかに見やると、ユーラの顔を睨みつけた。ユーラのほうはモウラの怖い顔をシレっと受け流して登りかけの朝日に向かって目を閉じていた。
 レイブロンは自分の出した冷や汗に気持ち悪さを感じて顔を振った。
.

「モウラ行くぞ!」

 わざとらしく大声をだして、レイブロンはそそくさとその場を立ち去った。モウラもユーラを少し見ていたが後に続く。アケドナ家の二人が立ち去ったあとカズンズが立ち上がった。

「城代番のアケドナが馬引いて外に出たってことは…」

 ユーラが目を閉じたまま受けこたえる。

「外の師団に緊急連絡だな。間違いねぇ」
「やっぱりなにかあったんだ」
「今はメルシゴナが外の軍役になってんな」
従兄にいさん達、今は北の警備についてるけど、二日はかかるよ」
「早く戻ったほうがいいな。何があったか知らないけど」

 三人は顔を見合わせ小さく頷くと各々の屋敷へと散っていった。義兄弟となったその日にパリスの歴史の歯車が回り出したのは何か因縁めいたものを感じさせて入るが、その事実をいまだ三人は知らなかった。



  筋ばった干し肉を強引に食いちぎり、もそもそと口の中で咀嚼する。ダルダ一家のロマは夕闇が降りてきたパリスの都市から抜け出し幾人かの男たちのあとを歩いていた。ロマの横にガレ、斜め前にチョルノが先行している。その前にさらに五人、彼らはパリスのオニタ一家若い衆である。
 オニタ一家のはしこそうな男が歩みを落としガレとロマに並んだ。彼はオニタ一家の束ねであるボッシュの身内で、名をサジといった。

「もうすぐでさぁ。お客人」

 不機嫌そうな顔を崩さないロマはサジを無視する。ガレが答えた。

「本当にくるんでしょうな?」
「ええ間違いなく。このためにうちの者に何度か麻脂を買わせてますんで」

 オニタ一家の前を行く二人は随分と若い。緊張の色がそれとわかるほど顔色が悪かった。年のころは十代の半ばであろうか。頭を短く刈り込んでいるのは、オニタ一家の入って間がないからであろう。仕草にも所作にも落ち着きがないのが目に見えてわかる。
 ガレがサジに顎をしゃくった。

「大丈夫なんかあれ?」
「はい。おやっさんが連れて行けってことでしたから」
「吐きそうな顔してんじゃねーか。坊やのお守りも大変だなあんたがたも」
「まぁ下手打ってくたばったらそれまででさぁ」

 顔色も変えずにのっぴきならない事をさらりと言ったサジにガレも小さく頷いた。一家のため家長のために死ぬのが子分の勤めとわかっているからこそ、この場に連れてこられているということは若い男たちも理解しているのであろう。修羅場と鉄火場はくぐって幾らの渡世である。サジの考えは間違っていなかった。

「わしらは隠れといたほうがいいんで?」
「はい。あくまでも取引ですんでね。向こうが物だしたら、わしらが動くのでその時に助太刀していただければ」

 サジの顔色は全く変わっていない。若そうだがかなりの場数を踏んでいる証拠であろう。背は低いが全身に肉付きがよくずんぐりとした体形をしていて腕や足もかなり太い男であった。
 サジの横顔を見ながらロマとガレは歩いていたが、不意にロマがガレに目配せをする。小さく頷きロマは探るように問いかけた。

「パリスの街で一番腕の立つ御仁ってのは誰なんです?」

 さらりと不自然さを感じさせないロマの問にサジは前を向いたまま答えた。

「一番ですか…わしら下層民は必ずしもパリスにいませんので何とも言えませんけども、パリス市民ということであればメルシゴナの当主とアケドナの当主が相当に強いと噂されておりますね。まぁ市民は個人の力というよりも戦の強だとおもいますけど」

 サジはそれでも少し考えたように続ける。

「若いもののうちではやはりメルシゴナ家のオグナル。アケドナ家のモウラの働きがよく耳に聞こえてきます。あとはメルシゴナ家の弓使いモリス、マッシュハガ家の分家筋で長槍使いのガイウス、コルピン家の双剣使いジェノスあたりでしょうか。もう少し歳がいった者もいますが、みな兵役での話ですね」

 ガレは何度か相槌を打ち、いちいち頷いていた。

「その中で短剣の達者はいるんで?」

 その問いかけにサジの顔が一瞬険しくなる。何かを察したようであったがすぐに表情を消して誤魔化した。

「さぁ…ジェノスの双剣は長物ですし、パリスの兵士は長槍が得意ですからねぇ。短剣使いと言われてもどうかわかりかねますなぁ。まぁもしかしたら上手がいるかもしれませんが」
「下層のやくざ者の中には?」
「少なくとも我々にもノアの者たちにもおりませぬな。獲物は短刀を使うものが殆どですが、噂になるような腕のものとなると一向に聞いたことはありません」

 サジの返答をチョルノは興味深そうに聞いていた。幽鬼ファントムという短刀の使い手。その存在を当然パリス土着の侠客も知っているはずなのである。しかしサジはその話題に触れようともしなかった。チョルノは喉元迄でかかった言葉を今にも吐き出しそうになっていたが、それよりも前にガレが問いかける。

「パリスの外のことに市民の方々は干渉…」

 ガレの話を食い気味にサジが遮る。

「パリス市民が城壁の外に干渉するとすれば、四家を筆頭に出自の邑だけでございますね。その範囲も狭いものでしょう。強いて言えばアケドナ家の土地である西の銅山がジロンに狙われていることがありますが、それもパリス市民の兵が常時配置されています。あの土地はパリスの直轄と言って過言ではありません。出自の土地の利権以外の問題でパリスの四家が何か恣意的に動くことはありえないとおもいますよ」

 サジが応じたパリス四家の思惑を聞き始めてロマが口を開いた。

「なんだ。やっぱり外にも影響があるんだな」
「ええ。パリスの街を中心に一日徒歩で往復できる範囲ではありますがね。アケドナ家だけは元々西の山岳地帯にいた羊飼いの男どもと、遊牧民が共同生活していた小さな集落が起源だったそうです。彼らの祖先は最初にこの土地に定住した遊牧民ということですね」

 サジは大きく息を吸い一拍間を置いた。

「ただし。他所から来たものの中にはもしかしたらそういう達者がいるかもしれません。ローハンと比べたら田舎ですが、パリスは案外サウル盆地の移動民やお客人方のようなご身分の人もひっきりなしに入ってきますから」
「そういうよくわからない余所者の中に短剣使いの達者がいるのは否定しないと? わしらはパリス都市内のことにようやく慣れてきたくらいですからよくわからないのですが」

 サジは考え込むように腕を組み空を見上げた。

「あまり話はしたくないのですが…ゾルト族という移動民が近年パリスと取引をするようになってます。そのノマドの集団自体はこれと言って特筆するようなものではないのですが、その集団の中にサウル盆地では名の通った武芸者だった老人がいるのですよ」
「武芸者?」
「はい。名前はソ・カウシというそうです」

 ロマの目に怪しい光が灯る。強さこそがこの男の生きがいであった。たとえ老人であろうと自分よりも強いという事が許せない。そして強い者と戦いそれを屈服させることがこの男の生きている理由なのである。
 ガレはロマの視線を無視した。厄介なことになりそうな気配を感じたのである。

「あくまでも可能性ですがね。まぁカウシはかなりの高齢だそうなので流石に本人が何かをするという事は考えられませんが」

 急にロマが口を挟んだ。

「弟子筋のやつがいるんだろう」

 サジはその言葉に肯定とも否定ともつかない曖昧な表情をし、話を誤魔化した。

「そろそろつきます。お客人は少し離れて合図をしたらお願いいたします」

 そう告げるとオニタ一家の者は薄暗くなった廃村に向かって歩きはじめる。夜目の利くチョルノはその先に幾人かの集団がフラフラとしている人影を確認し口の中が渇いていくのを不快に感じていた。
 ダルダ一家の三人は集団から離れ廃墟の裏手へとまわった。チョルノは先行し周りに人がいないかを確認してまわる。ガレとロマは崩れかけた家屋に破れた窓から侵入した。ここからならばすぐに待ち合わせ場所へと殴り込めるであろう。相手の人数と顔も確認できる位置であった。

「ええ場所ですね」
「やつらも油断し過ぎだな。小間使いのガキみたいのしかいねーぞ」

 チョルノが入ってくる。

「まわりにゃ誰もいません」

 チョルノの報告を聞くとガレが頷く。三人は廃屋の陰からノア一家のやり取りを見つめていた。





 サジが一番前にでて、派手な格好の男に声をかける。どの顔も若く十代の終わりから二十代の頭くらいの歳格好にみえた。パリスの街中では見たことがない。その中で髪の左右を刈り上げ頭頂部の毛だけを残しそれを束ねた男が進み出る。相手の中では頭一つ歳が出ているようで口元に髭を生やしていた。体も大きく腕も太い。男の顔をサジはパリスで見かけたことがある。

「よう。あたらがジロンの使いか?」

 髪を束ねた男がサジに声をかけてきた。酒で焼けているのか随分と聞き苦しい。顔色も悪そうである。サジは小さく頷くと顎をしゃくった。
 麻袋を持った若い衆が進み出て二人の間に置く。

「パリス金貨で100枚。確認してもらおう」

 前歯の抜けた間抜けな顔をした若い男が、大きな麻袋を3つ抱えて金貨の横に置く。二人同時に袋を拾い上げ後退りながら代表の横に置いた。

「確認してもらおうかディンさん」

 サジの言葉に相手の男の顔が変わった。

「てめぇ…ジロンのもんじゃないな!」

 ディンと呼ばれた男の声が呼び水になる。すでにオニタ一家の若い衆は走り出していた。

 一瞬の遅れ。それが勢いに差をつける。
 サジはディンに飛び掛かり襟首をつかんで引き倒す。オニタの若い衆が機先を制した。

「どうしてノア一家の小間使いがパリスで麻脂で商売なんかしてるんだ?ディン。親方衆は承知のことか?」

 上に乗り襟首をつかむ。ディンは短刀を抜き放ち横に薙ぐ。サジの右腕を浅く切りつける。サジは身を返し立ち上がるとディンも立ち上がり短刀を構えた。二人が見合ったのが呼び水となる。
 ディンとその取り巻きのほうが数も多く全員が短刀を抜いていた。オニタ一家の若い二人は切り付けられ腕を抑えながら後退る。瞬間あばら家から黒い影がディンの横にいた若い男に飛び掛かった。
 
 いち早く飛び出てきたのはチョルノである。細身で足の長いチョルノはディンの取り巻きを思いきりよく蹴りつけ、そのままの勢いで顔面を踏み抜く。数本の前歯がはじけ飛んだ。そのすぐ後に勢いよくロマがディンに向かっていく。振り向いた瞬間に岩のような拳に鼻骨をくだかれる。
 ディンの身体は宙に浮き、三回ほど地面を転がる。ロマはすぐにディンを引き起こすと顎にを下から殴り上げた。中でディンの身体が一回転する。あまりの勢いにディンの取り巻きが一瞬止まると、ガレが二人の若い衆の襟首をつかみ引きずり倒した。倒れた一人の顔面を踏み抜き男の歯が数本飛び散る。ガレはもう一人の腕を持つと前歯をなくしののたうち回る男の上に頭から落とす。骨の砕ける嫌な音がして下の男の胸の骨が折れた。
 ロマはディンを放り投げると近くで腰が抜けている男のコメカミを殴りつけ、昏倒する男を抱え上げると頭から地面にたたきつけた。
 各々やりあっていたオニタ一家の若い衆とサジはあまりの勢いにあっけに取られる。

「…すげぇ」


 人を殴り気づ付けることに何のためらいもないロマの勢い。喧嘩であれ刃傷であれ人であればわずかながらでもためらいがあるものだが、ロマにはそれが一切なかった。ディンの一派は全員気絶ぼろ雑巾のようにされて転ばされている。ガレがヒクヒクと痙攣しているディンの髪を掴み引き起こした。
 前歯がすべてなくなり顔面が二倍近くになっている。腫れあがった瞼からは血が流れ、あまりにも目元が腫れあがっているため目を開けているのか閉じているのかもわからなくなっていた。

「サジさんこいつだけでいいか?」
「いや全員です。そいつ、ディンっていうチンピラにもなれねぇ盆暗ですけど、ノア一家がパリスの外で使ってるジャリです。こんなゴマメいくら締め上げてもなんもでないかもしれねぇですけど、麻脂受け取った筋くらいはわかるかもしれねぇ」

 チョルノは残された麻脂の袋を拾う。中にはぎっしりと加工された麻脂が入っていた。取引自体に嘘はなかったのである。ロマは伸びたディンの襟首をつかみ引きづる。喋れるようになるまで時間がかかりそうであった。どちらこの小間使いたちを締め上げるのか、そのあたりの差配をどうするは、ノア一家との話し合いであろう。
 サジがきりつけられた腕に綿の布を巻かせている。

「必ず吐かせますよ」

 サジの顔は酷く疲れていた。緊張の糸が切れたのか顔色が悪く額には冷たい汗をかいている。オニタ一家の若衆も全員どこかしらか傷を負っていたが、全員生きていた。息が上がっている若い衆に向かってサジは声を投げかける。

「全員か?」
「へぇ、お客人のおかげで何とか。縛っちまってかまわないですかカシラ」

 近づいてきた若い衆が倒れているディンの顔を見ると、表情が変わる。赤黒く腫れあがり瞳が見えなくなった瞼、おそらく頬骨は陥没しているであろう。口が上手く閉じれず薄く呼吸音が聞こえている。歯はすべて折れて無くなっていた。

「生きてるんですか?」
「どうだろうな」
「喋れないですよこれ…」

 一仕事終わったという風にロマは倒れた者たちをいちいち蹴りつけ踏みつけていく。後始末はガレやサジの仕事である。チョルノがサジにまだ真面な手下の襟首を引きづって連れてくる。男の左足は折れて逃げることは出来そうにもなかった。

「隠れてやがりましたよ」


 何の躊躇もなくディンを半殺しにしたロマ、相手の逃亡を阻止するために足の骨を折れるチョルノ。サジはダルダ一家の喧嘩ぶりに肝を冷やしていた。それはサジについてきた若い衆にも広がり強さへのあこがれよりも嫌悪感と恐怖のほうが色濃くでている。
 ロマはその冷ややかな視線を無視して肩をいからせた。何度も受けてきた反応だった。弱いやつらが見せるくだらない感情にロマは苛立ちを隠さなかった。

 




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