32 / 66
第一夜
年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』
しおりを挟む
火照り切った体に夜風が心地よかった。皇帝の部屋は風通しがよく湯上りの肌から熱が奪われていく。アマリアは少し湯あたりしていたが、それでも皇帝のベッドで話をつづけた。タイロン・メルシゴナ、そう呼ばれた片腕の男の少年時代の記述は本当のところははっきりしていない。カズンズ・コルピンとユーラ・アボットの伝記の中にわずかに残る逸話であった。
皇帝は上半身だけ絹の夜具から出してアマリアの膝に頭をのせていた。
「タイロン・メルシゴナとは聞いたことが無かったな。あのアルザスの魔術師が奴隷出身だったのか」
「はっきりと記録があるわけではありませんけどね。ただパリスのコルピン家とアシュキラス家の伝記に残るお話ではあります。エルト・ユリシアの幼いころの記録は公式には消されていますから」
「色々と具合が悪いのであろうな」
「軍神エルトが世にでるのはモッサリアの戦いで兵站部隊の隊長を押し付けられたカズンズ・コルピンを逃がし55人のコーサ市民を救った時ですから。それまでは実際に何をしていたのかは不明なのです」
「お主の話は中々興味をそそられる。賢者の学院にいる老人でもこれほど詳しくはあるまい」
アマリアは少しだけ微笑んだ。
賢者の学園にいる歴史家たちは当然これくらいのことは知っているであろう。軍神エルトの伝説は巷説でも人気が高く、ユーラ・アシュキラスの武勇は芝居になるほどだった。しかしコルピン家とアシュキラス家の伝記が真実であるとするとパリスを含めエルトが治めた『有翼の獅子公国』の末裔にとっては都合が悪い。彼らは奴隷とその子分の子孫という事になってしまうからであった。ちなみにアマリアのカイエン家も真偽のほどは定かではないが、エルト・ユリシアの末裔を名乗っている。
ウル・アリーシャの南部から現在のカルバイというエルトが奉ぜられた地域では彼らの子孫を名乗る都市が少なくとも十はある。正式にはパリスのコルピン家だけがこの時代には残っているがそれも分家筋であり宗家は途絶えてしまっているのであった。
歴史の善し悪しはわからない。しかし彼らの尽力がなければサウル盆地とローハン盆地の統一はなくスタルメキア人とサルビム人および盆地の諸民族が交わって『ハーン語族』が生まれることもなかったであろう。そして緑の宝玉もまたその存在が歴史に現れるのが遅れたとアマリアは考えていた。
皇帝は大きな欠伸をして腕を伸ばす。大人が五人は寝れるほどのベッドである。皇帝一人が大きく手を伸ばしてもはみ出ることはなかった。
「よいころ合いだな。もう金色の牡牛は長い尾を持つ蛇へと移ったぞ」
「左様でございますね陛下」
そういうと皇帝はアマリアを抱き寄せ瞳を閉じた。それほど間をおかず微かに寝息をたてはじめる。アマリアがしばらく皇帝の顔を覗き込んでいたが、不意に部屋の灯が消えた。一瞬周りを見渡したが誰もいる気配はない。アマリアは皇帝の胸元に頭を当て目を閉じる。
こうしてアマリア・カイエンの初夜は静かに閉じた。
皇帝は上半身だけ絹の夜具から出してアマリアの膝に頭をのせていた。
「タイロン・メルシゴナとは聞いたことが無かったな。あのアルザスの魔術師が奴隷出身だったのか」
「はっきりと記録があるわけではありませんけどね。ただパリスのコルピン家とアシュキラス家の伝記に残るお話ではあります。エルト・ユリシアの幼いころの記録は公式には消されていますから」
「色々と具合が悪いのであろうな」
「軍神エルトが世にでるのはモッサリアの戦いで兵站部隊の隊長を押し付けられたカズンズ・コルピンを逃がし55人のコーサ市民を救った時ですから。それまでは実際に何をしていたのかは不明なのです」
「お主の話は中々興味をそそられる。賢者の学院にいる老人でもこれほど詳しくはあるまい」
アマリアは少しだけ微笑んだ。
賢者の学園にいる歴史家たちは当然これくらいのことは知っているであろう。軍神エルトの伝説は巷説でも人気が高く、ユーラ・アシュキラスの武勇は芝居になるほどだった。しかしコルピン家とアシュキラス家の伝記が真実であるとするとパリスを含めエルトが治めた『有翼の獅子公国』の末裔にとっては都合が悪い。彼らは奴隷とその子分の子孫という事になってしまうからであった。ちなみにアマリアのカイエン家も真偽のほどは定かではないが、エルト・ユリシアの末裔を名乗っている。
ウル・アリーシャの南部から現在のカルバイというエルトが奉ぜられた地域では彼らの子孫を名乗る都市が少なくとも十はある。正式にはパリスのコルピン家だけがこの時代には残っているがそれも分家筋であり宗家は途絶えてしまっているのであった。
歴史の善し悪しはわからない。しかし彼らの尽力がなければサウル盆地とローハン盆地の統一はなくスタルメキア人とサルビム人および盆地の諸民族が交わって『ハーン語族』が生まれることもなかったであろう。そして緑の宝玉もまたその存在が歴史に現れるのが遅れたとアマリアは考えていた。
皇帝は大きな欠伸をして腕を伸ばす。大人が五人は寝れるほどのベッドである。皇帝一人が大きく手を伸ばしてもはみ出ることはなかった。
「よいころ合いだな。もう金色の牡牛は長い尾を持つ蛇へと移ったぞ」
「左様でございますね陛下」
そういうと皇帝はアマリアを抱き寄せ瞳を閉じた。それほど間をおかず微かに寝息をたてはじめる。アマリアがしばらく皇帝の顔を覗き込んでいたが、不意に部屋の灯が消えた。一瞬周りを見渡したが誰もいる気配はない。アマリアは皇帝の胸元に頭を当て目を閉じる。
こうしてアマリア・カイエンの初夜は静かに閉じた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。
だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。
十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。
ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。
元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。
そして更に二年、とうとうその日が来た……
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う
ひなクラゲ
ファンタジー
ここは乙女ゲームの世界
悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…
主人公と王子の幸せそうな笑顔で…
でも転生者であるモブは思う
きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
あの、神様、普通の家庭に転生させてって言いましたよね?なんか、森にいるんですけど.......。
▽空
ファンタジー
テンプレのトラックバーンで転生したよ......
どうしようΣ( ̄□ ̄;)
とりあえず、今世を楽しんでやる~!!!!!!!!!
R指定は念のためです。
マイペースに更新していきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる